初恋は桜の中で:番外編
私の好きなお兄ちゃん
私のお兄ちゃんは、とっても素敵な人。
「ねぇ。春風さん」
本日の授業が全て終了した、放課後の教室。
足早に教室を出て、部活に向かう生徒。友達との雑談に花を咲かせて、帰宅の準備を疎かにしている生徒。
そんな放課後特有の慌しい雑音の中から、一人の生徒の名前を呼ぶ声が聞えてくる。
「なに?」
名前を呼ばれた女子生徒――春風桜子はその声の主に振り返り、用件を問うた。
振り返りざまに揺れたピンクブロンドの髪が、傾きかけた陽の光を受けてキラリと光る。
「春風さんのお兄さんって、格好良いよねぇ」
話しかけて来たのは同じクラスの女子数人だった。
女性特有の甘さを含んだ声音が鼓膜を刺激する。甘ったるい蜜みたいな、女の声が。
「え…?…うん」
言われて、桜子の脳裏に優しく、ほんわりと微笑む兄の顔が浮かぶ。
絵本の中の王子様みたい!と、女友達に言われた事があるけれど、本当にそうだと桜子は思う。
陽に透けるレモンブロンドは、ふわりと微笑む兄によく似合い、柔らかい。
幼い頃は気兼ねなく触らせてくれたのだけれど、最近では余り触らせてくれないのが少し残念なくらいだ。
「今度の日曜日にね、女子何人かと男子何人かで集まって遊ばないか、って話してたんだけどぉ」
「そーそー。それで男子の数が足りなくて」
その台詞を聞いて、桜子は彼女達が自分に話しかけて来た意味を理解した。
「そしたらぁ、二年生に超カッコイイ先輩が居るって思い出したのぉ」
詰まり、その二年生の超カッコイイ先輩=\―春風桜架の妹である桜子に兄を紹介して欲しい、と言っているのだ。
「駄目よ…。お兄ちゃんは、休みの日はお昼まで寝てるもの」
毎晩遅くまで夜空を眺めている兄が床に就くのは、深夜というよりは早朝と言った方がいいような時間帯だ。
平日は何とか登校時間ギリギリに(本人はそれでものほほんとしている)起きているのだけれど、休日ともなれば桜子が幾ら起こしても兄の安らかな寝息が途切れる事は無いのだった。
「え〜?そうなのぉ」
「じゃあ、さ。ほかに誰かいない?」
そんな事言われたって、桜子に兄以外の親しい異性なんていない。
「誰でもいいからさぁ」
「…………」
誰でも、誰でも、と、桜子は記憶の中から異性の姿を探し出す。と、いうか何を律儀に彼女達の要望を叶えようとしているのだろうか?
さっさと適当な名前を言って、教室を出ないと。お兄ちゃんが待っているのに。
「ぁ、…雪白くん」
高校に入学してから再会した、小学生時代のクラスメイト。
雪白椿くん。
子供の頃はそれこそ女の子≠ンたいな容姿をしていたけれど、高校生に成った今は背も伸びて可愛い≠ニいうよりは綺麗な少年≠ニいう印象の方が強くなった気がする。
問題が有るとすれば、雪白くんがそういった誘いに易々と頷いてくれる様な性格をしていない、と言う事なのだけれど…。
「……雪白くんは、ちょと無理」
さっき、誰でも良いって言ってなかった?と、桜子は紫黒髪の少年の名前を聞いた途端にテンションを下げた女子生徒を見て思った。
「だぁってぇ。雪白くんが来たら、アタシたち霞んじゃうじゃな〜い」
「そうよ、男の子全員とられちゃうわ」
とられないわよ!雪白くんは男の子よ!と叫びたかったけれど、桜子はその言の葉を飲み込んだ。
「じゃあ。もういい?」
「ああ!そうだ。葉月くんは」
話は終わったとばかりに帰ろうとしていた桜子に、テンションを元に戻した女子生徒が食い下がった。早く帰りたいのに。
「葉月くんってサッカー部の?」
「そうそう。この前見たんだけど、結構カッコイイのよぉ」
桜子を置き去りにして、女生徒達は新しい男の話で盛り上がる。
葉月夏陽くん。
夏の太陽の様に光り輝く笑顔が眩しいスポーツ少年。桜子の周りの女友達の間でも、中々に人気の高い男の子だ。
小学校は同じだったけど、友達と言えるほど親しい関係ではない。
けれど、性格は明るいし、人付き合いも得意そうだ。
誘ったら、頷いてくれるかもしれない。
◆◆◆
「ああ。良いよ」
そして、その予想は当たった。
サッカー部の練習を終えた葉月くんを捕まえて、「今度の日曜日、暇なら皆で遊びに行かない?」と、聞いてみたら、彼は嫌な顔一つ見せずに頷いてくれたのだ。
その光り輝く笑顔には、爽やかという単語が良く似合っていた。
「きゃあん!夏陽くん。カッコイイ!」
「アタシ、ファンになっちゃったぁ」
彼女達も葉月くんに満足している様だし、自分の役目は終わった。と、桜子は兄の待つ、校門前へと脚を走らせた。
桜子と兄――桜架の所属している天文部は活動が盛んな部ではなかった(だから新入部員が中々集まらないのだ)けれど、部長である桜架は毎日部室に顔を出している。
『桜子ちゃんは、ぼくに付き合わなくてもいいんだよ』と、兄は言ってくれたけれど、桜子は出来るだけ部活動に参加するようにしていた。
けれど今日は、彼女達の話に付き合わされていたから、桜子は天文部に顔を出せて居なかったのだ。
勿論、桜子の兄はそんな事で怒るような人ではないので、正直に事情をメールで伝えると『桜子ちゃんの用事が終わるまで待ってるから、一緒に帰ろう』と返事を返してくれた。
だから桜子は急いでその脚を動かした。少しでも早く兄の顔が見たいから。
ブラコンだと言われようが、桜子は兄の事が好きだった。
本当の兄妹ではないけれど、桜架は桜子の大切なお兄ちゃん≠ネのだ。
◆◆◆
「――待っててくれなくても、良いのに」
「いえ。雪白君と、帰りたかった、……です。から……。一緒に」
「卯月、」
「雪白くん……」
可笑しいな、大輪の薔薇の花が見える。
校門前へと到着した桜子は我が眼の視力を疑った。
しかし疑う間でもなく、学園の校門前で堂々と妖しげな世界を構築しているのは、小学校時代のクラスメト・雪白椿と、そして桜子と同じ天文部に所属している漆黒髪の少年・卯月一夜だった。
卯月一夜くん。
彼を形容詞するならば、クールというよりは寡黙と表現した方が適切だろう。
天文部でも、一人黙々と本を読んでいる姿を見る事が多い。
けれど話しかければ、丁寧に応えてくれるし、無愛想という訳でもない。だた単に他人との会話に慣れていないだけなのかも知れない。
「――またか、」
ゆらり。と、人の気配を感じて桜子は振り返る。すると其処には先ほど会っていたスポーツ少年が居た。
部活用の体育着から制服に着替えてはいるけれど、短い髪の先は湿っている。シャワーを浴びた後、髪を十分乾かさなかったのだろう。
――と、言うか葉月くん。さっき間での爽やかな笑顔は何処に消えてしまったの?
卯月くんと雪白くんを見てる空気が、何か黒く淀んでいるような感じがするのだけれど。
「っていうか、一夜。二人とも好きとか言い出したら、シメる。友達として、そんなギャルゲー的な展開は許さん」
卯月くん、好きな人いるんだ。
恋愛事には疎そうな感じなのに、意外だな。と、桜子は思った。
「あ、桜子ちゃん」
のんびりと、柔らかい声音が鼓膜を揺らす。桜子の好きな兄の声音だ。
桜架は校門から少し離れた場所に居て、桜子に向かって手を振ってくれていた。
「お兄ちゃん。ごめんね、今日…」
パタパタと桜架の居る場所に移動して、桜子は申し訳なさそうに両手を合わせた。
「いいよ。さ、帰ろう」
「うん!」
桜架は桜子が合わせていた手を取ると、自分のそれと繋ぎ合わせて、歩き出した。
繋いだその手の温もりに、幼い子供時代を思い出す。
何時も柔らかく微笑んで、手を繋いでくれた。
優しい、私のお兄ちゃん。
私は桜架お兄ちゃんが、大好き。
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