リクエスト
叶わぬ願い4
◆◆◆
「――い。……おーい、勇ちゃ〜ん」
聞き馴染んだ声が勇を呼ぶ。
「起こしちゃ駄目よ。勇君、未だ具合が悪いんだわ」
大人しい少女の声が気遣いを乗せる。
彼等の正体が誰なのか、勇は直ぐに分かった。
最初の声が友樹で、後の声は姫子のモノだ。
「やっぱ。勇ん家に連絡した方がいいかな? おばさん、直ぐ来てくれると思うし」
「うん。私、保険の先生に相談してくるね」
カーテンが開く音がする。姫子がベッドの仕切りを開けて、出て行ったのだ。
その証拠に足音が遠退く。
『カラカラカラ』
保健室のドアが開く音も聞こえる。どうやら現在、保健室に保険医は居ないらしい。
好都合だ。
勇は重い瞼をそっと開けた。
「……今、何時……?」
眠気眼で訪ねる。
友樹は直ぐに気が付いた。
「あ、起きたんか」
「ん〜……何とか」
熱は無いが、身体は重い。勇は気の抜けた声で応えを返した。
頭がボンヤリする。
「もう11時過ぎてるよ。休み時間の度に来たけど、勇ずっと寝てたから。心配した」
そう言うと友樹は腰を下ろした。勇の顔を覗き込む。
「マジか。爆睡してた」
勇は強引に口角を上げた。すると友樹の口がへの字に曲がる。
「病人が無理に笑うなよ」
「や。強烈に眠いだけだし」
無理はしてない、と勇は物言わず訴えた。
「充分な理由だろ。自覚が無いだけかも知れないし、ちゃんと安静にしてな」
言い訳がましい子供を説き伏せる様な口調で、友樹が返す。
(原因は……大体分かってんだけど)
けれど友樹には言えない。
勇はツイーッと視線を斜め上に逸らした。乳白色の壁が見える。
「こら。無視すんな」
「無視じゃねーよ。聞えないふり」
「同じじゃねーか」
友樹が軽く笑む。勇は視線を戻して、ソレを目聡く見た。
「――嗚呼。好きだな」
唇が、無意識に動く。
零れ落ちた本音は拾う暇も無く、友樹の耳に届いた。
「え?」
両目がキョトンと開く。その間の抜けた表情に、勇は笑みが込み上げて来た。
「気付かない?」
身体をゆっくり起こす。重く伸し掛かる疲労は決意と共に消え去り、勇は友樹の瞳を穢れ無く見詰めた。
「告白してんの。オレ、友樹の事が好きだ」
スルリと自然に、長年のつっかえが生きた音に成る。
「あー……うん」
一方友樹は呆けたままだ。勇の好意が正しく伝わるまで、実に一分の間が有った。
「いいよ。答えは分ってる」
逃げ道を先に作ったのは、勇。
ベッドを下りて、友樹の横をすり抜ける。
それでも隠せない切なさが形の良い眉を歪ませる。けれどもう、不毛な恋は終りだ。
「……ごめん」
友樹の声が辛そうに落ちる。そこに嫌悪感は感じられず、自分の鈍感さをただ責めている様だった。
「OKの方が問題だろ。この場合」
寧ろ勇は感謝している。
友樹が姫子を選んでくれて。自分が惚れるに値する、一途な男であると証明してくれて。
「これでオレもグレる事無く、前へ進めるよ」
窓から射し込む陽光が眩しい。
蒼い空をヒラヒラと舞うイチョウの葉が、とても美しいと思った。それは此処最近、一度も感じなかった感動だ。
失恋して気分が晴れるとは可笑しなものだけれど。悪い気はしない。
「なに、グレる予定だったの?」
友樹の声が所々擦れる。それでも彼は動揺を抑えて、普段通りに振る舞おうとした。
友情の早期回復を暗に促されて、勇も乗っかる。
「うん。醜い嫉妬心から、闇落ちする一歩手前だったみたい」
何でも無い事の様に泥を吐き出す。
勇がこんなにも簡単に息を吸えるのは、不遜な神サマがガス抜きに付き合ってくれたからだ。
今なら分る。
白蛇は勇の心が醜い嫉妬で埋め尽くされぬよう、穢れぬように、その能力(ちから)を使ったのだと。
「でも、もう大丈夫。言ったらスッキリした」
勇は背筋を真直ぐ伸ばした。
「男同士だって事を言い訳にしてたけど、オレは女に成っても変わらない。勇気が出たのも結局、第三者の後押しだ」
独り言を呟く。
本当は白蛇の顔を直接見て感謝を伝えたい。けれど、彼とはもう会えないだろう。
どんなに願っても、勇は一生に一度の幸運を使ってしまったのだ。
二度の――いや、三度の奇跡は望むまい。
窓を開ければ涼しい秋風が流れ込んで来る。厚い皮膚を緩やかに撫ぜ、短い髪をフワリと揺らす。気持ちの良い風が。
女性の身体に未練はなくとも、吸い込む空気に一抹の寂しさを感じてしまうのは、きっと彼が居ないせい。
美しく不遜な神との思い出は、女体の記憶と共に封印されるのだ。
「女って……まさか、性転換の域にまで悩んでたのか?」
慌てた友樹が駆け寄って来る。
「いや。もしもの話」
勇は「考えすぎだよ」と、軽く笑んだ。
現実と奇跡が交ざり合う、秘密の邂逅を覚えている存在は当事者だけ。だから勇は友樹にも誰にも明かさない。
自分が美少女に成っていた夢物語を。
それは勇だけの宝物(記憶)だから。遠い遠い未来の先――ちっぽけな魂だけの存在になるまで、大切に仕舞って置くのだ。
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