僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
遠い約束を果たそう9


 それから10分後――

「ツバメさんはチューなんてしないよ。餌を食べさせてるのを見間違えたんじゃないの?」
「違うよ。ホントにチューだったもん!」

 僕と皇慈さんは子供達に囲まれていた。

「ねーツバメさん」

 僕達のキスシーンを目撃した男の子を筆頭に。

「チュ、チュルル」

 眼前まで迫る迫力。僕は一歩後退した。

「ほら、ツバメさんもラヴラヴだって言ってるー」
「違うよ。困ってるんだよ」

 二人の男の子が向かい合って言い争う。年頃は同じ位か。色々な事柄に興味津々と云った感じが子供らしく、見ている分には微笑ましい。
 僕も頷いてあげたいけれど、今は恋のキューピッドとして使命が有る。結果、後者の男の子が言った通り困っていた。

「私はグラスを片付けて来ますので。聖人君は談話室の片付けをお願いしますね」
「はい」

 聖人君が天志さんの背中をにこやかに送り出す。
 そして次の瞬間キャソックの袖を捲くり、テーブルの上を片付け始めた。水を絞った布巾で綺麗に拭いてゆく。勿論クッキーの欠片が零れた床も忘れずに。

「ねぇー聖人にぃちゃーん」

 口を尖らせた男の子が聖人君を味方に付けようと呼びかける。因みにクッキーの欠片を床に零した張本人は彼だ。

「少し待ってな」

 聖人君は片付けの手を止めず、お兄さんの顔で返した。

「あ、ツバメさんが嫌がる事はしちゃ駄目だぞ」

 慌てて付け足す。
 今日は普段と違って僕達が居るから、聖人君も気が向いて大変そうだ。

「分ってるよー。チューするの待ってるだけ」
「それセクハラっていうんだよ」

 別の子供がパタパタ駆け寄って来る。男の子の横に腰を下ろすと、ませた顔で突っ込みを入れた。
 自然を生きる鳥に対してセクハラも何も無いだろうが、きっと大人ぶって言いたい盛りなのだろう。

「ねぇ〜。ツバメさん」

 どうしたものか。
 僕はバスケットの中から抜け出して、水入れの前に降り立った。何も気付いていない鳥を装い、喉を潤す。
 水をコクコク飲んでいると、子供達の興味は其方に移った様でキラキラとした視線が僕に注がれた。

「お水美味しい?」
「チュルル」

 僕は水面から顔を上げて、『美味しいよ』と返した。
 途端、子供達の笑顔が「わぁ」と弾ける。喧嘩腰だった二人も何時の間にか仲直り。僕の観察を仲良く続けた。

『コレがバードセラピーの力か……。燕の放つ“マイナスイオン効果”に私の邪心も浄化されて行くようだ』

 皇慈さんの鳴き声が楽しそうに降って来る。

『善意100%で出来ている皇慈さんの何処に、邪心なんて眠ってるんですか?』

 僕は上半身を後に逸らして、頭上を見上げた。バスケットの手持ち部分に留まって僕達の様子を覗き込んでいる皇慈さんと目が合う。

『例えば燕が誤魔化そうとしているキスシーンを再現したい』
『え!?』
『とかな。ふふ』

 微笑む皇慈さんの周りに恋の花がホワワンと咲く。
 それこそが僕の癒しなのだが、皇慈さん自身は相当な意地悪を口にした気で居る。本当に穢れた邪心とは、縁遠い場所に居るヒトだ。

『今すぐキスしたい!』

 僕は両翼を限界まで広げて、素直な欲望を叫んだ。

『ええ!?』

 皇慈さんが何故と言わんばかりに驚く。

『けれど今は我慢の時』

 僕は『クッ』と、辛い決断を吐き出した。

『キスの嵐はご褒美に取って置きますね!』

 どさくさに紛れて事前予約を差し込む。

『わ、分かった』

 勢いに流された皇慈さんが戸惑いながらも頷く。

『頑張りましょう。オー!』

 キスの嵐も恋のキューピッドも。僕は高らかに意気込んだ。

『おー!』

 皇慈さんもワンテンポ遅れて意気込む。
 如何にも真似っ子な、言い慣れない掛け声が僕の心臓にドキュンと直撃する。本当に皇慈さんは僕の恋心を素で掻っ攫って行くから大好きだ。

「ご苦労様です。聖人君」

 と、天志さんがナイスタイミングで戻って来る。

「は」

 聖人君が口を開く。

「チュルルル!」

 天志さぁぁああん!
 興奮状態の僕は場の空気に気付かず、大きな鳴き声を張り上げた。

「……い」

 聖人君の返事が遅れて届く。
 そこで初めて、僕は自分の失態に気付いた。

(ハッ! しまった。僕が二人の間に水を差してどうする)

 そう思っても後の祭り。天志さんがツカツカ近付いて来る。
 僕はビクッと身を正した。お説教される覚悟を同時に決める。
 しかし天志さんの最終奥義とも云うべき“頬っぺた抓り”は人間の身でもかなりの痛さを伴う。か弱い鳥の身で、果たして耐えられるだろうか。僕は頬肉が刮げるイメージを戦々恐々と思い浮かべた。

「ツバメくん」

 天志さんが子供達の背後で立ち止まる。
 子供達が無邪気な笑顔で振り向くと、天志さんは彼等の頭を順番に撫でた。
 キャッキャッ。
 擽ったそうに笑い合う子供達の笑顔が微笑ましく弾ける。
 まるで僕だけが、別の世界で身を縮込ませて居る様だ。

「チュ、チュルル」

 な、なんでしょう。
 僕は内心ドキッドキッのまま、天志さんを見上げた。

「子供達と遊んでくれたのですね。ありがとうございます」

 エメラルドの瞳がフッと緩む。
 僕は予想外の言葉に『え?』と、特大の疑問府を浮かべた。

『ホワイ?』

 下手な英語が飛び出る。頭が空っぽに成っていたからだ。

『嗚呼……私の可愛い燕がキョトンとしている。なんて可愛らしいんだ。抱き締めたい!』

 皇慈さんが興奮気味に囀る。そして両翼を広げると、バスケットからピョンと飛び下りた。
 大きく広げた翼が煌めく陽光を受けて、金色のベールを纏っている様に見える。早い話、僕は一瞬で彼に見惚れたのだ。

『皇慈さん、なんて神々しい!』

 思った直後に口に出して叫ぶ。僕の興奮もマックス状態だった。

『さあ、僕の準備は万端ですよ』

 皇慈さんを迎え入れる為に両翼をバッと広げる。
 皇慈さんも丁度舞い降りて、水入れの横に羽を下ろした。トントントン、と鳥の足で3歩の距離を直ぐに詰める。
 そして僕達はヒシリと抱き締め合った。

「おー。仲良し」
「ねー。チューする? チュー」

 と、子供達の歓声が沸く。
 番の抱擁は解かずに見ると、子供達の数が更に二人増えていた。その内一人は筆記用具まで持ち出している。夏休みの自由研究にでもされそうな勢いだ。

『チューは未だしません』

 僕が「ピチュピチュ」囀って伝えると、子供達は無邪気な瞳を輝かせた。

「わぁ。お返事してくれた」
「なんて言ったのかなぁ?」
「てんしせんせーは分かる?」

 キャッキャッと燥ぐ。
 ツバメ語は分からなくとも、自然を生きる鳥との触れ合いが心底楽しい様だ。

「さあ。どうでしょうね」

 天志さんの視線が僕達からフイッと逸れる。ラヴモードを完全にシャットアウトした顔で。

『天志さん、僕達に影響されて聖人君と良い雰囲気を作ってもいいんですよ』

 そう囀りつつ僕は、皇慈さんの温もりを全身で感じた。皇慈さんも気持ち良さそうに喉をクルクル鳴らしている。

『そうだ、天志さん。愛しい相手との触れ合いは、心をホワンと温めてくれる。何物にも代えがたい幸福だ――私はその幸福を、天志さんにも宝物にして欲しいと思っている』

 純粋に、穢れなく。皇慈さんの囀りが世界に浸透する。

『天志さん本人には、未だ伝えていなかったからな』

 これは僕への内緒話。皇慈さんはそっと囁くと、番の抱擁を解いた。
 次の行動は予想出来る。僕も頷き、両翼を引っ込めた。
 名残惜しくないと云えば嘘だけれど、今の優先順位はキューピット役の方が上なのだ。
 皇慈さんが両翼を広げ、天志さんの肩へ飛んで行く。

「あー。てんし先生いいなぁ」
「ねぇ、ツバメさん。ぼくの肩にも留まってよ」

 さて、僕の役目はコッチだ。
 好奇心旺盛な子供達が一羽と一人の会話を邪魔しないよう、全力を尽くそう。
 先ずは羨ましそうな視線を注ぐ子供の肩へ、パタパタと飛んで行く。
 すると子供達の注目は一斉に僕へ集まった。

「わぁ。たっくんいいなぁ」
「ツバメさん、ツバメさん。ぼくのトコロにも来て」

 子供の一人が腕を差し出す。僕はご要望通り、彼の右腕へ移った。

「わぁああ。ホントに来てくれたよぉ」

 感動に震える腕は足元が不安定で、僕はトトトと、身体のバランスを何度か整えた。
 そして気付く。
 左右や上下。視界が不安定に揺れている事に。
 人間の感じる一番近い感覚で例えると、揺れの激しい船上に立っているようなモノだろうか。
 天志さんや聖人君は身体の芯が真直ぐ通っているので今まで苦に成らなかったけれど、今回は少しばかり辛いぞ。まぁ、大人と子供を比べるのも悪いけれど。

「懐っこいね。可愛いなぁ可愛いなぁ」

 たっくんと呼ばれてい男の子が感動を分かち合う様に、現在僕が留まる男の子の身体を両手で掴んで強く揺する。すると振動は更に激しく、僕の小さな身体はグワングワン振り回された。

「次、次はぼくね」

 他の子供も騒ぎを聞きつけてワラワラ集まって来る。
 その中には神成先生が、子供達に手を引かれて混ざって居た。完全に孫と戯れるおじいちゃん状態で頬が緩い。

(神成先生……ヘルプ)

 僕は助けを求めて、男の子の腕からヘロヘロと降りた。床の上に蹲る。

(腕酔いした。気持ち悪い)

 飛ぶ力も中々入らない。
 決意を固めた数分後に弱音を吐くとは、僕はなんて役に立たない雄だろうか。
 けれど子供達の好奇心は僕の反省とは関係なく、減る事はなかった。集団で囲い込まれる。

「ずるーい。おれのが先に居たんだからおれのが先だよ」
「ほ〜ら。コッチにはオモチャが有るよ。だからぼくんトコおいで」

 フサフサのフェイクファーが眼前で左右に揺れる。若しかしなくてもソレは、『猫用の猫じゃらし』的な玩具じゃなかろうか。

(ごめんね。僕は猫じゃなくて鳥(ツバメ)だから……それじゃあちょっとテンション上がらない)

 僕がそう思っていると、猫じゃらしが子供の手から引き抜かれる。

「こらこら。遊びたい気持ちも分かるが、ツバメさんが困っているだろう?」

 開けた視界の先に立つ人物はロマンス・グレーの老紳士――神成先生だ。

『救世主ご登場!?』

 感極まった僕は大袈裟に叫んだ。



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あきゅろす。
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