リクエスト
砂糖菓子よりも甘く/シチュお任せ:甘
ふわふわのスポンジ。ジューシーなフルーツ。そして、甘いあまい生クリーム。
けれどぼくの恋は、ケーキのようには甘くない――
◆◆◆
「おにーさんのオススメはどれですかぁ?」
シロップのように甘く濃厚な女性の声音が、質問を投げる。
真冬だというのにザックリと開いた胸元が、年頃の少年には目の毒だ。
「本日のオススメは、フランボワーズとココアのムースケーキです」
匂い立つ女性の色香。それを相手にしているのは、思春期真っ只中の高校生。
彼はこの店――ケーキショップのアルバイト店員。名前は瑞希(みずき)。一房も染められていない黒髪が、真面目な性格を表していた。
「じゃ、それで」
「はい」
ショーケースの家から、ケーキボックスの車へ。甘酸っぱいムースケーキが居場所を変える。
注文の品を教えられた手順通りに包み。女性客へと丁寧に渡す。甘い甘いケーキは何れ彼女の腹の中。
「ありがとうございました」
女性客の後姿を見送り、ホッと一息。バイトを始めたばかりの瑞希は、客と対峙する度に緊張を覚えてしまう。
無限に振り撒けるような愛想もなく、瑞希は面接時に厨房を希望していた。けれど、任されたのは客を相手にする表仕事。
ギャルソンのような制服も着せられ、あれよあれよという間に看板息子の出来上がり。
すべては平均よりも整った容姿の所為。瑞希は所謂、『紅顔の美少年』つまりは客寄せパンダにされたのだ。
(どうしよう、これ)
先ほどの女性客も、瑞希にメッセージカードを渡してきた。書かれているのは、ケータイ番号とハートマーク。これは瑞希の手に余る。
「――瑞希クン」
視線を落とし、考えを巡らせる瑞希。その耳に淡々とした男性の声音が届く。
「ぁ、はい。馨さん」
瑞希の肩が緊張にビクッと固まる。馨(かおる)はこの店のパティシエ。そして憧れのひとだった。
ココアみたいなロージーブラウンの髪からは、何時も甘い匂いが漂っている。
「休憩時間。奥で休んでなさい」
「はい。失礼します」
瑞希は馨に会釈を返し、休憩室へと向かった。
馨は誰もが振り返るような美丈夫。しかし甘いフェイスとは裏腹に、その雰囲気は単調としている。落ち着いた性格と表現すればそうだが、無気力と呼べなくもない。
そして瑞希は何を間違ったのか、その馨に恋をしていた。
砂糖菓子よりも甘く
ケーキにタルト。プリンにババロア。チョコレートにキャラメル。
腰周りからタブリエを外し、襟首を緩める。下ろし立ての制服。無臭だと思っていたそれは、甘い洋菓子の匂いを纏っていた。
「甘酸っぱい匂い……フランボワーズのソースが付いたのか」
袖元に視線を落とせば、紅い点が白色の中に咲いている。瑞希は鼻を寄せ、その正体を確かめた。
甘い甘い匂いの中でも、一際甘酸っぱい匂い。それは馨が早朝から仕込んでいたケーキの匂いだ。
「馨さん」
反射的に、瑞希の心臓がドクンドクンと音を奏でる。それは甘酸っぱい恋の旋律。
けれど馨は瑞希の恋心を知らない。この感情は一方通行の恋なのだ。
「何かな、瑞希クン」
「ッ!」
瑞希が馨の名前を切ない音にした、その刹那。突然背後の扉が開き、馨が顔を出した。想い人の登場に、瑞希の息は一瞬詰まる。
「ぇっと、あの」
「疲れたのか? 今日は客が多かったからな」
馨は淡々と言葉を繋ぎ、自分の中で答えを導き出した。瑞希の動揺に気付いている様子はない。
あくまでも、単調とした何時もの姿がそこにあるだけだ。
「君が来てから、女性客が増えたとオーナーも喜んでいた」
「いえ、そんな」
「おかげで仕事量も増えた。腰が痛い」
「……スミマセン」
褒められたのか、それとも恨み言を言われたのか。常に平坦な馨の口調ではよく分からない。瑞希は相槌を返しながらも、悩んでしまう。
馨は瑞希より一回り以上年上。大人の男性だ。唯でさえ年の差という厚い壁が立ちはだかっている。その上で世間話にも苦労を感じていては、前途多難。
我ながら難しい相手に心を奪われてしまった。瑞希は甘酸っぱいフランボワーズの香りを感じながら、そう思う。
「責めてはいないさ。オジサンの“ぼやき”だと笑い話にしなさい」
馨は瑞希の頭をポフポフと軽く叩き。平坦な音質を多少なりとも和らげる。
瑞希の反応を『恐縮』だと捉えたのだろう。幼い子供に対するような仕種が、目線の違いを意識させた。
「馨さん、若いじゃないですか」
「いやいや。光り輝く君と比べれば、充分オジサンですよー」
馨は瑞希の言葉を淡々と否定する。けれどその美貌は若々しく、肌艶も瑞希と大差ないほどだ。
「ぼくには、馨さんの方が輝いて見えます」
「そうかな?」
お世辞でもなんでもなく、瑞希は心の底からそう思っている。
馨は無気力なようでいて、パティシエとしての腕前は確か。客だって結局は、馨のケーキが目的で店に通っているのだ。
そんな魅力的な馨に、瑞希の心は奪われている。今も、年若い心臓は破裂しそうだ。
「はい。貴方に恋をしていますから」
「はは。そう、……え?」
緊張に飛び出す秘密。口から飛び出しそうな心臓を飲み込み、瑞希は秘密の恋を告白した。
馨は突然の告白にフリーズしている。当然の反応だろう。
年下の――それも同性からの告白。馨でなくとも、返答に迷うはずだ。それは瑞希も、理解している。
瑞希の恋は、馨の作るケーキのようには甘くないのだ。
(馨さん、驚いてる)
失恋の二文字が脳裏に浮かぶ。数分前の過去に戻って、自分の口を塞いでしまいたい。そんな後悔が、瑞希の心を埋める。
「あー。……まぁ、そういう事もあるか、長い人生」
「え?」
けれど馨は、瑞希が予想していた未来図に罅を入れた。拒絶されると思っていた感情が、甘い香りに包まれる。
「私も、君の事が好きだよ。仕事熱心な瑞希クン」
「ッ――!」
甘酸っぱいフランボワーズ。
甘く円やかなココア。
そして、甘いあまい生クリーム。
瑞希の恋は砂糖菓子よりも甘く、始まりの鐘を鳴らした。
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