初恋は桜の中で:番外編
何時もと違うバレンタイン/夏陽←冬乃:中学1年生時代


 片想い。
 それは切なくて辛いもの。
 けれど気付いた時、相手はもう別の相手を追いかけていた。

『嗚呼どうか泣かないで。……私は彼が好きな君を愛したのだから。応えてくれなくても、責めはしないよ』
『でもあたし、センパイに頼ってばかりだった……なのに』

 長く綺麗な指先が溢れる滴を優しく拭き取る。
 それを合図に笑顔を見せる女性の動作が不自然な程ぎこちない。演技のレベルが格段に違う。素人でも分かるミスキャストだ。

「このアイドル、絶対山吹に惚れてたよな」

 何度も見たドラマの感想を何の気なしに呟く。
 放送当時は人気絶頂アイドルが主演を務めるという事で話題を呼んだが、2年が経過した現在は相談役兼当て馬役だった山吹の切ない片想いシーンばかりが印象的だ。
 自分の恋心を奥底に閉じ込めて、絶対振り向かない相手(ヒロイン)を最後まで応援し続ける好青年。
 実際の山吹もそんな恋をしている――いや、していたのかと思わせる。リアルで、切ない表情(演技)だ。

(俺には無理だな。振られた直後に相手の背中を押すような真似)

 冬乃はテレビの電源を切り、物思いに耽る。
 葉月夏陽。
 冬乃が長年片想いしている相手も叶わない恋をしている。
 不毛な片想い連鎖。
 小学生時代から続いている関係は中学に入って大きく変化した。
 それは誰かの想いが届いたからでも、人知れず切ない片想いを終わらせたからでもない。
 冬乃側の恋敵(ライバル)――雪白椿が、まさかの恋に落ちたのだ。
 つまり現在、長年の三角関係は四角関係。椿もまた、叶わない恋をしていた。

(しかも名前も知らない相手って。夏陽もとことん報われないよな)

 不憫な。
 思わず冬乃は片想いの枠を超えて夏陽に同情する。
 やはり2人の関係は基本的に親友同士だ。本音では夏陽に失恋の涙を流してほしくないと思う。
 けれどそれは冬乃自身の恋を自ら壊す必要がある。臆病者と謗られても、今の冬乃にその勇気はない。
 それになにより、夏陽の恋が叶う可能性は1000%ゼロだ。
 まだ椿と組んで共闘戦線を張った方が円満な結末を迎えられそうな気がする。

「まぁ、椿ちゃんは俺となんて組まないだろうけど」

 冬乃は「ん〜」と背筋を伸ばし、そのまま寝転ぶ。
 床に敷かれたシャギーラグは柔らかく、成長期の背中を軽く受け入れる。むき出しのフローリングでは「冷たい」と感じただろうが、一時の休憩が本格的な睡眠に発展しそうなほど心地良い。
 季節は寒さ真っ只中の2月中旬。明日は全国の女性のみならず男性にとっても勝負の1日――聖バレンタインデーだ。
 しかし明日を向かえずとも結果は分かりきっている。
 義理チョコが貰えて3〜5個。それも手軽に購入可能な数10円程度の駄菓子チョコだろう。
 バレンタインに浮かれる気持ちは冬乃の中にも有るが、例年以上の成果を得られるとは思っていない。
 両手に抱えきれないほど大量のチョコを毎年贈られている人物が身近に居るだけに、冬乃は自分の力量を冷静に分析した。








 そして2月14日バレンタイン当日。
 夏陽が下駄箱を開けた瞬間、チョコレートの箱が雪崩のようにザラザラ落ちて来た。その数目測で8個。しかも下駄箱の奥には未だ3箱程残っている。

「今年も凄いな、夏陽」

 サッカーボール型のプラスチック箱が冬乃の足元まで転がって来る。それを片手で拾い上げ、夏陽の下駄箱へ戻す。
 夏陽はサッカー部所属だ。その好みに合わせたセレクトは、間違いなく本命チョコだと分かる。

「いや〜。冬乃に言われると倍照れるな」

 バレンタインに浮かれまくった夏陽が「えへへへ」とだらしなく笑う。
 昇降口に散らばった他の箱もすべて拾い終り、下駄箱の奥まで一旦押し込む。そしてスクールバックを開け、用意周到に手提げ袋を取り出した。
 大凡の男子中学生が血の涙を流して夢見る現実(本命チョコ)を、慣れた手付きでヒョイヒョイと詰めてゆく。
 それが何だかムカついたので、冬乃は口をへの字に曲げた。

「でもまぁ、椿ちゃんには完全スルーされてるけどな。毎年」
「グガッ!」

 夏陽の背筋がショックの電流を流す。
 そもそも椿は受け取る側なのだが、中性的な彼の容姿はそれを一瞬忘れさせる。
 椿程の美少年だったら夏陽でなくともバレンタインチョコレートを貰ってみたいだろう。本人の“性格”はこの際目を瞑って。

「何だよ、冬乃……怒ってんのか?」

 夏陽が肩を落しつつも冬乃のご機嫌を伺う。

「ああ。朝から本命チョコ塗れの人気者は、バレンタイン限定で男子の敵に決まってるだろ」

 キッパリ言い放つ冬乃。
 すると昇降口に屯っていた他の男子グループが「おお! よくぞ言った!」と、賛同の雄叫びを上げる。
 普段は明るい笑顔と気さくな性格で人の輪の中心に居る夏陽も、今日ばかりは男子生徒全員から嫉妬の眼差しを向けられていた。
 夏陽自身に非はない。が、これもモテ男の不憫な特典なのである。

「えー。ならオレ、今日一日冬乃に嫌われんの?」

 モテ自慢を無自覚に嘆く夏陽。
 一発殴ってやりたい衝動を抑え、冬乃はプイッとそっぽを向く。それを肯定と感じたのか、夏陽は本格的に焦り出す。

「ちょ、今日だけだよな? まさかバレンタインを切っ掛けに絶縁とか」
「さあ。それは夏陽次第じゃねえ」

 勿論そんな気は微塵も無い。
 けれど冬乃は夏陽に恋をしているのだ。好意の結晶であるバレンタインチョコレートを大量に見せ付けられれば、夏陽に悪気がなくても腹が立ってしまう。
 報われない恋とは本当に厄介で面倒なものだ。

「大丈夫だって! 冬乃も絶対貰えるから。そんなにむくれるなよ」
「確実に義理だけどな」

 冬乃は素っ気なく応える。夏陽の励ましは嬉しいけれど、所詮は慰めだ。
 それになにより、冬乃が一番欲しいものは手に入らない。




 ◆◆◆




 そして放課後。
 冬乃は予想通りのバレンタインを過し、教室を出た。例え世間がバレンタインの雰囲気に浮かれていても、図書委員の仕事は通常通りだ。
 けれどどうせ今日は暇だろう。
 放課後はラストチャンス。女子は相手が帰宅する前にバレンタインチョコレートを渡したいだろうし、男子も居残っている者が多い。
 図書室へ向かう廊下の途中でも、ソワソワと向かい合う男女の姿を何組か見た。
 一体今日一日で何組のカップルが誕生したのだろう。
 そして何人の人間がチョコを渡せなかった悔しさに涙を流すのだろうか。
 何方も関係ない冬乃はクラスメイト連盟で贈られた10円チョコをポケットから取り出し、赤色の包み紙を外す。そして口の中へ放り込んだ。
 甘くてほろ苦い恋の媚薬が口内でトロリと溶ける。

(チョコは注意されずに食えるけど、暇だな)

 思わず冬乃は気を抜いて頬杖を突く。
 バレンタインと関係のない図書室は閑散としている。冬乃が貸出カウンターの椅子に座ってからも、本を借りに来た生徒はいない。
 例外といえば一人だけ。一番奥の席で黙々と本を読んでいる常連客のみだ。
 真一文字に引き結んだ口許とスレンダーな肢体。目元まで伸びる前髪が邪魔で表情はよく見えないが、大人しそうな印象を強く感じる少年だ。
 彼もバレンタインとは無縁の人生を歩んでいるようで、普段と変わらない日常を過していた。
 けれど冬乃は知っている。
 夏陽が一番望んでいるものを手に入れられる人間――椿の想い人は彼なのだ。

(椿ちゃんもこの期に乗じて告白すれば良いのに)

 冬乃は欠伸を噛み殺しながらボンヤリ思う。
 椿は今現在、演劇部で汗を流している最中だ。けれど休み時間は何時も通り図書室を訪れていた。
 告白まではいかなくとも、話し掛けるチャンスくらい有っただろう。
 もどかしい。
 三角が四角に変化した所で、物語は容易に動かない。

「あ、夏陽」

 ふと窓の外へ視線を向ければ、サッカー部の部員が校庭のトラックを息を弾ませ走っていた。
 2月の寒風が街路樹の枝葉を容赦なく撓らせる中でも力強い掛け声が何十と飛び交う。
 夏陽の姿もその中に有り、冬乃の心臓は反射的にドキンと高鳴った。
 西日のベールが真剣な横顔を照らす。キラキラと輝く努力の結晶が、夏陽の魅力を最大限に惹き出している。

(やっぱり、カッコイイ。女子人気が高いのも当然……だよな)

 夏陽を見詰める冬乃の頬がフニャリと緩む。
 そして冬乃は椅子から立ち上がり、貸出カウンターを出た。
 件の常連客は微動だにせず本を読み続けている。暇な図書委員がプライベートな時間を優先しても、文句一つ言わないだろう。
 冬乃は窓辺まで行き着くと、グラウンドに面した図書室の窓を10p程度開けた。氷のような冷気が赤らんだ頬を撫でる。

「おーい。練習頑張れよ、夏陽―!」
「ああ。サンキュー」

 声援に気付いた夏陽が冬乃に向かってニカッと明るく笑み、右手を大きく振り上げる。

「そーだ冬乃。渡したい物があるから、今日一緒に帰ろうぜー!」




「で、渡したい物って肉マンかよ」
「あまい。今日は豪華にピザマンやカレーマン、何とバレンタイン限定ショコラマンも有る」

 冬乃は脱力しつつも緊張の糸を解く。
 通学路の途中に有るコンビニ。夏陽は其処に立ち寄り、ホカホカの中華マンを大量に購入して来た。
 可愛らしいチョコ箱を両手に提げたバレンタイン勝者が女子の誘いをすべて断った結果がこれである。

「バレンタインに女の子の誘い断ってまで、食欲優先するか? 普通」
「冬乃も好きだし、別に良いだろ。それに誰か一人選ぶと後で大変なんだよ」

 男の本音をしれっと言い放つ夏陽。冬乃の前で完全に気を抜いている。
 公園のベンチに隣り合って座り、夏陽がコンビニ袋を間に置く。その中から特大サイズの肉マンを取り出し、ハフハフ頬張る。

「うわっ! 何そのモテ発言。全国の男を敵にまわすぞ」
「ええっマジ!? 今日何回冬乃に嫌われんの、オレ……」

 夏陽がガクンと肩を落とす。

「なんで全国の代表が俺なんだよ。つか、そもそも嫌ってないし」

 言いつつも冬乃は照れる気持ちを隠せない。ピザマンに齧り付き、にやける口許を誤魔化す。

「は、え? バレンタイン絶縁問題は何時の間に解決」

 夏陽が疑問符を浮かばせながら顔を上げる。どうやら、朝のやり取りを今まで引き摺っていたようだ。
 それは愛情ではなく友情だけれど、冬乃は嬉しく思ってしまう。
 片想いは切なくて辛いものだ。けれど道端に転がっていそうな些細な出来事でも、心の宝物に変わり易い。

「そうだな。夏陽がショコラマン手渡ししてくれたら、今年のバレンタインは大勝利って事にするよ」

 チョコフィリングのあんをココア生地で包み込んだ、甘いデザートマン。冬乃はそれを指差し、ニマリと笑む。
 バレンタインにチョコを求めたのだから、勿論そういう意図を籠めてだ。
 夏陽は最初戸惑いを見せたが、直ぐに快く頷いた。
 まぁそれも冬乃の恋心に応えたのではなく、純粋な友情の証しなのだけれど。
 こうして冬乃は中学1年のバレンタインデーに例年以上の成果を得たのだ。

「あ、冬乃。オレの分も食うか?」
「いや、流石に一個でいい。デザート系はやっぱ甘いわ」




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