リクエスト
叶わぬ願い2


「おーい。起きろー」

 友樹の自室をノックする事無く開け放つ。
 年頃の少年が自由気ままに暮らしている一人部屋は掃除が行届いておらず、読み掛けの漫画本が床に散乱していた。
 勇は苦笑いを浮かべつつ部屋に入り、漫画本を集めて本棚に並べた。コレも手慣れた日常風景。むしろ勝手に感じる彼女気分に小さな幸せを噛み締めた。

「ったく。自分で片付けろよな」

 ベッドの小山を片手で叩き、眠り王子を強引に起こす。

「ん〜……?」

 友樹はゆるりと目を覚ました。

「はよ……勇」

 眠気眼で朝の挨拶を述べる。
 友樹は何処にでも居る平凡な少年であった。
 文武両道美少女の名を欲しいままにしている勇とは釣り合わない位に。容姿も頭脳も運動能力も、平均的だった。
 だからだろうか?
 友樹は勇を同じステージの人間として見ていない節がある。
 特に最近は、ソレが色濃い。
 男のプライドとか幼馴染の意地とか、友樹にも彼なりの悩みが有るのだろう。
 勇としては寂しい部分では有るが。ソレも何時か笑い話になるだろう、と十年後の自分達を信じている。

「ん、おはようさん」
「ふぁ。ねむ〜……勇は何時も早いな」

 友樹が欠伸を噛み殺しながら起き上がる。
 肌蹴たパジャマの隙間から健康的なベージュ色が見えて、勇は人知れず唾を呑み込んだ。
 思春期とは色々と厄介だ。
 あの肌に触れてみたい、と爽やかな朝に似つかわしくない事を考えてしまう。
 何時からだろう。勇の恋心は、もう純粋さを失っていた。
 可憐な美少女が野獣に変身しない唯一の枷は、友樹が彼女を信頼しきっているからだ。
 友樹の涙だけは見たくない。
 勇は己の欲望を封じ込めて、何でもない様に立ち上がった。友樹の着替えが終わるまで、部屋の外へ出ている。

(あ〜。やばいよな、オレ。確実に欲情してたわ)

 普通なら男子側が抱く悩み。勇はソレを持て余す。
 肉食女子と云う言葉が有るが、何処か違う気がする。通常なら男子が女子に感じる衝動。とても雄的な本能が理性の扉をノックするのだ。まるで“勇本来の性別”を、魂が訴えている様に。

(コレも全部、無防備な友樹が悪りーんだ)

 勇はハァと息を吐き出して、高まる一方の動悸を落ち着かせた。多少の違和感には目を瞑って。

(オレが変態な訳じゃない。絶対に!)

 と、自分自身に言い聞かせる。

「ん、どうしたん?」

 友樹がドアを開けて出て来た。縦横無尽に跳ねまくった髪型はお洒落ではなく、寝癖を直していないだけだ。

「深刻な顔して、悩み事か?」

 眠そうな声が見当違いな質問をする。友樹の脳は未だ覚醒しきっていないのだろう。

「あ、や……うん。きょっ今日の朝メシ何かなー、と思っててさ。ア、アハハハハ」

 笑って誤魔化す勇。
 欲望に塗れた真実を、対象となった本人に云える筈がない。

「ハハッ。勇は花より団子だな」
「何だよ。友樹は食わねーの?」
「いや、食うよ。おばさんのメシ美味いし」

 言うが早いか、友樹の腹がグーと鳴る。
 先にも述べた通り、友樹の両親は現在海外赴任中だ。なので食事の多くは勇の家で共に摂っている。
 申し出たのは、勇の母親。お隣さんとしての付き合いも勿論あるが、最大の理由は母親自身が友樹の事を気に入っているからだ。
 『子供が増えたみたいで楽しいわ』と、上機嫌で言った母親の笑顔に、勇は『血は争えないな』と、心の中でそっと思った。今では懐かしい思い出の一つだ。

「色気が無いのはどっちだよ」

 勇は堪らず「フハッ」と噴き出した。色気の欠片も無い反応だ。彼女のファンが眼にすれば、どんな感想を抱くやら。
 けれど友樹は気にしない。それは=(イコール)女性として意識していない、と云う事なのだが、勇は気にしなかった。いや、本能が気付くな、と思考を遮断していたのかも知れない。




「勇クンおはよー」
「おーす」

 勇がクラスに足を踏み入れた瞬間、女子生徒がゾロゾロと集まって来た。コロンの華やかな香りが花畑の様に辺りを満たす。
 化粧は校則で禁止されている。けれど、守っている生徒は少ない。勇は一応ノーメイクだが、彼女の美貌に人間の作り出した一時の魔法は不必要だった。
 所謂『学園のマドンナ』ポジション。勇に憧れている女子生徒も多く、学園では人だかりが絶えないのだ。

「ねぇねぇ。昨日のドラマ見たぁ〜? もう山吹が超カッコよくてぇ、アタシ感動しちゃったぁ〜。原作の再現率ハンパないよねぇ〜」

 鼻にかかった甘い声が取り留めの無い話をタラタラと続ける。

「あー、分る分るぅ。でもヒロイン役の女優、アレで絶対マジ惚れしたよね。ホントムカつくわぁ〜。あのゴリ押し女」

 同意を返す少女の嫉妬心も脳にキンキン響く。

「ハハッ。そうだな。取り敢えずドラマは面白かったよ。でも悪口は止めときな」

 勇は愛想笑いを浮かべて、彼女達のお喋りに付き合った。それはあくまでもクラスメイトの一員として、表面的な付き合いだ。本気で中身の無いガールズトークが楽しい訳ではない。むしろ勇はこのキャラキャラした空間が苦手だった。

「そう言えば新色のリップがさぁ。見た感じはいいけど、塗ったら色が濃すぎて、何コレって感じだったのぉ〜」

 化粧独特の匂いが充満して、息が自由に吸えない。
 自分はこの空間に居るべき存在では無いのだ、と勇の中の何かが訴える。
 違和感。矛盾。
 勇は本当に昨日まで、彼女達と問題なく付き合っていたのか?
 思い出そうとしても、記憶に鍵がかかって開かない。
 頭がクラクラする。気分も悪くなってきた。

(そうだ……友樹。友樹は何処に居る?)

 勇は想い人に救いを求めた。けれど教室中を見渡しても、友樹の姿は見えない。
 トイレにでも行っているのだろう。タイミングの悪い事だ。
 その時――

「勇君、顔色が悪いみたいだけど……大丈夫?」

 別の救いが現れる。
 控えめで目立たない少女。彼女は勇が在籍するクラスの委員長で、名前は姫子(ひめこ)と云う。
 姫子は勇の異変に唯一気付き、人だかりを掻い潜って傍までやって来た。
 頭一つ分は低い場所から心配そうに見上げられる。姫子は身長が低く、逆に勇は高かったのだ。
 そしてコレもまた、違和感の欠片。姫子との身長差は、もっと有った気がする。
 小さく小動物の様な、自分とは正反対の姫子。勇は彼女に、“劣等感”を抱いていた。そう、昨日までは確かに。

「ん、どうしたん?」

 教室の扉がガラガラと開き、友樹が入って来た。寝癖が大人しくなっている。どうやら不在の理由は髪型を整えに行っていた様だ。

「あ、友クン。勇君ね、気分が優れないみたいなの」

 姫子が友樹を見詰めて事情を説明する。

「えー? マージーかー」

 友樹は言いながら小走りになった。さほど広くも無い教室の中を一直線に突っ切る。
 到着した場所は、姫子の隣。勇よりも先に、彼女と目を合わせた。
 甘い空気が一瞬、匂い立つ。

「じゃ、俺が保健室まで連れてくよ。姫ちゃんは先生に報告しといて」
「うん。お願いね、友クン」

 勇はこのやり取りの間、一度も口を挟めなかった。




「そうね。微熱が有るみたいだから、休んでいきなさい」

 保険医がカルテにペンを走らせる。彼女の左手には使用済みの体温計が握られていた。

「はい」

 勇は外したボタンを嵌め直して、制服を気怠く整えた。
 頭がボーとする。辺りの光景が蝋燭の炎の様に揺らいで見える。
 けれど風邪ではない。それだけは確信出来た。体調不良の原因は、絶対他に有る。
 勇は椅子から立ち上がると、保険医に促されたベッドに座った。
 友樹が心配そうに横に立つ。

「俺は戻るけどさ、しっかり休んでろよ。休み時間に見舞いに来るから」
「大袈裟。それまでには回復してるって」

 勇は強引に口角を上げた。頬肉が引き攣る。

「季節の変わり目とか夜更かしとか、そんなのが原因だろ。どうせ」

 適当な理由を並べ立て、ベッドに寝っ転がる。冷たいシーツの感触が心地良かった。

「おいおい。そのまま寝たら、ブレザーが皴に成るぞ」
「あー……。億劫で無理だわ。友樹が脱がしてくれよ」

 ヘロヘロ声で言う。本当に力が入らない。

「しょうがないな」

 友樹が「やれやれ」と息を吐く。健康的な内側に秘めた雄の本能は、勇の前で一瞬たりとも目覚めない。
 俯せ状態の勇の腕を持ち上げ、ブレザーをスルスルと脱がしてゆく。そして綺麗に畳んで、ベッド横のサイドテーブルへ置いた。

「サンキュー」
「ま。今朝は勇が片付けてくれたし、な」

 照れ笑いを浮かべる友樹。勇の心臓はドキンと音を立てた。
 友樹は何処にでも居る普通の少年。だからこの感情が許されなく成るのは、もっと先の未来だと思っていた。彼に惹かれている人間は自分1人だけだと、勇は短絡的に思っていたのだ。
 けれど、友樹には彼だけの『お姫様』がいた。姫子だ。
 姫子は大人しい性質の少女で、クラスでも目立たない存在だった。現在クラス委員長を務めているのは、彼女の優秀な成績を隠れ蓑にして、女子生徒達が面倒事を押し付けたからだ。本来は注目を集めるような少女ではなかった。
 けれど姫子は善意ではない推薦を嫌な顔一つせず受け入れた。元々姫子が気に成っていた友樹は、彼女のそんな部分に恋心を自覚したそうだ。
 告白は友樹から。
 男友達に背中を押されての、ロマンチックとはかけ離れたモノであったが、姫子は頬を真っ赤にして頷いた。今ではクラス一同が認めるベストカップルだ。
 初々しく微笑ましい二人の交際を、勇はすぐ近くで見ていた。見ているだけだった。
 『オレも友樹が好きだ』と告白する事も、『横から掠め取るな。この泥棒猫』と自分勝手な嫉妬心をぶつける事もなく。ただ友樹の幼馴染として、姫子とも付き合っていた。
 瘡蓋だらけの恋心は凝り固まって、歪な形のまま剥がれない。

『……愚かのよう』

 低く美しい声音が意識の底を撫ぜる。人間離れした音の波紋が、勇の眠気を一気に引きずり込んだ。




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