初恋は桜の中で:番外編
君が届けてくれた1/一夜と椿:中学時代


 サンタクロース。
 世界中の子供達にプレゼントを届ける白髭のおじいさん。




君が届けてくれた





 季節は12月。
 図書室のオススメコーナーもクリスマスを題材にした書籍が置かれ、サンタクロースや赤鼻のトナカイが満面の笑みを湛えるポップが雰囲気を盛り上げている。
 一夜は目に付いた本を三冊ほど抜き取り、奥へ進んだ。
 空いた席を見付けると椅子の背を引き、徐に腰を下ろす。
 無言のまま本を開き、読書開始。それが何年も続いている休み時間の過ごし方。
 喜びも悲しみもない。ただ静寂だけが支配する日常だ。

「――絵本か。懐かしいな」

 無心で本を読んでいると、背後から声がかかる。
 一夜は顔を上げ、身体事振り返った。
 美しい少年が一夜の手許を興味津々に覗き込み、上半身を傾けている。そんな行動をとる人間は友人の中でもただ一人だけ――椿だ。

「雪白君」

 数時間ぶりに発した声が鼓膜を揺らす。
 他の誰も気に留めないそれを、椿だけが受け止める。

「ああ。今朝ぶりだな、卯月」

 椿は一夜の頭を一撫ですると、隣の席へ腰を下ろす。
 そして持ってきた図書室の本を長机の上へ置いた。
 小説と、もう一冊は演劇関係の書籍だ。歴史を重ねた背表紙が所々綻んでいる。
 よくよく見ると小説も、演劇部が公演を控えている劇と同タイトルで――原作本だと気付く。
 本当に椿は真摯な努力家だ。一夜はふとした瞬間にも感心する。

「僕の顔は本より面白いか?」

 暇潰しそっち退けで椿の観察を進めていると、問うように顔を覗き込まれた。甘い吐息が一夜の頬にかかる。

「ッ……いえ」

 不愉快だっただろうか。
 一夜は騒めく心臓を落着かせ、椿と向き合う。謝る準備は出来ていた。

「ふふ。卯月になら、何十時間観察されても構わないよ」

 けれど椿は一夜の覚悟を余所に頬を緩め、嬉しそうに微笑む。

「むしろ僕が、許されるまで見詰めていたい」

 そう言うと椿は一夜の前髪に指先を伸ばす。
 目許まで伸びる漆黒髪をサラサラと掻き分けて、瑠璃色の瞳を直接覗き込まれた。
 絶世の美貌が眼前に迫り、一夜の心は惹き込まれそうになる。友人に対して可笑しな感覚だ。

「卯月……僕は、君に」

 ツバキ色の瞳が甘く蕩ける。
 唇も簡単に触れ合いそうな距離。お互いの鼓動が唯一の音で有るかのように響く。

「雪白くん……もう、恥ずかしい……です」

 一夜は白旗を上げた。湧き上がる羞恥心に堪え兼ね、瞼をギュッと瞑る。
 炎を宿したように頬が熱い。
 この勝負は椿の圧勝だ。

「惜しいな。あと一秒で卯月の勝利が確定したのに」

 気恥ずかしそうな気配が伝わって来る。

「え……?」

 一夜は目をパチリと開けて、息を呑んだ。
 新雪のように白い椿の頬が赤く染まっている。彼の羞恥も限界値に達していたようだ。

「つか、なんの勝負だよ」

 その時、別の声が割り込んでくる。
 一夜と椿が同時に振り向くと、夏陽が腕を組んで佇んでいた。呆れたような友人の表情に羞恥の波が収まる。

「どうした葉月。朝霧君は貸出カウンターの奥に居るぞ」

 椿もすっかり頬の朱を消して、澄ました態度で夏陽と接する。
 夏陽は本も筆記用具も持っていない。図書室を訪れた目的が、読書でも勉強でもないからだ。

「な、グッ!」

 夏陽が意味の無い単語を短く発して、パキリと固まる。
 椿は驚きもせず夏陽の顔を観察するように5秒ほど見詰めた。そして口を開く。

「『何言ってるんだよ。オレは別に、冬乃の顔を見に来た訳じゃないって! たまたま図書室の前を通りかかったら椿ちゃんの姿が見えて、ついでに』……今考えている言い訳はこんな所か?」

 飛び出したのは椿の声ではなく、別の音――完璧に再現された夏陽の声音だった。
 目を丸くする夏陽。一夜も驚きのあまりポカンとしてしまう。

「ん、間違っていたか?」
「当ってるから、驚いてんだよ! あ、」

 墓穴を掘った夏陽が「しまった」と、自分の口を両手で押さえる。
 しかしもう遅い。夏陽の正解は一夜や椿のみならず、他の人間にも知れ渡ってしまった。

「月並みなセリフだけど。図書室では静かにしろよ、夏陽」

 真面目な図書委員が現れ、夏陽の横へ移動する。話題の一人である冬乃だ。
 注意する口とは逆に、冬乃の表情は嬉しそうだった。

「何でオレだけ? 仕掛けたのは椿ちゃんだろ」
「夏陽が一番騒いでるからだろ。友達だからって、俺も他の図書委員に責付かれたんだぞ」

 夏陽と冬乃は声を潜めつつも、楽しく語り合う。誰も入れない二人の雰囲気だ。
 一夜は椿の様子をチラリと窺う。予想通り、彼は満足そうに微笑んでいた。策士である。




 そして放課後。一夜は帰り道を静々と歩む。
 広い空は灰色の雲が立ち込め、どんより曇っていた。
 雨曇か、それとも季節的に雪雲だろうか。
 一夜がボンヤリ考えていると、椿が口を開く。今日の帰宅も彼と一緒なのだ。

「降り出すのは夜だろうが、酷くならないといいな。足場が悪くなると帰りが大変だ」

 サラサラ。椿の艶髪が湿気を含んだ北風と無造作に遊ぶ。

「お兄さんですか?」
「いや。兄さんはドラマの地方ロケで、年末まで留守。心配なのは姉さんの方だ」

 一夜と椿が初めて言葉を交わした桜並木も薄暗く。コートを羽織っていても冷気の侵入を防げない。
 桜の枝も冷たく凍る。灰色の世界だ。

「クリスマス・パーティーに出掛けるらしくてな。天候が崩れると、折角のドレスが汚れてしまうだろう?」

 今日は12月24日。クリスマス・イヴだ。
 雪が降ればホワイト・クリスマスが実現してロマンチックな一時が流れる。しかし大雪まで発展すると、交通の便も悪くなってしまう。
 椿の悩みは現実的だった。

「まぁ、それはそれとして。寒いな卯月」

 不意に、椿の意識が灰色の空から外れる。
 一夜へと向き直り、歩みも止めた。

「そうですね。朝晩の冷え込みも一層厳しく」
「特に、首元とか……冷えるだろう」
「はい」

 一夜は椿に応えつつ、無意識な観察を再開した。
 ソワソワと落ち着かない右手がスクールバッグをブランコのように揺らす。舞台上でも冷静に立ち回る椿が珍しい。
 頬も、首筋も、緊張の花が咲いたように真っ赤だ。

「あ、それじゃ」

 パッ。椿の表情が明るくなる。
 ああそうかと、一夜は思い当たった。

「ごめんなさい」
「え?」

 思わぬ事態に焦る椿。一夜は構わず、彼の両手をギュッと掴む。そのまま胸元まで引き寄せて優しく包み込んだ。
 不自然に膨らんだスクールバッグが二人の間で大きく揺れる。

「雪白君の手……こんなにも冷えて。なのに俺、気付きませんでした」

 まるで氷の塊を触っているようだ。
 無駄に保っている自分の体温が、早く椿に伝わればいいのに。
 一夜は椿の両手を温めながら、彼の身だけを純粋に案じる。今日がクリスマス・イヴだという現実もすっかり吹き飛んでいた。

「いや。僕は元々体温が低めで。卯月がそこまで心配するほど寒くはない」

 真白い指先がだんだんと桜色に染まってゆく。
 その変化に、一夜は感動さえ覚えた。
 大切な友人の役に立てる事が嬉しい。
 椿は遠慮深い言葉を紡いでいるが、一夜は彼の両手が温まるまで離さないと決意した。

「むしろ今は、顔から火が噴き出そうなほど暑い」




 ◆◆◆




 静寂が支配する玄関。
 一夜は自宅の扉を開け、気を沈めた。
 暗くて冷たい。闇で構築された洞窟の中を進んでいるようだ。

「……ただいま」

 返事の返らない呼び掛けが空しく響く。
 リビングも暗く、カーテンが重く閉まっている。1m先の家具もよく見えない。闇だけが続く空間。
 床に溜まった冷気が背筋をサワサワと駆け上がり、一夜の身を震わせる。
 人の気配は微塵も無い。今日も一夜は広い家の中で、独りきりだ。

「雪白くん」

 淋しい。
 数分前の記憶が恋しい。
 椿に逢いたいと、思ってしまう。弱い心。
 力の抜けた右手から、スクールバッグがポトリと落ちる。

「あ、俺」

 小さな音が心の隙間に波紋を広げる。
 一夜はスクールバッグを素早く拾い直して、二階へ続く階段を駆け上がった。
 千夜が留守なのは何時もの事。変化の無い日常だ。
 自室のドアを開けると、電気を付けて、部屋を明るくする。
 制服姿のまま勉強机へ向かい。無心で噛り付く。難解な数式や専門用語を脳に詰め込めば、淋しさなど消え失せる。

 ふと顔を上げた時には、夜の7時を過ぎていた。
 食欲は余りなかったが、キッチンへ向かう為に重い腰を上げる。

「……クリスマス……イヴ」

 すっかり忘れていたビックイベントを呟く。
 一夜が思い出した切っ掛けはカレンダー。眠る子供の枕元にサンタクロースがプレゼントを届けている。12月のイラストだ。
 ホットミルクをコップに注ぎながら、ケーキでも買ってこれば良かったかと思う。
 しかし、共に祝う相手はいない。



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あきゅろす。
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