初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――恋する心13


 ぺチン。
 司会者が己の額を小気味よく叩く。

「プッアハハ」

 と、テレビを観ていた他の客達が同時に吹き出す。彼等の目からは簡易漫才のように観えたのだろう。
 しかし桜雪はそれどころではない。

「水仙さん、どうして!?」

 どうしても何も水仙は彼女自身の仕事中なのだが、桜雪は焦った。
 2m先のテレビ画面から目が離せない。

「え、凛音さんって雪白水仙の“ファン”なんですか? ちょっと意外かも」

 クミがオレンジジュースを飲みながら問う。

「オレも好きッスよ。今やってるドラマ面白いし」

 明松の言葉も続く。
 けれとそれは純粋なファンとしての言葉だ。
 桜雪とは立場が違う。

「でも松っちゃん、娘さんが『やまぶきのおよめさんになるぅ』って言った時、スゲーショック受けてたよな」

 その娘さんの真似なのか、亀山の瞳がキャピッと可愛らしく潤む。
 最も30男の再現力では本物の足元にも及ばないだろうが。

「5歳で嫁に行くのは早い! ッスよ」

 力説する明松。
 そもそも山吹が見初めないと云う現実は二の次だ。

「あははは。完全に親バカだ」

 仰け反って笑う亀山。

「別にどうとでも、好きに言えばいいんッスよ」

 明松の無骨な頬が照れ臭そうに赤らむ。

「お! 言うようになったな」
「どーせ。カメやんも子供が出来れば同じコト言いそうだし。そん時にオレの気持理解してくれたらいいッスよ」

 父親の余裕を表すように胸を張る明松。
 亀山も一本取られたと、明松のコップに冷水を注いだ。酒の代りなのだろう。
 男同士の友情に場が和む。
 桜雪を除いて。

『しかぁし! 今回はマネージャーさんにシークレット写真を預かっているので、私は鬼に金棒なのですよん』
『おや、子鬼程度にしか見えませんが?』

 売り言葉に買い言葉。
 軽妙なトーク合戦が火花を散らず。
 司会者は腕に覚えのある中堅処で、水仙よりも年上だった。
 扱いが難しい水仙への対応も難なく熟す。寧ろ、水仙側が促されているような場面も多々見受けられた。

(水仙さん。バラエティ番組とか、大丈夫かな?)

 ハラハラした心境でエールを送る桜雪。
 水仙がバラエティ番組に出演する事は少ない。その上今回は生放送だ。

『それでは私の奥の手、カモ〜ン!』

 パチンと指を鳴らす司会者。
 それを合図に、黒子衣装に身を包んだスタッフが現れる。
 二人で大型パネルを運び、司会者の横に設置した。

『みなさん、黄色い悲鳴の準備をお忘れなく』

 明るく言って、パネル表面を覆い隠す布を一気に引き抜く司会者。

『きゃあ〜。可愛い!』

 黄色い悲鳴が注文通りに上がる。
 観客の視線を奪ったソレは、可愛らしい少女の入学写真だった。
 真っ赤なランドセルを背負う笑顔が初々しく。小学生対象雑誌の専属モデルだと紹介されても可笑しくない。完璧な美少女だ。

「な……、菜花ちゃん」

 桜雪はゴクンと息を呑み込む。
 テレビ画面一杯に映し出された菜花の写真は、桜雪が撮影したのもだ。
 プリントアウトした写真はすべて水仙へ渡したが、水仙自身も驚いているようだった。

『何処でコレを?』

 動揺を微塵も顔に出さず、司会者へ問う水仙。

『フフフ。マネージャーさんに丸秘スクープはないですかと、私の巧みなトーク術で聞き出したトコロ、娘さんの写真を見せていただいたのですよん!』

 司会者が自慢げに胸を張る。反応の良さに鼻高々だ。

『わたくし……聞いていません』

 水仙の視線がスタジオの端へ滑る。マネージャーが其処に居るのだろう。

『だから、シークレットと言ったのですよん』

 司会者も同じ方向へ手を振る。
 すると笑顔で手を振り返す女性の姿が、一瞬映った。彼女が水仙のマネージャーなのだろう。
 桜雪と面識はないが。

『水仙さんはこのお写真をスケジュール帳に挿んで大切にしておられるとか』

 マネージャーから聞き出したらしい情報をペラペラ語る司会者。
 観客も『へ〜』と、関心を口にする。
 しかし、水仙の顔色は曇った。
 菜花の話題が不味いのではない。寧ろ水仙は愛娘の自慢話を軽く熟せるだろう。
 問題は桜雪。
 パネルに表示された写真は、アレが全てではない。菜花の周りだけを、番組側が意図的に切り取ったものだ。
 司会者は勿論、視聴者も気付いている。菜花の両隣りには“水仙と山吹”が写っている、と。
 そして写真の全容が本当の見せ場。
 視聴者の望みも、水仙や山吹のプライベート零れ話だ。
 そこまでは、いい。
 桜雪も水仙の母親としての顔が好きだ。惚れた男の惚気になってしまうが、聖母のようだと思う。
 けれど水仙に男の影がチラリとでも覗けば、一瞬でスキャンダルの出来上がりだ。

『いやー。水仙さんに似て、本当に可愛いですねん。私も後30歳若かったら、胸がドッキンコしてましたよん!』

 菜花を褒め立てる司会者。だが所詮、話題を円滑に進める為のおべっかだ。
 目線は一度も水仙から外れていない。

『……ええ。自慢の娘です』

 出だしは若干詰まったが、何とか言葉を返す水仙。
 彼女も気付いているのだ。司会者がおどけた態度の中で聞き出そうとしている情報に。

『でも、アレじゃないですか? 父親が“離れて暮らしてる”と、淋しくて泣いちゃわないですか〜?』

 明るい言葉が、冷たく響く。
 司会者の目的はコレ――水仙の別居問題だ。

『いえ。お兄様が頑張ってくれていますので。その様な事は』
『ほぉ。流石はパーフェクト・ボーイ山吹君ですねん』

 司会者の目がキラリと光る。まるで罠に掛った獲物を見る猟師の目だ。

『しかし山吹君も僅か11歳の子供。本心では父親の影を求めていたり。な〜んて、ゲスな私は勘ぐってしまう訳ですよん』

 緊迫感が喉を伝う。

『何がおっしゃりたいのですか?』

 先に切り出したのは、水仙だった。

『わたくし、下手なピエロの曲芸に付き合う気は有りません』

 身も凍る言葉の氷柱が一直線に刺さる。

『いやいやいや。私は水仙さんとのお喋りを楽しみたいだけですよん』

 司会者は釈明を求めて右手をブンブン振った。
 しかし彼も百戦錬磨の手練れだ。一見した態度は怯えているが、本気とは思えない。

『お子さん達をダシに別居生活のアレやコレを聞き出そうなんて、けしてけして企んでいますん』

 ニマリ、と笑む。

「ドッチだよ」

 からかい交じりの野次が飛ぶ。スタジオに居る観客からではなく、テレビを観ている食堂の客からだ。
 つまり視聴者はこのやり取りを楽しんでいる。番組元々の人気をプラスしても、今回の視聴率は高いのではなかろうか。

「確か別居して、もう5年くらい? 娘さんも小学生かぁ」

 クミが指折り数えて計算する。

「子供が一番可愛い時期に出てくなんて、オレは信じらんないッスね」

 明松は父親の顔で意見を述べた。

「離婚しない理由はやっぱ子供かな?」
「世間体だろ。雪白水仙ってそーゆうの、厳しそうだし」

 亀山もクミの疑問に付き合う。
 彼等の話題もすっかり、雪白家の家庭事情に変わっていた。

「それか夫に対しての未練。水仙の浮いた噂って後にも先にも結婚発表の時だけだし、何だかんだで“手離せない良い男”って」

 ペラペラ語る亀山。

「週刊誌に書いてあった?」

 クミの目尻がニマニマ和らぐ。お見通しだよ、と言いたげだ。

「うわっ。早速バレた」

 亀山が残念そうに肩を竦める。
 ほのぼのとした空気。世界中の何処でも見られる昼休みの光景だ。
 水仙が不快そうに眉を顰めても、心配する者は少ない。
 所詮お昼のバラエティ番組――エンターテイメントは楽しむ為のモノだ。
 心を曇らせる方が珍しい。だから桜雪だけ取り残される。

(僕に翼が有ったなら、貴女の許まで飛んで行けるのに)

 気丈に振る舞う水仙の姿が小さく映る。
 パネル写真は全容を表し、司会者が入学式の思い出を聞き出している。

『旦那さんと連絡は取りましたか?』

 とか

『やはりご両親が揃っていないと、娘さんも肩身が狭い思いをしたでしょう?』

 とか。
 言いたい放題だ。
 けれど抜け目ない司会者は茶目っ気も忘れず。観客の笑みは絶えない。

(いや、違う。僕が役立たずなだけ)

 桜雪は心の中で頭を振った。

(旦那さん……水仙さんと永遠の愛を誓った人、か)

 水仙の夫は一般人だ。その為、桜雪は勿論世間の人間も詳しい為人を知らない。
 ゴシップ紛いの週刊誌が伝える人物像も、『知り合いの知り合いから聞きました』とか、曖昧なモノばかりだ。
 どれが真実で虚像なのか、桜雪には判断しかねる。
 水仙本人にも聞いた事がない。
 いや、違う――他の男、正式な伴侶の話を聞きたくなかっただけ、か。
 桜雪の立場は所詮『愛人』なのだから。彼女のすべては望めない。
 盾にも成れない男。寧ろ足枷だ。

『貴方にとやかく言われる筋合いはありません。わたくしは自分の人生に誇りを持っています』

 水仙がピシャリと言い放つ。
 一瞬、桜雪は自分に言われたような気がした。
 けれど水仙は司会者を真っ直ぐ見据えている。
 当たり前だ。離れた場所にいる桜雪の苦悩が、水仙に伝わる筈がない。

『しかし私は視聴者の疑問を代表してん』

 おどけた態度を崩さない司会者。
 水仙との相性は最悪だ。本気の怒りを感じる。

『わたくしはお仕事なので構いませんが、娘を利用するような発言は止めていただけますか? はっきり言って不愉快です』

 まるで極寒冷気を操る雪女だ。
 誰がそう言った瞬間、急遽CMが入った。
 明るいキャッチコピーが微妙な空気に流れる。

「やだ。カッコイイ」

 クミがトロンと憧れを零す。

「わたしも雪白水仙のファンになろうかなぁ」
「え、今ので?」

 不思議そうに聞き返す亀山。

「ちょっと怖くなかった? あんなの冗談じゃん」
「カメちゃん、女心……ううん、母心が分かってないよ」
「同意ッス」

 明松が深く頷く。

「写真に写ってる娘さん、凄く幸せそうだったじゃないッスか。別居してる旦那がどうとか、大きなお世話なんしょ」

 煙草を箱から取り出し、ジッポライターで火を点ける明松。
 食後の一服を吸い込む。

「カメやんもカメラマンなんだから、写真を通して読み取らないと」

 ふぅー。
 明松が煙草の煙を溜息のように吐き出す。

「んな事言われたって。俺に分かるのは、写真を撮った奴が“惚れてる”って事くらいだし……」

 亀山の口がツルッと滑る。

「え?」

 桜雪は亀山の顔を反射的に凝視した。
 露呈してはいけない。隠し通さなけばいけない事が、こんなにも簡単に見破られるとは。
 絶対に遭ってはいけない事だ。



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