リクエスト
我が青春の青葉1/画描き少年×弓道少年


 カラカラと、大地を力強く踏み締める下駄の音。
 鯔背に閃くマント。
 それは青春という一瞬の輝きが魅せる、忙しく眩しい日々。

「がっはははは。快晴快晴。今日は絶好の喧嘩日和じゃあ」

 バンカラを気取る学生が横を通り過ぎ、野生の匂いが風に舞う。
 やはり今は男らしい男が持て囃される。
 しかし豪快な笑い声も、雄々しい筋肉も、龍之介(りゅうのすけ)には無用の長物だ。生まれてこの方、画材道具以上に重い物を持った事がない。
 龍之介は物心ついた頃から小枝を拾い、地面に絵を書いているような子供だった。

「違う。今日は絶好の写生日和だ」

 遠ざかる大きな背中へそっと呟く龍之介。
 地平線まで続く群青色の空は、血腥い決闘を演出する為に晴れている訳ではない。




我が青春の青葉





「ああほら、自然はこんなにも美しい」

 龍之介は裏山へと登り、肺一杯に自然の空気を吸い込んだ。
 朝露に濡れる梢もピンと張る冬の空気も清々しい。
 学園所有の裏山は生徒の立ち入りを禁じていない。龍之介は早朝散歩を楽しみながら下絵の構図を練る。
 本日の授業開始まで後半時ほど。龍之介はゆったりとした気分のまま、河原に腰を下ろした。
 雪解け水を流す川のせせらぎが耳に心地良い。
 龍之介は瞼をそっと閉じて、暫し自然の音に耳を傾けた。
 サラサラサラサラ。
 まるで世情のけたたましさが浄化されてゆくような。魂の汚れが洗浄されてゆくような。
 時折交る小鳥の囀りも、癒しの相乗効果を齎す。




(良い場所を見つけた。夕方も此処に来よう)

 龍之介は舗装されていない坂道をポテポテ下りながら思う。
 学生の本分である勉学を疎かにする気はない。けれど龍之介が心血注ぐ対象はやはり『絵画』だ。
 軟弱な趣味だと罵られても、止める気はさらさら無い。

「ワオーン!」

 小脇の茂みがガサガサと揺れ出し、白い毛玉が唐突に飛び出して来た。
 犬だ。雑種のようだが、小熊並に大きい。子供位なら、平気で背中に乗れるのではなかろうか。

「うっわわ」

 龍之介は思わず後退る。
 心臓がバクバクと早鐘を打ち、緊急事態に腰が引く。
 五歳の頃だった。龍之介は近所のオジサンが飼っていた柴犬に追いかけられて以来、犬が苦手になったのだ。
 鋭い牙。荒い息遣い。伸し掛かられた時の重み。今でも幼い日の恐怖がアリアリと甦る。
 怖い。早く何処かへ行ってほしい。
 頬を伝う冷や汗を拭う余裕もないまま、龍之介は心の中で助けを求めた。

「ワンワン!」

 しかし犬は遠慮なく龍之介に迫って来る。
 巨大筆のように立派な尻尾を左右にブンブンと振り回し、元気よく吠え立てる。

「な、何か……注意を惹けるもの」

 キョロキョロと辺りを見回す龍之介。
 しかし犬の好物やお気に入りの玩具が都合よく落ちている訳がない。枯れ枝や小石くらいしか見付けられなかった。
 試しに小石を明後日の方向へ投げるも効果無し。茂みがガサガサと鳴るだけで、どんぐりのように円らな眼(まなこ)は龍之介を映したままだ。

「ハッハッハッハッ。キュウ〜ン」
「騙されるものか! 人懐っこい態度で近付いても、俺をガブリと噛む気満々なんだろう!」

 とうとう龍之介は獣道の端まで追い込まれ、背中が山の巨木とくっ付く。
 長い年月を経て古くなった依代は神霊が宿るという。ならばこの山で何百年と生きる巨木も、困った人間を助けてくれる、気の良い精霊くらい宿っていないだろうか。
 安易な奇跡に縋る程、龍之介の精神は追い込まれていた。

「おーい。シロウ、どこ行ったんだ」

 その時、別の救いが木霊する。

「ワンワン!」

 犬が弾かれたように振り向き、嬉しそうに吠える。
 まるで『こっちに居るよ』と、自分の居場所を教えているようだ。

(この犬の飼い主か? でも、この声……まさか)

 ゴクリと唾を呑み込む龍之介。
 巨大な白犬――シロウの飼い主と思しき少年の声は、龍之介も聞き覚えの有るものだったのだ。

「駄目だろう。勝手に走って行ったら」

 茂みを掻き分けて、弓道着姿の少年が獣道に一人現れる。
 涼やかな面差しにキリリとした細眉。凜とした佇まいは無駄な動作一つ生まない紅顔の美少年。それは龍之介が予想した通りの人物だった。

「あ、青葉(あおば)……君」

 恐怖とは別の理由で心臓が早鐘を打つ。
 シロウの飼い主は、龍之介の同級生だったのだ。

(神様は、意地悪だ……っ)

 恥ずかしいやら、情けないやら。
 龍之介は腹の底から這い上がる感情の渦を必死で抑える。
 けして表へは出さない。青葉の前で取り乱してなるものか。
 それは男のちっぽけな意地だった。

「なんだ。龍之介君じゃないか。奇遇だね、君も早朝練習かい?」

 梢を満たす爽やかな陽光が、青葉の柔らかい笑顔を照らす。

「眩しい!」

 龍之介は思わず顔を逸らした。

「ん、何が?」

 青葉が不思議そうに小首を傾げる。
 同級生と云っても、龍之介と青葉は友人同士ではない。ただの顔見知り程度の繋がりだ。

「いや、何でもない。気にしないでくれ」

 言いながら龍之介は手提げ鞄を抱き締める。その中身は画材道具で、慣れ親しんだ感触に心の細波が段々と落ち着いてゆく。
 青葉も「そうか」と言い、それ以上追及して来なかった。
 安堵感が一気に増す。
 やはり青葉のような美少年は遠目から観察するくらいが丁度良い。
 龍之介にとっての青葉は、虚像の中で生きる存在だった。
 今日、この時までは。

「けれど良かった。龍之介君のような優しい人がシロウを見付けてくれて」
「キュウ〜ン」

 シロウが青葉の腰回りにモフモフ胴体を擦り付ける。それが龍之介ならば悲鳴の一つも上げようが、青葉は愛犬の背中を優しく撫で返した。

「は?」

 ほのぼのとした光景。しかし龍之介はそれを前に固まった。

「うん? 龍之介君と“遊んでいた”んだよな。シロウ」
「ワンワン」

 シロウが『そうだよ』と言うように、青葉の顔を覗き込む。お蔭で龍之介はますます置いてけ堀だ。

(いやいやいや、いや! 俺はキミの愛犬に追いかけ回されていたんですよ!?)

 口先まで出掛った言葉を既の所で呑み込む龍之介。
 折角青葉が良い方向に解釈しているのだ。己の弱点をペラペラ語る必要はないし、それを明かせば『青葉が飼い主の責任』を感じてしまう。
 龍之介が余計な事を言わなければ、この話題は無事に終わる。それだけの事だ。

「いや、俺は偶然居ただけで。別に何も」

 龍之介は出来るだけ素っ気なく応えた。
 嘘はついていない。後は冷静な仮面を被りつつ、この場を去るのみだ。
 龍之介は内心ドキッドキッのまま、シロウの横を通り抜けた。
 しかし「やったぞ」と思う間も無く、龍之介の計画は頓挫する。

「ワン!」

 シロウが青葉の許を離れ、今度は龍之介の腕に擦り寄って来たのだ。

「ひぃ! 噛まないで」

 反射的に後退る龍之介。情けない悲鳴も飛び出し、全身が総毛立つ。
 気付いた時には後の祭り。青葉が申し訳なさそうに近寄って来る。

「シロウ、こっちにおいで」
「クゥ〜ン」

 素直なシロウが主人の言葉に従う。その後ろ姿が残念そうに見えるのは、龍之介の錯覚だろうか。
 あんなにも元気だった尻尾がシュンとしな垂れている。

「ごめんね。龍之介君」

 青葉が深々と頭を下げる。

「シロウはこの通り大きい子だから、脅えられる事もよく有るんだ。怪我とか、しなかったかい?」

 心からの謝罪。すべてを察した青葉の声も元気をなくす。

「でもね。元気で人懐っこい、とても良い子なんだよ」

 青葉はほんの少し顔を上げて、シロウの背中を優しく撫でた。

「違う。キミが、青葉君が謝る必要は何処にもない」

 心臓がズキンと痛む。淋しそうな青葉の横顔が切なくて、龍之介は一歩踏み出した。

「俺は確かに犬が苦手で、シロウにも失礼な事を言ったけれど……それは俺の問題だから」

 一番避けたかった。非のない青葉が己を叱咤する瞬間を。

「ごめん。シロウは何も悪い事をしていない。だから顔を上げて、取るに足りない俺の事なんて忘れてほしい」

 龍之介はえいやと勇気を振り絞り、シロウの背中へ腕を伸ばす。
 緊張に汗ばむ掌はぎこちなく動き、頬も強張る。たった一度の触れ合いで、龍之介は今日一日分の気力を使い果たした。

「じゃ、じゃあな……シロウ。もうご主人様を心配させるなよ」

 無理に作った笑顔も引き攣ったまま、龍之介はこの場を去った。
 これでいい。
 青葉は聡い少年だ。龍之介の意図は伝わっただろう。
 裏山を下りてしまえば、関わりの薄い元の同級生に戻れる。

 そう、信じていた。




「六つ子の四番目。だからシロウ」

 安易な名付け方だよね。等と微笑みながら、青葉が腰を下ろす。

「…………は?」

 龍之介は思わず絶句した。事前まで迷いなく動いていた鉛筆もピタリと止まる。

「ああ、ごめん。隣、失礼するよ」

 今は休み時間。龍之介は校庭の木陰に腰を下ろし、朝の下絵を仕上げている所だった。

「上手だね。実は以前から気になっていたんだ」

 青葉の瞳が龍之介の手許を興味津々と覗き込む。
 雄々しく流れる滝と水中を優雅に泳ぐ二匹の魚。龍之介の画は現実以上の美を外へ伝える。風景画だ。

「いや、待て。俺は忘れてくれと言ったはず」

 龍之介は蟀谷を押さえ、状況を整理する。
 しかしどんなに考えても分からない。青葉は何故、関係を進めるような真似をするのだ。
 同級生の弱点を知ってせせら笑う、意地の悪い性格でも有るまいに。

「うん。けれど僕は、龍之介君と友達になりたいと思ったんだ」

 爽やかな午後の木漏れ日が青葉の笑顔を美しく彩る。

「眩しい!」

 龍之介は思わず顔を逸らした。
 青葉はシロウが共に居なくとも、心臓に悪い少年だ。沸騰しそうな熱が頬に集まり、心が掻き乱される。

(これが純粋培養の美少年と云うものか!? まったくもって恐ろしい力だ)

 逃げ出したくなる居心地悪さと、天にも昇る嬉しさ。真逆の感情が綯交ぜになる。
 何だこれは何だこれは何だこれは、何だこれはッ。
 馴染の無い感覚に、頭と目がグルグル回る。
 喉も急激に渇き出し、鍵が掛ったように口が開かない。

「勿論迷惑なら、無理強いはしないけれど……」

 青葉が残念そうに腰を上げる。何時まで経っても返答の無い龍之介の変わりに、自ら応えを導き出したのだろう。

「待て!」

 嫌だ。このままだと青葉が遠くへ行ってしまう。
 そう思った瞬間、龍之介は叫んでいた。

「え?」

 青葉が振り向く。
 微風に揺れる黒髪がとても綺麗だ。

「いや、迷惑ではない……から。ただ少し動揺して、今も言葉が上手く出てこない。可笑しいな」
「可笑しくはないよ。僕も龍之介君に話し掛けるまで、随分と緊張したものだ」
「そうは見えなかったが」

 龍之介は画材道具を横に置くと、緊張の糸を解くように立ち上がった。青葉と話し易いように向かい合う。

「ふふ。緊張を和らげる方法は色々知っているんだ。試合の度に直面しているから、ね」
「ああ。弓道の」

 ふと思い出す龍之介。
 現在の青葉は詰襟だが、今朝は凛とした弓道着に身を包んでいた。

「ん? つまり青葉君はシロウと弓道の早朝練習をしていたのか」

 弓を銜えて弓道場を闊歩するシロウの姿が脳裏に浮かぶ。
 あんなに大きい犬だ。青葉以外の部員はさぞや戦々恐々――それとも逆に、あのモフモフ毛並を癒しの対象として持て囃しているのだろうか。
 龍之介が想像の翼を羽搏かせていると、青葉が恥ずかしそうに口を開く。

「いや、シロウは毎朝勝手に付いて来るだけで。本人は気楽な散歩気分なんだよ。それで今日も、龍之介君に迷惑をかけてしまった」



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