初恋は桜の中で:番外編
※きみとのスイート・バレンタイン/聖祈×桜架
二月ともなれば、チョコレートの匂いが其処彼処から漂ってくる。
それは勿論、お菓子作りを趣味にしている女性の髪からもだ。
「らん、らん」
鮮やかなピンク・ブロンドを一つに結び。桃香はバレンタイン用のチョコレート作りに精を出していた。
甘く蕩ける恋の味。それは桃香の愛する『マイ・ダーリン』へと贈られる愛情の形。
「ただいま。桃香お母さん」
「あら、お帰りなさい。桜架」
桜架はキッチンに顔を出し、桃香に帰宅を知らせた。桃香はテーブルにボールを置き、ふわりとした微笑を咲かせる。
桜架は帰宅の報告を欠かさない。それは春の陽だまりのような桃香の微笑みが見たいからだ。
やはり自分は桃香の事が好きなのだ、と。桜架はふとした瞬間に思う。
「クッキーだよね。ぼくも手伝おうか?」
桜架はボールの中身を覗き込む。
トロリとした成形前のクッキー生地。それはチョコレート色に染められ、甘く円やかな匂いを生んでいる。
完成前だというのに、もう美味しそうだ。
「ぁ、駄目よ。これは桜架に上げるんだから、当日までのお楽しみ」
桃香がボールを持ち上げ、再び胸に抱く。銀色のボールが桃色のエプロンに密着した。
「見ても味は変わらないよ?」
「気分の問題よ。バレンタインは“女の子の特別イベント”なんだから」
桜架は小首を傾げた。普段のお菓子作りなら、桃香は快く手伝いを承諾する。それが『バレンタイン』に関する時だけ、キッチンが男子禁制状態になるのだ。
桃香の本命チョコは、勿論彼女の夫のもの。桜架が見る分には問題なさそうなのだが、桃香は息子の目からもそれを隠すのだ。
「それに桜架は、毎年沢山のチョコレートを貰ってくるじゃない。私は『息子の彼女候補』に負けないよう、頑張ってるの」
◆◆◆
(桃香お母さん、ごめんなさい)
桜架は心の中で謝罪する。その脳裏には、昨夕の記憶が再生されていた。
現在、桜架には交際相手がいる。しかしその事実を、桃香に報告していないのだ。
桃香は真っ当な人生を歩んで来た、純粋な女性。桜架の交際相手を知れば、“気絶”してしまう――かも知れない。
「バレンタインだね、ハルちゃん。キミの“チョコバナナ”が食べたいな」
「うわぁああ!」
桜架が思春期の悩みを深めていれば、甘い吐息が吹きかけられる。桜架はゾゾゾゾと鳥肌を立たせ、絶叫を上げた。
「な、何するの! 聖祈くん!」
「勿論、バレンタインスキンシップだよ」
桜架は咄嗟に耳を押さえる。耳がフェロモンに犯された気分だ。
その反応を楽しんでいる犯人は、勿論聖祈。桜架の交際相手だ。
「ボクも彼女達に負けないよう、ハルちゃんへの愛を届けないとね」
聖祈は桜架の足元を指し示し、ウィンクを飛ばす。其処には紙袋が置かれ、桜架宛のプレゼントが溢れていた。
「だ・か・ら・ボクのバレンタインキッスを受け取って」
「ちょ、聖祈くん! ここ部室……ッ」
濃密なフェロモンが立ち上がり、聖祈の唇がむちゅっと迫ってくる。桜架は焦った。
今は放課後、桜架達以外の部員は到着していないけれど。何時、一夜ないし桜子が現れるとも限らないのだ。
可愛い後輩である一夜と、可愛い妹である桜子。そのどちらにも、ラヴシーンなど見せられない。桜架は聖祈の肩を掴み、押し戻した。
「きゃー! ハルちゃん、だいたーん」
「うわぁ!」
わざとらしい悲鳴を上げ、聖祈の身体が傾く。その手は桜架の腕をガシリと掴み。桜架のバランスも崩した。
一畳ほどの就寝スペースに、聖祈と桜架の身体が重なるように倒れこむ。
「ボクの方が、押し倒されちゃった」
「な、」
聖祈の頬がポポと染まる。桜架の身体が、聖祈の上に乗っかっていたのだ。
それは明らかに仕掛けられた体勢だ。しかし第三者の目からは、桜架が聖祈を押し倒しているように見える。
「――ぁ、……! お邪魔しました……ッ」
「ちょっと待って、一夜くーーん!」
その時、部室の扉が静かに開いた。
顔を出したのは、可愛い後輩。一夜は一瞬目を見開き、再び扉を閉めようとした。
桜架はその手を、言葉で止める。気を使われたのだろうけれど、この状態で放置される方が不味い。
「ねぇ、ウサギちゃんも今夜はするんでしょ?」
「?」
「勿論、バレンタインのチョ・コ・バ・ナ・ナ・プ・レ・イ・だよ」
「チョコ、バナナ……?」
聖祈の興味は一夜に移り、その顔を覗き込む。色っぽく唇を動かし、意味深な視線を送っている。
しかし一夜は先輩からの質問に、疑問府を浮かばせた。その単語から連想される、卑猥な意図に気付いた様子はない。
「ッ!」
けれど桜架はそれを想像してしまい、頭を左右にブンブンと振った。セクハラ大王・聖祈と付き合う内に磨き上げられた想像力が恨めしい。
「聖祈くん、一夜くんに変な事を吹き込むと――椿くんから怒られるよ?」
桜架は注意を促し、気分転換に茶を啜る。一夜が後輩の役目だと淹れてくれた茶が、チョコレート色の空気を和らげた。
今日は2月14日、聖・バレンタインデー。天文部には、チョコレートの甘い匂いが充満している。
その原因は単純。学園の王子様である桜架は勿論、モデル業をするほど容姿に自信のある聖祈。その二人が、紙袋一杯にチョコレートの箱を持ち込んでいたからだ。
「え!? 椿姫との“お仕置きプレイ”? それは、是非に――ハッ!」
「へぇ」
「……っ!」
「ちょっと二人とも、目が怖いよ……?」
可愛らしいリボン。華やかなラッピング。目にも楽しい箱達。それは乙女の真心が詰まった贈り物。
正式に交際している相手がいる手前。桜架は『本命チョコ』の受け取りを、申し訳ないが断っていた。
しかし少し目を離せば、机の上や中はチョコレートの箱だらけ。贈り主も分からず。結局桜架は、今年も大量の菓子箱に埋もれていたのだ。
最も聖祈の方は、何時でもウェルカム状態で『乙女の真心』を受け取っていたのだが。
「もう、嫉妬しちゃって可愛いなぁ。ボクのハートはハルちゃん一色だから、安心してよ」
天文部の部室にザワザワと黒い空気が混じる。桜架と一夜の背後から生み出されるそれに、聖祈はポジティブな解釈を見せた。
天を舞うほど前向きなそれに、天文部を包む空気はチョコレート色を呼び戻す。
「別に、ぼくは本気で嫉妬した訳じゃないよ」
桜架は妙に気恥ずかしくなる。聖祈の軽口など、挨拶程度に繰返されていたものだ。それが恋仲に成った現在は、心に黒い靄を渦巻かせる要因になっている。
何だか自分ばかりが聖祈を特別視しているようで、桜架の心はモヤモヤしてしまったのだ。
「……っ、ごめんなさい」
一方で一夜は、聖祈に謝罪していた。抑えられない嫉妬心を恥じているのだろう。
「でも、あの――椿は俺の大切なひとなので、変な目では見ないで下さい!」
けれど椿への愛情は、聖祈にきっちりと伝えて見せる。それだけは意見したかったようだ。
「……」
そして一夜はその言葉を最後に、静になった。自分の席に座り、口を真一文字に引き結んでいる。
「ねぇ聖祈くん、君が椿くんで厭らしい妄想をするから――怒ったんじゃないの?」
「え〜? ウサギちゃんは、何時も大人しい子じゃない。言いたいコト言って、椿姫とのバレンタイン・ナイトに想いを馳せてるんじゃないの?」
桜架と聖祈はヒソヒソと耳打ち、一夜の心意を話し合う。
寡黙な少年の無表情は相変わらずで、椿以外の人間はその解読に苦労していたのだ。
「――ごめんなさい。お友達に付き合ってたら、遅くなっちゃった」
丁度その時、部室の扉が再び開く。
顔を出したのは、桜架の可愛い妹・桜子。
昨今の女性の間では『友チョコ』なるものが流行っているそうで。桜子も女友達と交換したと思しき華やかな菓子箱を提げていた。
「桜子ちゃ〜ん! ボクへのチョコは?」
「聖祈くん! 桜子ちゃん、あげなくてもいいよ」
聖祈は瞬時にハートを纏い、桜子へラヴコールを送る。桜架はその脇腹を小突いた。
「天羽先輩の分も有りますよ」
「え! ホント? やったー」
「義理ですけど」
「えぇ〜」
桜子の切り返しに、聖祈は残念そうに肩を落とす。
すでに何十人もの女子から『本命チョコ』を貰っている人間とは、思えない落ち込みようだ。
「はい。卯月くんも」
「ぇ……?」
桜子はそんな聖祈の反応に慣れたものと、横をすり抜ける。そして沈黙を守っている一夜に、話しかけた。
「雪白くんと食べてね」
机の上に置かれたのは、四角形のチョコレート包みが二つ。小さなサイズのそれには、ピンク色のハートマークがプリントされていた。
それはコンビニのレジ前で売られている、一般的なものだ。一目で『義理チョコ』だと分かる。桜子なりの気遣いなのだろう。
「ありがとう、ございます」
一夜は桜子に礼を返し、それを不思議そうに見詰めた。
「どうしたの? 桜子ちゃんの愛情が義理で、ガッカリしちゃった?」
聖祈はニヤニヤと笑み、一夜をからかう。会話の種を見つけ、それを咲かせる気なのだろう。
「いえ。慣れていなくて、……驚きました」
「もしかして。ウサギちゃん、初チョコだったの?」
「いえ。それは、椿が……」
「えっ! 椿くん、“バレンタイン・チョコ”あげたんだ」
桜架はその真実にこそ驚く。
幾ら椿が中性的な容姿をしていると言っても、どんな気持ちで買いに行ったのだろう。
「ぁ、……っ」
一夜は気恥ずかしそうに頬を染め。俯いた。口を滑らせてしまった、と。恥じたのだろう。
「お姉さんからのを、……渡してくれて、それで……あの……っ」
一夜は耳の先まで赤く染め、ポツポツと話す。その背は小さく縮み、羞恥にプルプルと震えている。
不謹慎ながらも、子ウサギのような愛らしさだ。ついつい、意地悪してしまいたくなる。
「じゃあ、今年のチョコは――椿姫となのは先輩と桜子ちゃんからの、三つ?」
「はい――ハッ!」
そしてそれを実行したのは聖祈。有り触れた日常会話をするように、意地悪な質問をふわりと舞わせる。
見事誘導された一夜の唇は、真実をポロリと落としてしまった。
◆◆◆
「いや〜。ウサギちゃん可愛かったね」
手提げの紙袋が、ソファの上にドサリと下ろされる。中に詰まっているのは、山のような量の菓子箱。両手を塞いでいたそれは、合計で6個。
すべてが、聖祈へと贈られた『バレンタイン・チョコレート』だ。
「逃がした魚は大きい。とか、思っちゃった?」
「思ってないよ」
恋人からの意地悪な質問。桜架はさらりと答え、自分の紙袋も床に下ろす。
現役モデルの聖祈には負けるが、桜架も2袋という大漁ぷりだ。
此処は聖祈の自室。休憩がてら、桜架は恋人の部屋に立ち寄って居たのだ。
「ボクのコトなら気にしなくてもいいよ。4Pも、大歓迎だからさ!」
「ぼくは全然大歓迎じゃないよ!」
聖祈はアリス・ブルーの瞳を爛々と輝かせる。桜架は肩を怒らせ、反論した。複数での行為など、考えられない。
「そんなにボクの躰を独占シたいなんて、ハルちゃん大胆……!」
「うわぁ! そこまでは言ってな――ッ、ひぅ」
ピンク色のハートを纏った聖祈が、桜架に飛び付いてくる。相変わらず自分本位な解釈をし、獣を目覚めさせたのだ。
聖祈は無防備な双丘に魔の手を伸ばし、サワサワと撫でる。桜架の唇は驚きと共に、艶を含んだ悲鳴を漏らした。
聖祈と桜架が交際を始めて、早半年ほど。恋人としての時間を重ね。その肌の温もりも、重ねていたのだ。
「やっぱりシたいな、チョコバナナ」
「ダメ、だ……聖祈く、ァ……撫でるのやめて……っ」
巧みな聖祈の指先から引き出される甘い嬌声。それは桜架の男を狂わせる媚薬のように、甘く淫らな熱を揺り起こす。
「ん〜? 前の方が好い?」
「言ってな……ひゃあ!」
後を弄っていた掌が、前へと滑る。淫らに撫でられれば、桜架の芯は反応を返してしまった。
スラックスの上からとはいえ、そこは男の弱点。交際相手こそ一般的ではないが、桜架も健康的な一人の男。そこを攻められては、理性など簡単に吹き飛ぶ。
しかも聖祈は、それを得意とした色男なのだ。経験不足の桜架に、跳ね返せる術はない。
「ぁ、聖……ン……祈く……はぁン」
桜架は身を善がらせ、淫らな熱情に陥落した。ベッドの上に力なく寝転び、快楽の吐息が漏れる。
最初こそ、欲に溺れた行為など簡単に許さなかった。けれど今の桜架は、淫らな熱の虜。聖祈から与えられる快楽に、躰は甘く痺れた。
「フフ。待ちきれないの? ピクピクさせて、可愛いなぁ」
「んぁ! ひゃ、ぁん……せい、き」
桜架の脚からスラックスを脱がせ、聖祈の指先は下着に伸びる。そのまま敏感な芯を一撫でされ、脳に微電流が流れた。
冬の陽は短く、夕方だというのに部屋は薄暗い。その闇の中で、聖祈の唇が色っぽく咲いている。
「そんなに切ない顔しなくても――ちゃんと直接触ってあげるよ」
「ぁ、ァ、だめッ、……ひン!」
男も女も知っている聖祈の指先。百戦錬磨のそれに、桜架の下着が引き抜かれた。
飢えた肉食獣の眼下に、生まれたままの下半身が曝される。
「直に食べてあげたいけど、少し待っててね……ちゅっ」
「アンッ! なん……で?」
男の欲望に震える桜架の芯。聖祈はそれに軽く口付け、直に唇を離した。
まさかのお預け状態。従順な獲物は若い先蜜を流し、肉食獣の動きを目で追う。
「やっぱり、シたいから――チョコバナナ、プ・レ・イ」
聖祈はベッドから抜け出し、不審な台詞をのたまった。
「ほら、甘くて美味しいでしょ? 桜架の好きな、スイートチョコレートだよ」
「ひぁあ! 味なん、ン、て……ハン」
淫らな熱に溶かされたチョコレートが、桜架の下腹部を甘く汚す。
聖祈は大量のチョコレートを寝室に持ち込み、それを桜架に食べさせていた。それは口にではなく、下半身にだが。
「嘘つき。ビンビンに勃せちゃって――ここは凄く美味しいって言ってるよ」
「ヤ、……ぐりぐりしないで、よ……あァん」
聖祈はスティック状のチョコレートを鉛筆のように持ち。桜架の芯をグリグリと弄る。甘いチョコレートは直に溶け、トロリと伝い流れる。
そそり立つ芯にチョコレートがコーティングされ、まさにチョコバナナのようだ。
「そうだね。そろそろ食べてあげないと、“ホワイトチョコ”になる前に」
「ッア、あぁあぁああ!」
パクリ。出来立てのチョコバナナが、色っぽい男の唇に食される。
待ち焦がれた刺激。桜架の芯は喜びを表し、ビクビクと震えた。歓喜の涙が頬を伝う。
「れる、れろ……ちゅっ、ちゅるる」
「せい、ッ……聖、祈――んぁあア!」
ぬとりと柔らかい聖祈の舌が、チョコレートを厭らしく舐め取る。桜架は熱い舌の感触に甘く鳴き。鼻孔を支配するチョコレートの匂いを感じた。
甘く蕩ける恋の味に、心も躰もとろとろだ。
◆◆◆
「――流石に、匂うよね?」
桜架は自宅に着き、玄関のドアノブに手を掛ける。しかし、簡単に家の中には入れない。
チョコレート塗れにされた身体が、甘い匂いを発している。聖祈にシャワーを借り。身は清めていたけれど、その匂いは未だ甘く。桜架の鼻孔を擽っていたのだ。
「どうしたの? お兄ちゃん」
玄関のドアがガチャリと開く。顔を出したのは、桜子。彼女は、自分自身の匂いを嗅いでいる兄に疑問府を浮かべている。
どうやら、桜架の姿は家の中から丸見えだったようだ。
「なんでも、ないよ」
「そう?」
思わず声が裏返る。可愛い妹に、爛れた関係など話せない。行為内容の悩みなら尚更だ。
「なら、早くお家に入って。お兄ちゃんへのチョコレート、渡したいの」
「ぁ、桜子ちゃん……!」
桜子が腕を伸ばし、桜架の手を引っ張る。
家の中に足を踏み入れれば、桃香の作る夕食の匂いが鼻孔を擽った。
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