初恋は桜の中で:番外編
愛しい雪風/一夜×椿


 闇の世界に、沈んだ大地がありました。
 太陽の光が届かない暗い大地は、涸れ果て。草の一本さえも、芽生えない。乾いた場所です。
 けれど夜の闇に覆われる大地には、友がいました。冷たい、でも綺麗な結晶を舞わせる。流麗な雪風。
 冷たい雪風は暗い大地に、毎年雪を届けてくれました。チラチラと舞う。真白な結晶。涸れた大地が、純白に染まります。
 夜の世界の中でも、それはキラキラと輝き。大地を染めます。一面真っ白な雪の世界の出来上がりです。
 けれど冷たい雪風では、孤独な大地に花を咲かせる事は出来ないのです。大地はそれでも、雪風が好きでした。
 それは暗い夜の世界の中で、唯一の友。大地は雪風と逢える季節が終わりに近づく時を、名残惜しく思っていました。
 雪風は毎年『今年の春には、花が咲く事を祈っている』そう言って、大地の元を離れて行きます。
 大地はその度に、再びめぐり逢える季節が、待ち遠しい、と。思っていました。
 涸れた大地に花は咲かなくても、雪は降り積もります。大地はそれで、満足していたのです。
 雪は冷たいけれど、大地を優しく包んでくれて。溶けて水になれば、涸れた大地を一時潤してもくれます。
 それは大好きな雪風からの贈り物。大地は、満たされていたのです。

 季節はめぐり、春に成りました。ふわふわ、と。楽しい季節の始まりです。
 けれど暗い大地に生命は芽生えず。寂しい時間を過ごしていました。
 早く冷たい雪風に逢いたい。大地はそれを想いながら、季節を流していました。
 ある時。暖かい春風が、渇いた大地に種を運んでくれました。美しい花を咲かせる、一粒の種です。
 けれどそれは春を過ぎて、夏に成っても芽を出さず。蕾を付ける事さえありませんでした。
 大地はついに、雨を望みました。枯渇した土地を潤してくれる、雨を望みました。美しい花を育ててくれる、恵みの雨を渇望しました。
 今年こそ、花が咲いた、と。それを望む雪風に伝えたかったのです。共には見れなくとも、雪風はそれを知ったら喜んでくれる。大地は、それが魅たかったのです。
 天がその望みを聞き入れたように。大地に雨を降らせました。冷たい雨粒は渇いた大地に吸収され。それを潤します。
 やがて大地の底から、眠っていた種が目を覚ましました。
 それは遥か昔。冷たい雪風が、真白な結晶体に包んで運んで来た種でした。その種は枯れる事なく、大地の底で眠っていたのです。
 何時の日か、涸れた大地を美しい花で埋め尽くす為に。望まれたその時に、目覚められるように。
 冷たい雪風が運んだ種は、大地に芽生え。葉を付け。蕾を綻ばせました。

 そして暗い夜の中でも、涸れた大地の上でも。艶やかに開花する満開の花を大地に咲かせたのです。
 それは気高く美しい紅い花でした。大地は歓喜し。その美しい花を大切に育てました。

 季節は再びめぐり。冷たい雪風が、大地の元を訪れます。
 喜んだ大地は、大好きな雪風にその花を見せました。その花は冷たい雪風の中でも、凛と咲き続け。雪風を綻ばせます。
 大地はそれが嬉しくて、優しい雪風に言葉を伝えました。

『種を届けてくれて、ありがとう。ぼくはもう、孤独じゃない』

 渇れた大地は過去になり。美しい花が咲き続けます。

 冷たい雪風が舞い、綺麗な結晶を降らせました。
 紅い花の表面に、純白の白粉がキラキラと輝き。とても綺麗な光景を、大地の上に咲かせます。

 大地は雪風に、ずっと一緒にいて欲しい、と。伝えました。
 大地は雪風を愛していたのです。

 種は想い。芽生えたのは、恋心。咲いたのは――雪風の愛情でした。




 ◆◆◆



「椿」

 一夜は指先に紫黒色の艶髪を絡ませた。それは椿が何時も、一夜の漆黒で遊ぶように。愛情の欠片を乗せて、慈しむように。
 静寂に包まれた部屋は暗く、夜の闇が支配している。窓硝子からは緩やかな月光が差し込み。紫黒の艶髪を、優しく照らしていた。
 時間は確認していないけれど、日付は変わっているだろう。睡魔が夢の世界へと手招きしている。瞼が、それに誘われた。

「ん……」

 一夜は今にも閉じそうな瞼を、何とか止(とど)めた。普段なら、寝ている時間。けれど、今はその時間が惜しい。
 椿と過ごす、初めての夜。初めて、肌を重ねた。愛を交わした、大切なひと。眠ってしまうのが、勿体無い。
 椿の体温は一夜よりも低く。抱きしめれば、身体の熱が奪われる。冷たい雪肌が、一夜の熱に溶かされて。丹花の唇は、甘く囀(さえず)る。
 愛しい時間。睡魔などに、邪魔されたくはない。

「――……眠いんだろう。寝たらどうだ」

 まどろみに溶けようとしていた一夜の耳に、澄んだ中音域が届く。椿の声だ。
 椿の声音は、その性格を現すように凛として。一夜の鼓膜を震わせる、流麗な音。耳心地が良く、心が惹きつけられる。

「今度は僕が、一夜の寝顔を魅ているから」

 椿は一夜の耳元に唇を寄せ。愛を囁く。その言葉にドキリとした。
 規則正しい寝息。夢にとける長い睫毛。閉じられた、心を見透かす瞳。一夜は隣に眠る椿の寝顔を魅ていた。それは、真実だ。
 けれどその時。椿は確かに眠っていて。月光があどけない寝顔を照らしていた。

「起きてた、んですか」

 一夜は気恥ずかしさに、動揺する。恥ずかしい秘密に、気づかれていた。
 椿は一夜に秘密を作らせてくれない。直に暴いて、自分の武器にする。ずるい。一夜ばかりが、惑わされて。手玉に取られているような感じがする。
 夏陽は椿を『小悪魔』と呼ぶ。それは椿のそれに惑わされて。翻弄されて、表現したのだろう。
 椿はずるい。観察眼が鋭すぎるのだ。誰も気づきそうもない事を発見して、知識に沈める。
 それは演技の肥やしになるように、山吹から教えられた事。一夜はそれを過去に聞かされていた。けれど山吹は“友人の心を弄べ”とは、アドバイスしていないだろう。
 でも一夜は椿のそこが堪らなく好きだ。意識されている。気遣われている。理解を示されている。それは椿の愛情の欠片。だから、とても好きだ。心が、むず痒い幸せに満たされて。溶かされる。

「ん……? 寝ていたよ。色々と、疲れたし」

 椿の雪頬が桜色に染まる。その意味に気づいて、一夜の頬も熱を意識した。甘い情景が、脳裏に蘇る。

「ぁ、……」

 不意に、一夜の視線が椿の首筋に惹きつけられた。真白な雪肌に紅い花が咲いている。それは一夜が付けた刻印。
 鼓動が高鳴り。羞恥が身を包む。夢中で気づかなかったけれど、その花は椿の全身に咲き誇っていた。

「一夜」

 椿が腕を伸ばす。繊細な指先が、一夜の髪を梳(す)く。そのまま撫でられ、眠りへと誘われる。
 その腕にも、紅い花が咲いていて。一夜の独占欲を意識させた。美しい肢体が、月光に照らされる。
 綺麗な椿。一夜の大切な椿。それは誰よりも愛しい存在。
 闇の世界に沈んだ大地は、一夜の心。唯一の友・冷たい雪風は、紫黒髪の美しい少年。孤独な大地に咲いた、紅い花の名前は『ツバキ』だ。一夜の心の中には、ツバキの花が艶やかに咲き誇っている。

「格好良い」

 菜花に切り揃えられた前髪。椿は短くなったそれを、サラリと。横に撫でる。夢に落ちそうな瞼に、柔らかい羽根が舞い降りる。
 椿が秘密の恋を告白するように、一夜の瞼に口付けていた。

「おやすみ。僕の愛しい一夜」

 椿の静かな囁きが、一夜の鼓膜を揺らす。まどろみ、沈む意識の中で。愛しい花が咲いている。純白の雪化粧を纏う、美しい紅い花。
 冷たい雪風は、大地の愛に、何と答えたのだろう。

「椿……俺と――ずっと、一緒に、……いてください」

 寝言にも聞える愛の告白(プロポーズ)。一夜のそれに、息を飲む音が聞こえた。椿の動揺が、肌に伝わり。その雪頬が桜色に染まっている、と。瞳に映さずとも、分かった。

「ずるい。僕ばかり、君に惑わされてる」

 椿は少し拗ねたように、呟く。その言葉に、一夜は喜びを感じた。椿も一夜の一挙一動に、動揺してたり。心を振り回されたりするのだ。
 誰も入る事の出来ない。心の城壁。椿のそれは、一夜の前でのみ。扉を開く。硬い蕾が、開花するように。

「起きて。後悔しても、僕はもう知らないからな」

 一夜は後悔なんて、しない。椿が共にいてくれるのならば。それは幸せな、未来の光景だ。
 孤独な大地は花を咲かせ。愛しい雪風と踊るのだ。それが自分の幸せだと、夜の闇に伝えるように。




1/1ページ


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!