リクエスト
叶わぬ願い3
◇◇◇
「――うるせぇよ。蛇野郎」
暗闇を睨み付ける。勇の意識が目覚めた時、辺りの光景は一変していた。
寝ていたベッドは勿論、壁に染み込んだ消毒薬の匂いまで綺麗さっぱり消えている。無形無臭。漆黒を敷き詰めた空間だけが続いている。
けれど勇の意識は“本当に目覚めた”ようにハッキリしていた。そう、今まで観ていたリアルこそが夢である、と分る。
「ほぅ。偉大なる我に悪態までつきよるか」
空間が歪み、恐ろしく美しい青年が現れた。元凶である蛇神――白蛇だ。彼の創り出した火の玉が暗闇を照らし、お互いの姿が確認出来る。
「つきたくもなるわ」
勇は投げやりに言った。身体は変わらず女体のままだ。慣れてきた自分自身にも腹が立つ。
「しかし、其方は何じゃ? 偽りの世界でくらい本音をぶちまけて、修羅場を演じぬか。平坦な日常を観せられても、我が詰まらぬではないか」
白蛇が「ハァ」と溜息を吐く。まるでドラマの内容が気に入らない視聴者の様だ。
「お前がかよッ!」
勇は声を張り上げて突っ込んだ。
「女子(おなご)共とも仲良うしよって。男(おのこ)の五、六人惑わさぬか。何の為の美貌ぞ?」
「それはオレの元が良いからだろ」
「はぁ? 我の力に決まっておろうが。自意識過剰な童じゃな」
白蛇の視線が冷たく突き刺さる。
現在の勇は非の打ち所が無い美少女だ。その変化は性別のみならず、容貌にも及んでいる。男性時代の勇も、確かに端整な顔立ちの少年ではあった。けれどそれは男性的なモノで、女性的な美しさは微塵も無かったのだ。
日に焼けた健康的な肌と無骨な造形。男の魅力に溢れた勇の要素は、現在の勇と重ならない。面影が多少残っている程度だ。
「グッ」
言い返せない。勇は己のナルシスト発言を後悔した。
「ふふ」
白蛇が満足げに肩を揺らす。他の追随を許さない美貌が、終ぞ憎らしかった。
「――で、どうであった。女子としての生活は?」
白蛇が改めて口を開く。
「あ? 最悪だって、最初に言っただろ」
勇は不満を吐き出した。戻れるモノなら、今すぐ男の身体に戻りたい。
「ほぅ? とても一方的な彼女気分を楽しんでいた人間とは思えぬ応えじゃの」
白蛇が素知らぬ顔で痛い部分を突く。
「ダァァアアアアアアアアア! 止めろォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
勇は頭を抱えて暗闇に突っ伏した。
友樹との関係が幼馴染なのは間違いない。が、現実の友樹は両親と暮らしている。つまりあのテンプレ幼馴染展開は、勇の夢見た妄想だったのだ。完全に目覚めた今、ソレが地の底に埋まりたい程恥ずかしかった。
「幼馴染は負けフラグとか、オレだって知ってたんだよォオオオオオオオオオ。でもオイシイだろあのポジションんんんんんんんんんんん」
勢いに任せて額を何度も打ち付ける。けれど勇の痛覚は遮断され、痛みの信号を一度も脳へ伝えなかった。
夢の中で頬を抓っても痛くない。それと同じ理屈だ。
「其方が何を言っておるのか、半分も理解出来ぬが」
「何だよッ!」
勇は嫌々顔を上げた。
白蛇の綺麗な眉が不快そうに歪む。
「音量を下げよ。我の鼓膜が破れてしまうわ」
「お前の事なんか知るかァァアアア!」
限界まで叫んで、勇は再び突っ伏した。
そして、5分後。
「暇じゃな」
白蛇が「ふぁ〜」と、欠伸を洩らす。
「……」
冷静さを取り戻した頭の中で、勇はふと思った。
(オレ、何時に成ったら元の世界に戻れるんだろう?)
まさか、永遠に白蛇と“二人っきり”と云う訳では有るまい。
勇は恐る恐る顔を上げた。
「なぁ、暇ならさ。アンタも家……いや、社に帰ったらどうだ?」
本当は自分が帰りたい願望を全面に押し出し、勇は白蛇へ問う。
「そうじゃのう。其方も思いの外詰まらぬ人間で有ったし。此処が引き際かのう?」
白蛇はどうでもよさそうな口調で、失礼な事を言った。
しかし勇はグッと我慢する。感情のままに癇癪を起しても、この状況は変わらない。
何せ相手は神なのだ。もしも機嫌を損ねて、一生女体にされては堪らない。
「そうそう。オレの時間は神サマと違って短いし。浦島状態にされても堪んねーよ」
隠せない悪態が自然と落ちる。勇は完璧な下手に出られない人間だった。
白蛇の眉がピクリと動く。
「其方は否定ばかりしよるが、我が齎した利益については考えぬのか?」
「はぁ? 望んでもいない性別変化なんて、不幸以外の何物でもないだろ」
勇は疑問に思いつつも応えを返した。ついでに立ち上がる。
「其方は男性しか愛せぬ性癖であろう。ならば、女子の肉体を得た方が生き易いのではないか」
交際や世間体。そして未来を産み出す可能性。同性同士ではけして得られないモノが、今の勇は手に入れる事が出来る。
例えその相手が友樹ではなくとも。障害の少ない人生が送れるのだ。
「要らねーよ。そんな気遣い」
輝かしい未来図に未練を感じる事無く、勇は言い放った。
「それにオレは男に抱かれたい訳じゃない。茨道だと分かっていも共に歩んでくれる相手を護り抜けるような――男の中の男に成りたいんだ」
誰にも、友樹にも教えた事がない本音。勇はそれを、高らかに宣言した。
「だけどその未来図は、今のままだと叶わない」
女性の肉体を得た今だからこそ、より強く感じる。
友樹の事は、きっと永遠に好きだろう。けれど友樹も、姫子を永遠に選び続ける。
恋の呪縛を解く方法が新しい恋だとしても、勇を女で有ると云う理由だけで選ぶ相手は願い下げだ。
「自分勝手だとは思ってるけどさ。コレがオレなんだよ」
勇は自嘲気味に軽く笑んだ。
「酷い人間だよな」
自分は女性を選べない癖に、未来の相手には男性である自分を押し付ける。その上で、友樹を見詰め続けるのだ。
「もし第三者だったら、友樹に間違いなく『逃げろ』って助言してるよ」
何も掴めない掌をグーパーグーパーと、何度も握り返す。
「姫子への嫉妬心も劣等感も。本当はもう、捨てなきゃいけないのにな」
分かり切っていた事を、今更ながらに痛感する。
自分は最低な人間だ、と勇は自分自身にレッテルを貼り付けた。
「下らぬ自己満足は終わったか?」
白蛇が二度目の欠伸を噛み殺す。
勇の喉はグッと詰まった。
「他に言う事はないのかよ」
別に褒めて欲しいとか、「そんな事はないよ」と優しく否定して欲しかった訳ではないけれど。勇の心はモヤモヤした。
「我が何千年生きた存在だと思っておる。其方のような戯言を吐く人間は山ほど見たわ」
白蛇が億劫そうに己の長い髪を梳く。
サラサラと流れる髪の一本一本が光の玉を生み、空間をポワポワと照らす。まるで蛍が舞い飛ぶ幻想夜のようだ。
白蛇にとっては暇潰しの行動が、勇の目を奪う。
光の玉は一つ一つが意志を持った存在であるかのように遊び、軈てパンッと弾けた。そして複数に分離して、段々と薄くなってゆく。闇と同化した時、完全に消えた。
「……本当に、神サマなんだな」
美しい。
人間ではけして生み出せない美が、白蛇という存在が。
どうしようもなく、美しいと思った。
「そのような反応も見飽きておる」
「だろうな。オレも自分が初めてなんて、思ってねーよ」
「何じゃ。やっと賢うなりおったか」
「真実を言う事が賢い証拠なのか?」
「人間は目に見えた真実でさえ、虚像と言い張る生き物じゃからのう。我との邂逅も、最後まで夢だと言い張る輩が少なくない。特に、最近はな」
冷たく流麗な白蛇の声音に愁いが混じる。けれどそれは一瞬で、白蛇は直ぐに不敵な笑みを浮かべた。
「フフ。己の身に舞い降りた幸運にも気付かぬ、真の愚か者」
「そいつらにとっては、幸福の種類が違ったってだけじゃないか? オレも別に、幸福なんて思ってないしな」
それは少し強がりだ。
普通の人間が普通に生きていたら、本物の神サマに等出会えない。
もしも『お前の持つ幸運を全て使い果たした』と告げられたら、勇はアッサリ信じてしまうだろう。悪態は多少つくだろうが、それは小さな人間の小さな戯言だ。
「ああ。其方の幸福は“友人になれない幼馴染”であったな」
「そうだよ。だからその分の幸福だけは、使わないでくれよな」
難しいだろうけれど。勇は言わずにいられない。
けれど白蛇はサラリと切り返した。
「侮るな。我は奪う存在ではなく、導く存在ぞ。其方が如何に未練がましく小さな人間で有ろうと、それで不幸へ落とす様な真似はせぬは」
「オイッ。そこまで言うか」
思わず突っ込む勇。
自分で思う分には問題ないが、他人に言われると腹が立ってしまう。人間の面倒くさい心理だ。
「愚かな人間だと思いながら、心行くまで持ち続けているといいわ」
白蛇の眼差しが一瞬和らぐ。
許されたと云う事だろうか。
勇は自分の意見が無視された現実も忘れて、そっと息を呑み込んだ。
「願いは叶わぬからこそ、願いなのだ」
白蛇が勇の眼前に掌を翳す。
夢の世界へ迷い込んだ時と同様に。
「アンタはそれを叶える存在じゃねーの?」
抗えない眠気が、勇の意識を曳き込む。
瞼も重く落ち。勇は最後の気力を振り絞った。
「言ったであろう。我は導く存在。其方の恋心が濁った凶器へ変わらぬよう、些細な奇跡を起こしたに過ぎぬわ」
白蛇の声音が遠くぼやける。
瞼も完全に落ちて、勇は全身の力が抜けるのを感じた。
真っ暗な闇が、意識を攫って行く。
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