僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
遠い約束を果たそう8


「おや、どうしたね。こんな所で」

 渋く、重厚感の有る声音が舞う。声の方向を見ると、神成先生が此方へ向かって来る所だった。
 意識が現実――日常に、引き戻されてゆく。

「父サマ」
「チュル」

 天志さんが立ち上がる。その腕には皇慈さんが抱えられていた。
 聖人君の両目が『その手が有ったか』と言わんばかりに見開く。けれど天志さんを真似て野生の鳥を抱え上げるには中々勇気が出ない様で、開いた両手が僕の胴体の横でピタリと止まった。

『大丈夫だよ、聖人君。僕は逃げたりしないから』

 僕は聖人君の掌へ、自ら擦り寄った。額をクリクリくっ付けると、聖人君が安心した様に微笑む。
 僕は全身の力を抜き、聖人君へ身を預けた。聖人君の掌はフワリと温かく、雲に包まれる浮遊感を心地良く感じた。

「神成先生。こんにちは」

 聖人君が立ち上がり、神成先生へ頭を下げる。

「チュルル」

 僕も挨拶代わりに明るく囀った。

「やあ、元気そうだね」

 神成先生が聖人君の前で立ち止まり、にこやかに笑む。その腕には、紅茶色の紙袋が抱えられていた。
 僕の見慣れた神成先生は何時も往診バッグを持っていたから、今日の姿は珍しく映る。医者の厳しさも病院に置いて来た様だ。

「父サマは聖人君を気に入っているので。たまの休日には“甘やかし”に訪れるのですよ」

 声を潜めた天志さんがそっと耳打つ。僕と皇慈さんは『へぇー』と、同時に得心した。

『つまり、親公認の間柄と云う訳ですね』

 意味が違うと理解しつつも、僕は天志さんの恋心を擽った。

「外に居るのも何ですし、場所を変えましょうか」

 天志さんが素知らぬ顔で話題を変える。
 僕は『むー』と、頬を膨らませた。今のは絶対聞こえないふりだ。
 人間と鳥の壁も飛び越えて、僕は確信する。

『聖人君、聖人君! 天志さんが神成先生の登場で場の空気が変わった隙に恋愛モードを引き下げようとしてるよ』

 僕は両翼をバタバタ広げて訴えた。

「ああ、ごめん。窮屈だった?」

 聖人君が慌てて両手の力を緩める。
 しまった。聖人君には微塵も通していない。
 僕が逃げ出そうと藻掻いている様に思わせてしまった。
 僕は手の中から仕方なく抜け出して、聖人君の肩へ移った。次の手を考えないと。

「天志先生の様には上手くいかないな」

 聖人君が残念そうに呟く。
 視線の先には天志さんが、皇慈さんを難なく抱えている。皇慈さんは身動き一つせず、居心地良さそうだ。

『聖人君は僕に構うより、天志さんから目を離さない方が良いと思うよ』

 僕は届かないアドバイスをそれでも送った。

「聖人君も喉が渇いたでしょう」

 天志さんが先導して歩き出す。
 聖人君も自然と後を追い掛けたので、僕は『狙うは天志さんの隣!』と合戦の火蓋を切る武将気分で鳴き声を上げた。




「ごめんね、小さなツバメくん。話し掛けられている気はするんだけど、内容までは分からなくて」

 そして僕は教会の談話室へ入った早々、聖人君に肩から降ろされた。 

『いいんだよ、聖人君。人間と鳥の壁は厚くて高いものだ。マジ天使天志さんとは同じ土台で考えちゃダメ』

 バスケットの中へゆっくり入れられる。タオルケットの詰まった其処は思ったよりも居心地が良く、僕は不快なく腰を下ろした。
 そうこうしていると――

「おや。立派なソファーが出来ていますね」
「チュルル」

 皇慈さんを肩に乗せた天志さんがトレイを持って現れる。彼は人数分の飲み物を用意していたのだ。
 因みに神成先生は、紙袋から出した菓子袋を開けていた。その周りには笑顔の子供達が集まって居る。
 時間は丁度午後3時00分。孤児院の子供達も談話室へ呼び寄せて、オヤツタイムへと流れていた。

『皇慈さん、皇慈さ〜ん! 僕の隣が寂しく空いていますよ』

 僕は両翼をパタパタ羽搏かせて、愛しの番へ明るくアピールした。

『それは大変だ。私が直ぐに埋めてあげないと』

 皇慈さんが談話室を突っ切って僕の居る窓辺まで飛んで来る。冗談めかした囀りもトロトロだ。

『さあ、僕の愛しい王子サマ。お手をどうぞ』

 僕は永遠の忠誠を誓う騎士に成り切って、右翼を仰々しく差し出した。
 空中に留まる皇慈さんが『ふふ』と微笑む。
 そして掌を重ねる様にお互いの翼を重ね合わせ、皇慈さんを『聖人君特製ソファー』の中へお招きした。

「ええ。丁度、古くなったブレッドバスケットが有ったものですから」

 聖人君が天志さんへ説明する。
 木製のバスケットは言葉通り年代を重ねて、外壁が所々煤けていた。けれど野生の鳥が休む分には上等の品だ。僕も皇慈さんもホッコリ気分で寛ぐ。
 それに何と云っても、僕達の場所を態々用意してくれた聖人君の気遣いが嬉しい。天志さんもバスケットの横に小鳥用の水入れを置いてくれた。並々注がれた水面に、午後の陽光が反射してキラキラ光る。

(二人とも唯の小鳥相手に親切だな)

 恋のキューピッドとしては益々やる気に、心の腕を捲ると云うものだ。

『皇慈さん、僕と一緒に作戦会議しましょう』

 愛しい番に身を寄せて、そっと耳打つ。皇慈さんも直ぐに頷いてくれた。

『天志さんは強敵ですからね。牙も生えていない聖人君では軽く否されて終わってしまいます』

 先ずは現状の整理から。

『折角両想いなのに、イチャイチャラヴラヴしないなんて勿体ない』

 個人的な意見を添えて。

『そう言う燕も肉食獣には見えないな』

 それは無論、食物連鎖ヒエラルキー的な立ち位置を言われているのではなく。男として、雄としての力量を突かれているのだ。

『フフフ。僕が野獣に変身するのは皇慈さんと二人っきりの時だけですから、ね』
『燕』

 僕が雄の顔で笑むと、皇慈さんの頬に朱が昇る。

『だから、八重歯位は生えているのです』

 僕はキラリと目を光らせた。次の瞬間、両翼を大きく広げ、皇慈さんに覆い被さる。

『今日も魅惑の羽毛がモフモフですね』

 首筋に顔を埋め、柔らかく撫で心地の好い羽毛をもっふ〜んもっふ〜ん堪能する。

『未だ二人っきりの時間ではないよ……ン』

 注意を口にする皇慈さんが擽ったそうに身を捩る。

『僕の八重歯はご堪能いただけましたか?』

 僕は大人しく身を引いて、冗談めかした。

『ああ。とても強力な武器だった』

 皇慈さんは冗談に付き合いつつも、頬の朱が消えない。もしも二人きっりの状況だったら、僕の理性は粉々に砕けていただろう。

『では、雄の魅力に溢れた燕。質問だ』

 皇慈さんが咳払いを一つして、話を元へ戻す。

『はい』

 僕もピシッと身を正した。

『君なら天志さんを、どう口説き落とす?』
『僕は皇慈さんしか口説く気がないので、分からないですね!』

 力強く宣言する。
 僕と聖人君の立場を入れ換えたもしも話だとは分かっていたけれど、想像不能の世界と云うものが有るのだ。八重歯程度の雄力しかなくても、僕はそれを皇慈さん以外に使わないと決めている。
 それに天志さんは魅力的な相手(ひと)だけれど、彼の隣に立つ相手は絶対に僕じゃない。

『私の例えが悪かった』

 皇慈さんが直ぐに方向性を変える。僕の意志を汲み取ってくれた様だ。

『私が燕に“つれない態度”をとったら、燕はどうする?』
『皇慈さんは意味なく僕を遠ざけないので。その場合の原因は僕に有るんだと思いますね』

 キッパリ言い切る。
 すると皇慈さんが気恥ずかしそうに口籠った。もしも二人っきりだったら、キスの嵐を降らせたい位可愛い反応だ。

『も、もしも話は止めにしよう。横道に逸れて先へ進めない』
『その前にキスしていいですか?』

 僕はちゅー、と嘴を突き出した。

『駄目だ』

 皇慈さんが首を横に捻って、ヒョイっと避ける。

『分かりました。ご褒美は二人を正式にくっ付けた後と云う訳ですね』

 僕は大人しく身を引いた。本当は残念でならなかったけれど。

『違うよ。燕』

 皇慈さんが苦笑しつつ、身を寄せ直す。

『今は私から、喜びのキスを贈りたい気分なんだ』

 コツン。
 心の準備を整える間もなく、皇慈さんの嘴がくっ付く。

「チュ……」

 離れる瞬間、僕の口から短い音が漏れた。
 やばい。
 何て事をしてくれたのだ。この愛しいヒトは。
 全身が幸福に痺れて、体温が沸騰しそうな程一気に上昇したじゃないか。
 不意討ちのキスなんて。不意討ちのキスなんて。
 何千回贈られても嬉し過ぎる!
 僕は天にも昇る心地で窓から差し込む陽光を浴びた。

「あー! ツバメさんがチューしてるぅ」

 子供の声が突如弾ける。
 高鳴る心音を落着かせて見ると、クッキーを片手に持った男の子が僕達を指差していた。
 8歳位だろうか。腕白坊主と云う言葉が良く似合う、元気な子供だ。

「お行儀が悪いですよ」

 天志さんが即座に注意を入れる。

「だってせんせー」

 男の子は不満そうに右手を大きく振った。その反動で食べ掛けのクッキーから欠片が落ちて、床に零れる。

「だって。じゃ、ありません。クッキーがボロボロ落ちているでしょう」

 再びの注意を口にして、天志さんはボトムスのポケットからハンカチを取り出した。男の子の口許を拭う。

「ほら、口許もチョコレートで汚れていますよ。身嗜みはきちんとしなければいけません」
「むー。後で拭くからーツバメさん〜」

 男の子が両手足をパタパタ動かす。天志さんから逃れようとしているのだろうが、天志さんは慣れた手付きで男の子の動きを軽く封じた。

「あのツバメさんは二羽とも逃げませんので、大人しくしなさい」

 抗えない迫力が天志さんの瞳に宿る。その途端、男の子は「うぐっ」と喉を詰まらせた。抵抗もピタリと止める。

「……はい」
「君が良い子で私も誇らしいですよ」

 天志さんは男の子から身を引くと、褒めるように頭を撫でた。男の子が擽ったそうに、けれど嬉しそうに、頬を染める。
 見事な飴と鞭だ。
 宛らお母さ――ううん、今のは訂正。母性に溢れたお父さんの様だ。

「天志先生……流石だな」

 聖人君も憧れの吐息をホゥと零す。

『そこが好きなの?』

 過去の光景が甦る。
 聖人君は人間時代の僕が初めて会った時も、赤ちゃんをあやす天志さんの姿を、憧れの眼差しで見詰めていたっけ。
 イチョウの木に背中を預けて、熱心に熱心に。
 天志さんが初恋相手と云う事は、あの時はもう完全に恋心を自覚していたんだろうな。

「うん」

 聖人君が自然と頷く。
 けれど次の瞬間、夢から覚めた様に辺りを見渡した。

「え? 今誰か……何か言いましたか」
「いいえ。気のせいでは有りませんか?」

 天志さんが素知らぬ顔で紅茶を啜る。すると聖人君は、「そうなのかな?」と不思議そうに小首を傾げた。

「チュッルルルルル」

 聖人君は面白いな。
 僕は神サマの悪戯にも気付かず、呑気に囀った。



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