初恋は桜の中で:番外編
高貴な藤宮/聖祈+光輝


『首輪をやるよ。聖祈』

 藤色のカーテンが優しい春風に揺れる。幻想的な和の世界に、その少年は酷く美しかった。




高貴な藤宮





「、……あふ」
「あ、荷物持つよ。光ちゃん」

 光輝の唇から二度目の欠伸が洩れる。持てる能力のすべてを注いだ俳優オーディション。彼はその栄えある優勝者。
 一日中、キリリとした緊張を宿していた肉体は体力の限界。肩にかける大型ショルダーバッグも重そうだ。
 と、なれば聖祈の行動は一つ。三回目の欠伸を噛み殺す光輝に、右手を差し出す。

「ん、任せる」
「はいはーい。肩も好きに使ってね」

 カタンコントン。電車が揺れる。独特の振動は大きな揺り籠。
 トロリとした睡魔を堪えているのは、光輝だけではない。仕事帰りのサラリーマンやOL、バイトや塾帰りの学生まで。安らかな寝息も所々から聞こえている。

「寝心地の悪い枕だ」
「なんなら膝枕でもいいよ。光ちゃんなら、何時でも提供しちゃう」

 固い筋肉に覆われた逞しい男の肩。光輝はコトリと頭を預け、文句を一つ。
 まるで気高き貴族様とそれに使える騎士の図。光輝と聖祈の関係は幼い頃から変わらない。

「電車で出来るか……ばーか」

 輝く星々を凝縮した金色の瞳に御簾が降りる。抗いがたき睡魔の誘いに、光輝も意識を手放したのだ。
 安らかな寝息を確認し、聖祈は無防備な肩を抱き寄せた。今ならピチピチ美少年の身体を触りたい放題である。

「……なーんて。無意識のキミを好きに扱うほど、ボクは飢えてないよ」

 半袖から伸びる白い生腕。惜しげもなく晒されている大好物。けれど聖祈はそれを一度も撫で回さず、光輝の眠りを見守った。
 実年齢に比べて幼い尊顔は麗しく、けれど独特の色香を纏っている。その正体は生態系の頂点に立つ女王様――迂闊に触れれば、逆に捕食されてしまう。




「でも折角光ちゃんが泊まってくれるに、ごめんね。ボクの部屋、ベッドが一つしかなくて」

 マンションへ帰宅し、自室の扉を開ける。夜の帳が下りた部屋は闇に包まれ、シーンと静まっていた。素早く照明を付け、光輝を部屋へと通す。

 帰り道では無視を決め込まれたが、結局光輝は一晩の宿を求めた。その理由は単純で、早く休みたかったからである。
 光輝は雲の上を歩いているようなフワフワとした足取りで、一点を目指す。一人で寝るには十分過ぎる広さのセミダブル。照明付フロアベッドだ。

「これはもう、同じベッドで寝るしか解決策はないよね」
「冷たい床で寝ろ」

 爛々と瞳を輝かせ、期待の眼差しを向ける聖祈。しかし光輝の態度はつれないものだ。スキンシップを求める従兄弟を置き去りに、一人ベッドへと潜る。

「えー。久しぶりの添い寝を楽しもうよ、光ちゃん」
「……俺は眠い。明日にしろ」

 明日なら良いのか。
 仄かな期待を残し、光輝は本格的に眠り始めた。

「すぅすぅ」
「光ちゃんは自由気儘な猫みたいだね」

 明るい照明を落とし、あどけない寝顔に独り言を呟く。

「おやすみ。ボクの藤宮」
「……ん、……」

 物音を立てないように細心の注意を払い、ベッド横へ移動する。そして聖祈は冷たい床に腰を下ろした。
 光輝に言われた通り、床で独り寂しく眠る為ではない。高貴な瞼に『お休みのキス』を贈る為だ。
 それは恋人へ贈るような甘やかなものではなく、従兄弟への憧憬を込めた欲のない純粋な口付け。

「ふぁ〜。ボクも眠いし、寝よ」

 聖祈も欠伸を洩らし、睡魔の誘いを意識する。
 着ている洋服をすべて脱ぎ去り、床にポスリと落とす。そして聖祈はベッドの空きスペースに遠慮なく寝っ転がった。勿論、パジャマには着替えていない。
 優しい月光に包まれる色っぽい男の生肌。小麦色の肌を飾るのは純銀のクロス、ただ一つ。それは聖祈が肌身離さず身に付けている――首輪だった。




 ◆◆◆




「――首輪をやるよ。聖祈」
「えー? なになに、光ちゃんからのプレゼント?」

 自分よりも目線の低い相手に尻尾を振り、パタパタと駆け寄る。聖祈はこの独善的な『従兄弟のお兄ちゃん』が大好きだった。
 主な理由はその光り輝く可愛らしい容姿と、サディスティックな嗜好を秘めた性格。愛を囁く相手は多かったが、光輝への感情はそれらとは一線を画していた。

「そうだな。従順な下僕への褒美だ」

 光輝が不敵な笑みを浮かべる。挑発的な口調に気分を害する事無く、聖祈は期待を膨らませた。
 池に架かる朱色の架け橋。天から降り注ぐ陽の光が水面に反射して、キラキラと方向を変える。その中央に聖祈と光輝はいた。
 薄紫色の藤花が咲き乱れる和風庭園。静けさを基調とした世界の中で、二人の衣装は浮いている。
 耳元をキラリと飾るピアスや手首に巻かれたブレスレット。目立つのはアクセサリーだけではない。聖祈は露出度高め、そして光輝の私服は個性的なV(ヴィジュアル)系だった。

「クロス(十字架)のネックレス――少々シンプルなデザインだが、その方が使い勝手はいいだろう?」

 暗に「愛用品にしろ」と語る光輝。
 確かに彼の差し出したネックレスはシンプルなものだ。陽の光を反射するストーンも、メッセージを伝える刻印も彫られていない。
 派手好みの聖祈なら、先ず手に取らないだろう。しかしその前例は光輝の前で簡単に崩された。

「うん。気に入った、大切にするよ。光ちゃん」
「当たり前だ。生涯の宝にしろ」

 水面に撓垂れる藤の花序が優しい風に揺れる。朗らかな春風は肌に心地よく、空気も穏やかに和ぐ。
 聖祈は従兄弟からの贈り物を快く受け取り、その場で付けて見せる。羽根のように軽い。けれどとても重い、それは目に見える楔だ。
 気紛れにも思える贈り物。しかしその意味を聖祈は理解していた。本格的なデビューは未だだが、モデル事務所の専属が決まったのだ。
 つまりコレは未来の夢へ歩み始めた弟分への餞別。

「でもさー。首輪なら、チョーカーの方がそれっぽくない?」

 細く頼りないチェーン。力を込めて引っ張れば、簡単に引き千切れてしまいそうだ。
 それに『首輪』と銘打つならば、もっとゴツゴツしく“それらしい”ものも多いだろう。しかし光輝は敢えてシンプルなクロスを選んだのだ。

「ああ。でも、聖なる祈りは十字架(クロス)に願うものだ」

 白い指先が聖祈の胸元に伸びる。大胆に露出した肌の上、光輝は純銀のクロスを弄ぶ。微かにチャラリと鳴るアクセサリー音が擽ったい。

「その名に負けず、似合っているよ――聖祈」

 藤花のカーテンが不揃いに揺れる。
 例え童顔でも光輝は確かに聖祈よりも大人で、一枚上手の存在。どんなに身長が伸びても本当の意味では超えられない。おそらく永遠に敵わない相手だ。




 ◆◆◆




「……ん、……あれ?」

 夢の世界がゆるりと現実に戻る。
 自慢ではないが聖祈は夜行性だ。夜に深く眠るなど数ヶ月も前の記憶。隣に眠る人間が作る物音にも大抵は気付いていた。
 しかし、ふと寝返りを打てば光輝の姿が消えている。どうやら聖祈は珍しく熟睡していたようだ。

「なんだ、起きたのか。間抜けな寝顔写真を送ってやろうと思ったのに」

 静かに扉が開き、夜に包まれた部屋に一筋の光が差し込む。逆光に浮かぶボディーラインは見慣れた少年のものだ。
 ベッドから上半身を起こし、視線を送る。すると光輝はケータイ片手に残念そうな表情を浮かべた。

「一応聞くけど、誰に?」
「勿論、親戚中に一斉送信。……ハァ。正月の楽しみが一つ減ったな」

 危ない。もう少しで聖祈は親戚中の笑い者になるところだった。

「もう、光ちゃんってば相変わらずのSなんだから。ボクの寝顔は一晩の思い出に、胸の中へ仕舞っておいてよ」
「プライベート写真流出には注意しろよ」

 明るく振る舞う聖祈の言葉も受け流し、光輝はケータイを抛る。それは夜空を滑る流れ星のような弧を描き、聖祈の元へとポスリと落ちた。
 着信ランプが点滅している。右手で拾い上げ、聖祈は差出人を確認した。それは光輝のものではなく、聖祈のケータイだったのだ。
 おそらく光輝は着信音に気付き、取って来てくれたのだろう。聖祈は大量の荷物と共にケータイをリビングに置いたままにしていたのだ。

「あ、良かった。今夜は星空が綺麗に見えるってお知らせメールだけだ」

 長い指を素早く動かし、メール文を制作する。ハートの絵文字もタップリ溢れさせたデコメール。ものの数秒で完成させ、天文部部長へと返信した。

「因みにボクのスイート・ラヴァーから」
「ふーん。……今度は女? それとも男?」
「男の子だよ。しかも金髪クォーターの癒し系」

 デレデレと恋人自慢を語る聖祈。乱舞するハートを払い除け、光輝はベッドの住人へ戻る。

「おやすみ、聖ちゃん。本当に大切にしてくれて嬉しいよ」

 今度は床で寝ろとは言わず。
 高貴な藤宮は二人の絆を表すクロスに感謝の口付けを贈った。




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