リクエスト
この狭い、世界の中で2


「あ……嗚呼。どうか、どうかっ……お許し下さい」

 清の頬が満開を迎えた山桜よりも鮮やかな色を乗せる。丁度花見の時期だけれど、これほど見事な開花はそうそう見られないだろう。

「私も君に意地悪したくない。けれどねえ、今此処で引いたら、文句を言いそうな御方が居るんだ」
「あ、やはり居られるのですか?」
「ああ。居るよ。ずっと、ね」

 那由多は清の頬から掌を離し、天井を見上げた。
 暗闇が渦巻く一角に、紅き双眼が光っている。普通の人間では気配さえ感じない程夜闇と同化しているが、那由多は“ソレ”が白蛇だと難なく理解出来た。

「何処に?」

 清が那由多の視線を追って訪ねる。
 けれど、彼の瞳が映す先は唯の暗闇だ。着物の端はおろか、白蛇(しろへび)を想わせる髪の一房も捉えていない。

「ボクは……」

 清の声が沈む。頬の山桜も散り時と、艶やかな色を掻き消した。
 名残惜しい。と云うのが、那由多の正直な気持ちだ。
 やっと芽吹いたと思った恋の蕾は錯覚に過ぎないのだろうか?
 いいや。そんな事はない。
 那由多は心の中で頭を振り、清の二の句を待った。清も又、心の中で彼の葛藤と戦っているのだ。無駄に急かしては余計な袋小路に迷わせてしまう。年長者としても独りの人間としても、那由多に清を追い込む真似は出来なかった。

「本当に、那由多様のお役に立てているのでしょうか?」

 清が震える口を開く。

「何故、そんな事を聞くんだい? 君への感謝は伝えた傍から増えてゆくのに」

 心の迷い道がたった一言で創られるのなら、その逆も然りだ。那由多は自分の持つ一番優しい声音で、清の心に『出口』を創り出す。
 唯、清の不安を取り除きたいと願って。

「ち……がうっ……。ボクはもっともっと、お役に立ちたい。唯の世話役で終わりたくないのです!」

 最初は消え入りそうだった声が段々と大きくなり、言い終わる頃には那由多の鼓膜を独占していた。
 清のこんな大声を聞くのは那由多も初めてで、驚いてしまう。

「え……と、つまり?」

 今度は那由多の声が掠れる番だった。
 余計な期待を膨らませるな。と、自分自身に言い聞かせても、心臓の高鳴りを抑えられない。清の言葉が『愛の告白』である様にしか聞こえなかったのだ。

(私はなんて、お目出度い人間なのだろうか)

 那由多は己の直感を恥じた。
 見守ろう。
 導く立場で有ろう。
 そう決めていたのに、恋の前ではどんな決意も簡単に崩れ去る。全くもって不便な感情だ。

「……身の程知らずと、お思いでしょう」

 清の右手がおずおずと伸び、着物の袖口を弱々しく掴む。ソレがとても愛しくて、那由多の心臓は又、トクンと高鳴った。

「けれどボクは夢を見てしまう。那由多様の温情が、自分だけに向けられた特別な感情である、と……感じて、しまうのです」

 嗚呼、どうして。

「その感情が恋情だとは、思ってくれないのかな?」

 かなしい質問が口をつく。完全に無意識だったけれど、ソレが那由多の本音である事に変わりない。
 清の瞳が信じられない程見開かれる瞬間も、心がシクシク泣き声を上げた。

「え……?」
「何度も伝えた積りでいたけれど、届いてはいなかったのだね」
「なに、が?」

 戸惑う清。
 もう、ハッキリさせた方がいいだろう。

「私が君を、愛している事をだよ」
「あ……い?」

 初めて知った言葉のように繰り返す。産まれたての赤子でもあるまいに、この無垢さは何なのだろう。
 本当に、愛しさが積もって困ってしまう。

「そう。保護者としてでも雇主としてでもなく、ひとりの人間として――生涯共に居たい相手だ、と思っていた」

 それは現在(いま)も未来(これから)も変わらない。
 例え清が『否』を返しても、那由多は彼を想い続けるだろう。生涯で唯一の恋とはそう云うものだ。

「ボク、は……」
「いいよ。分からないのだろう? なら、無理強いはしないさ。唯、知っていてくれればいい」

 物分りの良い大人の仮面を素早く被る。
 切ない片恋の誓いは、所詮那由多だけの都合だ。これからも清を大切に見守って――彼に『本当の想い人』出来た時に、心の底から祝える人間になろう。
 それが良い。
 それが一番理想的で、誰も悲しまない未来だ。
 元より那由多は人並みの幸福を望める立場に居ない。恋と云う一輪の花を見つけただけでも御の字だろう。
 と、彼等に何の興味も無い赤の他人なら思うだろうが――

「っ……いや、です」

 当事者である清は違った。
 眠った感情を揺り起こすのに、那由多の告白は充分過ぎる効力を持っていたのだ。その時点で清の答は出ている様なものだが、那由多は当事者であるが故にそれに気付かなかった。
 鋭くも鈍くも、弱くも強くも。恋という感情は人間の様々な面を引き出す。
 はてさて。今回の二人はどうだろうか。
 などと、御節介な神様が目を細めた時、清の瞳に確かな意思が宿った。

「恋の意味を知らない自分も、那由多様が離れてしまう事も……堪らなく、嫌だと思う」
「それは、親の愛情を求める子供の感情かも知れないよ?」

 勘違いをしない様に。
 愛情の取り違いをしない様に。
 自分に、清に、那由多は慎重に言い聞かせた。そうしなければ愛しさが溢れて、今にも清を抱き締めてしまいそうだったから。

「ボクはもう、分別のつかない子供ではありません。父や母に抱いていた感情と、那由多様への感情が同一のものではないとハッキリ言えます。だからどうか、ボクが理解するまで無理強いしてください!」

 その発言は少々……いや、かなり大胆だ。清自身は熱意と誠意を伝えた積りだろうが、そこから連想される光景に那由多の心臓は飛び跳ねてしまった。

「そんなに純粋な瞳で、揺さぶらないでくれ……ッ」

 もう我慢も限界だ。
 那由多は本能のまま、清の身体を力一杯抱き締めた。

「那由多……さ、ま……」

 清の息が詰まる。

「心の臓が、張り裂けてしまいそうです」

 混ざり合った心音が互いの鼓膜を満たす。
 ドキドキドキドキドキドキドキ。
 煩くて。
 けれど、心地良くて。
 清の両腕も那由多の背中に恐る恐る回った。

「嫌かい?」
「いいえ、いいえ。那由多様の抱擁を拒む人間など居りますまい」
「分からないな。初めての事だから」

 今でも信じられない。夢を見ている様だ。
 コレが紛うことなき現実だ。と、自分自身に教えるにはどうしたら良いだろうか?
 那由多は考えて、想い人の名前を愛しく呼んだ。

「清……くん」
「はい。那由多様」

 清も柔らかい口調で呼び返す。

「君は、温かいね」

 重なる体温が溶け合って、心の奥底まで浸透する。
 現実と呼ぶには、未だ未だ夢見心地だ。

「那由多様も、陽だまりの様に温かこうございます」

 火照った頬が熱い。
 吐息も甘い熱を持って、二人の肌を滑る。
 嗚呼、駄目だ。
 益々蠱惑的に、思考が厳しい現実から逸れてしまう。




 ◆◆◆




「お早うございます。那由多様」

 愛しい少年の声が、昨日と同じように朝を告げる。

(ああ、そうか。夢が終わってしまったのか……)

 那由多は名残惜しく瞼を開けた。見慣れた天井の模様が、何故だかとても遠くに見える。
 風邪をひいた訳ではない。けれど、那由多はぼんやりしていた。

「あの……那由多様」

 障子越しに聞こえる清の声が恥ずかしそうに掠れる。

「ん、何だい?」

 那由多は布団から起き上がり、障子の前に立った。
 チュンチュンチュチュチュ。と、雀の楽しそうな囀りが聞こえる。

「お部屋に、お邪魔しても宜しいでしょうか?」
「え?」

 思わぬ申し出に驚く那由多。

「いえ、その……お着替えの手伝いを、と」

 頬に感じる熱は、暖かな春の陽気に導かれたものではなくて。心臓の甘い高鳴りと共に那由多の全身を埋め尽くす。

「出過ぎた真似……でした、か?」
「いいや。嬉しいよ」

 言いながら、那由多は障子戸を開けた。
 朝の陽光が照らす中心に、愛しい少年の姿が見える。

「君の照れた顔も見れたし、ね」

 からかい半分に言うと、清は朱色の頬を更に濃く染めた。表情自体はまだまだぎこちないけれど、確かに目覚めた感情の光が那由多の瞳を眩しくさせる。

「お目汚しを……致し、ました」

 喉の奥に絡む声も気恥ずかしそうだ。

「いいや。可愛らしかったよ。……あ、すまない。男の子への褒め言葉ではなかったね」
「いいえ! 身に余る光栄にございます」
「そう? なら、これからも言って良いかい」

 那由多は清の右頬を掌で優しく撫でた。触れ合う体温が現実と夢の狭間を再び曖昧にする。
 けれどコレは間違いなく現実だ。那由多にはもう、ソレが分かる。
 だから、清への愛情を包み隠さず続けた。

「君が勇気を出してくれた倍以上の言葉と行動で、私も『愛している』と伝えるから」
「お手柔らかに」
「おや。無理強いして欲しいのではなかったかな?」
「アレは、自分でも……その、だから……お忘れください」

 清の声が段々と小さくなる。

「口が勝手をしたから。今思うと恥ずかしい?」

 那由多はとても良い笑顔で意地悪をした。
 清が無言で頷く。すると耳にかかった髪が前へと流れ、熱を失わない頬の横でサラリと揺れた。その光景が奇跡の様に愛しくて、那由多の頬も急速に熱を持つ。

「私の口も、勝手をしそうだよ」

 耳元でそっと囁く。

「那由多……さ、ま」
「心臓が張り裂けてしまいそう?」
「先回りは……狡いです」

 羞恥に震える長い睫毛も、堪らなく可愛らしい。
 那由多は「ふふ」と微笑み、清を優しく抱き締めた。

「君の可愛らしい反応を見る為なら、狡くもなるさ。今の私は恋に浮かれる一人の人間だからね」

 花の甘い香りを届ける微風が二人の髪をサラサラと撫ぜる。
 御節介な神様はこの光景をどんな顔で視ているのだろうか。
 目の前の愛しさに夢中な那由多は他に気を逸らせないけれど、きっと彼も微笑んで、友の幸福を祝福している事だろう。
 白蛇の役目は人々の願いを叶える事。重なり合った想いにほんの少しの奇跡を起こして、数多くの笑顔と幸福を咲かせるのだ。
 この狭い世界。
 例え、深く繋がる相手が最初から制限されていたとしても――
 真実の愛で結ばれた相手と巡り合えるように。



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あきゅろす。
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