ジルとベル―美しい双子が愛した罪―
一つのアイと百のウソ2


「アッハハハ」
「笑うな」
「兄さんこそ、喧嘩腰で挑むの止めなよ」

 ベルが注意の言葉と共に肩を竦める。それに又、アランはクスリと笑んだ。

「アランと友達になって、随分経つのに。何時になったら和やかな挨拶が出来る様になるんだろうね?」
「意見が合わないな、ベル。俺にはポッと出のヘラヘラ野郎にしか見えないが」
「もう、本物の紳士はそんな心の狭い事言わないよ」
「……ッ。卑怯だぞ、ベル。俺の前に『紳士』を持ち出すとは」

 ジルの表情が固まり、喉が詰まる。大真面目な本人には悪いが、ベルとアランは吹き出しそうな笑い声を同時に抑えた。

「いっ良いですよ、ベル。このオ兄サンが完璧な紳士を演じられたら、こんなに笑えませんから……クフフ」

 ああ、駄目だ。
 口を押えても腹を押さえても、笑いのツボが刺激される。
 アランは遠慮する事無く吹き出して、同じ状況のベルと目を合わせた。

「うん。でも、ごめんね。……ふふ」
「ベルまで何だ。俺は面白い事なんて一言も言っていないぞ」
「残念。そう思っているのは兄さんだけだよ。ねー、アラン」

 ベルが可愛らしく同意を求めるので、アランも同じベクトルで頷く。

「ねー。ベル」

 アランはベルもジルも、同様に気に入っている。
 特に素直で人当たりの良いベルは本物の友人だと思っているし、彼の様な弟のいるジルが羨ましくもあった。何せ、アラン側の兄弟仲は色々と問題が有るから。
 そしてアランが故郷を離れた理由もソレ。早い話、兄の恋人に懸想してしまったが故、兄に実家を追い出されたのだ。
 何て在り来りな理由。と、他人は思うだろう。
 けれどアラン兄弟の問題はソレだけで終わらない。
 兄の恋人(その名前をリゼットと云うのだが)は、元々アランの婚約者として親同士が決めた相手だったのだ。しかもアランの兄は既婚者で、リゼットと出会った時には子供も既にいた。所謂不倫愛と云うやつだ。
 けれど夫婦仲はアランの眼から見ても冷え切っていたので、兄嫁からの文句は聞こえて来ない。歪んだ関係の中で、邪魔者扱いされたのは子供で力の無いアランの方だった。
 理不尽な世の常を恨んで一晩限りの女性と『偽りのアイ』を分け合った事も何度か有るけれど、ソレはアランを家から追い出す材料にしか成らなかった。
 そんなアランから最初に出たモノは涙ではなく笑い声で、自分の境遇が一周回って面白く成ったのだ。
 独りっきりの部屋で笑って笑って。
 冷たく響く自分の笑い声に腹を抱えた。
 そして一晩が過ぎた頃、道化を演じようと思った。兄の望む、軽薄で遊び人な、リゼットの好まない男を演じようと決めた。
 だから、アランは『今の自分』を気に入っている。点数を付けるなら100点満点だ。

「で、アランはどうしたの?」

 ベルの視線がアランの右手、正確に言えば彼の持つ手紙へ注がれる。
 気になるな。でも、言い辛い事情が有るなら、誤魔化しても良いよ。
 そんな心の声が聞こえて来る様だ。

「アハッ。実はですねー。愛しのフィアンセへラブレターを綴ったので、ソレを出しに来たのですよ」

 アランは明るい笑顔のまま、事実を告げた。

「は?」

 ジルの眼が疑問符一杯に見開く。

「そっか。アランの心はその人のものなんだね」
「んー。ソレを認めると、色男のランクが下がりませんかね?」
「大丈夫、大丈夫。一途な人って素敵だよ」
「ほうほう。ベルのタイプは一途な人と。忘れずにメモしておきましょう」
「ちょ、待て」

 朗らかな雰囲気に割り込むジルの声。
 アランとベルは同時にジルを見た。

「居るのか、フィアンセ」
「ええ。いますが? ハッ! もしかしてオ兄サン、ワタシのフィアンセに嫉妬を?」
「違う」

 強く否定するジル。まぁ、アランとしても本気でそう思っていないので、おどけた態度を続けた。

「いやー。モテる男は辛いですね」

 前髪をフサァと掻き上げる。アランの周りには自信に満ちた薔薇の花が舞う。

「あはは」
「ベルも笑っていないで、何か言ってやれ」
「うん。これで兄さんの誤解も解けたね。良かった良かった」
「俺にじゃない」
「ほう。オ兄サンは何の誤解をしていたのですか?」

 双子の会話が気になったアランは遠慮なしに聞いてみた。

「別に。何でもない」

 ジルがフイッと顔を背ける。その顔を見て、ベルの瞳が和らぐ。
 どうやらこの話は双子の秘密らしい。
 気にはなるが、アランは深く追求しない事にした。

「それより、ベルは知っていたのか?」

 ジルが話題を元に戻そうと、咳払いを一度する。

「アランのフィアンセ? ううん。今初めて知ったよ」
「ワタシも今初めて言いましたよ」

 はーい。と、明るく右手を上げる。
 機会が無かった事も有るけれど、やはり誰彼かまわず言い触らせる話題でもない。アランが今回口を開いたのは彼等を信頼しているからだ。

「ねー。アラン」
「ねー。ベル」

 二人の声が重なる。それに又、仲間外れ状態のジルは複雑な顔をした。
 俺のベルと仲良くハモりやがってこの野郎。
 そんな気配を感じる。何となく。

「ねぇ、ジル兄さん」

 ベルがジルの顔を楽しそうに覗き込む。

「ん、何だ?」
「僕も兄さんに手紙を書いたら、読んでくれる?」
「ッ……。何を言っているんだ、ベル。お前からの手紙を喜んで読まない人間なんてこの世界に居ないだろう!」

 力説。
 ジルは一気に捲し立て、ベルの瞳を見詰めた。その姿は仲の良い双子と云うより、永遠の愛を誓った恋人同士に見える。

「そして俺はダイヤの指輪より、ベルからの手紙を宝石箱へ仕舞おう。勿論、一番の宝物はベル自身だがな」

 照れなく言い切り、砂糖菓子よりも甘く微笑むジル。その途端、ベルの頬も嬉しそうに綻ぶ。
 どうやら、今度の仲間外れはアランらしい。

「さーて、お邪魔虫は退散しましょうかね」

 お熱い雰囲気に当てられました。と、暗に伝えて、アランは双子に背を向けた。
 何の道ポストは学園の敷地外に有るので、町まで出る積りだったのだ。

「あ、待って」

 ベルの声がアランの足を引き止める。
 アランは「何ですか?」と振り向き、微風に揺れる前髪を右手で押さえた。

「夕食。今日も一緒に食べれる?」
「ええ。手紙を出す以外の要件は有りませんから。デザートまでご一緒出来ますよ」
「むしろお前の楽しみはデザートにしか無いだろう」
「おお。鋭いですね、オ兄サン」

 アランは未だ、イギリス料理に成れていない。それに引き替えデザートは本当に本当に美味だから、優秀なパティシエの腕には心の底から感謝している。百万本の薔薇の花束を贈りたい位に。

「友人の好みくらい、見ていれば分かる」

 ジルがサラリと告げる。

「あ、認めたね」
「駄目ですよ、ベル。オ兄サン自身が気付いていない内に胸の奥に仕舞っておかないと」

 アランはこれ見よがしに声を潜め、ベルと頷き合った。

「生憎だが、もう気付いた」
「で、今のは兄さんの本心だと思って良いのかな?」
「口が滑った。と、思ってくれ」
「ハハハ。では、そういう事にしておきましょう。まったく、へそ曲がりな“友人”を持つと面白いですわね」
「お前の口調程じゃない」
「まぁ、失礼しちゃうわー」

 ワザと口調を変える。と、ジルの口がへの字に曲がった。

(ホント。見ていて飽きないな。この二人)

 頬が自然と緩む。と同時に、彼等と真実の愛を語れる相手は幸運だろうな、と思った。
 ただ気軽に、禁断の愛には気付かずに。

「二人にはいないんですか? フィアンセ」

 質問をした。

「……いない。いてたまるか」

 ジルの声が空気に重く沈む。

「僕も、そう云う話は来て欲しくないかな」

 ベルの表情にも影が差し、声が小刻みに震えた。
 もしも話で有っても『他人との将来』を想像したくない。そんな思いがジルとベル、双方から感じられる。
 そして仲の良すぎる双子の姿に、アランは微かな疑問を感じた。
 二人とも何時かは結婚するだろうし。愛する女性も見付けるだろう。けれどお互いの幸福を誰よりも喜びそうな双子はソレから全力で目を逸らす。
 まるで、地獄への片道切符を渡された罪人のように。

「僕達、変わってるから。この意見は今後も変わらないよ」

 だから、この話題は今後出さないで。と、ハッキリ伝えるベルの瞳。
 嗚呼。たった一つの愛を知っている――覚悟を決めている瞳の色だ。
 アランの脳裏にふと、リゼットの顔が浮かぶ。

『貴方は私を酷い女だとお思いでしょう。けれど私は、貴方に幾ら罵られても――世界中の人間に石を投げられても、この愛だけは捨てる気が無いの。だから貴方も、自分だけの愛を見付けてちょうだいね』

 可憐な唇が紡ぐ言葉は花の様に柔らかく、アランの心を残酷に抉った。
 恋の甘さを一滴も与えない相手を、アランは今でも想っている。誰にも望まれず、否定されても。リゼットはアランが流す涙を一粒も知らないのに。

「アナタを慕う誰かが、その愛の陰で大粒の涙を流したとしても……?」

 背後からの突風がアランの口を軽くする。
 こんな愚痴、ジルとベルには何の関係も無いのに。寄り添い合う彼等の姿が、兄・ジョゼフとリゼットの影を思い起こすのだ。

「それは、天秤にかける事なのか?」

 ジルの真っ直ぐな瞳がアランの胸を射抜く。

「自分の一番大切な相手が決まっているのに、第三者(たにん)の意見を通す方が可笑しいだろう。例えそれが、神の教えに背く愛だとしても」

 とても強く。強固な意志は、アランの疑問など疾っくに超えている。
 嗚呼。どうして。自分の周りには、この種の人間が多いのだろう。
 世界中の誰からも祝福される愛を選べない。たった一つの許されざる愛の為に、その他全てを捨てても惜しくないと言い切れる人間が。
 それはとても生き辛い、茨の幸福なのに。



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