リクエスト
サクランボ・スマイル/聖祈×桜架:甘々


 それは、何気ない一言から始まった。

「えッ!? なんで?」

 桜架と聖祈が付き合い始めて数日後。恋人としてのデートも何度か重ねた頃、桜架の前に試練が現れる。
 何と聖祈が、「ハルちゃんの家に行きたいなー」などと言い出したのだ。

「まさか、桜子ちゃんの私生活が目的で……!」

 桜架の背後に雷が落ちる。味わっていたフルーツパフェからも手を引き、聖祈を見据えた。
 本当は従兄妹同士とはいえ、桜子は桜架の大切な守るべき存在。その可愛い妹に迫る魔の手。何としてでも、水際で食い止めたい。

「アハハ。違うよ、ハルちゃんの部屋を“見学”するのが第一の目的」

 それはそれで、危機的状況の到来だ。明るく振る舞う聖祈の笑顔に、桜架は冷や汗を流す。

「ぼくの部屋なんて、なんの面白味もない平凡な間取りだよ。……星図とかは飾ってあるけど」
「別にインテリアデザインとかに興味はないんだけど、ハルちゃんは面白いね」

 何とか考えを変えて欲しい桜架に、しかし聖祈は何時もの調子だ。

「それとも、密室で二人きりになりたくないのかな?」
「……う」

 桜架の目が泳ぎ、喉が詰まる。
 そうなのだ、聖祈は隙を作ればセクハラを仕掛ける困った人物。自室になど招けば『自らOKサインを出した』と、解釈されかねない。
 桜子の純潔は勿論心配だけれど、目の前の危機は桜架へと迫っている。

「ハルちゃんの部屋が駄目なら、ボクの部屋に来る?」
「え?」
「一人暮らし、だ・け・ど」

 聖祈の指し指が手の甲にハートマークを描く。そろそろと撫でるこそ痒い感触、桜架の鳥肌は自然と育つ。

「ね。どっちの部屋がいい?」
「……三つ目の選択肢はないのかな」

 妥協点でも何でなかった提案。桜架は右手を引っ込め、危機回避を探る。

「それじゃあ、ウサギちゃん家に遊びに行く? 最上階からの景色も気になるし」

 テーブルの下へ隠れた桜架の右手に未練を残しながら、聖祈は斜め上を行く妥協案を出す。
 それは夏休み中の子供が暇を持て余し、馴染のない友人の家へふらりと興味が向くような感覚と似ていた。

「あ、でも。椿姫とデート中かな。……どうするハルちゃん、交ざりに行こうか!」

 話の途中で聖祈の瞳がキラキラと光る。美少年二人の組み合わせに、テンションが上がったのだろう。

「行かない。それに聖祈くん、目的が変わってるよ」

 溜息を一つ付いて、桜架は食べかけのパフェに手を伸ばす。
 濃厚なバニラアイスが溶け始め、バナナにトロリと伝い流れる。早く食べないと、完全に溶けてしまうだろう。

「ワォ! ハルちゃんてば、意味深にエローい」

 聖祈の瞳が更に爛々と輝く。その視線の先に有るのは、桜架の口許。

「は? 何が、……あ」

 口を開け、バニラアイス事放り込んだバナナから乳白色の滴がタラリと零れる。
 咄嗟に、桜架はおしぼりに手を伸ばした。洋服に落ちる前に何とか間に合い、口許を綺麗に拭う。

「えー。そこは指先で掬い取って舐めてよ」

 桃香が洗濯してくれた洋服が汚れず、桜架はホっと一安心。しかし聖祈は残念そうだ。

「それは……行儀が悪いんじゃないかな」

 その意味に何となく気付き、桜架は性に奔放な恋人から視線を逸らす。
 桜架も思春期真っ只中の青年だ。口許を伝うバニラアイスに聖祈が何を連想したのか、想像くらいは出来る。
 しかし、聖祈が勘違いするような他意はない。それは真実だ。だから素知らぬふりをする。

「今度は“ボクが”舐めとってあげようか、な」
「だから、そういう事を言わない方がいいよ。聖祈くん」

 聖祈がスプーンを掠め取り、生クリームの付いたサクランボを掬う。
 そのまま「あーん」と、口許に寄せられた大好物。けれど桜架は口を開かず、聖祈の右手を横にずらす。
 無駄口を叩かなければ最高級の色男である聖祈。その容姿は今日も目立ち、女性の注目を集めている。そんな状況下でイチャつけるほど、桜架の精神構造は図太くない。

「だってハルちゃん、中々甘い雰囲気作ってくれないじゃない」

 返却されたサクランボを聖祈がパクリと食べる。
 男の色気に溢れた唇を生クリームが乳白色に汚す。そして直ぐに紅い舌先がそれを舐め取った。
 無意識だろう聖祈の仕草。おしぼりに伸ばした桜架の右手は行き場を失ってしまう。

「あーあ。ウサギちゃんが羨ましいなぁ」

 聖祈はいじけた声を出し、遠回しな要望を伝えてくる。空を掴んだ桜架の右手には気付いていないようだ。

「でも椿くんは聖祈くんみたいなタイプ、見向きもしないと思うよ」
「はっきり言うね。嫉妬しちゃった?」
「別に」

 スプーンを奪い返し、残りのパフェを口に運ぶ。
 間接キスだという状況には目を瞑り。アイスが溶けて台無しになる前に間食した。

「嘘。桜架は嫉妬すると怒るからね、分かるよ」
「ッ……そんな事ない、よ」

 冷房とアイスで冷やされた頬に熱が上る。低く下がった聖祈の声音に反応を返してしまったのだ。

「人前が恥ずかしそうだから、二人きりになれそうな場所を提案したんだけど」
「え?」
「やっぱりダメ? 桜子ちゃんの部屋を覗いたり、しないからさ」

 困ったように聖祈の眉がハの字を作る。肉食獣の牙は引っ込み、まるで捨てられた子犬のようだ。
 それは百戦錬磨な色男の演技なのかも知れない。けれど経験の浅い桜架の脳では判断が下せなかった。

「まぁ、桜子ちゃんにちょっかいを出さないって約束してくれるなら……いいよ」

 兄としての釘も忘れずに、桜架は頷く。
 聖祈の提案が桜子に近付く為の口八丁だった場合は、その首根っこを掴んで追い出せばいいのだ。

「やったー。密室でべったりイチャイチャしようね、ハルちゃん!」
「だから、公衆の面前でそういう台詞を叫ばないでよ。聖祈くん……」

 騒めく空気、一斉に集まる女性客と店員の視線。言い知れぬ居心地の悪さが、桜架の両足をそそくさと急かす。
 そして午後のひと時を過ごしていたカフェを後にし、眩しい陽光が燦々と降り注ぐ街中へ駆け出した。




 自宅へ辿り着く頃にはハァハァと息が弾み、汗だくになっていた。
 直ぐに、冷たいシャワーでべとつく汗を洗い流してしまいたい。けれど桜架はそれをグッと我慢する。
 玄関のドアを開けて最初にする行動は一つ。桃香へ帰宅を知らせる事だ。

「あら、どうしたの。桜架、そんなにグッタリして」
「うん……ちょっと、好奇な視線に耐えられなくて」

 今でも大好きな初恋の女性は、優しく癒すように桜架の心を包み込む。

「わぁ! 桜子ちゃんとそっくり。ハルちゃんのお“姉”さん?」

 桜架の後ろから、聖祈がひょこりと顔を出す。その瞳が、新たに登場した美女にキラリと輝く。
 口説きモードになる前に、桜架は彼の横腹を小突いた。しかし聖祈は何のダメージも受けていない。

「まぁ、桜架のお友達? 初めまして、母の桃香です」

 ふわりと柔らかい笑顔を聖祈に向け、桃香が自己紹介する。聖祈の発する不審なオーラに気付いた様子はない。

「ええー!? お若いですね、お母サマ。桜子ちゃんと並んだら美人姉妹に見えちゃうなぁ」

 聖祈が純粋な驚きを上げる。
 桃香の肌はピチピチと若々しく、とても高校生の子供がいるような年齢に見えない。
 だからこそ、桜架の初恋が何年も尾を引いていたのだ。が、それは聖祈の知らない秘密の事情だ。

「あら、そうかしら? うふふ。ありがとう」

 優しい桃香の笑顔が更に花咲く。彼女も一人の女性、若さを賛美されて嬉しいのだ。

「桃香お母さん、彼はクラスメイトで“友達”の聖祈くん。突然だけど、部屋で遊んでいいかな」
「ええ。今日はお客さんも来ないし、騒いでも大丈夫よ」

 聖祈の自己紹介と確認を終わらせ、桜架は二階への階段を上がる。勿論、聖祈もその後へ続いた。



 そして桜架は自室のドアを開け、聖祈を中へと通す。
 壁に貼られた星図や窓辺に位置する天体望遠鏡。家庭用プラネタリュウムは流れ星や四季の星座も映し出せる優れもの。
 パッと目に付く変わったものはそれくらいで、他は至って普通の男子部屋だ。

「はい、どうぞ。あんまり変な場所は見ないでよ、聖祈くん」
「わーい。ハルちゃんのベッドだー」

 言ったそばから、聖祈が態とらしく浮かれる。桜架のベッドヘ海を前にした子供のように駆け寄り、ばふりとダイブした。

「カモン」

 そして長く男らしい指を小指から順に一本一本折り曲げ、聖祈の瞳は妖しく色付く。それは共寝への分かり易い誘惑だ。

「来てそうそう悪いけど、帰ってもらえるかな」

 ところが、相手は最後の一線は疎か唇も許さない桜架。波が引くように聖祈との距離を空ける。

「ヤだな。軽いジョークだよ」

 寝そべるベッドから起き上がり、聖祈は身持ちが堅い恋人の警戒心を解く。しかしその顔は残念そうだ。

「で、本題だけどね」

 聖祈の声に妙な真剣さが含まれる。
 ちなみに、断られた事実はすっかり過去になっていた。相変わらず多方面に対して前向きな男である。

「天羽聖祈プライベート写真集〜魅惑の夏服編〜。が、出来たから。はい、プレゼント」

 ベッドの端に投げ出したボディバッグ。聖祈は自分の所有物であるそれを引き寄せ、一冊のアルバムを取り出す。
 現役モデル手作りのプライベート写真集だ。

「ええッ!?」

 思わぬ衝撃に、桜架の声が裏返る。その脳裏に浮かぶは際どいラインのヘビ柄水着。
 一度断った悪夢が再び目の前に差し出されたのだ。

「眠れぬ夜のお供にアンニュイな午後のリフレッシュに、活用してね」

 自分で言いながら小麦色の頬をポポと染める聖祈。恥ずかしいなら止めればいいのにと、桜架は引き気味の頭で思う。

「そ、それは受け取れないって……前にも言ったよね」
「うん、でも。もう“恋人同士”だし、“ボクの愛の結晶”を受け取ってくれるよね!」
「……う」

 まさか恋人同士の間でこんな試練が有ろうとは、桜架の喉は本日二度目の交通渋滞を引き起こす。

「っ……えっと、つまり、……今日の目的はそれを渡す事なのかな?」
「勿論、ハルちゃんのお部屋見学が第一の目的だよ。これはそのオマケ」

 何とか声を絞り出した桜架に、聖祈はやはり何時もの調子だ。綺麗に整頓された部屋を見渡し、ハートを纏う。

「無理です。ごめんなさい」

 ズキリと痛む良心から目を逸らし、桜架は丁寧な断りを返す。
 聖祈は露出度が高く、それは水着であっても私服であっても変わらない。いくら恋人でも置き場所に困る事実は変わらないのだ。

「ええ〜。光ちゃんは受け取ってくれたのにぃ〜!」
「……こうちゃん? って、誰かな。聖祈くん」

 口を曲げる聖祈。しかし桜架の耳は聞きなれない人物名にピクリと動く。

「え? 言ってなかったけ。従兄弟のお兄ちゃん。俳優目指してるから、ポージングとか厳しく指導してくれるんだよね」
「あ、そうなんだ」

 あっけらかんと明かされる正体。桜架の気も同時に抜けた。

「じゃ、改めて。受け取ってくれる」
「うん、ごめん。やっぱり、無理」
「ええ〜? ここは光ちゃんに対抗して受け取るシーンだよ!」

 誰が決めたか知らないセオリーを盾に、聖祈は再び抗議の声を上げる。
 しかしここで受け取っても、どうせ桜架は箪笥の肥やしにしてしまう。それは聖祈的にも気分の良い話ではないだろう。

「それよりさ、二人の写真を撮ろうよ。その方が恋人らしい……と、思うよ」

 桜架は精一杯の勇気を振り絞り、別の案を提示する。それは勿論厭らしく見えない、二人の健全な写真だ。

「ワォ! 良いね。早速、ハルちゃん家訪問記念に一枚撮ろうか」

 素早くケータイを取り出し、聖祈は桜架の肩に腕を回す。そのテンションは何時にも増して高く、嬉しそうだ。

「あ、でも……汗の匂いが」
「気にしない、気にしない。ハイ、可愛く笑って。お・う・か」

 ピタリとくっ付く体温に微かな羞恥を感じ、桜架の頬は熱を意識する。
 そしてそのサクランボのような朱色は、二人の思い出写真にバッチリ記録された。


サクランボ・スマイル

 



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