初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――恋する心4


 昨晩から降り積もった雪。純白の結晶が新しい一日を祝福するように輝き、世界の色を染め変える。

「わー! キレイねー」

 目が覚めて、いの一番。菜花は窓辺へと駆け寄った。
 灰色の雲間から漏れる陽光が冬の朝を神聖なほどに美しく魅せる。天使の歌声も聞こえてきそうな風景。それに可憐な瞳が奪われたのだ。

「ほら菜花、着替えが先だろう」
「はーい」

 無邪気で純粋な妹の姿。山吹は心を癒しながらも、確りと兄の役目を忘れない。
 そして温かい防寒具に身を包み、山吹と菜花は一階へと下りた。

「にーさん、あけてー」

 パタパタと玄関まで駆け寄り、菜花がドアの前で飛び跳ねる。自分の身長では届かない鍵を開けてほしいのだ。

「ああ。だが、あまり燥いで転ぶなよ」
「だいじょうぶよ。なのは、にーさんがおもってるよりも“オトナ”だもの」
「ははは。そうか」

 えっへんと胸を張る菜花。しかしその姿は『可愛らしい』の一言に尽きる。
 ご所望の鍵をガチャリと開け、山吹は笑みを深めた。

「ああ。本当に綺麗だ」

 庭一面に広がる銀世界。目測だが、積雪は20pを超えている。都会では中々見られない大雪だ。
 穢れを知らない新雪に足を踏み入れれば、山吹の膝小僧付近まで埋まってしまう。

「しかし予想よりも深いな。そうだ私がおぶろうか、なの」
「きぁー」

 山吹の横を菜花が駆け抜けて行く。大雪で興奮状態の耳に、兄の言葉は届いていないようだ。
 真白に染まった広い庭。そこに小さなピンク色がどんどん足跡を残す。菜花お気に入りのレインブーツだ。
 しかしそれも、直ぐに雪玉を転がしながらの進行に変わった。
 深い雪の中では一足一足の踏み出しが大きくなり、それが幼い菜花には大変だったのだ。

「にーさん。お花がキレイよ」
「ん? ああ、この花は」

 寒い冬は花の眠る季節。春が訪れれば可憐な花々が目覚める庭園も、現在は冬眠中だ。
 しかし唯一、真白に染まる世界の中で別の色が咲いている。艶やかな葉を持つ紅く美しい花。
 その名前は――

「ツバキ、ですよ」
「わっ! ママ」

 突然背後から声がして、菜花が驚きに振り返る。山吹もそれに続けば、二人の母親である水仙が居た。
 早朝から和服に身を包み、ピシリと厳しい空気を纏っている。余談だが、山吹はだらしない水仙の姿を見た事がない。

「品種の選別は庭師に任せたのですが、毎年良い色で咲いてくれる。植えて正解でした」

 視線を上に向け、水仙はツバキの木を見詰める。彼女の趣味は生け花だ。庭に咲く花も、よく使用している。

「ママはこのお花、すきなの?」
「ええ。枝振りも申し分なく、花付きもいい。良い木です」

 娘の素朴な質問に、水仙は専門的な目を光らせる。その脳内ではツバキの花をどう生けようかと、思案しているのだろう。
 しかし雪化粧したツバキの花は本当に美しく、この状態のまま飾って置きたいくらいだ。

「それよりも、もう家に入りなさい。学校に遅れてしまいます」

 水仙は視線を戻し、山吹に向き直る。
 雪自体は降り止んでいるが、この大雪だ。通学路は勿論、車が多く通る道路も雪に埋まっている。
 大人である水仙は足元が悪い交通状況を考えているのだ。




「おーい。山吹!」
「やあ、緋色。今朝は更に元気だな」

 何時もより早い時間に家を出た山吹。その耳に緋色の声が届く。
 通学路の途中に有る公園。そこで緋色は数人の男子達と雪合戦していたのだ。

「オラァ!」

 緋色が野球選手よろしく投球フォームを決める。そして力強いかけ声と共に、丸い雪玉が飛んできた。
 勝敗を競う敵チームではなく、何故か山吹にだ。

「おっと、危ない」

 ススと横に避け、山吹は危機を回避する。雪玉は道路に激突して、ペシャリと潰れた。

「どうした緋色、唐突だな」
「何時もと変わんねーお前見てたら、ムカムカしたんだよ。ったく、簡単に避けやがって」

 新しい雪玉を手に取る緋色の蟀谷に青筋が浮かぶ。
 どうやら山吹の予想よりも、昨晩のやり取りは緋色の尾を引いていたようだ。

「なんだ、喧嘩か?」
「おれ知ってる。ああいうの“痴話喧嘩”つーんだぜ」

 雪合戦に参加している子供達が思い思いの感想を口にする。彼等も緋色の友人だが、山吹とは面識が薄い。

「今度は避けんなよ!」

 緋色の狙いが、再び山吹に定まる。周囲の声は聞こえていないようだ。

「それは聞けない相談だ」

 軽く当てる程度で緋色の気は晴れそうだ。が、今日は午後から撮影が入っている。
 万一の場合も考えて、山吹はハードな遊びに付き合えないのだ。

「雪ダルマくらいなら、一緒に作れるが」

 雪玉を転がす菜花の姿を思い出し、山吹は方向転換を図る。

「ハッ! 誰がやるか、そんな」
「ええ! マジでぇ!」

 むしゃくしゃを引っ込めない緋色の横で、歓声が上がった。彼と遊んでいた友人の一人だ。

「あ? なんだお前、入ってくんじゃねーよ」
「いででで」

 友人の頬を引っ張り、緋色が目くじらを立てる。そこに心底ギスギスした険悪さはなく、気心の知れた友人同士の戯れに見えた。
 少しだけ羨ましいと、山吹はそっと思う。彼等と緋色は本当に本物の“友人”なのだ。

「いいじゃねーか。おれだって毎日ドラマ楽しみに見てんだよ」
「そうだ緋色、人気者の独り占めはよくねーぜ」

 別の子供が友人の肩を持つ形で、緋色をからかう。

「してねーよ。んなコトっ!」
「タッ!」

 ニヤニヤと笑む子供の額を緋色が中指で弾く。所謂デコピンだ。

「緋色、暴力はよくないぞ」

 あくまで優しく、幼い子供を諭すような口調で山吹は言う。

「お前も明後日の方向に注意してんじゃねーよ!」

 しかし緋色の牙は引っ込まない。いやむしろ、別の怒りが燃え上がる。その原因は明らかに山吹だ。

「困ったな」
「オレが言いたいセリフだバカヤロー」

 見事なストレートが再び、山吹に向かって投球される。けれど威力は最初のもの程なく、足元にポスリと落ちた。

「アー! もういい。お前はそういう奴だ」

 吹っ切るように息を吐き出し、緋色が頭を掻く。
 鮮烈な炎を具現化したような紅色の髪は街の色を塗り替えた雪の中でも鮮やかだ。

「オラ、お前らも行くぞ」
「えー? 雪白山吹と遊ばねーの」

 公園から移動する緋色。その背に雪合戦を楽しんでいた子供が疑問を投げる。
 しかしそれには応えず、緋色は山吹の前まで足を進めた。

「少しでも油断すりゃ、攻撃してくる奴らばっかだからな。確実に狙い撃ちされるぜ、山吹」

 クイっと親指を立て、緋色は背後を指し示す。その肩口から覗く景色には未だ雪玉を投げ合う子供達がいた。

「ありがとう、緋色。気を遣わせてしまったな」
「ハッ! 仕事がない日は遊び倒すからな。覚えとけよ」

 ニッと、屈託なく笑む緋色。そう彼は、山吹のスケジュールを知っているのだ。




 ◆◆◆




「シーン74。スタート」

 監督が指を鳴らし、カメラが回る。今はドラマの撮影中。
 本当は屋外でのシーンを撮影する予定だったのだが、この大雪だ。急遽、スタジオでの室内シーンに撮影が変更された。
 しかし練習していた演技プランが変更されようと、山吹の仕事は一つ。役に成りきり、最高の演技を魅せる事だ。

「『家を出て行く!? どうしてだよ、兄さん!』」

 予期せぬ衝撃に目を見開き、逞しい腕を引き止める。山吹は主人公の弟役なのだ。

「『すまない。だが、これ以上お前を巻き込む訳にはいかない!』」
「『兄さん!』」

 ストーリーは不思議な能力に目覚めた青年が謎の組織と闘う、サイキックバトル物。
 最新のCG技術を駆使したバトルシーンは迫力満点で、子供のみならず大人のファンも多い。

「ハイ、ここで主人公が瞬間移動で消える。弟の顔にアップして」

 メガホンを指示棒のように使い、監督が合図を出す。カメラマンはそれに従い、直ぐに山吹の顔をズームアップした。
 消える主人公の姿は後で映像処理し、場面を繋げるのだ。

「『そんな……ッ……ぼくを、置いて行かないで……うぁあぁあぁあ!!』」

 膝から崩れ落ち、大粒の涙が山吹の頬をしとどに濡らす。
 大切な人間が目の前から去った悲しみ。そして絶望が、胸の奥底を切なく締め付ける。
 実際その相手は近くに居て、山吹の演技をジッと見詰めているのだけれど。役に成りきっている山吹の目に、その姿は映っていなかった。

「ハイ、OK。次は」

 監督はパラパラと台本を捲り、淡々と撮影を続ける。
 NGも無く、やり直しも要求されない。山吹はスタッフが差し出すタオルを受け取り、涙を拭う。
 左右色違いの靴下、伸ばしたままの無精髭。一見してだらしない男性は、間違いなく才能を持った監督。
 その監督が顔色を悪くしないという事は、山吹の演技は合格点。
 役目を終わらせ、山吹の出番は無事終了。後はたった独りで戦いへと挑む主人公の苦悩を見守るだけだ。

「え!? そんな……」

 その時、小さな戸惑いが耳に届く。その声音は騒めくスタジオ内でも、印象的な音を鳴らした。



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あきゅろす。
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