僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
エピローグ


 爽やかな春風が髪の間を吹き抜ける。
 つられて視線を向けると、春先の旅人が気持ちよさそうに空を飛んでいた。

「物語はこれで終わり。さぁ、出かけましょうか」

 栞に手を伸ばし、最後のページへ挿む。
 それは遠い秋の思い出。山吹色のイチョウを閉じ込めた、手作り栞。表面を優しく撫でれば、今でも温かい真心が伝わって来そうな不思議な感覚を覚える。
 しかし、本来の持ち主はもういない。形見分けの品だ。
 作った青年の名前は若井燕。そして贈られた相手の名前は、城金皇慈。
 彼等が眠りの楽園へと旅立って、10年が過ぎた。

『見てくれ、天志さん。なんと燕がイチョウの栞をプレゼントしてくれたんだ』
『まぁ。元々は皇慈さんから貰ったイチョウを捨てたくなかっただけ、なんですけどね』

 態々現物を持って来てまで自慢する皇慈の嬉しそうな声音も、その隣で照れる燕の頬も懐かしい。
 共に親しい友人だった。
 けれどどんなに大切な日々も鮮明に思い出す事は難しく、記憶は所々抜けている。
 燕がこの町を訪れて、皇慈と運命の恋に出逢ったのは、半年と短い期間だった。けれど彼の印象は鮮烈で、ふとした瞬間にも記憶が蘇る。
 元気に町を駆ける姿も。頬をフニャリと緩ませて恋人を想う笑顔も、嘆く横顔も。

(ついつい神父という立場も忘れて、色々助言したりもしましたね)

 燕の世界は、皇慈が中心に回っていた。
 一番大きく重要な主軸が壊れた時、自ら世界を崩壊させてしまう程に。
 それはとても強く純粋な愛し方だけれど、一方で身勝手だ。彼が最後に書き残したメッセージは、遺書ともとれる内容だった。

『後追い自殺ではないか?』

 そんな噂も飛び交ったが、世間的には『事故死』として通っている。が、やはり真実は闇の中だ。
 今でも推測の域を出ない噂話の方を信じている者が多い。
 若くして逝った皇慈。抗えない残酷な現実が、燕を絶望の淵に落とした。それは誰の目にも明らかだったから。
 葬儀の翌日、皇慈の墓の前で倒れている燕が発見された時。悲しみの涙を流す者は多かったが、驚きを口にする者は少なかった。
 皆、心の何処かでその結末を予想していたのだろう。
 そしてそれは、燕と皇慈の立場が逆だったとしても同様に。

『嗚呼、嗚呼! 本当に馬鹿な子……っ。やっぱり無理にでも、連れて帰ればよかったぁアア!!』

 ただ唯一、燕の母親を除いては。
 冷たく凍った息子の亡骸に縋り付いて後悔を泣き叫ぶ彼女の泣き顔は、忘れようとしても忘れられない。苦い記憶だ。
 燕の母親は10年が経った現在でも、二人の関係を認めていない。
 許せないのだろう。皇慈と出逢わなければ、燕は今でも元気に笑っている筈だから。

『命を懸けた恋なんて、時代錯誤もいいところよ。一生に一度の愛なんて、出逢ってほしく無かったわ!』

 そう言って何時までも、早過ぎる息子の旅立ちを嘆いている。
 誰にも癒せない。愛する息子を喪った母親の悲しみだ。

「てんし先生ー。抱っこしてぇ」

 無邪気な子供が天志の腰に纏わり付き、甘えた声でせがむ。
 すくすくと元気に育った男の子。彼は10年前、天志が胸に抱いていた赤ちゃんだ。

「いけません。君ももう、お兄さんでしょう」

 ツンと、一指し指で額を軽く小突く。
 すると『大好きな先生』に注意された子供はぷくぅーと頬を膨らませる。風船みたいなソレも押して、空気と共に不満を抜く。
 遊びたい盛りの子供は、それだけでキャッキャッと楽しそうに笑い出す。
 あどけない笑顔は赤ちゃんの頃と変わらない。けれど活発に動く口や小さな子供の面倒を見る姿に、時の流れを感じた。
 大人の10年は変化も少ないけれど、子供の10年は劇的に成長する。
 燕と皇慈を知っている人間も彼が最年少だ。本人達との記憶は残っていないだろうが、天志はよく話を聞かせている。




 春の気温は温かで、過ごし易い。今日は朝からポカポカ陽気が続いている。
 ピクニック気分で丘を駆け回る子供達を先導し、天志は花畑へ向かう。
 自然の花畑は今年も満開だ。

 春風に揺れる勿忘草。
 四葉のクローバーを隠す白詰草。
 可憐な蓮華草。
 蝶と遊ぶタンポポ。
 鮮やかなスミレ。
 香しいカモミール。
 朝露に濡れるスズラン。

 すべてが美しく咲き誇っている。地平線まで続く青天とのコントラストも見事な絶景だ。
 まさに天国のような光景と呼ぶに相応しい。
 天志はその場で花束を作り。再び歩き出す。
 青色の翅を持つ蝶が後を追いかけて、ヒラヒラと花束に舞い降りる。何とも可愛らしいお客さんだ。
 彼等も喜んでくれるだろうと、友人達へ思いを馳せながら微笑む。
 今日の目的は墓参り。一週間に一度は必ず訪れる。天志の習慣だ。

「父サマ。いらしていたのですか」

 十字架を模った墓石の前で、老紳士が両手を合わせている。天志の育ての親である神成主だ。
 彼の目的も息子と同じ。遠い昔に眠りの楽園へ旅立った2人の墓参りだ。
 天空まで聳える程高く育った金木犀の根元。其処で眠りたいと願ったのは、皇慈だった。
 最初の三ヶ月は訪問者の多かった其処も、現在では寂れている。
 神成親子や孤児院の子供達――それに年に一度、燕の家族が訪れるくらいだ。

「ああ。ふと思い立ってね」

 主の横へ並び立ち、会釈を軽く交わす。
 そして天志は腰を落とし、2人分の花束を供えた。燕も、皇慈と共に眠っている。
 尊い命を懸けてまで貫いた愛だ。引き離すのは可哀想だろう。
 周囲の意見は一致して、誰もその決断に反対しなかった。大切な息子を喪った燕の母親もだ。
 神の怒りが天変地異を引き起こす事も無く。永遠の眠りは10年を経ても穏やかに続いている。

「チュルチュルチュビチュビ」

 スイー。
 サファイアの空から一羽のツバメが舞い降りて来る。
 歌うように楽しそうな鳴き声が春の空気によく響く。元気な鳥だ。
 滞在場所を探しているのか、金木犀の周りを飛び回っている。
 皇慈が見たら、さぞや瞳を輝かせて喜ぶだろう光景だ。

「巣作りの場所をお探しでしたら。外敵も居なくて過ごし易い。此処がオススメですよ」

 通じないと理解しつつも、天志は朗らかに語り掛ける。
 不思議だ。まるで十年来の友と再会したような懐かしい感覚が胸の奥に浮かぶ。
 ツバメも空中で方向転換し、天志の許まで向かって来る。

「おや、人懐っこい子だね。野生の鳥が逃げ出さないとは珍しい」

 主が驚きと共に関心を口にする。
 ツバメは天志の肩へと留まり、其処で羽を休めたのだ。

「番の相手は居ないのでしょうか?」

 完全にリラックス状態で寛ぐツバメ。飛び立つ気配も無く。毛繕いさえ始めた。
 天志としても初めての経験に、身体が多少なりとも強張る。
 長く立派な尾羽。どうやら雄のようだが、番となる雌の姿は見えない。

「チュルチュルチュビー!」

 遠い空の彼方から、甲高い鳥の鳴き声が響き届く。
 それは光の速さで距離を詰め、突進するように飛来して来た。
 思わぬ来訪者の到来。翅を休めていた蝶も退散を決め込む。

「とても元気ですね。この子のお友達ですか?」

 新しく登場したツバメにも、フレンドリーに話かけてみる天志。
 こちらも尾羽が長く立派な雄ツバメ。目測だが、先のツバメよりも小柄のようだ。有り余る生命力が小さな身体から溢れている。

「チュルルル!」

 先のツバメが嬉しそうに両羽を広げる。まるで再会を喜んでいるようだ。

「ピチュピチュチュルル」

 後のツバメも感動を伝えるように囀り返す。そして彼(いや、雄か)も天志の肩へ飛んで来た。

「何でしょう……この状況は」

 狭い場所で身を寄せ合う二羽。ハートも飛び交う仲睦まじさだ。
 しかし天志の心境としては複雑。邪魔をする気も、仲を引き裂く気もないが、場所を移動してほしい。
 天志の肩は居心地の良い休憩所ではないのだ。

「オススメしたのは金木犀の木で、私の肩ではないのですが」

 思い切って肩を強く揺すってみる。二羽は器用にもバランスを保ち、簡易アトラクションを楽しんだ。
 遊んでいる気分なのだろう。天志や主にも語り掛けるように何度も囀る。
 これは簡単に離れそうもない。子供や動物に懐かれ易い天志も、流石に困ってしまう。

「皇慈くんは喜ぶでしょうが、生憎と私は忙しい身なのですよ」

 ハァと溜息を吐く。
 墓参りを終えたら教会へと戻り、神父の仕事を熟さなければならない。
 無許可で写真を撮るようなファンは減ったが、天志の多忙さは10年前と変わっていないのだ。

「しかしこの場所でツバメに好かれるとは、運命を感じるな。天志よ」
「それは父サマも肩を譲ってから、感慨に耽ってください」




「チュルチュル」
「ピチュピチュ」

 ツバメはこの土地を気に入ったようで、二羽とも居付いた。
 しかしどちらも雌を寄せ付けず、お互いを番として暮らしている。
 その左足に指輪に似た揃いの痣がある事を天志が発見するのは――随分と経った頃である。




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あきゅろす。
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