初恋は桜の中で:番外編
君が届けてくれた4


 一夜の服装は基本的にシンプルだ。若者らしい派手さはない。一見して地味。けれど椿は落ち着いたファッションセンスだと思う。
 例えるなら磨く前の原石。少し手を加えるだけで輝きを増す。
 漆黒のマフラーも一夜の好みを考慮した上で、より良い品を選んだ。

「いえ、大丈夫です。……それにこんな良い物……俺には、勿体ないです」

 しかし一夜は慌てて結び目を解き、マフラーを緩める。
 椿は返却を申し出られる前にその手を止めた。

「受け取ってくれ。それは卯月へのプレゼントだ。ただし、クリスマスのな」

 正直な事情を一夜へ明かす。

「時期外れも甚だしい。滑稽だろう」

 渡すタイミングをずっと逃していた。
 けれど椿は過去に戻れる能力を手に入れたとしても、やり直したいと思わない。

「僕も今日の出来事を忘れない。ようやく渡せた安堵と共に」

 それは一夜と椿の大切な記憶。
 楽しく弾む心も、情けなさも、全部ひっくるめての――愛しさだ。




 数日後。三学期が始まった。
 冬休み明けの再会を校舎の各所で様々な生徒が喜んでいる。

「椿ちゃーん。どういう事だよぉおおお!!」

 ドタドタと騒がしい足音が教室に飛び込んで来た。
 女子グループがお喋りを止め、黄色い悲鳴を上げる。彼女達のお目当ては分かり易い。中学生にしてファンクラブが存在している人気者の登場だ。

「卯月を人形のように引き摺るな。友達止めるぞ、葉月」

 椿は「ひでぇ」と呟く夏陽の横を冷たく通り過ぎる。
 そして湧き上がるブーイングを物ともせず、夏陽が掴んでいる細い手首を奪う。
 一夜が夏陽の影からひょっこり抜け出て来る。椿のお目当ては未来永劫一夜一択だ。

「あ、マフラー。使ってくれたのか」

 見慣れた制服と学校指定のコート。一夜の冬スタイルに、漆黒のマフラーが増えている。
 椿が真心を籠めて贈った――時期外れのクリスマスプレゼントだ。

「はい。とても温かいです」

 一夜が照れくさそうに頷く。すると鼻先までマフラーに覆われた。大判のマスク状態だ。
 椿はふふと微笑み、マフラーの形を綺麗に整えてやる。
 触れ合う指先から照れくささが浸透して、朝の挨拶はお互い赤くなってしまった。

「それで俺も、雪白君に……渡したい物が有るので。お時間頂いてもいいでしょうか?」

 椿の背後を窺い、遠慮深く問う一夜。
 彼は別クラスの一員なのだ。当然ながら、顔見知りは椿と夏陽しかいない。

「なー。その前に初詣の話を詳しくさあ」

 夏陽の腕が一夜の肩まで伸び、逞しい胸元へ引き寄せる。
 きゃあきゃあ。
 クラスの女子が嬉しそうに騒ぐ。夏陽と一夜の絡みに、あらぬ脳内妄想を繰り広げているのだろう。

「大体二人きっりで行くとか狡くねぇ?」

 仲間外れを訴える夏陽。しかし椿は彼の予定を知っていた。

「何を言う。葉月は毎年、朝霧君と冬休みの予定を詰め込んで。僕が連絡しても掴まらないだろう」

 夏陽の喉が「うぐッ」と詰まる。誰の目にも図星と分かる。正直な反応だ。
 椿はその隙を突く。
 一夜の両肩を掴み、拘束を緩めた夏陽の腕から一気に引き抜く。

「あれ?」

 一瞬の出来事。夏陽の目がキョトンと丸くなる。

「フフフ。卯月は僕が頂いた」

 世界に名を轟かせる怪盗のように胸を張る椿。一夜はその腕の中で、大人しく収まっている。

「俺……人質役ですか?」
「いや。卯月は怪盗に奪われた宝石――そうだな、アウイナイト役だ」

 たった今出来たばかりの設定をスルスル語り合う二人。
 夏陽を始め、周囲の生徒達は置いてけ堀だ。

「アウイナイト……あ、『アイフェルのサファイア』ですね」
「流石卯月、通称を返してくるとは博識だな」

 アウイナイト。
 明るく鮮やかな瑠璃色を表現する。とても綺麗な宝石。
 高品質のアウイナイトは稀少で、同カラットのサファイアやダイヤモンドより高価な石も存在している。
 通称はドイツ・アイフェル地方で発掘される事から、『アイフェルのサファイア』と称されている。

「いえ。またまた読んだ本に載っていただけで、俺は」

 空虚な時間を膨大な数の本を読む事で誤魔化していた一夜。彼の中には様々な知識が詰まっている。
 けれど一夜は孤独と引き換えの知識を驕らない。

「つか、寸劇の設定より初詣の話を教えてくれよ」
「なんだ葉月。君には探偵役を振り分けたのに、正義に燃える好青年では不満か?」

 大役だぞ、と。椿は素知らぬ顔で夏陽の関心を初詣から逸らす。

「えー? でもオレ、椿ちゃんに付き合えるほど演技力な……って、ハッ! 誤魔化される所だった」
「惜しいな。途中で気付いたか」

 照れくさそうな顔も一瞬、夏陽は珍しく椿の口車に乗らなかった。

「しかし、葉月の反応など関係ない」
「ひでぇ」
「僕はこのままアウイナイトを攫って行く。さぁ、卯月。邪魔者の入らない場所へ行こう」

 椿は軽やかな怪盗の幻想を再び纏う。そして一夜と手に手を取って、騒めく教室を後にした。

「葉月はこの疎外感を朝霧君に慰めて貰うと良い」
「その捨て台詞が余計だぜ、椿ちゃぁああん!」

 夏陽の絶叫が廊下に響く。
 因みに一夜はアウイナイト(物言わぬ宝石)役を貫き、校舎を出るまで口を噤んでいた。




 そして中庭に到着した一夜と椿は隣り合ってベンチに座る。
 早朝の屋外は肌寒く、身体の芯を冷やす。ダッフルコートの留め具を首元まで留めても、変化は余りない。
 中庭の中央に位置する三段噴水も氷が薄く張っていた。如何に憩いの場といえど、現在の利用者は二人だけだ。
 それでも暖房の効いた図書室を避けた理由は、夏陽に冬乃との触れ合いを促したから。
 教室を大袈裟に脱出しておいて、簡単に鉢合わせては間抜けすぎる。

「それで、卯月の要件は何だ?」

 椿の問いを合図に、二人は膝を突き合わせる。
 一夜は横顔も真正面も魅力的だ、と。椿は今日も彼に見惚れた。

「はい。俺も、雪白君にクリスマスプレゼントを」

 言いながら一夜はスクールバッグを開ける。
 一夜は登校途中の道で夏陽に捉まり、この場まで来た。自分のクラスへ寄る間もなく、スクールバッグをずっと提げていたのだ。

「もしかして、マフラーのお返しか?」

 紫紺色のリボンが顔を出す。一夜はそれを取り出し、椿へ「はい」と頷く。

「俺が用意したのは、年が明けてから……雪白君にマフラーを貰った後に慌てて買いに行きました」

 一夜が己の失態を真剣に語る。
 それが何を伝えようとしているのか、椿は彼が言い終わる前に気付く。

「俺の方が」
「滑稽だ、と言いたいのか」

 一夜の言葉を途中で奪う椿。勿論、意図的だ。

「……」

 半開きのままポカンと固まる一夜の口がだんだんと萎んでゆく。
 しかし一夜は言葉を閉じ込める前に持ち直した。再び口を開く。

「はい。そうです。雪白君が言わせたくなくても、俺の方が滑稽な事をしています」

 矢継ぎ早に語る一夜。椿が口を挟む暇もない。

「俺、呑気でした。クリスマスイヴの夜――雪白君との電話の後に、星空に舞う雪を観たんです。それを勝手に、クリスマスプレゼントだと思いました」
「え……まさか、僕からのか?」

 流石の椿も驚く。

「はい。とても綺麗で。雪白君みたいでした。雪白君は今日も綺麗で恰好良いです」

 暴走する一夜の口が余計な内情までポロポロ落とす。

「分かった。そこまで」
「んぅ……」

 椿は照れる間もなく、呆れる間もなく、一夜の口を人差し指でそっと止める。
 おそらく今の一夜は若干酸素不足。伝えたい想いが頭の中で交通渋滞している。
 椿は人差し指を離し、落ち着くように促す。
 一夜は素直に従い、深呼吸を大きく二度繰り返した。落ち着いた呼吸が戻る。

「まったく。別に受け取らないとは言ってないだろう」

 けれど椿はその早とちりが嬉しくも有る。
 浮かれた恋心を叱咤して、一夜に簡単な正解を明かす。

「僕はただ、卯月に『滑稽』だと言ってほしくなかった。それだけだ」
「俺に? それじゃあ俺、勘違いをして……」

 寒風が二人の頬をヒュルリと撫でる。
 しかし羞恥の熱は攫われず、お互いの気恥ずかしさを伝え合う。
 一夜は己を間抜け者に演出する事で、椿をフォローしようとした。けれど椿は一夜の口から卑下した言葉を聞きたくなかったのだ。

「卯月の気遣いは嬉しい。勿論、クリスマスプレゼントも」

 一夜は単純なお返しではなく、態々『クリスマスプレゼント』を用意した。それもすべて椿を想って。

「それに僕も、卯月からの電話を居もしないサンタクロースに感謝したしな。お相子だ」

 聞こえるか、聞こえないか。椿は一夜に届くぎりぎりの音量で恥ずかしい秘密を呟く。

「え?」

 小首を傾げる一夜。椿の顔を見詰め、不思議そうに意図を探る。

「一度しか言わない。聞こえた範囲で判断しろ」

 椿は妖艶に微笑み、己の唇へ人差し指を導く。柔らかい下唇の中心を軽く押し当て、直ぐに離す。
 容易に分かる間接キスの表現だ。
 しかし悲しいかな。一夜は小悪魔の羽に微塵も惑わされない。
 椿が戯れに出した問題を、「難しいです」と真剣に悩む。その様子が愛しくて、小悪魔の羽は出番をなくした。

「雪白君も、俺との電話をクリスマスプレゼントだ、と思ってくれてた? でも俺……サンタクロースじゃ有りませんし」

 正解の前まで行き着き、いいや違うと一歩下がる。一夜が見つけていない謎のピースはただ一つ、椿の愛情だ。

「雪白君とお話して居て楽しい――救われているのは俺の方で……あ、」

 一夜の肩が不意に跳ねる。擽ったそうなその理由は、椿が彼の頭を予告なく撫でたからだ。

「ヒントをあげよう。僕は君が思っている100倍以上――卯月一夜との時間を特別な宝物だと思っている」
「100倍……ですか」
「これで分からなければ、宿題だ。期限は設けないからゆっくり考えろ」

 椿は一夜の頭から掌を離す。すると名残惜しそうな視線がそれを追いかけた。
 無意識の行動。一夜自身が気付いていない癖を、椿は知っている。
 今はその『特別』だけで良い、と思う。



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