僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
遠い約束を果たそう7


「貴方以外は無理です」

 聖人君がキッパリ言い放つ。

「それは残念。意見の相違ですね」
「譲歩してください」
「駄目です。いくら聖人君のお願いでも、聞けません」
「一途な愛を貫く方が美しいと思う」
「現実は厳しいものです」

 何方も退かない言葉の応酬が続く。

「心変わりを事前に望む人の方が珍しい」
「そうですか? 10も年上だと色々考えるものですよ」

 それは30分経っても終わりを見せず、声を荒げる事無く白熱していた。
 二人の喉はもう、カラカラに渇いているだろう。
 僕達はと云うと、そんな二人の膝で置物のようにジッとしていた。
 因みに僕が聖人君の膝で、皇慈さんが天志さんの膝。奇しくも僕の作戦が成功した図と成っていた。いや、皇慈さんが引き継いでくれたのか。
 しかしベンチで顔を付き合わせて語り合う神父二人と、微動だにしないツバメ二羽。傍から見た図はさぞや“珍妙”だろうな。
 僕は第三者の視点を想像して、苦笑いを浮かべた。

「私ももう、オジサンですから」

 淡々と告げる天志さん。その肌は皺一つ見えない。

「天志先生は出合った頃と変わっていません」

 聖人君が力説する。

「私が“成長”していないと?」

 意地悪を仕掛ける天志さん。

「ちがっ。外見が、若々しいと云う意味で」

 聖人君がアワアワ焦る。
 こんなやり取りも、もう5回目だ。聖人君はよく食い下がっている。

(年上の余裕。僕もよく皇慈さんに翻弄されたな)

 しみじみ。僕の脳裏に人間時代の記憶が甦る。

(大丈夫だよ、聖人君。勝てないなら、其処を自分の武器にするといい)

 実体験から得たアドバイスを送る。
 何せ僕は皇慈さんの裸エプロンまで行き着いた男だ。

「初恋、でした」

 聖人君が項垂れるように視線を落とす。と、必然的に僕と目が合う。
 僕は『頑張れ』と、エールを送った。
 聖人君が微笑みを返す。
 けれどそれは一瞬の晴れ間。聖人君の顔色は直ぐに曇った。

「貴方以外の人に、同じ感情を抱いた事はありません」

 想いの欠片がポロポロ零れる。
 涙を押し隠しての言葉は切なく。胸をギュっと締め付ける。

「ならば、その感情の名前が正しいモノかも分かりませんね」

 しかし天志さんは突き放す道を選んだ。
 聖人君の眉が辛そうに歪む。

「憧れが、少し強いだけかも知れない。それで人生を棒に振る気ですか? 私達は禁ずる側の人間(神父)なのですよ」

 天志さんはそう言って、空を仰いだ。
 サファイアを嵌め込んだ空は高く遠く。その先に存在するであろう神の宮は影さえ見えない。

 けれど神はすべてを統べる存在。
 その定を破る者は罪人。
 背負う十字架は重く。
 許されざる愛の言葉は魂を穢す。

 天志さんの前に立ちはだかる壁は、どれ程高く広大なのだろう。
 神への忠義も信仰心も、何一つとして薄れてはいないのに。
 たった一度の恋さえも、神は許さないのだろうか。
 自分だってアダム(最初の人間)を愛した癖に。

 僕は天志さんと同じ空を見上げて、そんな事をツラツラ思った。

「正しい道は時として詰まらないモノだ。例え永遠の日陰を歩む事に成っても、ボクは構わない」

 聖人君が呟く。
 その瞳も、遠い空の蒼色を映していた。

「今は、そう思っています」

 最後に付け加えた一文は、聖人君なりの譲歩だろうか。
 歯切れが悪い。
 本当は堂々と宣言したい筈だ。
 自分の恋心を。
 愛しいひとへ。

「だから。それが恋でないと、愛でないと。否定してほしくはなかった」

 聖人君の喉が震える。

「愛想が尽きましたか?」

 天志さんは静かに問うた。

「それが無理だから。恋は厄介だと思いませんか?」

 純粋な質問。
 聖人君は空から視線を外して、天志さんの横顔を真っ直ぐ見詰めた。

「そうですね」

 天志さんが答える。
 その瞳は空を映したままだ。

「いっそ無い方が、無駄な論争を生まないで済むでしょうに」
「けれど恋心が無ければ、ボクの人生は変わっていました」

 キッパリ言い放つ聖人君。彼も気付いているのだ。
 天志さんが厳しい言葉を選んで、遠ざけようとしている事に。

「きっと味気ない。在り来たりな人生」
「それはそれで、楽しいかも知れませんよ。まぁ、仮定の話ですけれどね」

 天志さんはそう言って、空から視線を外した。エメラルドの瞳に聖人君の顔が映る。

「聖人君は真面目な良い子ですから。きっと何処でも愛される、憧れの対象に」
「ボクにとってそれは、貴方ですよ。天志先生」

 聖人君が首を横に振る。

「憧れと愛情はよく似ている。それはボクの中にも存在して、境界線はあやふやだ」

 言いながら聖人君は胸の前で右手を握り締めた。

「けれど貴方と出逢った時、『ああ、この人が好きだ』と思った。その感情を、ボクは今日まで捨てられなかった。そして今、捨てなくて良かったと思っています」

 ふわりと微笑む聖人君。その言葉に迷いは一切ない。
 想いの欠片が波紋のように広がる。

「聖人君……」

 天志さんが目を細めて呟く。

「例え同じ道を歩めなくても、触れる事が出来た。隠す事しか許されない感情を伝えられた。今日、この時間が永遠に続けば良いとさえ思っています。天志先生には迷惑でしょうけれど」

 何処までも純粋な頬が赤らむ。

「……迷惑では、有りませんよ」

 天志さんは覚悟を決めたように息を吸った。そして新鮮な空気で肺を満たした後、ゆっくり吐き出す。

「そもそも私は、素知らぬふりも出来た訳ですし」

 まさかの根負け。

「偽りの感情も伝えていません」

 新雪のように白い天志さんの頬が赤く染まる。
 途端、聖人君の表情が今まで見たどんな笑顔よりも生き生きと輝いた。

「まったく。君達が煽るからですよ」

 天志さんは照れ隠しなのか、皇慈さんと僕を交互に見た。

「チュルル」

 あと一息だ、と皇慈さんがエールを送る。

「チュルルル」

 僕も折角なので、聖人君側へエールを送った。
 聖人君が「ありがとう」と云うように微笑む。

「何だか和む。これがバードセラピーでしょうか?」
「アニマルセラピーのような造語を作らないでください。調子に乗ると困ります」

 話題が突如横道に逸れる。

『バードセラピーか……魅惑の言葉だな』

 キラキラ。
 皇慈さんの瞳が早速輝く。天志さんの予想、的中だ。

『もしや私の使命は荒んだ世の中に癒しを届ける事』

 溢れる陽光が皇慈さんに降り注ぐ。まるで新たな生き甲斐を神サマが褒めているようだ。
 僕も皇慈さんの愛情に元気と活力を貰っている身。その効能は折り紙付きだ。が、今はソレを横へ置く。
 それに今の僕は神サマに少々反抗したい気分だった。

『皇慈さん、天志さん達が恋愛モードから“また”遠ざかっています』
『ハッ。しまった。つい癖が出てしまった』

 皇慈さんが自分の状況にハタと気付く。

『でも、聖人君も意外にマイペースですよね。僕の恋心は一度灯ったら皇慈さんへ一直線、バードセラピーとか思い付きもしませんよ』
『ふふ。だから天志さんの気も緩んでしまうのかな?』

 皇慈さんの頬がホワホワ綻ぶ。

「ああ。やっぱり良いな。何時も仲良しで」

 と、聖人君が感嘆の声を零す。

「コレも一つの“憧れ”ですけれど、恋とは違いますよ」
「それはそうでしょう。幾ら私でも鳥の番を引き合いにはしませんよ」

 サラリと返す天志さん。
 一歩進んで足踏みする。そんな恋愛模様が独特の空気を呼ぶ。

「聖人君は最終兵器の起動ボタンを持っていても、絶対に押さないタイプですね」
「え? それは誰でも押さないでしょう」

 キョトンとする聖人君。

「いえ。今のは例えで。分かり易く言えば、草食ですね」

 天志さんがズバリ言い切る。
 僕は『ああ』と納得した。

『そう、しょく……?』

 一方で皇慈さんの頭上に疑問符が浮かぶ。
 本日二度目のポケッとした顔に、僕は心の録画ボタンを押した。

『人間は雑食の筈で。いや、神父様だから肉食を禁じているのかも知れないが』

 しかも真剣に悩みだす。

「ううん。奥手ですね」

 咳払いを一つして、態々言い直す天志さん。
 意図を理解した皇慈さんが『ああ。そう云う意味か』と、眉間の皴を取る。
 そして天志さんがそうした理由は、皇慈さんではなく聖人君。実は彼も、皇慈さんとよく似た反応を見せていたのだ。

「ひ、比較相手が居るんですか!?」

 顔面蒼白。
 聖人君は一瞬で、絶望の森へ迷い込んだ。

「覚えているでしょう? 若井燕くん。彼はその日の内に皇慈くんへ告白したそうですよ」

 聞いてもいないのに、自慢されました。と、天志さんが呆れ気味に過去を振り返る。

「じゃなくて。天志先生の実体験として……その、忘れられない恋人とか」

 瞼をギュッと閉じる聖人君。
 知りたい。けれど怖い。
 そんな心情が垣間見える。

「いませんよ」
「本当に?」

 恐る恐る目を開ける聖人君。

「聖人君、私と君が出会ってかれこれ15年ですよ。その間に誰か居ましたか?」
「ボクの記憶には居ません。……けれど、天志先生に憧れている人間は沢山います」
「憧れられたトコロで、私自身は何とも思ってませんが」
「それはボクも?」

 聖人君の肩がシュンと沈む。

「聖人君は……っ」

 言い淀む天志さん。
 明後日の方向を向く。その耳先は赤い。

「現在の状況から汲み取って頂くと、有り難いですね」
「今だけ鈍感に成りたい気分です」
「そうですか。では、鈍感な聖人君は一生片想いだと思っていて下さい」
「そんな。ただ、天志先生の口から直接聞きたかっただけなのに」

 聖人君がどんより雲を背負う。

「無理です。恥ずかしい。第一、聖人君もハッキリとは言っていないでしょう」
「好きです。ボクは天志先生の事が、大好きです」

 愛の言葉が堰を切る。

「ッ」

 瞬間、天志さんの喉が交通渋滞を引き起こす。
 この二人、奥手度で比較すれば同レベルなんじゃ。
 僕は神父の恋愛事情に詳しくないけれど、純粋に初々しいと感じた。
 罪と呼ばれる理由さえ、疑問に思ってしまう程に。

(人が人を愛する感情を否定する方が、無粋じゃないか)

 僕は無謀にも、遥かなる天空の宮を睨み付けた。
 影さえ見えない。神の欠片を。



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あきゅろす。
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