初恋は桜の中で:番外編
ホワイトスノー・クリスマス/緋色×山吹


 クリスマスアンケート第2位:秋空緋色×雪白山吹。




 照明を落とした店内は薄暗く。グラスを傾ける音がカラリと響いている。此処は大人の社交場。都会の一角に存在する“バー”だ。

「あのお客さん。また“お連れさん”が変わってるスッね」

 テーブルを拭き終えた青年が、カウンターに戻って来る。彼は今月入ったばかりのバイト。名前は石井(いしい)だ。

「あー?」

 緋色はそれに素っ気無く応え、カクテルを注いだ。縦長いグラスの中で、丸い気泡がジュワジュワ弾けている。淡い桜色のカクテルはほんのり甘く。女性客に人気が高い。

「無駄口叩いてる暇があったら、運べや。新人」
「ウース」

 ごわごわと硬そうな短い髪。強面の緋色にも人懐っこい顔を見せる青年。大学生だという石井はラグビー部に所属しているそうで、絵に描いたような体育会系。この店のバーテンダーである緋色から見れば、職場の新人だ。

「おまたせいたしました」
「どうも」

 石井は桜色のカクテルをトレーに乗せ、運ぶ。その手付きはぎこちなく、頬が強張っている。視線の先には妖艶な美女。女気の無い彼は、極度の緊張に包まれているのだろう。

「ねぇ、千夜さん。クリスマス・イヴに会ってくれたって事は、ワタシが本命だと思っていいんですよね?」

 けれどその女性は注文のカクテルを受け取り。石井を瞳の中から完全に消した。彼女の関心は目の前にいる男にしかなく。無骨なボーイなどに興味の欠片もないのだ。

「思い上がるな。お前程度の女、変わりは幾らでもいる」

 十人中十人が美女だと認める蠱惑的な女性。しかし、その美女を前にしている男性は表情を微塵も動かさず。甘い誘惑の色香にも、理性を崩さない。
 纏う空気の冷たさは椿のブリザードを凌ぐほど冷え切り。漆黒色の髪は冷徹な闇夜を思わせる。腰に響く重厚なビブラートは鼓膜を甘く痺れさせ、脳を酔わせる。魔性の音色。
 千の夜を超えても、感情を変えない色男。その男の名前は、卯月千夜(うづきせんや)。一夜の父親だ。

「――なに、ボーとしてんだ。あの野郎は」

 けれど緋色はそれを知らず。千夜の魔力に魂を奪われている石井に、『早く戻れ』とアイコンタクトを送っていた。




「すいませんしたッ!」

 休憩時間に入り。石井は緋色に頭を下げた。その声は大きく、部屋に反響している。

「ったりめーだ。客のプライベートを覗いてんじゃねーよ」

 パイプ椅子にドカリと座り。緋色は新人に注意を促す。
 千夜は石井の存在など微塵も視界に入れていなかったけれど。それで無問題という訳ではない。緋色は先輩として、彼を叱らなければならないのだ。

「以後気を付けますんで……」

 先輩からのお叱りに、気を落とす後輩。石井は大きな体を小さく縮こませ、反省を見せる。

「あー。店長には報告しねーよ」

 緋色の目つきは鋭く、性格も横暴だ。けれどその反面、面倒見のいい一面も持っている。
 床に付きそうなほど頭を低くしている後輩の心情を汲み取り。心配事を取り除いた。瞬間、石井の顔がパァと輝く。

「緋色先輩!」
「ただし、今回だけだぞ。次はねーからな」
「ウス! 肝に銘じるスッ」



 ◆◆◆



 バーテンダーという仕事がら、緋色の帰宅時間は遅い。店を出る頃には0時を過ぎ、日付が完全に変わっていた。

「チッ。寒みーな。チクショー」

 暖房の効いていた室内から、冷気が支配する外へ。空に視線を向ければ、真白な結晶がチラチラ。緋色は軽く舌打ち。文句をたれる。

「うおッ! ホワイト・クリスマスなんて、オレ初めてスッよ」
「冷てーだけだろ、雪なんざ」

 今日は12月25日。クリスマス当日だ。その日に降る雪。それはロマンチックなホワイト・クリスマス。
 けれど緋色はそれを何とも思わない。ただの自然現象。ロマンチックという単語よりも、電車の運行状況が気に掛かる。

「でも“恋人”さんは喜ぶんじゃないスッか?」
「いや、どうせ会わねぇし」
「えッ! まさか別れ」
「仕事だ、仕事。相手が忙しい奴なんだよ」

 顔に似合わず、恋愛関係の話題が好きな石井。それにぶっきら棒に答え、緋色は目線を前方に向けた。
 真白な雪が舞う視線の先。大判のポスターが飾られている。来春公開の映画を宣伝したものだ。緋色の恋人は、そのポスターの中にいる。
 灰色の煙を上げ、燃えるビル群。それをバックに、銃を構える眉目秀麗な男前。雪白山吹。職業は俳優。老若男女、誰もが知る有名人だ。




『人類滅亡まで、後――』

 爆発音が響き。映画の公開日が表示される。

 緋色は石井と別れ、家へと帰っていた。簡単な夜食を作り、空腹の腹に掻き込む。暇潰しにテレビを付ければ、山吹主演の映画が宣伝されていた。

『クァアアア!』
『ッ……私が、この程度で倒れると思ったか――!』

 液晶画面に映る恋人の姿。山吹は母親譲りの美貌をキリリと引き締め。人類の敵らしい怪物と対峙している。

「……あふ。そろそろ寝るか」

 番宣番組も終り。欠伸を一つ。緋色はそれを合図にテレビの電源をきった。
 時計の針は午前2時を指している。流石に眠い。




 ベッドに潜れば、睡魔は直に襲ってきた。

「――なぁ、緋色。今夜は雪が降ると思うか?」

 意識が過去に落ちる。緋色は夢を見ていた。
 何故、それが夢だと分かったのか。それは、ここ何年も共にクリスマスを過ごしていない恋人がいたからだ。
 それを認識した途端、視界が開け。世界が明るく照らされた。緋色と山吹は制服を着ている。学生時代の記憶だ。

「あ? 天気予報見てねーのかよ」

 一年に一度の聖夜。恋人に会えないのは、正直残念だ。けれど、それに対して文句をぶちまけるほど、緋色は女々しい性格をしていない。山吹の多忙さは理解している。
 しかしそれは、緋色の表面的な感情でしかない。深層心理の底では、山吹との時間を望んでいた。無意識の渇望が、夢を見せているのだ。

「はは。勿論見たさ。晴れだと言っていた」

 だが、と。形の良い唇が動く。亜麻色の艶髪が冬風に揺れ、山吹は愛情を口にした。

「椿に、雪を見せたくてな」

 ブラコン全開の台詞に、緋色の眉根は歪んだ。山吹は10以上歳の離れた弟を、猫可愛がりしているのだ。

「あいつが、雪如きで喜ぶかよ」

 吐き捨てるように言葉を返した。山吹の表情が曇り空を浮かばせる。
 ツンと澄ました生意気な子供。緋色は椿に対して、良い感情を抱いていない。

「喜ぶような子に、育って欲しいんだよ」

 山のように高い身長。優美な容姿。慈愛に満ちた声音。性格も落ち着いていて、欠点など見つからない。山吹は緋色の目から見ても、最高級の男だった。




 ◆◆◆



「お帰りなさい。兄さん」

 学校帰りに雪白家に立ち寄れば、静かな足音が耳に届き。小さな子供が顔を出した。椿だ。

「ああ、ただいま。椿」

 山吹の頬がホワリと緩む。現在の椿は6歳。幼い弟が玄関まで出迎えに来る姿。それは兄の目線から見れば、相当な可愛さなのだろう。

「ほら、緋色お兄さんにも挨拶しなさい」

 言いながら山吹は、椿をふわりと抱き上げる。緋色の目線と、高さを合わせる為だ。
 しかし二人の視線が交差する、その瞬間。吸い込まれそうな椿の瞳と、鋭い眼光を放つ緋色の三白眼が火花を散らした。

「僕は貴方が嫌いだ」
「八ッ! 気が合うな、オレもお前が大嫌いだ」

 少女のように可愛らしい容姿をしている子供。けれど椿は完全なる父親似。山吹とは微塵も似ていない。雪白家の事情を知らなければ、誰も兄弟だと気付かないほどだ。
 そしてその事情が、緋色の心に暗い影を落としていた。山吹と椿は異父兄弟。しかも山吹の初恋相手が、椿の父親なのだ。

「僕は認めない。理知的な兄さんに、粗野な人間は不似合いだ」

 椿が顔をツンと背け、雪吹雪を吹かせる。尊敬する兄の恋人がお気に召さないようだ。

「ホント、可愛くねークソガキだな。お前が認めなくても、山吹はオレのなんだよ!」

 けれどそれは緋色も同様。額に青筋を浮かべ、拳を握った。山吹の弟でなければ、その生意気な唇を引っ張ってやりたい。

「――椿、止めなさい。私が好きになったひとだ、緋色は悪い人間ではないよ」

 緋色と椿の火花が激しさを増す中、山吹が注意を口にする。
 顔を合わせれば口喧嘩を繰り返す緋色と椿。その状況に心を砕いているのは、要因となっている山吹本人なのだ。

「っ……はい。ごめんなさい。兄さん」

 恋人と弟。大切な人間には仲良くして欲しい。山吹のその言葉を聞き、椿の肩が反省を表すようにシュンと落ちる。

「ハッ! いい気味だな」

 緋色は勝利を誇り、胸を張る。山吹が自分に対した口にした『好き』という感情に、気分が良い。

「緋色、お前もだ」

 山吹が呆れたように溜息を吐く。が、それも心地良い微風。緋色は勝者の笑みをニヤリと浮かべた。

「……兄さん、僕は“個人的に”この男が気に入らない」

 それが気に障ったのか、椿の眉が不機嫌を表す。そして緋色に睨みを飛ばし、山吹の腕中から抜け出した。

「ぁ、待ちなさい。椿!」

 遠ざかる弟の背中に、山吹が声をかける。けれど椿は一度も振り向かず、自室へと消えて行った。




「相変わらず小洒落てんな」

 ブレザーを脱ぎ、窮屈なネクタイを緩める。
 今、緋色がいる場所は激しい火花を散らした玄関ではなく、山吹の自室。冬の冷気に冷やされた足先を、床下暖房が温めていた。

「緋色、お前も歩み寄れないのか?」

 心身ともに温まる緋色。その耳に、山吹が疑問を投げる。確認するまでもなく、椿との不仲を注意しているのだ。

「年上の“お兄さん”だろう」

 それを同じ目線で争うとは、大人気ない。山吹はホットコーヒーを差し出し、緋色に兄の顔を向ける。

「先に“嫌いだ”つったのは、あっちだろうが」

 緋色は受け取ったマグカップに口を付け、ほろ苦いコーヒーを啜った。胃まであたためられ、頬が蒸気してくる。掌で風を作り、頬熱を冷ました。

「ハァ……。折角のクリスマス。楽しく過ごして欲しいと、誘ったのが間違いなのか?」

 山吹の美貌に影が落ちる。真面目に取り合わない緋色の態度に、悩みを深めているのだろう。

「――楽しくなら、今からでもなれるぜ?」

 憂いを浮かばせ、悩ましい溜息を吐く山吹。緋色は声のトーンを低く落とし、恋人に腕を伸ばした。
 襟首まで締められたネクタイに人差し指を通し、軽く緩める。形の良い山吹の鎖骨が、外気に晒された。

「ッ、緋色……!」

 山吹は憂いを消し、雪頬に羞恥を浮かばせる。緋色の心臓はその反応に、高鳴りを強めた。


『プルルルルル』

 しかし、緋色の夢世界は「これからだ!」という場面に差し掛かった所で、終りを告げてしまう。

「――……チッ。人様が良い夢見てるつーのに、誰だ!」

 絶え間なく鳴り続ける音が、脳に響く。その音の正体はケータイの呼び出し音。
 緋色はそれに手を伸ばし、文句をぶつけた。

『ぁ、すまん』




 ◆◆◆




「いらっしゃい。緋色さん」

 勝手知ったる恋人の家。緋色がリビングで寛いでいれば、菜花が顔を出した。
 朝方掛かって来た電話。それは山吹からのものだった。俳優という仕事柄、山吹の休みは突然取れたりする。当然、緋色にその連絡が突然来る事も屡なのだ。

「おう、菜花。邪魔してるぜ」

 菜花は山吹の妹。子供の頃から知っている。気心の知れた女性だ。
 山吹に似た美しい容姿が、可憐な花を思わせる。

「うふふ。あのね、緋色さん。椿くんが、一夜クンのお家に“クリスマスお泊まり”に行っているのよ」

 菜花はふわふわと微笑み、弟の近状報告を聞かせてきた。その蜂蜜色の声は嬉しそうに弾んでいる。

「ほー。山吹がよく許したな」

 夢の中で6歳の子供だった椿。今では立派に成長した少年だ。しかし緋色との関係は相変わらず。顔を合わせれば、口喧嘩を繰返している。
 その生意気な椿が留守。それは良い情報を聞いた。緋色は茶請けのチョコレートを摘み。ニヤリと笑んだ。

「椿くんが好きになった子だもの、一夜クンは良い子よ。兄さんも、そう思っているわ」

 ふわふわと花の笑顔を咲かせたまま、菜花が言葉を続ける。

「でもね、少しだけ心配になってしまうの」
「つまり、反対したんだな」
「夏休みからの約束なんですって。椿くん、頑張っていたわ」
「あいつ弟に言い負かされたのか」

 ポリッ。チョコレートにコーティングされたマカダミアナッツが砕ける。緋色は雪白兄弟の家族会議を脳内に浮かべ。甘いチョコレートを喉の奥に消した。

「――盛り上がっているな、何の話題だ?」
「あら、兄さん」

 その時、話題の人物。雪白家長男の山吹が現れる。山吹は緋色をリビングへと通し、飲み物を取りに行っていたのだ。

「お前の可愛い弟が“男と乳繰り合ってる”っつー話だよ」
「緋色……もう少し、オブラードに包んでくれないか」

 白い湯気が芳醇な香りをほわほわ漂わせる。温かいマグカップをテーブルに置き。山吹は緋色の横に腰を下ろした。




「まぁ、折角のクリスマスだ。私たちも楽しもう」

 人数は減ってしまったがな、と。山吹が苦笑を浮かべる。実は椿に引き続き、菜花も出掛けてしまったのだ。
 椿は兎も角、菜花の方は兄に気を利かせたのだろう。緋色と山吹が共にクリスマスを過ごす。それが数年ぶりの事だと知っているから。

「そう言や、今夜も雪だってな。電車が止まったら泊めてくれよ? 山吹」

 緋色は菜花の心遣いにそっと感謝した。わいわいと過ごす時間も楽しいけれど、愛しい人間と過ごす時間はやはり特別だ。

「ふふ。そんな建前を用意しなくとも、今夜はお前にあげるよ――私の愛しい、緋色」

 山吹が腰を屈め、緋色の耳元に愛情を降らせる。その光景はまさにドラマのワンシーン。恋人に愛を囁く色男そのものだ。

「ッ……。言ったからには、後悔すんなよ。その綺麗な足腰、立てなくしてヤるぜ」
「はは。お手柔らかにな」

 思わず、緋色の頬に朱が走る。普段は気にしない身長差が妙に憎らしい。


 窓の外では真白な結晶が再び舞い始め、世界を雪色に染めていた。




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あきゅろす。
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