リクエスト
心の声さえ届かない/無口×不安:切甘
――ただ一人のひとを、愛しておりました。
心の声さえ届かない
「オオ! 騎士団長サマのお帰りだ」
「嗚呼。今日も麗しく聡明な尊顔――とても、隣国までその名を轟かせる“軍神”とは思えませぬ」
歓声が何所からともなく湧き上がる。
ある者は尊敬の念を向け。またある者は、切ない恋心を吐き出すように甘い吐息を漏らしていた。
「……」
祝福の雨のように鳴り止まない歓喜の悲鳴。それを浴びている青年の名前をレオンと言う。
レオンはこの国に永遠の忠義を誓った騎士。真一文字に引き結ばれた唇が、寡黙な性格を外に伝えている。
重い甲冑に包まれた肉体は鋼の精神を宿し、強固な意志は誰も崩す事が出来ない。騎士の中の騎士。
年は二十代後半と若かったが、その実力から一個兵団を任されていた。
「――戻ったか、レオン」
「ハッ!」
気品に溢れた声音が宮中の空気を震わせる。
レオンは床に肘を付き、頭を下げた。その動きに合わせ、純白のマントが蝶の羽のようにひらめく。
「頭を上げよ。余(よ)は、お前の顔が見たいのだ」
柱の影から現れたのは、見目麗しい美貌の青年。彼こそが、この国の第一王子・フロレンツ。
レオンの魂はこの世界に生まれ落ちた瞬間から、フロレンツに捧げられている。自分の命よりも大切な至宝だった。
けれどフロレンツは同時に、レオンの心に暗い影も落としている。
「、……」
「嗚呼……! レオン。お前の帰還を、一日千秋の思いで待ち望んでいたぞ」
けして抗えぬ主の要望。レオンはゆくりと顔を上げた。
すると光り輝くフロレンツの微笑みが、瞳に飛び込んでくる。フロレンツとレオン、二人の視線は交差していた。
「身にあまるお言葉――光栄に……ッ」
心臓の鼓動を隠し、レオンは騎士の顔を整える。しかし儀礼を返す前に、その音は飲み込まれてしまった。
「……んっ、」
薄いレオンの唇を、高貴な薔薇が塞いでいる。フロレンツの唇だ。その口付けは王子から騎士への――労をねぎらうものではない。
甘美な熱に感情の糸が融かされる。それは愛する者へと贈る――真実の口付け(愛情の証)だった。
「ッ――。……戯れが、過ぎます」
「戯れではないぞ」
レオンはフロレンツの肩に手を置き。それを引き離す。距離を置かれた唇は、不満に歪んでいた。
フロレンツが抱いている感情の名前を、レオンは知っている。けれどその褒美だけは、受け取ってはいけないのだ。
「貴方には、婚約者がいるではありませんか」
「それは父上が一方的に決めた、“政略結婚”ではないか。余が合意を示した覚えはないぞ!」
レオンは立ち上がり、目を伏せる。その心には重い鉛がヘドロのように溜まっていた。
フロレンツの事を愛している。けれど、レオンはその感情を封印していた。
相手は使えるべき、自国の王子。叶ってはいけない。届いてはいけない。忌むべき感情。レオンは自分の心に鍵を掛け、永遠の忠誠を誓っていたのだ。
「なればこそ――私(わたくし)は、貴方を抱けぬのです」
「余の心には――レオン、お前しか居らぬ。……それでもか――?」
けれど、フロレンツはそれを知らない。レオンが色よい返事を返さずとも、真実の感情が消える事は無かった。
「困らせないで下さい。私は――騎士の誓いを破れません」
◆◆◆
それから、五十年後。
「――……嗚呼、レオン。来てくれたのか……」
「貴方が望むなら、私は何処へでもはせ参じましょう」
細く弱々しい手を握り締め、レオンは応える。彼の周りには、幾人もの人間がいた。そのすべての視線は、ベッドに沈む老人へと注がれている。
瞳に涙を溜める者。永遠の別離に覚悟を決めている者。彼らは一様に、自国の王を愛していた。
「フロレンツ様! この国には、未だ貴方様が必要です!」
悲しみを抑えきれないと、年若い青年が嗚咽を漏らす。
あの出来事から数年後、フロレンツは王の座についた。国民は見目麗しい美貌の王に熱狂し、やがてその噂は他国にまで知れ渡る。
レオンはフロレンツの右腕となり、王の開花を支え続けた。国は栄え、フロレンツは歴史に刻まれる優秀な王へと成熟する。
そしてその隣には、可憐な花も咲いていた。
報われない感情と、王としての責任。フロレンツは婚約者を受け入れ、王妃となる女性を愛した。それは鳥の番が寄り添い合うような、穏やかで優しい日々だった。
不安、絶望――レオンが抱かせた不の感情は、温かな愛情に塗り替えられる。もうフロレンツは、レオンへの愛情を囁かない。
王と騎士。フロレンツとレオンは、正しい関係を築けたのだ。
国王の椅子は新たな王に受継がれ、王家の系譜は守られる。それはレオンが望んだ、理想の未来そのものだった。
「――なぁ、レオン……余は、お前の願いを叶えられただろうか……?」
フロレンツは最後の光を搾り出すように、レオンに問いかける。その瞳は遠き過去を映し、心の奥底に沈めた感情の炎を揺らめかせていた。
それはレオンの愛情を不安げに探る。切ない恋心。フロレンツの愛情は、未だ消えていなかった。今も、レオンの真実を求めている。
そして自分の命が事切れる瞬間に、最後の賭けに出たのだ。
「ハッ! 貴方様は――素晴らしい王でございました」
「……お前は最後まで――頑な男だ……な……」
小さく息を吐き、フロレンツの瞼が閉じられる。
騎士が誓った鋼の意思は、けして崩せない。それを示すように、レオンは愛の言霊を口にしなかった。
最愛の人間に向ける言葉は、最後まで儀礼的なもの。真実の音色が、フロレンツの鼓膜を震わせる。それは最後の時まで、叶えられない未来図だったのだ。
「お許し、……下さい――」
レオンの喉から嗚咽が溢れ出る。両目から涙がとめどなく流れ、頬を伝う。
フロレンツの指には雫がポタポタと降り落ち、悲しみに濡れていた。
「フロレンツ、……様――っ」
共に年老いた愛しいひと。その寝姿は光を浴び、神々しくも神聖な空気に包まれている。
「貴方を――愛しています」
愛に溢れた魂は神の身元へと旅立つ。
レオンは最初で最後の禁忌を犯し、最愛の魂を見送った。
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