初恋は桜の中で:番外編
君が届けてくれた5



 ◆◆◆




 そして時は流れ、三度目の冬。椿は駅前で愛しい恋人を待っていた。
 厳しい寒風がビュウビュウと吹き抜け、枯れ枝をカラカラ揺らす。氷点下の気温。重くどんよりとした雪雲が切れ目なく続いている。
 けれど椿の心と体温はホカホカと温かい。

「椿」

 落ち着いた声音が世界に浸透する。
 駅の出口から真直ぐ向かって来る少年こそ、椿の待ち人。愛しい一夜だ。
 椿は花が綻ぶように微笑み、ひらひらと手を振る。すると一夜が嬉しそうにスピードを上げた。椿の許まであっという間に到着する。

「お待たせしました」
「いや。待ち合わせ時間ぴったりだ」

 ほわほわ。二人を包む空気が甘く蕩ける。今日は真冬のデートなのだ。
 一夜の首には漆黒のマフラーが巻かれている。それは椿が贈った。時期外れのクリスマスプレゼントだ。
 そして椿も、一夜からのプレゼントを身に付けている。
 指先までホカホカと温かい。ストライプ柄のレザーグローブ(革手袋)。落ち着いたブラックの色合いは椿の服装とも合わせ易い。お洒落な一品だ。
 オマケにと贈られたグローブホルダーも憎い演出で、雪結晶モチーフの飾りがワンポイントになっている。

「けれど一つだけ、残念な事がある」

 椿はふやけた表情をキリリと引き締めた。そして一夜の両手を優しく握り締める。
 お互いの頬がくっ付きそうな程距離を詰めると、一夜が照れつつも真剣に向き合う。

「もう一夜に、冷えた手を温めて貰えない」
「そんな事……俺は椿の手を何時でも温めます」

 薔薇の花が咲く。結局はただの惚気。恋人同士の甘い戯れだ。
 一夜もそれを分かっていて、椿に付き合ってくれる。

「ふふ。ありがとう。勿論一番嬉しいのは一夜だけれど、手袋が温かく守ってくれるからこその悩みだ」

 感謝と共に微笑む椿。
 一夜も釣られて嬉しそうに頬を緩める。

「俺、分かりました」


 そう言うと一夜は一歩踏み出す。
 唇の変わりにお互いの頬がピトッとくっ付き、陶器のように滑らかな感触が恋に火照る。

「椿の愛情は俺が思っている100倍以上、あたたかくて優しい――俺だけの宝物です」

 何時ぞやの問い掛け。一夜はそれを、「遅くなりました」と答える。
 そして一夜は照れたまま頬を離した。アウイナイトよりも魅力的な瞳が、椿の正解をジッと待つ。

「もうそれが正解で良い」

 本来椿の正解は、『一夜を愛している』と言う単純なものだった。
 一夜へ抱いている感情の一欠片でも気付いてもらえれば、幸せ――それだけの単純な駆け引き。
 たとえ雑談の一部として簡単に忘れられても構わない。
 けれど一夜は忘れず。椿へ予想以上の正解を届けてくれた。
 嬉しい。
 嬉しくて、嬉しくて。椿は一夜への愛を制御できない。

「愛してる!」

 今度は椿が一歩踏み出し、二人の距離を零にする。
 一夜の腕が戸惑いつつも腰を滑り、椿の背中を抱き返す。
 休日の駅前は人の往来が絶え間なく続いている。仲睦まじい恋人達や気の合う友人グループ。その視線がチラチラと集まり出す。
 椿はハタと自分の状況に気付き、一夜と顔を見合わせる。そして注目が騒ぎに発展する前に駅から離れた。




「僕は駄目だな。一夜を前にすると、つい我を忘れてしまう」

 一夜と椿はアーチ状の門を潜り、改めて口を開く。
 騒がしさを得意としない二人のデート場所は静寂優先。初詣や特別なイベントでもない限り、人混みを避けている。
 駅からバスに乗り込み約15分。バロック建築を基調とした美術館は静かに建っていた。
 立派な石像が広い庭園の各所で様々なポーズを決めている。
 しかし見物客は一夜と椿の二人だけだ。
 廃れている訳ではないが、わざわざ寒風吹きすさぶ中で観る物でもない。そんな所だろう。

「俺も椿と居ると、無意識に行動してしまうので。お相子です」

 一夜がポソリと呟く。
 耳に届くか、届かないか。ギリギリの音量。それは恰も椿の真似をしているようだった。
 しかし残念だ。椿の鼓膜は一夜の言葉を一字一句逃さず拾ってしまった。一夜へ彼の真似を返す事ができない。
 だから変わりに、愛しい頬へ口付けを贈った。
 椿が唇を離すと同時に、一夜の頬が朱色に染まる。

「聞こえた範囲で判断した。文句はあるか?」
「ない……です」

 一夜の右手がソロソロと上がり、感触を確認するように頬を撫でる。

「でもあの時、椿は俺にキスされたかった……ん、ですか?」
「そうだな。例え強引に奪われても、怒らなかった」

 椿は一夜の質問に答えながら、レザーグローブを片方外す。そして人差し指を柔らかい唇へ軽く押し当てた。
 過去の再現。容易に分かるキスへの誘いだ。

「ふふ。実際の一夜はとても優しいキスを贈ってくれる、けれどな」

 輪郭に沿って下唇を撫で、離す瞬間にリップ音をチュッと響かせる。妖艶な小悪魔の微笑もプラスして、椿は一夜だけを見詰めた。

「いえ、慣れていないだけで。……あの、今からしても良いですか?」

 一夜が遠慮深く、けれど恋に魅入られた声で問う。

「ああ、勿論。其方の期限も設けていない」

 椿の言葉を合図に、一夜が僅か一歩の距離を嬉しそうに詰める。
 真直ぐ向かい合い。お互いの背中へ腕を回す。

「椿……愛しています」
「ん、僕も一夜を愛してる」

 最初は軽く触れ合うだけの擽ったくて幼い口付け。
 直ぐに離し、照れたように頬を染める。夢で魅たどんな願望よりも甘美で優しい現実。
 二度目は一夜が下唇を食むようにリードする。それがだんだんと深くなり、赤い舌が絡みつく。
 甘い吐息が零れ。白い息が弾む。
 名残惜しく唇を離し、直ぐにギュッと抱き締め直す。
 温かい体温も溶け合う鼓動も、すべてが心地良い。幸せだ。
 不慣れな恋愛初心者同士だけれど、彼以外の唇を知りたいとは思わない。

「一夜は本当に温かいな。心の中までホカホカに温めてくれる」

 椿は一夜の愛情にトロトロ酔いしれる。
 照れる耳朶にお礼のキスをチュッチュッと贈り、漆黒の髪も愛しく撫でた。

「椿も、」
「僕の体温は低いだろう。むしろ寒くないか?」

 一夜の言葉を先回りする椿。
 真夏でも冷房要らずと評判の冷気が気になりだす。
 一夜は椿に対して不満をぶつけないけれど、それは偏に彼の性格によるものだ。普通の人間は椿の棘に10秒で音を上げる。
 けれど一夜は「いいえ」と、首を力強く横に振った。椿の不安も落ち葉のように吹き飛ばされる。

「椿も俺の心を温めてくれます。それに体温は冷んやりと心地良くて、ずっと触っていたいです」

 お相子です。
 一夜はそう言って、椿の頬へ唇を寄せた。フワリと柔らかい感触が恋の花を咲かせる。

「俺、今は椿が勿体ない相手だと思っていません」

 一夜の腕が腰から外れる。
 意図を汲み取った椿が拘束を解くと、一夜は一歩下がった。

「綺麗で恰好良い幸福の源――優しい運命の相手だと思っています」

 真直ぐな瞳が椿を射抜く。
 ほら、一夜が届けてくれる心のプレゼントは何時も温かい。

「一夜……!」

 キュンキュンと高鳴る胸の鼓動が椿の全身を駆け巡る。
 それは椿が想定していた100倍以上の言葉。二人の時間を重ねた先の確かな愛情だ。

 灰色の雲間から真白い雪が降り出す。
 視覚的にも体感的にも、格段に下がる気温。しかし一夜と椿の体温は保たれたまま、お互いのプレゼントが護っている。
 何千何百という子供達に毎年プレゼントを贈るサンタクロースも、これ以上の奇跡は用意できないだろう。
 椿はレザーグローブを嵌め直し、一夜と手を繋ぐ。
 真冬のデートは始まったばかり。
 雪結晶のグローブホルダーもバッグの横で楽しそうに揺れる。
 一夜と椿、どちらの趣味とも外れたクリスマスプレゼント。
 けれどキラキラ輝く雪結晶は、椿の為にオーダーメイドされたように良く似合っていた。

「僕は君以上に素敵なサンタクロースを知らないよ。一夜」



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