初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――恋する心5


「凛音さん……?」

 思いがけない人物の到来。スタジオの入り口に桜雪が居る。

「態々来ていただいて申し訳ないスッ……けど、そういう訳なんで」

 対応するのは年若いADだ。小道具の入った箱を持ち、返事を返す間も足踏みしている。
 何かトラブルだろうか。山吹は周りのスタッフに断りを入れ、其方へ向かう。

「スゲー美人。でも男じゃ、何の道ダメだろうな」

 擦れ違う瞬間、誰かの呟きが耳に入る。それは桜雪に対しての言葉だ。

「あの、何かありましたか?」

 山吹は遠慮深く声を掛ける。昨日の今日とはいえ、桜雪とは親しい関係ではない。
 けれど冷静に働く頭とは別に心臓はドキドキと高鳴る。桜雪が困っているのならば、力になりたい。

「え、山吹君……ああ、そうか。君も出演者の一人だったね」

 紅玉の瞳が驚きに見開く。しかしそれも一瞬で、桜雪は直ぐに状況を理解した。
 と、いう事は。桜雪にとって山吹との再会は予期していなかった事態。少なからず、運命的な繋がりを期待してしまう。

「けれど、残念だ。僕はもう戻らないといけない」
「いやー。人質役を頼んでたモデルさんなんでスけどね。監督がイメージと違うって」

 桜雪に変わり、ADが事情を説明する。
 敵組織の人間が逃げる際に盾にする人質。しかし負傷した青年を気遣い、一時の交流をもつ。出番自体は少ないが、重要な役。
 謎に包まれた組織の青年、敵側の人間にスポットライトが当たる回のゲストキャラだ。
 話自体は今撮影している次の回。しかし、この大雪で内容が一部前倒しに変更され、桜雪も急遽呼ばれたという事だった。

「じゃ、失礼しゃース」

 軽く頭を下げ、ADが足早に去って行く。彼も仕事中で忙しいのだ。

「僕は大丈夫。よくある事だ。だから君が気に病む事はないよ、山吹君」

 取り残された桜雪は完全に部外者。代わりの役者も新しく手配したという。
 しかし桜雪はそんな状況でも、山吹に対して優しく微笑む。

「僕はどうも星の巡りが悪いらしくてね。仕事のキャンセルも今週で5件目だ」
「え」

 衝撃的な事実が世間話のように告げられる。山吹は驚いたが、桜雪の表情はサラッとしている。
 今日は火曜日、一週間が始まって三日目だ。

「昨日もオーディションに落ちた帰り道に山吹君を見かけて、つい声を掛けてしまった」

 今度は申し訳なさそうに身を屈める桜雪。その視線が山吹と交差する。

「ごめん。勝手に君との出会いを、人生最大の幸福だと思ってる」

 桜雪の瞳は一点の曇りもなく純粋で、澄み切っていた。
 しかしその輝きは山吹の心を惑わす魔性の色。幸か不幸か、桜雪との出会いは山吹の人生を大きく変えるのだ。

「それじゃあ、本当にさようなら」
「あ、待って……!」

 桜雪の視線が元の位置に戻る。思わず、山吹はその腕を引き止めた。
 数分前に演じた感情がフラッシュバックする。役を引き摺っている訳ではない。それは山吹自信も理解しがたい衝動だった。

「ん、何かな? 山吹君」
「いえ、その……」

 それでも桜雪は優しく落ち着いていて、山吹は普段の冷静さを忘れてしまう。

「また、逢えますか」

 緊張で強張る唇は洒落た口説き文句など紡げない。それ以前に子供の山吹は“次”に繋げる事で精一杯だ。

「勿論、山吹君の迷惑にならないのなら――“友達”になろう」

 淡く純粋な初恋など知らない桜雪は、とても嬉しそうに微笑む。
 それだけで、山吹の心は天にも昇る心地。天使の聖歌隊が脳内で祝福を歌い奏でる。

(嗚呼……! 人生最大の幸運を使ったのは、私の方だ)

 本気でそう思った。桜雪はとても綺麗で優しい感情だけを教えてくれる相手だと、信じていた。




「はい。これが僕の連絡先です」

 桜雪は自分の手帳を一枚破り、山吹に差し出す。
 認められた電話番号とメールアドレスがまるで宝石のように輝いて見える。

「私も、」
「いや。僕の手帳に直接書いてくれていいよ」

 同じように手帳を取り出した山吹。その手を桜雪が止める。
 仕事を終えた山吹は、一度モデル事務所へ戻った桜雪とスタジオ近くのカフェに居た。店内は芳醇な珈琲の香りが包み込む、落ち着いた雰囲気だ。
 連絡先の交換だけなら、短い時間でも出来る。が、山吹は桜雪と話がしたかったのだ。
 結果として桜雪にはUターンさせてしまったが、彼は快く来てくれた。

「凜音さんは、どうしてモデルに成られたんですか?」

 山吹も連絡先を書き綴り、桜雪へと見せる。その細い指が手帳に触れる瞬間、とてもドキドキした。
 これは夢で、自分は未だ眠っているのかも知れない。そう思うと、山吹は瞬きするのも躊躇してしまう。正に夢見心地だ。

「よくある話だけれど、街中でスカウトされてね。まだ学生だし、アルバイト気分で始めたのが切っ掛けかな」

 性別もそうだが、桜雪は実年齢もよく分からない。
 外見は十代後半の若者に見えるが、柔らかい物腰は成熟した大人のものだ。しかし紅玉の瞳は無垢な子供のようで、とても純粋な色をしている。
 アンバランスにも思える特徴は、けれど桜雪の魅力をより一層惹き立てる。美しいだけでは終わらない桜雪の為人を山吹はもっと知りたい。

「でも、中々芽が出なくてね。モデルの本業だけではやっていけなくて、エキストラのような仕事も受けているんだ」

 情けない事情だと、桜雪はプライベートな内情を打ち明ける。
 モデルの仕事はファッションデザイナーが作った洋服を着こなし、ステージで魅せる事だ。容姿は勿論重要だが、主役はあくまでも『服』。
 美しすぎる桜雪の容姿では、動くマネキンの役目を果たせなかったのだ。
 俳優の仕事で例えれば、脇役が主役よりも目立って作品の均衡を崩しているようなものだろうか。
 それで魅力が増す場合も有るが、絶対的な主役が決まっているモデル業界はそうもいかない。態々桜雪をモデルに指名するデザイナーは少ないそうだ。

「山吹君は、やはりお母さまの影響かな?」
「最初はそうですが、演じている内に面白くなって、自分から将来は俳優に成ると言っていました」

 山吹のデビューは早く、何と一歳の時だった。
 当然その記憶は曖昧なのだが、水仙に母親役の依頼があり、話題作りも兼ねて実の息子である山吹にも白羽の矢が立ったのだ。
 泣いたり騒いだり、笑ったり遊んだり。扱いの難しい『赤ちゃん役』。しかし山吹は必用な場面で求められる振る舞いをした。
 その才能に気付いたのは水仙で、物心付いた頃にはカメラの前で別の人格を演じていた。
 同年代の子供が“ヒーローごっこ”に夢中になっている頃、山吹はその番組に出演していたのだ。

「凄いな。僕が山吹君くらいの頃は“普通の男の子”だったのに、もう夢を叶えたんだ」

 桜雪が感心したように瞬く。その睫毛も長く、まるで完璧に創造された芸術品のようだ。
 絶対、他に類を見ない美貌の子供だったに違いない。

「いえ、まだまだ未熟者です」

 気恥ずかしさも有るが、それは山吹の本音だ。
 水仙と言う大きな存在の前では、山吹の努力も子供の戯れ程度に思われる事がある。
 実際、山吹の実力よりも『雪白水仙の息子』という理由で決まった役もあるのだ。親の七光りという言葉は、山吹の中で大きく存在している。

「ふふ。君が未熟者なら、僕は未だ“赤ちゃん”だな」

 意外にも、桜雪が砕けた一面を見せる。山吹の謙遜を茶化したのだ。

「そんな、凜音さんは素敵なひとです」

 神聖なほどに綺麗で、美し過ぎて。この世界で生きる事が、逆に不利になっている人だ。

「ありがとう、山吹君。君は優しい子だね」

 桜雪が照れくさそうに微笑む。
 その裏に隠れた感情は子供に励まされた情けなさ、それとも純粋な気恥ずかしさだろうか。

「本心です」

 山吹は小さく呟き。初恋の熱を誤魔化すようにカップに口を付ける。
 しかし背伸びしたブラックコーヒーは子供の舌に苦く、眉が一瞬歪んでしまう。

(ッ……苦い)

 鼻腔を擽る香りは心癒されるが、その味を理解するには早かったようだ。
 けれど同じコーヒーを、桜雪は美味しそうに飲んでいる。ほわりと立ち上がる水蒸気さえも味わうように。
 こんな些細な違いでも、子供という壁が山吹の前に大きく立ちはだかる。桜雪は苦いコーヒーの味が分かる“大人”なのだ。

「大丈夫? 砂糖とミルクは此処にあるよ」

 そして当たり前だけれど、桜雪は山吹の事を無意識に子共扱いしている。それはほんの少しだけ、悔しい部分だ。

「ありがとうございます」

 しかし意地を張ってもコーヒーの味は変わらない。甘い砂糖を掬い、ティースプーン一杯分だけ入れる。
 何となく、それ以上の変化は桜雪との距離を意識して出来なかったのだ。
 それでも苦味は焼け石に水のように和らがず、山吹は無理に飲み込んだ。

「人は自然と大人になるものだよ。山吹君」
「え?」

 コーヒーカップをソーサーへ戻し、口直しの水に手を伸ばす山吹。その耳に桜雪の優しい声が届く。



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