僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする2


「え?」

 思わず燕は主を凝視する。
 知り合いだから、皇慈は見舞いの品を用意したのではないのか。

「あの子は昔からそうだ。困っている人間に、無償で手を差し伸べる」

 例えそれが全く知らない赤の他人でも。
 主はそう言って、短い溜息をハァと吐き出す。

「今日の治療費も皇慈の支払いだ。勿論母親は、皇慈の身内でも何でもない」

 病魔に犯された息子と、経営状態の悪いブティック。二つの不幸が重なり、女主人は頭を悩ませていた。
 そしてその悩みを、町の権力者――皇慈に涙ながらに語ったのだ。金銭の工面を求める為に。

「人助けは素晴らしい事だ。しかし、皇慈は少し度が過ぎる」
「それは……」

 何か意見を返したい。けれど出会って数十分の燕に皇慈の代弁など出来る筈もない。
 平熱に戻った男の子の顔色を確認して、ブティックを後にした。




(でもそれで、男の子は元気になったじゃないか)

 天上まで繋がっていそうな、長い坂道を再び駆け上がる。
 太陽はすっかり世界から隠れてしまって、オレンジのように真ん丸い月が天空の主役に変わっていた。

「やあ、お帰り。……は、少し可笑しいかな?」
「そうですね。初めて来た場所でその台詞は違和感がある」

 今度は洋館まで辿り着き、道の小脇にランドナーを留める。すると燕が呼び鈴を押す前に、皇慈が現れた。

「ふふ。君は意外に口が立つな」

 口許を右手で隠し、皇慈が上品に微笑む。月光の下で花咲く美貌は月下美人にも負けていない。

「さぁ、此処までの道のりは大変だっただろう。細やかだけれど、夕食を用意してある」

 門から玄関までの距離も遠く、燕の空腹は一足事に進んだ。

「そうか。神成先生に会ったのか」
「はい。あっ男の子の顔色もよくなって、お母さんも感謝していました」

 食卓に陶器鍋が置かれる。その蓋を皇慈が開ければ、温かな蒸気がホワホワと広がった。

「それは良かった」

 大きなじゃが芋がゴロリと入ったアイリッシュシチュー。トロトロに煮込まれた夕食が食欲をそそる。
 丘の上の洋館は食堂も広く、まるで遠い異国の貴族が暮らしているようだ。
 実際の居住者は独りで、古い洋館での暮らしは何かと不便そうだけれど。

「ところで燕、君の滞在予定は何時までなのかな」

 皇慈はスープ皿を並べ終えると、正面の席に腰を下ろした。必然的に、燕と目線が重なる。

「それに合わせて、食材を追加しなければ」

 サファイアの瞳が期待に輝く。皇慈は幼い頃に身内を亡くし、誰かとする食事も珍しい事だった。
 けれどフラリと立ち寄った燕が、そんな事情を知っている訳もない。

「いえ。明日には出ますので」
「……そうか。君にも旅の予定が有るものな」

 上品な肩がシュンと落ちる。
 表面的にはアッサリ引いたが、皇慈の落ち込み様は燕にも伝わった。

(なんだが、捨て猫を見捨てた気分だ)

 冷たい段ボールの中で震える子猫の姿が、燕の脳裏を過る。実際そんな経験はないけれど、心の後味が悪い。
 しかし旅の予定が遅れている事も事実だ。

「あの、皇慈さんは迷惑とか感じないんですか?」

 燕は重い口を開き、思い切って問い掛ける。

「ん?」

 小首を傾げる皇慈。意図が伝わっていないようだ。

「突然旅人が訪ねて来たら、普通の人は大なり小なり戸惑ったり渋ったり……でも、皇慈さんはそんな素振り無かった」

 それで助かっている状態では有るが、疑問は残る。
 一晩の宿を求めた燕の頼みを、皇慈はアッサリ受け入れたのだ。それが当然で、当たり前のように。

「君は私の願いも聞いてくれた。悪い人間とは思えない」

 そして皇慈は生まれたばかりの信頼を、素直な音にする。
 彼の行動原理は100%の善意で、「他人の役に立つ事が最大の喜びだ」と上品な微笑まで添えて。

「それとも燕は、羊の皮を被った狼なのかな」
「どうでしょう。人畜無害そうだとは言われますが、貴方の前では豹変するかもしれない」
「ふふ。それは怖い」

 交差する視線。見た目には楽しい雑談。しかし燕のソレは本音だ。

「けれどそうだな。燕になら、私の心臓を捧げてもいいよ」

 爆弾発言が皇慈の唇から投下される。例え冗談でも、その衝撃は絶大だ。

「……ッ、それはどういう」

 芽生えたばかりの恋心が燕の中でザワザワと暴れる。美味しいアイリッシュシチューの味も、一瞬で吹き飛ぶ程だ。

「さぁ、どういう意味だろうね――燕はどの答えが嬉しい?」
「からかわないで、下さい」

 年上の余裕を感じる問い掛けが、燕の心臓を追い込む。頬も、耳も、顔全体が暑い。

「ふふ。初々しくて可愛いな」

 けれど皇慈は燕の正直な欲望を知らないだろう。

(嗚呼、その綺麗で上品な唇を塞いでいまいたい)

 明日には綺麗な旅の思い出に変えなければ成らない感情が騒めく。
 その願望を実行する気はないけれど、燕の視線は皇慈の唇に縫い付けられる。

「本当に燕と話していると、楽しいよ」

 無邪気に、まるで十年来の友のように、嬉しそうな微笑み。
 そこに男女のような駆け引きは無く、皇慈は100%純粋な好意で燕を見詰め続けた。




 ◆◆◆




 そして温かな夕食の時間を堪能した燕は、なんと一番風呂まで拝借させてもらう。
 後で良いと言ったのだが、「私の使いを引き受けてくれた、せめてもの礼だ」と善意100%の笑顔に押し切られたのだ。

「……もしかして僕は、微妙に流されているのか?」

 湯船に身を沈め、旅の疲労を癒す。町を駆けまわり長い坂道を往復した脚はパンパンだ。

「失礼。バスタオルを棚の上に置いておくよ」

 扉を開ける音がカラリと聞こえ、人の気配が脱衣所に入って来る。館の住人は独り。その正体は必然的に皇慈だ。

「あっはい。すみません」

 反射的に湯船から立ち上がる燕。すると水面が波立ち、温かな湯がザパンと音を立てた。
 それが妙に気恥ずかしく、背筋がソワソワと落ち着かない。

「燕の背中を流したい。けれど君は承諾してくれないだろうな」
「もしもその状況を簡単に受け入れる人間がいたら。僕は其方に驚愕の目を向けますね」

 今でも充分、普段泊まる安宿と比べるのも躊躇われる程破格の待遇だ。これ以上の贅沢は燕の心臓に悪い。

(彼をもっと、好きになってしまう)

 人間の思考は複雑なようでいて、単純なものだ。
 恋い慕う相手との別れは辛く、離れ難い。恋の花が咲けば咲く程、皇慈を『思い出』にしたく無くなる。

「ふふ。男同士だからこその羞恥心もあるものな。それでは、失礼」

 再び、扉の音がカラリと響く。皇慈が脱衣所から出て行ったのだ。

「あ、」

 ふと気付けば、燕の右手が扉に向かって伸びていた。無意識の行動をサッサッと引っ込め、風呂から出る。

(僕は……本当に何をやっているんだろう?)

 まるで深層心理が『皇慈と離れたくない』と、訴えているようだ。
 お日様の匂いがするバスタオルで髪の水滴をワシャワシャ拭き取り、頬の熱を意識する。

「ありがとうございます。いいお湯でした」

 そして燕はリビングに立ち寄って、皇慈に礼を述べた。
 蝋燭を模ったウォールランプの光が二人を優しく照らす。

「どういたしまして。さぁ、今日は疲れただろう。部屋に案内するよ」

 クラシカルなカウチソファーからゆるりと起き上がる皇慈。彼は横に成っていたのだ。

「貴方の方が疲れているように見える」
「……少し、燥ぎ過ぎたのかな?」

 皇慈の眉がハの字に曲がる。
 ブランケットを引き寄せる指も白く細く、生気が薄い。

「けれど、燕の顔を見ていると元気になるんだ。不思議だね」

 その言葉が引き金だった。
 燕の中で何かの線がプツリと切れて、代わりに決意のスイッチがカチリと入る。

「この町に……もう一日」

 いや、と。燕は呼吸を整え、皇慈の瞳を真直に見詰めた。

「貴方の、皇慈さんの――場所(ところ)に居てもいいですか?」

 一途なプロポーズを申し込む恋人。或は、永遠の忠誠を誓う騎士のように。
 燕は皇慈の右手を取り、サファイアの瞳に問い掛ける。
 覗き込む形と成ってしまった身長差は少々口惜しいが、仕方ない。同性に恋をしたのだ。そういう例もあるだろう。

「私はその問いに対して、イエス以外を用意出来ない」

 細い指がそれでも力一杯握り返す。それは皇慈の応えだ。

「けれど本当は……ずっと、」

 その先の言葉は飲み込み、皇慈が燕に撓垂れ掛る。
 いいや、違う。自分よりも小さな燕に抱き付いたのだ。二人の体温は重なり、溶け合った鼓動が響く。

「皇慈さん……会ったばかりで、変だと思われるかも知れませんが」
「うん、なに?」
「貴方の事が好きです」

 若しかしたら、雰囲気に流されただけかも知れない。けれど抑えられない感情は、燕の唇からポロリと落ちた。

「私は――愛しているよ。出逢ったばかりなのに、可笑しいね」

 揺らめくランプの光が二つの影を映す。それはやがて重なり、一つになった。
 まるで短い愛の炎を燃やすように。

「最初のキスは唇にしてほしい」



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