初恋は桜の中で:番外編
君が届けてくれた3


 心の城壁が冷たく凍る。その前に、椿は一夜の温もりを求めていた。

 けれど奇跡は簡単に起きない。
 一夜と椿は所詮『友人同士』で、真夜中の訪問が許される立場ではないのだ。
 その点に関しては緋色と山吹の関係が素直に羨ましい。

(一夜と自由に逢えない冬休みなど、早く終わってしまえばいい)

 椿は大凡の学生と逆の願いを夜の闇に溶かす。

「ハァ」

 切ない吐息が白く染まり、高く暗い天井へ昇ってゆく。
 そして椿は徐に寝返りを打ち、ムクリと起き上がる。
 ベッドも抜け出し、暗闇の中を手探り状態で進む。自室なので家具の配置などは把握している。が、やはり薄暗い足元は心もとない。
 明かりを点けようかとも思ったが、椿はそのまま学習デスクへ向かう。
 目的のスクールバッグは暗闇の中でも直ぐに見付ける事が出来た。
 夜の闇を凝縮した漆黒色のマフラー。
 それは一夜への『クリスマスプレゼント』だ。

「結局、渡せなかったな」

 椿はスクールバッグの中からマフラーを取り出し、そっと撫でる。
 心を込めて用意しても、渡せなければ意味のないものを。
 そして椿は冷たい空気を深く吸い込み、気持ちを切り替える。

「朝に成ったら、一夜へ電話してみよう」

 そうと決まれば、椿の行動は早い。
 マフラーをスクールバッグから紙袋へ入れ換え、学習デスクからサイドテーブルの上へ置く。
 ベッドへもサッサッと戻り、横に寝直す。氷のような冷たさは改善されていなかったが、構わず瞼を閉じた。

 そして椿は早朝5時キッカリに目を覚ます。
 実質4時間ほどの睡眠だったが、目は冴えている。
 ベッドを抜け出すと身支度をテキパキ整え、演技の基礎練習に励む。それは椿が長年続けている習慣だ。例え新年でも怠らない。
 努力の結晶を拭いつつ自室へ戻ると、6時を過ぎていた。

「一夜も今頃、空を観ているだろうか」

 椿は窓を開け、爽やかな朝の空気を招く。
 美しい瑠璃色の空。初日の出の目覚めもまだ先だ。
 それから椿は一夜へ連絡を入れ、電波越しに新年の挨拶を交わした。
 一夜の声を聴くだけで椿の恋心は天にも昇る心地だったが、やはり本人に直接逢いたいと告げた。




「明けまして、おめでとうございます」

 一夜がペコリと頭を下げる。

「ああ。今年も宜しくお願いします」

 椿も同じように新年の挨拶を返し、頬を緩めた。
 三が日も過ぎた1月5日。世間のお正月モードが段々と薄れる中、一夜と椿は初詣へ訪れていた。

「しかし時期をずらしても賑わっているな」
「そうですね……逸れそうです……」

 一夜の脚が黒山の人だかりに一歩下がる。彼は騒がしい人混みが苦手なのだ。

「今ここで帰るのと、僕と手を繋いで初詣を楽しむ。卯月はどちらを選ぶ?」

 椿はコートの袖を掴まえ、一夜へ意地悪な選択肢を表示する。
 軽い戯れのつもりだった。
 けれど一夜はピシッと身を正し、椿と向かい合う。

「俺は、雪白君と一緒に居たいです」

 そう言うと一夜は椿の手を取り、自ら繋ぐ。
 場所は神社の入り口でもある鳥居の前。
 参拝客の往来も疎らにある。その視線が一気に集まった。

「なになに〜? 小学生の告白タイム?」

 クスクス。きゃはは。複数の笑い声が同時に湧き上がる。
 しかし椿にとって『その他大勢の邪推』など道に転がる小石のようなものだ。
 行動を起こした一夜の方が羞恥の炎に見舞われる。頬は赤らみ、喉も恥ずかしそうに詰まった。
 それでも一夜は椿と繋いだ手を離そうとしない。

「そうか。嬉しい」

 椿も一夜の手をギュッと握り返す。

「けれど今のは冗談だ。卯月と逢ったばかりで、僕が簡単に解散すると思うか?」
「え?」

 一夜がキョトンと小首を傾げる。
 羞恥の炎は引っ込み。代わりに疑問符が浮かぶ。

「卯月と逢えるなら、場所は何処でもよかった。初詣が楽しめなくても、怒って帰ったりしない」

 椿は一夜限定の柔らかい微笑みを浮かべ、彼の疑問に応える。

「雪白くん……!」

 ホワワ。
 変化の少ない一夜の表情が歓喜に花咲く。

「俺も、雪白くんと一緒なら何処でも――冬休みの間、ずっと逢いたかったです」
「卯月……!」

 今度は椿の心に歓喜の花が咲き誇る。
 同じ感情を秘めていた事実。一夜と椿はそれを知り、二人の世界を強めた。
 もう他の参拝客など歩くマネキンに等しい。四方八方から降り注ぐ好奇な視線も薔薇のベールが遮断する。

「もっと早く、逢えばよかったな」

 年末年始は色々と忙しく、連絡も簡潔に済ませていた。

「でも雪白君は、俺に気を遣ってくれて……初詣」
「僕も人混みは得意じゃない。三が日を避けたのは利害が一致したからだ」

 一夜と椿は朱色の鳥居を潜り、人の流れが少ない道筋を歩む。
 チャリチャリ。砂利を踏み締める独特の感触が身体に響く。
 凛々しく鎮座する狛犬。巨大なしめ縄。祝詞を捧げる神主。神木の根元で日向ぼっこを楽しむ猫。
 神社の敷地は広く、神聖な空気に包まれている。
 冬休み中に溜まった世間話をポツポツ語り合いながら、一夜と椿は参拝の列に並ぶ。

「露店めぐりしようぜー」
「おー。賛成!」

 大学生くらいだろうか。青年5人のグループが前列を開け、賽銭箱が見える。
 一夜と椿も前へと進み、同時に賽銭を投げた。その後もタイミングを合わせたように両手を合わせ、神への祈りを届ける。
 何方の横顔も真剣だ。

(一夜。僕の願いは、すべて君に捧げる)

 チラリ。椿は一夜の様子を横目で盗み見る。
 真直ぐ伸びた漆黒髪が冷たい微風に撫ぜられ、不揃いに揺れる。深く閉じる瞼は自然の悪戯に気付かず。サラサラサラサラ。思いのままだ。
 椿が初恋に見惚れていると、一夜の瞼が徐に開く。

「あ……お待たせしましたか?」
「いや。僕も今終わった所だ」

 内心ドキンと鳴る心臓を落着かせ、椿は冷静に立ち振る舞う。
 一夜は椿の恋心を知らない。所詮は一方通行の片想いだ。

「さぁ、卯月。次はおみくじを引きに行こうか」
「はい」

 椿が先に、一夜は一段後から石段を下りる。
 トントントンと僅か三歩で砂利を敷き詰めた地面に到着だ。
 一夜が椿の横へ自然と並び立つ。そして2人は仲良く社務所へ向かった。
 筒状の箱から番号を引くタイプのおみくじを選び、今年の運勢を試す。

「小吉か。卯月はどうだった?」
「中吉、でした」

 おみくじの結果を互いに見せ合う一夜と椿。
 休憩所のベンチに腰掛け、肩をピタリと寄せ合う。

(早速、今年の運を使ってしまった)

 甘い幸せを噛み締める椿。
 一夜の体温が触れ合った場所から伝わってくる。温かい。
 しかし椿本来の目的は未だ果たしていない状態だ。

「……俺、こんなに楽しいお正月……初めてです」

 一夜が改めて口を開く。

「毎年独りで過ごしていました、から……。雪白君に誘われた時、夢かと思いました」

 瑠璃色の瞳が、漆黒の間から椿を見詰める。
 まるで夜明けの空。椿の心が静寂に惹き込まれる。

「それは嫌だな」

 孤独の吐露。注がれる事の無い愛情。一夜の抱えている重り。
 椿はそれらすべてを救いたいと願う。

「夢だと、覚めてしまう」

 椿は両手を伸ばし、一夜のそれを包み込んだ。
 二人の視線が優しく交差する。

「僕は卯月とまだまだ初詣を楽しむ気でいる」
「雪白くん」
「ふふ。そう簡単には帰さないぞ」

 神社の周囲には様々な露店が並び立ち、賑わっている。
 お正月の雰囲気に浮かれた人々。
 一夜と出逢う前の椿は、その光景を何とも思わなかった。けれど今は違う。

「卯月は何処から先に行きたい?」

 一夜も椿の意図に気付く。
 そして二人は同時に立ち上がり、夢のような現実を続けた。

「あ、でも俺……慣れていないので」
「それは僕もだな。露店めぐりの所作など心得ていない」
「初心者同士、ですね」
「ふふ。そうだな」

 特別な決まり事がある訳ではない。それは理解している。
 けれど二人にとっては未知の世界だ。一夜と椿は何方からともなく手を繋ぐ。
 ベビーカステラの甘い匂い。カラカラと回る風車。狭い水中を細々と泳ぐ金魚。
 見慣れぬ景色に、人知れず足が軽い。
 大人しい一夜が強引な客引きに捉まるというアクシデントも遭った。が、それも数分後には話の種になった。




「まったく、僕が少し目を離した隙にあの悪漢共め!」

 冬の空が茜色に染まる。
 帰路を歩む頃には、すっかり夕暮れだ。頬を撫ぜる微風も氷のように冷たい。

「雪白君に、迷惑をかけてしまいました」

 一夜が己の失態を嘆く。

「……俺……今日も役立たず、です」

 一夜をターゲットにしたのは、2mを超える大男二人組だった。
 ツルリと光るスキンヘッドとムキムキの筋肉。
 普通の男子中学生が震え上がりそうな脅威を前にしても、一夜の表情は変化を見せなかった。
 そんな一夜がシュンと落ち込む原因は、椿に壁役をさせてしまった、その一点だ。

「気にするな。僕はあの程度の強面、見慣れている」

 怒り狂う緋色の青筋が椿の脳裏に浮かぶ。
 緋色の持つ迫力と比べれば、ピヨピヨ煩い雛鳥レベルの怒声だった。

「それよりも、だ。僕は卯月との時間を楽しく過ごしたい」

 この話はここまで、と。椿は話題の切り替えを促す。
 結果としてツルツルムキムキマッチョ×2は椿の冷気に逃げ出す程度の見かけ倒しだった。法外な値段のゴミを売りつけようとした行為は許せないが、一夜に実害はない。
 椿としては早く記憶から消し去りたい。
 けれど一夜は何か言いたげだ。歩みを止め、覚悟を決めたように口を開く。

「雪白くん……は」
「ん?」

 椿も足を止め、一夜と向き合う。
 飾りっ気のない首元が寒そうだ。
 ラストチャンスを感じた椿は紅茶色の紙袋をスタンバイさせておく。それは初詣の間、ずっと提げていたものだ。

「俺には勿体ないくらい、恰好良い男の子です」

 一夜が限界まで息を吐き出し、恥ずかしい台詞を叫ぶ。

「は? 急に、なん」

 すべての熱が頬に集まる。
 予想外の展開に、椿の頭は真っ白。パニック寸前だ。
 まさか愛の告白。
 いいや、それこそ、都合のいい夢。願望の具現化だ。
 椿は爆発しそうに波打つ鼓動を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返す。しかしそんなもの焼け石に水だ。

「卯月……」
「俺、雪白君のお友達になれて、本当に幸せです」

 ドキドキドキドキ。
 二つの鼓動が溶け合う。

「今日の出来事を忘れません。楽しい記憶も、自分の情けなさも、すべて」

 それは一夜の決意だった。
 夕陽に照らされる頬が真っ赤で、弾む息が白い。

「今度は俺が、雪白君を守ります!」

 道路に伸びる二つの影が重なる。
 椿は頭で考えるよりも先に、一夜を抱き締めていた。
 愛よりも深い。魂からの衝動だった。

「そんな頻繁に、危機は訪れない」

 椿の腕の中で一夜が固まる。予想外の展開に、頭の回転が追い付かないのだろう。
 数秒前の椿と同じ状況だ。

「そうですね……軽率な発言でした」

 頭を好きに撫でられても、一夜は擽ったそうな素振りを見せない。

「取り下げなくていい。僕は今、卯月と出逢えた奇跡に感謝している」

 椿は恥ずかしげもなく言い放つ。
 簡素な並木道は人通りが無く、枯れ枝だけが二人の姿を見守っている。

「雪白くん……あ、」

 一夜が気恥ずかしそうに俯く。
 けれど次の瞬間、彼は慌てて椿から身を引いた。クルリと振り向き、肩を揺らす。

「クシュンッ」

 くしゃみだ。
 寒風の容赦ない攻撃が一夜の背中を震わせる。

「お話中にすみません」

 ふわり。
 詫びる一夜の首筋に、漆黒が舞い降りる。マフラーだ。

「え、これは?」
「寒そうだから、あげる」

 椿が驚く一夜の正面に回り込む。
 そしてマフラーへ両手を伸ばし、クルクルと綺麗に巻いてゆく。

(よく似合ってる。予想以上だ……恰好良い)



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