僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
また会う日まで 1/過去拍手文


「チュ〜ルル、ル」

 優雅な囀りが半覚醒の脳に響き渡る。僕は重い瞼をパチリと開けて、周りを見渡した。

(皇慈さんが居ない)

 最初に確認するのは愛しい番の所在。
 けれど皇慈さんは、寝床の何処にも居なかった。
 昨晩までは隣に居たのに、何処に行ったんだろう。僕はしんみりした気分でお休みのキスを思い出した。
 鳥のツバメに生まれ変わった現在でも、愛の証明は心の篭った口付けだ。勿論他のツバメはそんな事をしないから、僕達は変わり者の目で見られている。
 けれど好奇な視線を気にした事はない。それもひっくるめて、僕達は自然を生きる鳥なのだ。それにツバメの知り合いもちゃんと居る。彼等との関係は良好だ。

「チュ〜ルル、ルン」

 囀りが、また聞こえる。
 愛しい愛しい。僕の魂を惹き付けて離さない鳴き声が。
 その瞬間、僕の脳に電流が走った。寝床を一目散に抜け出す。

「チュルルル、ルン」

 金木犀の天辺。オレンジ色の花と深緑色の葉っぱの間から、ピンと伸びる燕尾が見える。僕はパタパタと空を飛んで、其処に到着した。

『どうしました、皇慈さん。お歌の練習ですか?』

 愛しい番の後姿に、恭しく問いかける。

『あ、燕。起こしてしまったか?』

 皇慈さんが振り向く。気恥ずかしそうな囀りが、僕の鼓膜に幸福を届けた。

『素敵なモーニングコールでした』

 惚気ながら皇慈さんとの距離をゼロにする。
 太陽が目覚める直前の空は薄暗く、深い瑠璃色が支配している。朝の訪れを教えるスズメさんも、未だ夢の中だろう。

『お礼はおはようのキスでいいですか?』

 僕はトロトロ囀った。

『ああ、勿論』

 皇慈さんが瞼を閉じる。
 僕は愛しい番に身を寄せて、嘴同士をコツンとくっ付けた。恋の花が満開に咲き誇る。

『おはよう。私の愛しい燕』
『おはようございます。僕の愛する皇慈さん』

 同時に嘴を離して、ふふと微笑み合う。

『で。僕に隠れて何をしていたんですか? 皇慈さんの美声に他の鳥が恋心を抱いたら困りますよ』

 冗談の奥に本音を隠して、僕は皇慈さんの顔を真直ぐ見詰めた。大きくクリッとした瞳に僕の顔が映る。そこに人間時代の面影はない。
 サファイアの空を映す皇慈さんの瞳は黒く。僕の顔も完全な鳥のツバメだ。変わらないモノは純粋な魂とお互いへの冷めない愛情だけ。後は嘗ての友人達と、現在も付き合いが有る事くらいか。

『ん、実はな。私もインコや九官鳥の様に人間の言葉が喋れるように成らないかと、囀り方を研究していたんだ』

 皇慈さんは嬉しそうに打ち明けた。

『皇慈さんは僕の予想を軽々と飛び越えますね』

 現在でも『普通のツバメらしくない』と、散々言われている状況で。皇慈さんは尚も限界を目指すのか。
 僕は何だか雄としての向上心が負けた気がした。

『やはり夢見がちだと思うか? ……鳥のツバメには不要の能力だものな』

 皇慈さんの頭がシュンと沈む。

『そんな。僕が皇慈さんの魅力を否定する訳ないじゃないですか!』

 僕は慌てて言葉を足した。無論、偽りの無い本心だ。

『燕……!』

 皇慈さんが弾かれたように顔を上げる。その瞳は涙で潤んでいた。
 ハンカチを差し出したいトコロだけれど、何せ今の持ち物はこの身一つ。僕は右翼を広げ、羽の先で皇慈さんの頬を撫でた。優しく優しく。世界で唯一つの愛を伝える。

『それにもう直ぐ“新婚旅行”ですもんね』

 僕は『分りますよ』と、皇慈さんに微笑んだ。
 今は秋。嘗ての末弟の結婚式も見届けて、僕達は南へ渡る準備を進めていた。他のツバメ仲間はもう出発しているから、僕達の旅立ちは平均よりも遅めだ。
 けれど僕達が出逢って恋して愛し合ったこの土地は思い出が沢山詰まっている。離れ難い気持ちも幾分か有った。

『僕も一緒に練習して良いですか』

 人間の耳で聞けば大差の無い囀りだろうけれど。僕は皇慈さんの努力を尊いモノだと思った。美しく素敵な魂の持主だと、改めて実感した。

『ああ、勿論。燕となら何事も上達しそうだ』

 皇慈さんが快く頷く。その囀りはトロトロに蕩けていた。

『愛の力で、ですね』

 嬉しくなった僕の頬も、ふにゃ〜と緩む。二羽の周りに無数のハートが乱舞した事は云うまでもない。




 光の筋が地平線をなぞり、眩しい太陽が目を覚ます。
 僕達は寝床を抜け出し、自分達の墓標を瞼の裏に刻んだ。備えられた花束は天志さん達と、嘗ての家族が結婚式後に立ち寄ってくれた証拠だ。
 涼しい秋風が金木犀と花束を緩やかに揺らし、甘い香りを鼻孔に届ける。
 僕と皇慈さんは深呼吸を大きく二度繰返した。旅立ちの決意を同時に固める。

「ピチュピチュ」
「チュルル」

 さぁ、行こう。
 蒼く澄んだ大空へ、両翼を広げて飛び立つ。
 色ずく街路樹のイチョウが、田園に実った稲穂が、町全体を黄金色に染めている。秋の美しい色合いに、最後の紅葉気分を共に味わった。
 暫く飛んでいると、教会の屋根が見えて来た。朝日を浴びて輝く十字架がとても神秘的に見える。
 僕は皇慈さんとアイコンタクトを交わして、教会の中庭へ降り立った。イチョウの木に足を下ろす。
 数秒もしない内に、ローズウッドの扉が開いた。漆黒のキャソックを身に纏った神父サマが二人、聖堂から出て来る。
 彼等こそ僕達の待ち人――天志さんと聖人君だ。

「チュルルルル」

 皇慈さんがイチョウの葉群を勢いよく飛び出す。僕も後を追いかけた。

「おや。おはようございます。今日も良い天気ですね、ツバメくん達」

 天志さんが朝の挨拶を朗らかに返す。
 僕達は天志さんの肩に留まる事無く、空中に留まった。

「ピチュ、チュッチュッチュ」

 等々旅立ちの時が来ました。

「チュルルチュルルル」

 天志さん達とは離れ難いですが

「チュルル。ピチュッチュルルルルン」

 私は愛しい燕と南へ向かいます。小さくか弱いこの身では、冬の厳しい寒波は越えられないのです。

「ピチュピチュチュルルル。チュルル、チュル」

 来年も無事に還って来る事を誓い。旅立ちの挨拶に変えたいと思います。

 皇慈さんは心を込めて囀り終わり、天志さんの瞳を見詰めた。
 皇慈さんが練習していたのは、コレ。天志さん達へ向ける、旅立ちの挨拶だ。
 果たして天志さんには正しく伝わったのだろうか?
 僕は事の成り行きをドキドキと見守る。皇慈さんの囀りは番の欲目をプラスしても、人間が操る言葉に程遠い。

「はい。分りました。父サマにも伝えておきますね」

 しかし天志さんは僕の心配をよそにアッサリ汲み取った。流石の鋭さだ。毎回の事ながら感心する。

「ピチュピチュチュルルル」

 神成先生には身体に気を付けて下さい、と。

「ええ。医者の不養生にはならないよう、私も気を付けますね」
「チュルルン」

 皇慈さんも意志疎通が上手くいって嬉しそうだ。燕尾の先まで歓喜に震えている。

「あの、大きいツバメくんは何と?」

 横に立つ聖人君は疑問符を浮かべている、が――

「ああ。南へ旅立つそうですよ。もう秋ですからね」
「そうですか。寂しくなりますね」

 天志さんの説明をすんなり受け入れた。次の瞬間、僕達を見る。

「でも、態々挨拶に来てくれたんだね」
「チュルルル」

 僕は『そうだよ』と、明るく囀った。

「チュッチュル。ルルル」

 聖人君も天志さんと仲良く、元気でね。
 僕も真剣に練習した囀りで聖人君に言葉を返す。
 通じなくても良い。要は気持ちの問題だ。

「んー、と」

 考え込む聖人君。天志さんは助け船を出さず、見守り態勢だ。

「あ、二羽ともお喋りが上手くなったね。沢山練習したのかな?」

 お兄さんモードの聖人君が優しく微笑む。それは僕達にとって、不意打ちだった。

「聖人君は本当に……純粋で真っ新な良い子ですね」

 天志さんがそっと呟く。

「え、何か可笑しい事でも言いましたか?」

 聖人君は天志さんを見て、わたわた焦った。

「いいえ。悪いとは、一言も言っていませんよ」
「けれど何か……ボクだけ“仲間はずれ”の様な気がして」
「何ですか、それは。私は聖人君の良い部分だと思ったのに。伝わりませんでしたか?」

 意地悪だ。天志さんは素知らぬ顔で、聖人君の弱みを突いた。

「う」

 聖人君の喉が詰る。
 肯定は自惚れに、否定は天志さんの好意が伝わっていない事になってしまう。ドチラに転んでも、聖人君は天志さんにからかわれそうだ。
 これが年下の宿命か。僕も思わず、聖人君をウリウリ弄りたくなった。二人の雰囲気を崩したくないので実行はしないけれど。

「て、天志先生のお言葉は嬉しいのですが……ボクは自分を過大評価出来ないので」

 聖人君が赤面しながら声を絞り出す。相当恥ずかしそうだ。

「いいえ。正当な評価ですよ」

 しかし、志さんはとても良い笑顔で言い放った。

「……ッ」

 聖人君の喉が再び詰まる。
 どう切り返していいのか、分からない。天志先生はズルい人だ。
 そんな心情が垣間見える。

「チュルチュルルリルリ」

 頑張れ、聖人君。
 皇慈さんが頬を綻ばせながら応援する。僕も隣で頷いた。

「ほら、ツバメくん達も聖人君を応援していますよ」
「ええッ。君達まで?」

 聖人君が反射的に僕達を見る。

「チュルルン」

 僕と皇慈さんは『そうだよ』と、明るく囀った。

(でも天志さん、ここまで分かれば僕達の正体にもう気付いてるんじゃ……?)

 そんな疑惑がふと浮かぶ。
 けれど僕は、皇慈さんにその事を告げなかった。
 鶴の恩返しの様に、一線を越えた別離の法則を天志さんが危惧して、決定的な一言を告げない様にしているのだとしたら、無理な一歩を踏み込む必要はないと思ったのだ。
 そして同時に、皇慈さんの純粋な友情を誰よりも応援している。折角の努力を無下にするような真似はしない。きっと今の距離感が双方にとって一番良いのだ。
 僕は気を取り直して、サファイアの空を見上げた。
 吸い込まれそうな蒼。嘗ての皇慈さんの瞳と同じ色だ。
 涼しい秋風が吹く。僕達を長旅へ誘う、世界の合図が。

「チュッチュル。ルルル」

 本当に名残惜しいけれど。もう行かなくちゃ。
 僕は哀愁を籠めて囀った。

「チュルル」

 皇慈さんも頷く。
 僕達はアイコンタクトを交わして、両翼を大きく羽搏たかせた。
 一気に飛び上がる。
 最後に地上を見ると、天志さんと聖人君が空を――いや、僕達を真っ直ぐ見上げていた。

「行ってらっしゃい」

 名残惜しそうに右手を振る聖人君が。

「良い旅を。そして来年の元気な再会を、祈ってますよ」

 慈愛と友情を宿す天志さんの瞳が。
 遠く小さく。離れて行く。

「チュルチュルルリルリ」

 行って来ます。幸せな新婚旅行へ。
 僕達は別れの挨拶を元気一杯囀った。



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あきゅろす。
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