リクエスト
怪我の功名/大怪我:甘々


 青春真っ只中の高校生。広いグラウンドに少年の絶叫が響く。痛みを訴えるそれに友人達は焦り、保健室に走る。
 数分の内に、白い白衣を羽根のように翻し妙齢の保険医が世界に現れた。

「大丈夫ー?」
「ぐぁああ」

 泥の溜まった地面に背を付け、自らの腕を押さえる少年。彼の名前を夾(きょう)といった。
 夾は右腕の状態を確かめる保険医の言葉も届いていないように、額に大量の油汗を浮かばせ続けている。夾は怪我をしていた。
 事の起こりは、本日の休み時間。夾はクラスの友人達と連れ立ち、グラウンドで野球をしていた。それは有り触れた、青春の一ページ。
 夾が不幸だったのは、自分の実力を過信し過ぎた事。野球部・エースの豪速球。ミサイルのように飛んでくるそれを、避けようともせず。不用意にその腕を前に出し過ぎたのだ。
 夾がバットを握った経験は、たったの数回。ずぶの素人だった。けれど幼い頃に、野球アニメを見た事が有る。その記憶だけを自信に、神童と呼ばれていた友人にホームラン宣言をしたのだ。
 結果は勿論。惨敗で有る。しかも、腕には激痛。夾は薄れる意識の中で、己の愚かさを深く後悔していた。

「どうなんですか、先生!?」

 保険医の背後から、夾の友人達が心配を募らせる。けれどそれにも、夾の耳は反応を見せず。鈍い喚き声を吐いていた。針を吐き出すように、鈍痛を吐き出すように。

「夾、ゴメン、ごめん……俺……ッ」

 大地に力なく座り込み、少年が謝罪を繰返す。彼こそが、夾の右腕に破裂するような痛みを与えた張本人。名前は椋(りょう)。
 椋は全身の血を引かせ、譫言を繰返していた。



 ◆◆◆


 それから、一週間。
 夾の右腕に負傷を負わせた椋は、献身的な看護を続けていた。椋は責任感の強い少年だったのだ。

「いや、流石にもういいって言うか」

 夾は椋の心遣いを感謝しつつも、それにストップをかける。
 今は昼休み。利き腕の使えない夾に代わり、弁当のオカズを口に運んでいるのは椋だ。
 夾の怪我は全治二週間。骨折まではいかなかったけれど、それでもそれは夾の生活を色々と不便にしていた。何せ、利き腕。飯を食べるにも、箸が使えず。慣れない左手を使い、玉子焼きと格闘を始めた時。椋が夾の握るフォークを奪い、補助を申し出た。その日から、今日まで。椋は事あるごとに、夾の世話を焼いていた。それは夾の母親よりも甲斐甲斐しい、夫に尽くす貞淑な新妻のような姿。
 夾にとって椋はクラスメイトの一人という認識しかなかった。けれど、自分を心配するその子犬のような瞳を見る内に、夾の中で今までとは違う感情が芽を出し始めていた。
 責任感が強く、心配性な椋。夾は椋に淡い感情を意識する。それは今まで、異性の魅力的な女性に向けていたそれと、よく似ている―― 恋のような感情。
 吊橋効果なのか、献身的な姿にある種の優越感を感じているだけなのか、それは分からない。けれど確かに夾は、椋と過ごす時間が特別なものだと感じていた。

「なんで? 何時も、もっと食うだろ」

 自分の昼食を置き去りに、夾の口にから揚げを運んでいた椋が不満そうに言う。
 勘違いでも、思い過しでも。惚れた相手に格好の悪い姿を見せたくないというのは、男としての本音で。夾は現在の状況にもどかしさを覚えている。
 けれどそんなもの、椋は知る由も無い。夾の怪我が一日も早く完治するように、栄養を取れと促す。

「飯じゃなくて―― 左手にも、慣れてきたし。もう、一人で食べられるって」

 文字を書いたり、細かい作業は巧みに出来ない。けれど食事くらいは、左手とフォークを使えば難なくこなせる。椋の気遣いには感謝しているけれど、やはり色々と申し訳ない。夾は自分に構わず、椋も弁当を食べてくれ、と。続ける。
 アームリーダー生活一週間。夾はそれなりに生活に慣れだしていた。不便なのは授業のノート取りくらいで、それだって椋が引き受けていたのだ。

「でも、俺が悪いんだし。治るまでは面倒みるよ」

 椋は表情を暗く落とし、夾の右腕を固定しているアームリーダーに視線を這わせた。友人に傷を負わせた自分に憤りを感じているのだろう。
 野球の試合では、デッドボールくらい珍しくない。その度に心をすり減らしていたら、椋の方が気が滅入ってしまうのではないだろうか。
 夾はそれが心配だ。自分の怪我を、椋のトラウマにしてほしくはない。

「家では、普通に食ってるし。大丈夫だって。な!」

 夾は椋の励ましになるように、明るい笑顔を咲かせる。椋にも、もっと笑って欲しい。夾が怪我をした時から、椋の笑顔は減っていたのだ。

「大丈夫じゃ、ない。……俺は、夾に怪我させてヘラヘラ笑えない」

 心の痛みを吐き出すように、椋の言葉が空気にとける。子犬のようにつぶらな瞳が懺悔の涙を溜めていた。

「――だって、ずっと……――――だったのに、最低だろ……俺……ッ」

 紺色のスボンに雫が落ち、染みを作る。椋の瞳から溢れ出た液体は頬を濡らし、制服を濡らし。夾の笑顔を曇らせた。
 夾は椋を怨んでいないし、憎んでもいない。怪我をしたのは、夾の浅はかさと不幸な偶然が重なったからだ。
 椋が身を裂くような絶望を背負う必要はない。現に夾は、右腕を順調に回復していた。それは椋が色々と気を回してくれたからだ。夾は椋に感謝している。

「オレこそ――友達の笑顔奪って、泣かせて……情けねぇよ」

 夾はハンカチを取り出し、椋の涙を拭ってやる。右手は固定されているので、左手で。それでも、感謝の気持ちはたっぷり込めて。

「それなのに、椋といるの楽しいとか――甲斐甲斐しくて可愛いとか、思ってたんだぜ。オレの方が、最低だろ?」
「ぇ……?」

 夾の言葉に驚いたように、椋の瞳が目一杯見開かれた。突然告げられた夾の感情を脳が処理しきれていないのだろう。

「あと、惚れかけてる。最低でチョロイ男と罵れ」
「なん、だよ。それ……!」

 椋の瞳に夾の顔が映る。我ながら、色気のない告白だ、と。夾は心の中で独りごちた。
 完全に、椋は同性からの愛の告白に引いている。夾はそう思っていた。

「俺が、諦めたのに――なんで夾が告白するんだよ」
「は? ちょ。待て、」

 椋の言葉に、今度は夾が驚きを上げる。椋は今、何と言った?。

「諦めたって、なに」

 こんな展開想定していない。夾は椋の言葉の真意を計り兼ねていた。

「好きだ、ったんだよ。ずっと。でも……怪我させて。神様が罰を与えたんだと思った。俺の汚い感情に怒って、天罰を下したんだって」

 椋は辛そうに喉の奥から声を絞り出す。自分が間違った感情を抱いたから、夾が傷ついたのだ、と。椋は自分自身を責め立てる。
 怪我をしているのは、椋だ。その心に大きな傷を負っている。夾の腕が破壊された時に、椋の心は粉々に砕けていたのだ。

「それで、あんなに一生懸命」

 椋の心内を知った夾は、思い返す。実の親よりも真摯に、甲斐甲斐しく世話を焼く少年の姿を。
 それはすべて、罪滅ぼし。夾(好きな相手)の右腕を負傷させてしまった事への心からの謝罪。
 椋はこれ以上、夾に天罰の矛先が向かないように、自分の感情を封印して。唯、怪我の回復だけを望んでいたのだ。

「でも。コレはオレが馬鹿のなが原因だ」

 夾は自分の怪我を指し示し、椋の想いへの天罰ではないと語る。それにそれが禁忌を犯した罰だと言うのならば、椋にもその矛先が向いている筈だ。

「だから諦めたの、取り下げて」

 夾は情けなくも、椋の肩口に項垂れる。自分の不注意が恨めしい。







 それから、さらに一週間後。
 金木犀の香りがとける秋の世界に、二人の少年の姿が有った。

「ほら、もう完全完治」
「だからって、浮かれすぎ。また怪我するぞ」

 健康的な右腕を振り回し、夾が笑む。その隣には、椋の笑顔が咲いていた。



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あきゅろす。
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