ジルとベル―美しい双子が愛した罪―
涙の味と、君の唇 3

「ひっ!?」

 ダグラスの口から悲鳴が漏れる。これでもう、聞こえませんでした、と知らんぷりを決め込む事も出来ない。
 自ら閉ざした道の前で、ダグラスの脚は恐怖に震える。

「あの“紳士気取りのお坊ちゃん”。今日は居ねぇ見たいだなぁ」

 ねっとりと、男の耳を這う声が迫って来る。
 コツコツと近付く足音も、ダグラスには死刑執行を告げる鐘の音に聞こえた。
 男はダグラスの事を覚えていたのだ。
 こんな事なら、早く逃げ出しておけば良かった。と、後悔の嵐が吹き荒れる。

「来いよ。此間の続き、邪魔者が入らない場所でしようぜ」

 硬くて太い、男の手が、ダグラスの肩を乱暴に掴む。

「ゃ……いや、だ……っ」

 必死の抵抗も、男の耳は綺麗に聞き流しているだろう。
 でなければ、合意の得られない相手を二度に渡って狙ったりしない筈だ。少なくともダグラスはそう思っている。

「ハハッ。そうやって焦らす作戦か? いいねぇ」

 男は心底愉快そうに言うと、ダグラスを強い力で振り向かせた。

「流石、調教済み。男の趣味をよく分かってやがるな」
「痛っ」

 勢いのまま壁に押し付けられ、肩と背中に痛みが走る。
 ジルは気付かなかったけれど、男が最初に声をかけて来た目的も、ダグラスの躰だった。

「な……なんの話、ですか?」

 飢えた肉食獣のように鋭い視線が、ダグラスの全身を舐め回す。
 どんなに誤魔化しても、男はダグラスが其方側の人間だと、確信しているようだ。

「なんつったかな、あの卒業生。品行方正な優等生で有名だったが、オマエ見たいな奴を“オモチャ”に選ぶあたり、中身は真っ黒だったんだろ?」
「ッ!?」

 衝撃の雷が、ダグラスの全身を駆け巡る。

「ま。そのおかげで、オレは“食べ残し”に有りつけた訳だがなぁ」

 役得だぜ、と男はせせら笑った。ダグラスの怒りにも気付かずに。

「ウィル……っ。ウィリアムは乱暴な事なんてしなかった。貴方みたいに、無理強いした事なんて一度も無かった……!」

 ウィリアムがイメージ通りの好青年では無いと、ダグラスはよく知っている。けれど、赤の他人に名誉を傷付けられて、黙っている事など出来ない。

(だって、本当に優しかったんだ。それだけは、自分でも否定したくない)

 もしもウィリアムがこの場に居たら、苦笑を浮かべるだろうか。
 それとも『仕方のない子だね』と言って、頭の一つでも撫でてくれるだろうか。
 どんなに想像を巡らせても、ウィリアムが暴力を振るう姿はイメージ出来ない。
 心の裏切りは確かに有った。けれど、ダグラスが本気でウィリアムを酷い人間だと感じた事は一度だけ。別れ話を切り出された時だけなのだ。

「へぇ。やっぱり、デキてたのか」

 男の目が半月を描く。不気味なその変化に、ダグラスの背筋は冷や汗を流した。

「クハハッ。鎌をかけて見るもんだな、バカが簡単に釣れた」

 男が両肩を揺らして笑う。

「そっ……んな」

 墓穴を掘ったダグラスは、目の前が暗くなる思いがした。
 感情を爆発させた結果がコレでは、元々気弱なダグラスの勇気は消し飛んだも同じ。男に盾突く気力はもう残っていない。

「で。今の“ご主人サマ”は誰なんだ? あの紳士坊ちゃんか?」

 対して、男の機嫌は良く。ダグラスを見る目は完全に肉食獣のソレだ。

「ちが……うよ。ジル君は……ぼくが、そうだって知らない。他の人も」

 ダグラスは首を横に振った。その弱々しい声音は、自分が敗者で有る、と認めている様なものだろう。

「へぇ。それは好都合」

 男の手が、ダグラスの肩から滑り落ちる。
 けれど安心は出来ない。男はその手をダグラスの背後に回し、恐怖で強張る臀部を鷲掴んだのだ。

「ひっ!?」
「おいおい。もっと色気の有る声で啼けよ。仕込まれてんだろ」
「いや……っ。誰か」

 気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。
 こんな男に好い様にされる位なら、苦手なナメクジを笑顔で触る方が百万倍増しだ。と、ダグラスは本気で思った。
 けれどダグラスの弱い力では、何度押し返しても男の身体はびくともしない。

「助け、て……ぇ」

 涙もポロポロ落ちる。
 思えば、今日のダグラスは泣いてばかりだ。
 悲しみの涙も。
 快楽の涙も。
 嫉妬の涙も。
 恐怖の涙も。
 優しく拭ってくれる相手は、もう居ないと云うのに。

「助けて? ハハッ。もっと揉んでぇ〜。の、間違いだろ」

 男は心底愉快そうに、臀部への圧力をかけた。
 優しさなど。気遣いなど。一切感じられない雑な手付きで、ダグラスの双丘をボトムスの上から撫で回す。

(どうして? 嫌だって、何度も言ってるのに)

 最悪だ。
 どうして自分がこんな目に合うのだ。と、ダグラスは喉を震わせる。

「も、離して……下さい……っ」
「ああ、そうだな。人気のないトコロへ、移動するか」
「違う……。ぼくをもう、解放して。お願い、だから……ぁ」
「ハッ。嫌だね。折角追い込んだ獲物を『はい。そうですか』と簡単に逃がす肉食獣が居ると思ってんのか?」

 鼻で笑う男。
 そして男は臀部を撫で回していた掌を、ダグラスの前へ滑らせた。

「ヤ、嫌だ……ソコは……ン、ッ」

 息が弾む。
 頭は否定を続けているのに、快楽を教え込まれた躰はどうしてこうも刺激に弱いのか。弱火の付いた己の芯を、ダグラスは涙目で恨む。
 恨んでも、ソコが静まる訳ではないのに。

「ほら、お前の雄は正直だぜ。その安い口でもサッサッと認めちまえよ」

 調子に乗った男の指が、毒蜘蛛のように這い回る。

「ヤ、ダ」

 ダグラスの口は短く、変わらぬ答えを押し出した。

「ああん? よく聞こえねーな!」

 男の眉が不機嫌に歪む。
 耳が遠いんですね。と云う嫌味も返せず、ダグラスは弱々しく首を横に振った。
 その時――

「おい。其処で何をしている」

 第三者の声が、男の後方から突如としてかかる。
 逃げ出すチャンスだ。
 ダグラスは動きを止めた男の手を、太腿の間から最後の力を振り絞って退かした。

「エリオット先生……助けて、下さい」

 喉元を噛み付かれた小鹿よりもか弱い声で訴える。
 すると男は弾かれたようにダグラスを睨み、床に投げ出した。

「い……った」

 受け身をとる間もなく、全身に痛みが走る。

「クソッ。邪魔なんだよ、使えねーなら尻振って歩くな!」

 男は汚く吐き捨て、自分に向って来るエリオットを一瞥すると、大股で駆け出した。

「また貴様か、ロイ。反省文だけでは済まさんぞ!」

 固い口調の中に怒気を滲ませる青年の名前はエリオット。教師でありながら寄宿舎に住み、寄宿生の管理も自ら進んで行っている生真面目な青年である。

「君も、詳しい話を聞くからな。後で私の部屋へ来なさい」

 去り際の言葉になんとか頷き、ダグラスは痛む足を弱々しく立たせた。




「――なるほど。理由も分からず襲われ、君はただ怯えていただけだと」
「……は、い」

 エリオットが報告書にペンを走らせる。ダグラスの位置からでは内容まで見えないが、被害者として扱われている筈だ。

「あ、あの……。ぼくにも何か、罰が下るんでしょうか?」

 恐る恐る尋ねる。ダグラスの唇は、小刻みに震えていた。

「いや。安心しなさい。今回、君は完全に被害者だ。上への報告もそうしている」

 エリオットがペンを止め、報告書の内容をダグラスへ見せる。
 確かに、ダグラスの立場が悪くなるような事は何も書かれていない。

「そ、です……よね」

 未だ震える唇で、ダグラスはぎこちない笑みを作った。
 空気が重苦しい。

「気弱だな。大方の原因もコレか」

 エリオットが呟く。その奥に隠れる嫌悪感に、ダグラスは息を呑んだ。

「それにしても穢らわしい。君も災難だったな」

 エリオットが報告書を引込める。
 けれどダグラスを射抜く視線は、そのまま残った。

「い、いえ……。はい」
「君が望むなら、退学の方向で上に報告するが」
「い、いえ。未遂……でしたし、そこまでは」

 先程の事態とは別の恐怖感が、足元から競り上がって来る。
 先程の男――ロイはダグラスの性的指向を知っている。今回は報告されずに済んだが、此方が攻撃に出れば死なば諸共と、暴露されかねない。
 それに――

(この人……反同性愛者だ)

 エリオットの前で安心など出来ない。
 ダグラスの真実が知られれば、エリオットの剣は間違いなく、ダグラスの喉元を掻っ切るだろう。本能が告げる警告音を聞きながら、ダグラスは冷や汗を流した。
 悪夢は未だ、終わっていなかったのだ。


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あきゅろす。
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