リクエスト
答えは簡単/溺愛クール高校生×恥ずかしがり屋書道家
『アナタが好きです』
初めての告白は――見事に玉砕した。
忘れもしない。
青い春にも程遠い、小さな小さな雛鳥の頃。
静寂の世界でただ一輪。
とても綺麗な花が咲いていた。
答えは簡単
「これで、お願い!」
花も恥じらう女子高生が、人目も憚らず頭を下げる。可憐な瞳をギュッと瞑って、心臓を限界まで高鳴らせて。
彼女の両手が差し出すものは、紅茶色の紙袋。パンパンに詰まった中身は購買部の惣菜パン。人気ベスト10だ。
時刻は丁度昼休み。
「いや。そんなには、要らない」
プチトマトがポロリと落ちる。
何処に?
それは勿論、弁当箱の、おかずの間へ。
だって今は、楽しいランチタイム。
「えー! なんでよ?」
悄らしい態度が一変。
色よい返事の貰えなかった少女は顔をバッと上げ、頬を膨らませた。
栗色に染めた髪。バッチリ決めたフルメイク。
確か校則で禁止されている筈だが、ふと意識を向けた風紀委員の女生徒も同じような恰好をしていた。
「答えは簡単。俺が大食漢じゃないから」
箸でプチトマトを摘まみ上げ、再び口へと運ぶ。
騒めく教室の空気も気にせず、昼食を進める少年の名前は秀史(しゅうじ)という。
物怖じしない性格と整った容貌。所謂クールビューティー系美少年と、女子の間で持て囃されている。
そんな彼には、他人が羨む特技があった。
「あっちゃんは『サンドイッチ一つで引き受けてくれた』って、言ってたわよ。さては贔屓ね」
「それは昼食前だったから。今は見ての通り、弁当完食直前」
最後に残った卵焼きも箸で摘まみ上げ、パクリと頬張る。
これで本当に今日の昼食は完食だ。
「ごちそうさま」
弁当箱の蓋を閉じ、律儀に両手を合わせる秀史。
ムキーと、地団駄を踏んで騒ぐ女子。気合いを入れた大人メイクも台無し。まるで癇癪持ちの子供そのままだ。
秀史の正面に座る友人も、お茶を啜りながら冷や汗を流す。
「お腹いっぱい。もう食べられないよ」
棒読みで意図を伝え、秀史も食後のお茶を啜った。
ホカホカの緑茶が胃の奥から身体を温める。
季節は寒さが身に染みる真冬。室内でゆっくり吐き出す息も白く染まった。
「何よ。わざとらしい」
「わざと言っているんですよ。鈍感な清香(きよか)さん」
眉一つも動かさず、秀史は清香に言葉を返す。
一ミリも着崩していない制服。
派手な外見の清香と違い、秀史は頭の天辺から足の爪先まで真面目な優等生だ。
外見こそ真逆の二人が視線を交差させる。
実は彼等、知らぬ仲ではない。10年以上付き合いの有る――幼馴染なのだ。
しかし秀史は可愛い幼馴染の頼みをアッサリ断る。
何故?
答えは簡単。秀史に不都合だから、だ。
「貴女が下手な男に引っ掛かると、俺が静真(しずま)さんに逢い難くなる。少し考えれば分かるだろう」
静真。
それは秀史の最優先事項。初恋相手の名前だ。清香にとっては年の離れた『兄』にあたる。
「あら、嫌ね。思春期の男は、それでも可愛い女の子の方を優先させる生き物でしょう」
うふん。女性最大の武器。色っぽい微笑みを咲かせて、秀史の瞳を覗き込む清香。
異性に免疫の無い男なら、確かにコロッと騙されそうな色香だ。
「嫌だな。清香さんともあろう者が、そんな常識に囚われるとは……ふぅ」
しかし秀史は微塵も食い付かない。寧ろ『詰まらない女に育ったな』と、深い溜息を零す。
「一々ムカつくわ。この無愛想男!」
清香が青筋を立てて、拳を握る。
兄である静真は穏やかで、落ち着いた人物だというのに。
非常に残念だ。大和撫子はもう、絶滅してしまったのか。
「兎に角、貴女の依頼だけは受け付けない」
秀史はキッパリと言い放ち。怖くもなんともない清香の睨みを払い除けた。
「何よ。いくら兄さんのお願いを聞いたって、見返りなんて貰えないわよ」
何気ない清香の呟きが耳に刺さる。
秀史は心から静真を愛しているけれど、それは所詮片想い。永遠に報われない感情だ。
「こんにちは」
ひらり。ひらり。
落ち着いた日本庭園に落ち葉が舞う。
一週間に2日。秀史は必ず静真の家へ訪れる。
答えは簡単。静真は書道教室を開く書道家で、秀史は生徒なのだ。
そしてそれが秀史の特技。彼の達筆な字を求めて、ラブレターの代筆を依頼する者は後を絶たない。
しかも成功率が高く。男女問わず引っ切り無しだ。
甘酸っぱい恋文は詩集を読んでいるように切なく。張り裂けそうな思いの丈が一文字一文字に詰まっている。
感情の起伏を表に出さないクールな少年。秀史が内に秘めた恋心。それはこの世界でただ一人――静真だけに、注がれている。宝物だ。
「はい。こんにちは。秀史君」
箒を動かす手を止めて、静真が優しく微笑む。
細部まで整った美しい顔立ち。静真は誰もが認める美青年だ。
仕立ての良い藍染の着物がよく似合っている。静真の服装は、常に落ち着いた和服。
出逢った頃から。変わらない。
その心が変わらないように。
「大変でしょう。手伝いますよ、落ち葉集め」
そう言うと秀史は門を潜り、庭へ足を踏み入れる。
カサリカサリ。落ち葉の絨毯が一歩進む事に乾いた音を立てる。
枯れた音のメロディも、胸が高鳴る恋の旋律。
秀史は静真の眼前まで移動すると、彼の右手事箒の得を握った。
大胆なアピール。
しかし静真の右手は、秀史の体温が移る前にスルリと抜ける。彼には隙が無い。
「大丈夫。もう、終わるよ」
「それでも俺は、静真さんとの触れ合いが欲しい」
直球ストレート。秀史の唇は静真に対しての愛情をスルリと音にする。
二人が知り合ったのは10年前。秀史が7歳で、静真が14歳の時だった。
その頃の静真は書道家ではなく、友達(清香)の『お兄さん』という立場。よくある話だけれど、身近な憧れが恋心に変化したのだ。
初めての告白は静真が大人になる前日――19歳最後の日に、告げだ。
結果は玉砕。子供の秀史が一生懸命考えたデートプランも、無意味な淡雪に変わった。
失恋に泣いた夜の記憶も、今では青臭い思い出だ。
「貴方の事が諦められない。チャンスを見つけたら、無意識に行動してしまう」
「秀史君……」
静真の眉が困ったハの字を形作る。
彼にとっても秀史は親しい友人だ。快い返事は得られずとも、心無い言葉の暴力を浴びせられた事はない。
だから何時までも、未練の尾が後を引く。
「ちょっとー。玄関先でイチャつかないでくれますかぁー?」
玄関の扉が突然開き、清香が顔を出す。
鬱陶しい。彼女はそう言って、秀史の腕を奪った。香水の甘い匂いが鼻腔を擽る。
「清香さん。年頃の娘が不用意に男の腕を触るものじゃない、ですよ」
「うわっ! 古臭い! アンタの脳みそ化石じゃないの?」
きゃいきゃい文句を言う清香。
臍を曲げるくらいなら、止めれば良いのに。
しかし清香は秀史の意見など何処吹く風と聞き流す。
「清香……やはり」
静真の掌が胸元へ伸び、着物の衿を人知れず握り締める。
青みを帯びた黒髪の一本一本が冷たい北風に遊ばれて、不揃いに揺れる姿が切ない。
けれど秀史は清香の腕を振り払う事に必死で、それを見逃した。
◆◆◆
除夜の鐘が年明けを教える。深夜。
静真は夕食後から今まで、書を認めていた。
ピンと伸ばした背筋。フロアランプに照らされる表情も真剣だ。
「もう、こんな時間か」
しかしふと、静真の気が緩む。
スルスルと進めていた筆も止め、背筋を「んー」と伸ばす。
答えは簡単。新年も、もう5分が過ぎた。流石に眠気を意識する。
布団が恋しくもあるが、静真は眠気覚ましに首を横に振った。湧き上がる欠伸も噛み殺す。
現在彼の妹――清香が、初詣へ出掛けている。兄としては、妹が無事に帰って来るまで心配という訳だ。
社交的で明るい清香は男女共に友人が多く、グループの中心人物。内向的な静真とは正反対だ。
年頃の乙女らしく恋愛事にも興味津々で、想い人もいるらしい。
そして静真はその相手を、幼馴染の『彼』だと思っている。
「……秀史君」
ツキン。鋭い針で刺されたように胸の奥が痛む。
駄目だ。
静真は何度も自分に言い聞かせて、ギュッと瞼を瞑る。
秀史は年下の未成年で、しかも同性の少年だ。
純粋な好意は心が蕩けてしまいそうな程嬉しいけれど。静真はその感情を強く自制している。
何故?
答えは簡単。静真も秀史を愛しているからだ。
早い話が両想い。けれど簡単に事が進まないのは、静真が極度の恥ずかしがり屋なせい。
それを必死に誤魔化して、何食わぬ顔を装っている。気弱で消極的な大人。
静真の真実を知れば、秀史の恋心も冷めてしまうだろう。
少し触れられただけでも、羞恥の炎が燃え上がってしまう程なのだ。秀史の真摯な瞳に見詰められたら、心臓が確実に壊れてしまう。
けれど秀史は静真への好意を消さない。何度断っても、素っ気ない態度を示しても。諦めてくれないのだ。
嬉しい。けれど無理だ。
『僕も、君が好き』
たった数秒で終わる告白は、静真の口に重すぎる。
「ただいまぁ」
思想の海に沈む静真の耳に、明るい女性の声が届く。清香が帰宅したのだ。
静真は心の細波を綺麗に整え、立ち上がる。そして玄関へ向かった。
「明けましておめでとうございます。静真さん」
粛々と頭を下げ、新年の挨拶を述べる秀史。
どうやら彼が清香を送ってくれたらしい。それは=(イコール)年末を共に過ごした相手という事だ。
二人の関係は進んでしまったのだろうか。静真の心に不安の影が忍び寄る。
「え……ああ、うん。おめでとうございます」
「貴方と逢う為に、清香さんの我儘に付き合いました。褒めてください」
両手に提げた買い物袋を静かに下ろす秀史。
パンパンに詰まった中身は、正月の雰囲気が漂うお土産だ。その購入者は清香で、秀史は荷物持ちに呼び出されたと言う。
ホッ。安堵の息が思わず零れる。何とも自分本位な恋心。
「何よ。奢らせた訳じゃないし、別にいいじゃない。それに兄さんの寝間着姿も、ちゃんと観れたでしょう」
悪びれもなく言い放つ清香。
煌びやかな着物の袖が、彼女の動作に合わせてヒラヒラ揺れる。まるで金魚の尾ビレが水中で揺蕩っているようだ。
「清香。秀史君へのお礼は、ちゃんと言ったのかい?」
静真は兄の顔で清香に注意を促す。
新年を祝う神社は明るく賑わっているけれど、帰り道は違う。薄暗い夜闇に包まれ、一m先の道筋も見えない。
乙女を守る騎士は色々と気を使っただろう。
「報酬はちゃんと渡したわ。それに送り狼にならない男を選んだのよ。妹の決断を褒めてほしいくらいだわ」
清香は草履を脱ぎ捨てると、そのまま玄関へ上がる。静真の横を通り過ぎ、自室へ消えた。
後に残された秀史が草履を拾い上げ、綺麗に揃える。
申し訳ない事この上ない。静真も買い物袋を持ち上げ、秀史を居間へ通す。
静真の後を素直に付いて来る秀史は、まるで親鳥の後をピョピョ追いかける雛鳥のようだ。
「でもどうせなら、静真さんの自室が良かった」
ふぅふぅ。温かいココアを冷ましながら、秀史が呟く。
しかし温かいコタツの中で寛ぐ彼はとても狼らしくない。可愛いとさえ思える。
「それは流石に」
心臓が持たない。
「そうですね。簡単に入れないこその聖域でした」
秀史の肩がシュンと落ちる。読心術など心得ていない彼は、やんわりと断られたと思ったのだろう。
それでも静真は訂正したい気持ちをグッと抑える。
何故?
答えは簡単。
「恥ずかしいよ……秀史君」
ゆっくり降り積もった恋心が雪崩を惹き起こしてしまう。
そうなれば、困るのは秀史の方だからだ。
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