ジルとベル―美しい双子が愛した罪―
期間限定ラヴゲーム2


「ジ、シル……君」

 喉が震える。ダグラスはそれでも、擦れる声を絞り出した。

「ん、何だ?」

 ジルが夢から覚めた様に振り返る。その瞳はもう、甘く蕩けていなかった。
 映す対象がベルからダグラスへ変わった。それだけの“些細な変化”で、彼の世界は色を変えたのだ。

「あの、……そろそろ授業が」

 始まるよ。
 ダグラスがそう言う前に、ベルの口が開く。

「あ、予鈴が鳴ってる! ダグラス君ありがとう、教えてくれて」

 ベルは早口に感謝を伝えると、ジルの腕を掴んだ。教室へ戻ろうと急かす。

「いや……別に」

 ツキンとした痛みが、ダグラスの胸を刺す。

(ぼくが教えたかったのは、君じゃない。ジル君だ)

 二人の背中が仲良く駆けて行く。薔薇のアーチが囲む輪郭は宛ら恋人同士の様にも見える。

「……ッ」

 ダグラスは言い知れぬ口惜しさを感じた。瓜二つの背中を、一人に絞って睨み付ける。
 けれどそれが本当にベルの背中だったのか、ダグラスは最後まで自信が持てなかった。

「まっマッテくださーい」

 因みに、後からヘロヘロ追いかけて来るアランの事は綺麗に無視した。

「遅いぞ、気障野郎」

 双子の片割れが振り向く。眼鏡をかけているから、ジルだと分かる。

「夜以外に流す汗は……ハァハァ……ワタシの美学ちがいます」

 肩で息をするアランが必死に返す。
 滑らかな頬は上気し、汗がタラタラ流れている。それが夜の表情(かお)だと云うなら、アランは確かに色男だ。
 ダグラスの“趣味”からは外れているけれど。好む者は多いだろう。

「ガンバレ!」

 ベルが右手を振ってエールを送る。
 双子はもう、昇降口まで着いていた。サッサッと先へ行っても構わないのに、二人は並んで友人達の到着を待っている。
 ダグラスは走るスピードを上げた。髪に残っていた薔薇の香りが風に攫われて、遠い空の先へ消えて行く。
 昇降口へ着いた時、息がハァハァと上がっていた。億劫な疲労が両足に絡み付く。

「オ二人とも早いですねー」

 アランも数秒遅れて到着した。脱力したまま双子へ話し掛ける。

「紳士たるもの文武両道を心掛けている」

 ジルは真顔で胸を張った。

「僕は兄さんの“冒険ゴッコ”に付き合っている内に、自然と」

 ベルの頬が綻ぶ。
 合流した四人は廊下を足早に歩み始めた。

「冒険ゴッコって……。何時の話だ、ベル」
「ん〜? 10年くらい前かな。兄さん、大人しそうな顔して“やんちゃ”だったよね」
「子供の頃だろう。今は紳士の嗜み、乗馬を嗜んでいる。後、行動力が有ると言え」
「うん。兄さんの乗馬姿、王子サマみたいで格好良いよ」

 ベルが屈託ない笑顔で言い放つ。

「ッ」

 途端、ジルの喉が詰った。視線も明後日の方向へ逃げる。
 実の弟に対して、そんなに照れるものだろうか。と、ダグラスは微かな疑問を感じた。

「白馬ですか?」

 アランがからかい交じりに聞く。消費した体力は順調に回復した様だ。

「ううん。毛色は黒だよ」

 ベルが首を横に振る。

「顔はキリッとして端整だけど、性格は人懐っこくて可愛い子なんだ。兄さんとお似合いでしょう?」

 朗らかに、けれど確かな自慢が交ざる。

「それは見て見ないと分りませんね。だからワタシの事、誘ってください」

 アランがジルを見て、ニマリと笑む。

「断る」

 ジルは頬の朱色を即座に消した。

「馬は繊細な動物だ。見慣れない人間が来ると興奮する」

 分り易い言い訳。目に見えないシールドがジルの前に聳え立つ。

「ワタシも繊細な人間ですよ。お似合いですね〜」

 アランの笑みが深まる。ジルの威嚇など、まるで意に介していない。

「ごめんね、アラン。兄さんが困った人で」
「いえいえ。意識されている証拠を感じて、ワクワクしていますよ」
「そうだね。後一押し!」

 ベルが胸の前で両手を握り締める。アランも「オー」と、同意を返した。
 そうこうしている内に教室へ到着して、四人は順番にドアを潜った。クラスメイトは殆ど自分の席に着いていたが、教師は未だ顔を出していない。

(間にあった)

 ホッと胸を撫で下ろすダグラス。自分の席へ静かに座る。
 その横を、アランとベルが会話しながら通り抜けた。ジルだけが一旦止まる。

「え?」

 ダグラスは微かな期待を込めてジルを見上げた。目が合う。
 ジルが腕を伸ばし、長い指先がダグラスの髪に触れる。
 擽ったいと感じたのは一瞬で、ジルは直ぐに腕を引っ込めた。

「取れた」

 黄色い薔薇の花弁が一枚。ジルの人差し指と親指に摘ままれている。ローズガーデンで知らぬ間に付いていたものだろう。

「あ、ありが」

 ダグラスは慌ててお礼を伝えようとした。
 けれどジルの雰囲気がそれを制する。

「いや。大した事じゃない」

 たまたま気付いただけだ、と。ジルは簡潔に付け加えた。

「でも……」

 ダグラスの瞳はジルの右手に縫い付けられる。
 黄色の花弁。黄色の思い出。
 それは酷くて美しい、もういない青年が好んだ色。
 懐かしき残像がジルと重なって見える。




 ◆◆◆



 ウィル――ウィリアム。
 完璧な美貌と人格を合わせ持った、二歳年上の先輩。
 それはダグラスが初めて付き合った『同性の恋人』だった。
 一年という短い期間の、禁断の恋人。
 初恋ではなかったけれど大好きな人で。ダグラスの心臓は現在でも、彼を思い出す度に悲鳴を上げてしまう。
 嫌って別れた訳ではない。卒業という壁が二人を引き裂いたのだ。
 ただダグラスは別れを悲しみ、ウィリアムは当たり前の現実として受け入れた。
 卒業式の前日に突き付けられた言葉を、ダグラスは現在でも忘れられない。

『禁断の恋が楽しめるのは学生の内だけ。別れたくないと云うキミの気持は嬉しいけれど、明日限りで終わりにしなければ』

 淡々と淀みなく、ウィリアムはいとも容易くダグラスを手離した。
 何の事はない。ウィリアムは最初から、ダグラスの事を期間限定のお人形さんとしか見ていなかったのだ。
 ただ適当に遊べる、大人しくて口の堅い相手。ウィリアムがダグラスを選んだ理由はそれだけだった。
 酷い人。自分は最後まで正しいと思っていた、酷い人。
 けれどもう、全てが冷たい夜の過去。
 心の籠っていない愛の言葉も、上っ面の優しさも、ダグラスの許へは戻らない。

「ウィル……ウィリアム……」

 悲しみの涙を幾ら流しても無意味だ。
 けれどダグラスは毎夜、不毛な行為を繰り返さずにいられない。
 黄色の花弁に鼻先を押し付けて、微かな残り香を肺一杯に吸い込んだ。
 夜の帳が下りた室内は薄暗く、厚いカーテンは夜の光を一筋も通さない。

「あ、ン……アァ」

 淫靡な熱が躰の奥で生まれる。ダグラスは発達途上の肉体に相応しくない自身に指を絡ませた。

「ンン……ゃ、んっ……」

 邪魔な下着を空いている方の手でずらし、足から引き抜く。その間も、張り詰める芯への刺激を忘れない。
 掌全体で包み、上下に擦る。先端から蜜がプクプク溢れて来て、滑りが好くなる。

「はっン、アアン」

 甘い啼き声が抑えられない。
 右手は厭らしい芯を弄ったまま、左手を上半身へ忍ばせた。汗ばむ肌を滑り、敏感な粒を探し出す。

「乳く……持ち……い、いン」

 人差し指と親指で摘まみ上げ、クニクニ弄る。熟れた粒はピンと立ち上がり、寝間着との接触にも快楽の電流を流した。
 幸い、ダグラスは一人部屋。淫らな行為も人目を気にする事なく行える。それが本当に幸か不幸かは別にして。

「もう、アンンン!」

 白濁の欲望を思いっきりぶちまける。
 けれど快楽に慣れた躰は一度の絶頂で満足しない。

「ハァハァ」

 ダグラスは寝間着のボタンに手を掛けた。密に濡れた右手がシルク生地にシミを作ったが、構っていられない。手早く脱ぎ去り、ベッドの下へ無造作に落とす。
 そして俟ちきれない蕾へ、指先を這わせた。人差し指の腹で軽くマッサージする。蜜で濡れそぼった指はヌルヌルとよく滑り、蕾の開花を難なく促す。

「ああっンンッ」

 一本、二本、三本、と。指の数が無意識に増える。
 内部でバラバラに動かして、好い部分を自分で探った。

『秘部を自ら解かすなんて。キミは本当に厭らしい子だね』

 耳元で囁かれたように、艶っぽい男の声が鮮明に甦る。
 ダグラスは瞼をギュッと瞑った。懐かしい残像が脳裏に浮かぶ。

「だって……ウィルがシてくれない、から……アア!」

 探り当てたシコリを何度も刺激する。芯も再び熱を持ち始め、物欲しそうにピクピクと震えた。
 ダグラスに快楽の全てを教えたのはウィリアムだ。その楔はきつく喰い込み、魂と肉体を縛り続ける。

「指だけじゃ足りない……ンン……。おねがっ……ウィルの――が、欲し……い」

 熱く猛った雄の欲望が。禁忌の罪で繋がった相手が。もう一度欲しい。
 けれど夜にだけ許された名前を何度呼び、涙を流して懇願しても、熱は虚しく留まるだけ。ダグラスの願いは人間を堕落させる悪魔さえ、叶えてくれない。

『駄目。今夜はあげない』

 もう、永遠にあげない。愛さない。
 ウィリアムの笑顔が冷たく凍り、ダグラスを無慈悲に突き放す。勝手に造った想像の中でさえ、ウィリアムは優しく抱いてくれない。

「あああぁあん!」

 それでも芯は限界を訴え、欲望を吐き出す。
 浅ましい蕾が食い千切らんばかりに指を締め付け、蕩けた躰に痛みを走らせる。けれど欲に溺れた脳はソレさえも甘い疼きに変えた。

「ハァハァ……ぼく」

 指を引き抜き、呼吸を整える。
 ダグラスの全身は汗と涙と体液でベタベタに成っていた。
 頭がボゥとする。爪の先まで億劫だ。
 ダグラスは跳ねた心音が落ち着くまで仰向けに寝っ転がった。
 夜の静寂が覆い尽くす天井が見える。

(そう云えば)

 ウィリアムが居た頃は行為後に汚れた躰を拭いてくれたな、とボンヤリ思い出す。
 優しい手付きで、優しい眼差しで。薄雲の本心を覆い隠して。

「……ジル君……」

 ダグラスは力なく首を横に倒した。
 クシャクシャに丸まった薔薇の花弁がベッドの端に見える。無意識の内に押し潰して、其処へ追いやってしまったのだ。
 訝しむジルを誤魔化してまで手に入れたのに、結局は一晩経たずにゴミ状態か。ダグラスは急に、自分の行為が恥ずかしくなってきた。

「ごめん、ね」

 幼い瞳が涙で溢れる。
 それでも、ダグラスはウィリアムの影を完全に振り払えなかった。

「君を綺麗で純粋な心体(からだ)のまま、好きになりたかったのに……」

 その願い(恋心)も、永遠に叶わない。



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