ジルとベル―美しい双子が愛した罪―
※双子の休日2
「さあ、目覚めの時間だよ。ベル」
一日の始まりに聞く言葉は、愛しい相手(ひと)のモーニングコール。
それがどれだけ満たされた事か、ベルは誰よりもよく知っている。
「けれど起きると、恋人の時間が終わってしまうよ」
瞼を開ける事無く呟く。
瞼の裏に残る最後の光景は、愛しい相手の健やかな寝顔だ。寝息が聞えても何10分と見詰めていたから、ベルの朝は何時も遅くなってしまう。
「兄弟の時間はそんなに嫌かい?」
人の気配が近付いて来て、ベッドの端が軋む。ベルの愛しい兄が其処に座ったのだ。
その証拠に温かい指先がベルの髪を優しく撫でる。
「嫌ではないけれど。恋の魔力には勝てないよ」
ベルはとうとう観念して瞼を開けた。
自分と同じ顔――魂の片割れが、真摯な瞳で見詰めている。
自然と高鳴る心音にベルは悩ましい吐息を零した。
大好きなジル。
許されるなら、ベルは一日中でも彼への愛歌を歌っていたい。
「今は兄弟のキスしか出来ないもの」
それは小さな嘘だ。ベルは一度だって、ジルへの口付けに恋心を乗せ忘れた事はない。
この世界に産まれ落ちた瞬間から――いや、母の胎内で個別の生命として分離した瞬間から。ずっと、ずっとだ。
「それには同意する。が、朝と昼を越えないと甘い夜は訪れない。ベルは賢い子だから分かるだろう?」
ジルの指先がベルの頬まで滑り、掌全体で包み込む。
温かい。
兄の言い分を乗せる唇とは裏腹に、ジルの体温はベルの心音をドキドキと高める。
「狡いな……兄さんは」
ベルが観念して起き上がると、ジルの掌がスルリと落ちた。
その動きを目で追ってしまうのは、最早ベルの習慣だ。ジルもそれを知っていて、口角を上げる。
「ベルがこれ以上可愛い事を言うと、俺の理性が壊れてしまうからな」
「壊れてくれても良いのに」
ベルはそう言って、ベッドを降りた。ジルの頬へおはようのキスをサッと贈る。
「僕の理性だって。ジルの前では崩れ易い砂の壁だよ」
一瞬の触れ合いは余計愛おしく、ベルはそのままジルの身体を抱き締めた。肩口に顔を埋める。
ジルは未だベッドに座ったままだ。このまま体重をかけて押し倒したら、彼はどんな反応を示すだろうか。と、悪戯心が芽生える。
「それに今日は休日じゃないか」
「だから、兄弟も休みたい、と?」
「うん。ジルと一日中“恋人”でいたいな」
ベルは甘えた声を分かり易く作り、ジルの膝に腰を下ろした。大股開きでジルの胴を左右から挟み込む。
コレでジルも簡単には逃げ出せないだろう、と計画の成功を心の中で喜ぶ。
「駄目だ」
ジルの両手がベルの腰をスルリと撫で、背中を抱き締める。
真面目な言葉とは裏腹の行動に、ベルは焦れた。唇を「むー」と尖らせる。
何時も以上のポーカーフェースを崩したくて仕方ない。
「今日は荷造りをすると、決めていただろう」
「そうだけど」
頭では分かっていても、今は微睡の中で戯れていたいのだ。
本当に兄弟が、血の繋がりが、休める訳が無いのだから。
「夏季休暇に入れば、それこそ何日だって二人っきりの時間を過せる」
ジルはそう言って、ベルの頬に唇を寄せた。
チュッ。と音を立て、おはようのキスをゆっくり離す。
「待ち遠しい。ベルの唇を自由に奪える日々が」
独り言の様に囁く。ジルの吐息が頬の表面を駆け抜ける。
「ん……っ」
ザワザワとした独特の感覚が躰の奥まで浸透して、ベルは身を捩った。昨夜の熱が浮上しそうになる。
「僕……も」
頬が暑い。脳も甘く痺れて、声が擦れる。
ジルの唇へ這わせた視線が逸らせられない。
成長期の少年らしい張りの有る薄皮をなぞり、食べ頃の赤ラズベリーよりも美味な果肉を暴いて、思うさま味わいたい。
それはジルがベルに教えた欲望だ。
他の誰も、絶対唯一の神さえも、この想いに別の色を加えられない。
「ジルの唇を奪いたい」
本能に突き動かされたベルの唇が艶めかしく動き、ジルのソレをそっと塞ぐ。
そして離す瞬間、赤い舌先でジルの唇を名残惜しく舐めた。
「ベル……っ」
ジルが息を呑み込む。その頬もベルと同様に赤く染まっている。
そしてジルは今、眼鏡を掛けていない。それは『他人が双子を見分ける為のツール』が必要ないからだ。
世界から切り取られた様に、お互いの存在しか瞳に映していないからだ。
二人しか――自分と愛し合う相手しか居ないのなら、愛しさを封印する必要は何処に有るのだろうか。
「ねぇ、ジルもオマケして」
ベルは首筋に回していた右手を前へ滑らせ、ジルの頬を掌全体で包み込んだ。
「オマケ? なんのだ」
ジルが小首を傾げる。
けれど雄の炎が宿り始めた瞳はベルを捉えて離さない。真面目な兄の顔も鳴りを潜めていた。
「おはようのキスを。もう一度して欲しいな」
誘うように瞼を瞑る。すると、ベルの視界は夜闇の続きを映し出した。愛しい相手(ジル)と恋人でいられる。短い夢の時間を。
けれど窓の外から聞える自然の音色は毎夜コンサートを開催する虫の羽音ではなく、朝の訪れを喜ぶ小鳥の囀りだ。
誤魔化すには無理が有る。
だからジルの行動は全てを理解した上で、ベルの誘惑を受け入れた証に成るのだ。
「分った。いいよ。ただし――」
ジルの悩ましい吐息がベルの唇を撫ぜ、愛しい熱量が近付く。
「途中で『やめて』は無しだぞ」
待ち遠しい感触がベルの唇に優しく触れる。
「ん、」
柔らかい。
ベルは逸る気持ちのまま、自ら唇を開いた。ジルの舌が間を置かず差し込まれる。
情熱的なダンスを踊る様にお互いの舌を絡ませ、口内に滴る蜜を啜り合う。
「ふっ……ァ、ンゥン……」
淫靡な熱に濡れる吐息は甘く。ついつい“その先”を期待してしまう。
とても否定の言葉など、行為を妨げる雑音など、口に出来る筈がない。
ベルは短い息継ぎの合間に瞼を開いた。すると、同じタイミングでジルの瞳が現れる。
何方の目尻も涙に濡れそぼり、上着に隠れた胸板が荒い呼吸に上下していた。
爽やかな朝の風景に似つかわしくない、とてもエロティックな姿だ。
もしも誰かに盗み見られていたら、一ミリだとて双子の秘密を誤魔化せないだろう。
そして午後。
「ほら見て、兄さん。昔のコートがヒョッコリ出て来た」
ベルはウォークインクローゼットの奥から発掘した冬用のコートを己の身に宛がった。
二年前までは難なく着れていたのに、現在では完全に寸足らずだ。手の甲までスッポリ収めていた袖口が手首の上までしか届いていない。そしてそれは、ベルの成長の証でも有る。
懐かしさと共に、記憶も色々と甦って来た。
このコートもジルとお揃いで仕立てたものだから、同じデザインのコートがジル用のウォークインクローゼットにも眠っている筈だ。
そう思うと、ベルの頬は自然と綻ぶ。
「……」
けれどジルは視線をくれるだけ。自分の洋服をトランクケースに無言でテキパキと詰めて行く。
荷造りの手が止まっているのはベルだけだ。
「どうしたの? 急にご機嫌斜めだね」
真一文字に引き結んだ口許に問い掛けてみる。すると、ジルの唇は不満そうにへの字を作った。
表情は変化したけれど、ベルの望みはジルの楽しそうな笑顔だ。つい6時間ほど前までは何処も彼処もトロトロに蕩けていたのに。実に惜しい。
「……呼び方」
ジルがボソリと呟く。機嫌が悪いと云うよりは不貞腐れた感じで。
「え?」
ベルは小首を傾げ、ジルとの距離を詰めた。
よく聞こえなかったのと、ジルの心根が知りたかったからだ。
「兄弟を休みたいと言ったのは、ベルだろう」
ジルが観念したように荷造りの手を止める。と云っても、もう殆どの洋服が詰め込み済みだが。
「もしかして僕が、『兄さん』って呼んだから?」
「……」
ジルの視線がツイッと逸れる。
そうなのだ。ベルは朝の一件が終わって以来、ジルの呼び方を兄弟のソレに戻していた。朝食の席でも、溜まった洗濯物を洗い場まで持って行く道すがらでも帰りの雑談中でも。
ベルの『兄さん』呼びは恋人と兄弟の線引きを明確にする為のものなので、現時点で二人の関係は『純粋な双子の兄弟』と云える。
無論、ふと瞬間に高鳴る心音は誤魔化せないけれど。
「そっか。嬉しいな」
「喜ぶな。自分で自分が恥ずかしくなる」
その証拠に、ジルの耳先が朱に染まる。ベルは素直に『可愛いな』と思った。
「それじゃあ、僕の大好きなジル」
ベルはジルの前へ回り込み、彼が逸らした視線を自分へ向け直した。蕩けた声で“愛しい恋人”の羞恥を煽る。
「恋人のキスを、この唇に贈っても良い?」
言いながらベルはジルへ右手を伸ばした。一指しの腹で唇の輪郭をなぞる。
しかし、柔らかな感触を堪能する前にジルの手が動く。ベルの指を絡め取り、元の位置へ戻された。
「ベルが荷造りをきちんと終わらせられたら、な」
「その返しは狡いよ」
ベルが唇を尖らせる。
結局はジルだとて、真面目な兄の顔を完全には忘れられないのだ。
◆◆◆
そしてベルが荷造りを終えた頃、双子は自室を出た。寄宿舎の廊下を並んでポテポテ歩く。時間は短いけれど、夕食前のデートと洒落込んだのだ。
休日の寄宿舎は他人が殆ど残って居らず、双子と擦れ違う人間も居なかった。
エントランスへ着くまでは。
「あ、アランだ」
先に気付いたベルが明るい声を上げる。ジルはその隣で警戒心のシールドを即座に張ったけれど。
「オヤ、お二人サン。お出かけですか?」
アランも双子に気付き、フレンドリーな笑顔を浮かべて近寄って来る。その右手には、一通の手紙が握られていた。
「うん。夕食まで“散歩”でもしようかって。今日は荷造りで部屋に篭っていたから」
ベルが朗らかな口調で『デート』と云う単語を隠す。
「ほうほう。さては思い出に脱線して時間が倍以上かかっていたクチですね」
アランは訝しんだ様子もなく、ベルの前に明るく到着した。
「あはは。分る? 僕って怠け者に見えるのかな」
ベルが見透かされた行動を苦笑しつつ己の右頬を一指し指で掻く。
「いえいえ。味気ない荷造りも楽しく過せるベルの魅力はワタシの関心を捉えて離しませんよ」
「強制的に巻き込まれる兄さんは好い迷惑だろうけど、ね」
言いながら、ベルはジルの顔色を横目で窺った。
「思った事も無い。ベルと過す時間は例え一秒でも有意義なものだ」
ジルは真顔で一歩踏み出すと、堂々と胸を張った。アランへの対抗心が燃えているが故の行動だろう。
ジルは本気で、アランを恋敵(ライバル)だと思い込んでいるから。
(困ったジル。有り得ないのに、そんな事)
ベルは心の中で溜息を吐いた。
恋人の独占欲は嬉しくも有るけれど、それはジルの認識が正しい場合に限る。今回は100%勘違いなのだから、その勘違いをきちんと解かなければ成らない。
何故って、それは――アランがジルの『親友』に、間違いなく成れる人間だからだ。
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