僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
また会う日まで 2


 思い出の地を旅立って何日が過ぎただろう。
 丘を超え、町を超え、山を越え、都会のビル群を超え、地球を覆い尽くす真っ青な海も越えて――。
 遂に僕達はナイル川へ着いた。

『おお。此処があの有名な!』

 広大な川の流れが眼前に広がる。僕は両翼を限界まで広げて、感動を表した。
 ナイル川と云えば、古代ローマの美しい少年・アンティノウスが愛する王の為に自らの命を捧げた伝説の場所だ。
 観光気分が盛り上がると同時に、警戒心も強まる。

『僕の大切な皇慈さんは、アンティノウスの二の舞にさせない。絶対に!』

 激しい水飛沫に魂の誓いを叫ぶ。その鳴き声は直ぐに吸収されてしまったけれど、僕の決意に水を指す事は出来なかった。つまりこの勝負は僕の勝ちだ。

『ああ。此処からは安全第一だな』

 皇慈さんが照れながら頷く。

『けれど燕。危険なのはナイル川の氾濫だけではないぞ。ワニやカバ、試練は私達の前に連なっている』

 確かにそうだ。僕は皇慈さんの指摘に緊張感を強めた。
 やっとエジプトまで着いたのに、新婚旅行を楽しむ前にワニのお食事にされてはたまったもんじゃない。

『皇慈さんは、僕が守ります!』

 僕は決意も新たに皇慈さんを真直ぐ見詰めた。澄んだ瞳に映る僕の表情はキリッとして見える。

『では、私は燕を守ろう。お互いを支え合ってこその番――夫婦だものな』

 皇慈さんも真剣に囀る。僕達は力強く頷き合って、夫婦の絆を強めた。
 僕達の愛情は海を渡っても健在。むしろ背中合わせの危機感に、連帯感が強まる。

 それから僕達は川辺を沿って飛び進んだ。
 時折、淀みなく流れる水面が『スー』と開く。現れるのはギョロリと鋭い眼と、岩のように硬い皮膚。そう、獲物を探すワニだ。
 ワニは大きな口をパカッと開き、川魚の大群を水と一緒に丸呑みにした。
 迫力満点の光景が恐怖心を植え付ける。僕達はワニが恐ろしい顔を出す度に「チュババッ!?」と驚き叫んで、高い空まで避難した。
 僕が気付けば皇慈さんに、皇慈さんが気付けば僕に危機を知らせる。

 太陽が沈む頃にはワニのお腹も満腹になったようだ。ギョロリ眼もトロンと、眠たそうに自分の寝床へ帰って行く。
 一安心した僕達は大きな睡蓮の葉に舞い降りた。水面にユラユラと浮かぶ葉はやはり不安定で、足下のバランスを何とか保つ。
 そしてオレンジ色の夕暮れに目を向けた。何処までも続く高く広い空。水鏡の水面も、見渡す限りオレンジ色だ。夕陽を反射して、キラキラ輝いている。

『綺麗ですね』

 僕は皇慈さんに身を寄せて、そっと囀った。

『ああ。まるで一続きの絵画を観ているようだ』

 皇慈さんも僕の身に体重を預ける。僕達は休憩がてら、暫しの美に酔い痴れた。

『おや。ツバメさん』

 のんびりした声が頭上からかかる。僕達は同時に顔を上げた。
 立派なラクダが、船着き場から僕達を覗き込んでいる。フサフサと茂る長い睫毛がとても印象的だ。

『おや。ラクダさんも旅の休憩ですか?』

 エジプトを代表する草食動物へ、フレンドリーに話しかける。
 ラクダさんは僕達をパクリッと食べる肉食動物ではないので、安心しきっていた。

『いや。仕事の休憩だ』

 ラクダさんはそう云うと、長い首を水面へ曲げた。水をゴクゴク飲む。その反動で小波が立ち、僕達の留まる睡蓮の葉がグラリと揺れた。

『わわっ』

 慌ててバランスを取る。僕と皇慈さんは覚束ない足取りで、必死に踏み止まった。下手をすればワニの眠る深い水底へ、ポイッと放り出されてしまう。

『おや。すまないね。キミ達の小ささを忘れていたよ』

 ラクダさんの大きな口が睡蓮の葉をパクリと銜える。
 揺れの治まった葉の上で、僕達はお互いの無事を確かめ合った。ドチラの身にも掠り傷一つ無い。

『まったくですよ。僕の大切で愛しい旦那様がワニの夕食にされたらどうしてくれるんですか!』

 僕は怒りのまま訴えた。全身の羽毛がボボボッと逆立つ。

『燕。そこまでだ』

 皇慈さんが一歩踏み出す。そして右翼をピンと広げて、僕の怒りを制した。

『気持は分かるが、彼に悪気が有った訳ではないだろう。まぁ、燕が水中へ落ちていたら、私も後を追ったけれどな』
『何言ってるんですか。ワニの空腹は僕の身一つで誤魔化してやりますので、皇慈さんはその隙に逃げて下さい』

 頭に血が上る。僕は皇慈さんと向き合って、一気に捲し立てた。

『燕こそ何を言う。私達は永遠の番だと約束しただろう。けれど逆の立場になったら、迷わず逃げてほしい』

 皇慈さんは一歩も引かず。むしろ僕の説得に掛った。

『無理です。僕を誰だと思ってるんですか! 皇慈さんが居なくなったら、僕の世界はそこで終了ですよ』
『それは私も同じだ!』

 皇慈さんが叫ぶ。彼の羽毛もボボボッと逆立った。

『あの、キミ達……?』

 と、ラクダさんがオロオロ問い掛ける。

『何ですか? 僕達は今、犬も食わない夫婦喧嘩中ですよ。邪魔しないでください』

 僕はピシャリと言い放った。
 天志さん(ストッパー役)が近くに居ない僕達を止められる者はいない。初対面のラクダさんなら、尚更だ。

 そして、10分後――

『も〜う。皇慈さん大好き! 今夜は一秒も離しませんよ』

 僕は両翼を広げて、抱き締めるジェスチャーをした。

『燕は気が早いな。まだ宵の明星が輝いたばかりだろう』

 皇慈さんが「チュパッ」と照れる。

『夜には変わりありませんよ』

 僕はトロトロ気分で囀った。無数のハートが舞う。
 ラクダさんの頭上で。

「わぁ、すごい。ツバメさんがお歌を歌っているよ」

 8歳位の男の子がキャッキャッと燥ぐ。
 ラクダさんの仕事は観光案内をしている飼い主の手伝いで、今も一組の母子を背中に乗せていた。ラクダさんには兄弟がいて、其方は父親を乗せている。
 僕達はといえば、そんなラクダさんに『頭に乗って行くかい』と気を使われて、現在の状況に落ち着いていた。

「尾羽が長い方が雄なんだよね。ぼく知ってるよー」

 男の子が自慢げに胸を張る。けれど僕達はドチラも雄だ。

「あら、差は余りないようだけど?」

 男の子のお母さんが不思議そうに小首を傾げる。

「え?」

 男の子は慌てて、僕達を凝視した。
 東洋人らしく黒く大きな瞳が、遠い故郷の風を思い起こさせる。

「キミ達は番じゃないの?」
「チュルルル」

 僕達は雄番ツバメですよ。
 僕は自分達の関係を自慢して、高らかに囀った。

「若しかして、兄弟かしら? とても仲良しだものね」

 一人納得するお母さん。
 僕はぷくー、と頬を膨らませた。怒った訳ではないけれど、訂正の意志を伝える。

「違うみたいだよ」
「そうねぇ。じゃあ、お友達かしら?」
「チュルル」

 今度は皇慈さんが首を横に振る。
 親子は二人揃って特大の疑問符を浮かべた。




『ありがとうございます。ラクダさんのお蔭で安全な道を進めましたよ』

 僕は心からのお礼を囀って、ラクダさんの頭上からピョンと飛び下りた。皇慈さんも後に続く。
 夜の帳もすっかり下りて、ラクダさんの仕事も終了だ。

『いやいや。お礼を言いたいのはコッチも同じだよ。キミ達のお蔭でお客さんが何時もより楽しんでいたからね』
『お役に立てたのなら幸いですが』
『元は私達の夫婦喧嘩が原因。それを考えると、今更ながら恥ずかしいな』
『はっはっはっ』

 ラクダさんが大きな口を開けて笑う。僕達の頬は同時に赤くなった。

 それからラクダさんと別れを告げ合って、僕達は本日の寝床を探した。郊外の町を飛び回る。
 エジプトは砂と歴史の国だと思っていたけれど、中々どうして近代的だ。町の灯りは夜中でも煌々と燈っている。
 人の流れも早い。名物を売る屋台の前には観光客だけでなく、ガラビア(エジプトの民族衣装)を身に纏った地元民の姿が多く見られた。
 活気ある光景は楽しく、僕達は浮かれ気分で囀った。けれど寝床は静かで落ち着ける、安全な場所が理想だ。
 僕達は町を離れて、星屑煌めく夜空へ飛び出した。満月が生み出す月光だけを頼りに、翼を進める。
 吸い込む空気は灼熱の昼間と打って変わって涼しく、その温度差に戸惑う程だった。

『皇慈さん。疲れていませんか?』

 ふと、人間時代を思い出す。
 季節の変わり目や冷え込みの強い日。皇慈さんは必ずと言っていい程体調を崩していた。
 「今日は暖かくて良い天気だな」と、笑顔で言ったその日の夕方――容赦のない北風が冷気を運び、皇慈さんの顔色は一気に曇った。僕の前では「微熱」だと嘯いていたけれど、誤魔化されてやる気は一度もなかった。
 今も眼を凝らして、皇慈さんの隅々を観察する。
 薄闇の中でも分かる飛びっきりの美貌。皇慈さんは羽の先まで麗しい。疲労は今のトコロ見えないが、油断は大敵だ。皇慈さんは辛い時こそ、僕の前で平気ぶる。

『大丈夫だ。ラクダさんのお蔭で体力は未だ残っている。それに、燕を見ていると元気になるんだ』

 皇慈さんが蕩けた笑顔で囀る。途端、僕の素直な心臓はドキンと高鳴った。

『皇慈さん……』

 在りし日の光景が甦る。皇慈さんは初めて会った日も、僕に同じ台詞を言った。
 続く言葉も――

『ふふ。不思議だね』

 懐かしい旋律を奏でる。

『愛の力。だと、僕は思いますよ』

 あの時は言えなかった台詞を、僕は照れ臭く囀った。

『なんだ。私の秘密は、燕に筒抜けだったのか』

 皇慈さんの囀りにも照れ臭さが交ざる。

『全然隠れてませんよ。その秘密』

 嬉しくなった僕は空中でクルリと一回転した。
 すると、反転した視界の端に逆三角形が小さく掠る。

『あ、そうだ』

 僕は名案を思い付いた。
 人間では簡単に入れない、絶好の寝床が有るじゃないか。

『皇慈さん、ピラミッドが見えますよ』

 僕は明るく、砂漠の一点を指し示した。無限の砂が囲み、スフィンクスが護る、四角錐状の巨石建造物(ピラミッド)を。
 永遠の栄華を誇った古代王は、現在もあの中で時の復活を夢見ているのだろうか。僕には眩し過ぎて、想像も出来ない世界だけれども。

『本当だ。こう、神聖なオーラが漂って来るようだな』

 皇慈さんが興奮気味にスピードを上げる。
 目指す場所は確認しなくても分かる。僕も頷いて、両翼を大きく羽撃たかせた。



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あきゅろす。
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