初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――乱れる夜2



 ◆◆◆




 尊敬する兄がその恋人と愛を交わしていた、少し前。その弟――椿の方はクローゼットを開けていた。
 風呂も済ませ、後は寝るだけ。パジャマを二着取り出し、「好きな方を選べ」と一夜に手渡す。

「丁度良かった。この間、下着を購入したばかりだったんだ」

 続いて椿は下着類が仕舞ってある収納ボックスを開ける。
 幾ら容姿が中性的でも、男のランジェリーボックスに華やかさはない。どれも代わり映えしないデザインだ。
 その中からビニール袋に包まれた、ボクサーパンツを取り出す。正真正銘の未使用品、商品タグも未だ付いている。

「流石に下着は貸し借り出来ないからな」
「新しいものを、買って返します」

 椿は学習デスクへと向かい、ペンスタンドの中からハサミを取り出す。穿くのに邪魔な商品タグを切り外す為だ。

「それは別に気にしなくて……も」

 パジャマを選び終えた一夜へ、下着も手渡す。
 流石に一度穿いてしまえば、「洗って返します」とは言えない繊細な下着問題。元より椿は返却を想定していない。例えそれが新品でもだ。
 第一、今日の『お泊り』は椿の我儘。下着の一枚くらい安いものだ。

「いや、そうだ」
「?」

 しかし椿は別の案をピンと思い付く。
 そんな恋人を不思議に思ったのだろう、一夜は椿の唇をジッと見詰めて次の言葉を待つ。

「今度、ショッピングデートへ行こうか」
「はい。その時に代わりの物をお返しします」
「ああ。ついでに秋物の洋服も見て回ろう」

 椿の意図を理解した一夜が快く頷く。デートという単語にもお互いの頬が緩い。

「ふふ。建前を用意する事無く一夜を誘えて、幸せだ」

 遠回しな理由を思い付いては、一夜を『誘っていた』片想い時代。その頃の彼に『デート』という認識はなく、純粋な友情を喜ばれていたけれど。
 今は正真正銘、『恋人同士のデート』が楽しめるのだ。それは小さな変化だけれど、椿の心は幸福に包まれる。

「俺も椿と出掛けるのが嬉しいです――それは、以前から思っていました」
「知ってる。でも、恋人としてのデートは特別だろう?」

 秘密の想いが気恥ずかしそうに明かされる。大切な友人として過ごした時間も、愛しい恋人として紡いでゆく時間も、キラキラと輝く二人の宝物だ。
 それを改めて実感すれば一夜と椿を包む空気は自然と甘やかさを増す。

「椿……っ」
「ん……一夜」

 一夜が背伸びをし、唇を寄せる。それは口付けの合図だ。飛び出してしまいそうな心臓の高鳴りに身を任せ、椿も瞼を閉じる。
 柔らかく重なった唇は甘いマシュマロ。真夏の夜が魅せる幻想に心奪われる。

「……一夜の話、ベッドの中で聞いてもいいか?」
「はい。俺も、椿の話が聞きたいです」

 甘く蕩けたまま唇を離す。正しいの身長差に戻った一夜の背中に腕を回し、椿はその身を預けた。

「愛してる」

 清潔な石鹸の香りが鼻腔を擽り、頬が期待に火照る。二度目の口付けをチュッと交わして、照れたように愛を囁き合った。




「――そうか、それで兄さんと」

 椿は自分のベッドへ腰を下ろし、一夜の話に耳を傾ける。それはオーディション中、彼が感じた憤りだった。

「はい。皆さんにも気を遣わせてしまって」
「そんな事はない。兄さんも姉さんも、一夜を気に入っている」

 一夜もちょこんと腰掛け、申し訳なさそうに事情を語る。その唇に温かな愛情を届け、椿も変わらない心を伝えた。
 そして母胎の中で息づく双子のように向かい合い、一夜と椿は柔らかなベッドへ寝転ぶ。夏の初めに目覚めた恋はまだ熱く、冷める気配を永遠に感じさせない。

「それに一夜は真っ先に声援を送ってくれただろう」
「あれは無我夢中で、……恥ずかしいです」
「僕はとても嬉しかった。思わずステージから飛び出して、一夜を抱き締めそうになったぞ」
「っ……椿」
「ふふ。後半はまぁ、冗談半分だ」

 絶対的な逆風の中で自分の意見を大きく叫ぶ。それは中々出来ない芸当だ。本当に一夜は大人しそうに見えて、意外な行動力を秘めている。

「焦る事はないよ、一夜。僕も未だスタート地点に立ったばかりだ」
「んっ……」

 優しく抱き締め、漆黒の髪を撫でる。一夜は擽ったそうに身を捩り、椿の胸に顔を埋めた。

「何せ目標(ゴール)は“あの兄さん”だからな、そう簡単には行き着けない」
「椿なら大丈夫。お兄さん見たいな立派な人に必ずなれます」

 温もりが抱き締め返される。一夜の掌がもぞもぞ移動して、椿の背中を優しく撫でた。
 人生相談を聞いていたのは椿なのに、いつの間にか一夜に励まされている。その事実に気付き、椿は慈愛を深めた。

「ああもう本当に、一夜が愛しくて堪らない」
「え……?」

 油断していたら、椿の方が置いて行かれそうだ。しかし自分の可能性に気づいていない一夜は、椿の反応に戸惑う。

「そんな慎ましい君とキスがしたい」
「……キスだけ、ですか?」

 むくりと顔を上げ、一夜が珍しく拗ねる。背中を撫でていた掌を前へと滑らせ、パジャマの襟首をギュゥウウと握った。そこは椿の高鳴る心臓の程近く。

「いや、補足する。キスよりも深く愛し合いたい」

 ドキンドキン、ドクンドクン。高鳴る二つの鼓動が夜の静寂に溶ける。
 椿は妖艶に囁き、一夜の手に自分のそれを重ねた。自分からベッドに誘っておいて、拒むような真似はしない。

「……でも、今日は疲れて……だ、から……」

 羞恥の炎が椿の全身を焼く。何時もは凛とした声も辿々しく、緊張に震える。
 拒む理由はないけれど、一夜を満足させられる自信がないのだ。元々洗練された技術もなく、誰にも負けない愛情だけが椿の自慢だったのに。
 使い切った体力では、ただ寝転んでいるだけのお人形さんだ。

「俺が、頑張ります」
「んゥン……!」

 しかし一夜の唇は問題ないと教えるように深く重なる。柔らかく、そして甘く痺れる本能的な口付けだ。
 着替えたばかりのパジャマにも指が這う。ボタンを外されて、浮き出た鎖骨に切ない吐息が掛った。




 リーン、リーン。緩やかな南風に鈴虫の羽音が運ばれる。しっとりと濡れる夏の気温に涼を齎す流麗な音だ。

「ハァ、朝の空気が気持ちいい」

 夜の静寂を残していた部屋に朝の香りが爽やかに流れ込む。椿は窓を開け、新鮮な空気を取り込んでいた。
 夏の朝日は早起きだ。早朝5時という時間帯にも関わらず、もう頭を出している。

「椿、着替えが終わりました」

 静かな足音が近づき、椿の隣に並ぶ。一夜だ。彼も早起きし、制服に着替えていたのだ。

「ふふ。少し大きかったな」

 彼シャツならぬ、『彼制服』に身を包んだ一夜。今日から9月とはいえ、装いは未だ夏物。短袖から伸びる腕は椿よりも細い。

「頑張って成長します!」
「ん、一緒に大きくなろうな」

 一夜がキリリと眉を引き締め、決意を語る。その肩に頬を預け、椿は愛情を囁く。
 それは肉体的にも精神的にも、共に成長してゆく未来へ朝日を導く言葉だ。




 ◆◆◆




「……はぁ。結局、朝まで離してくれなかったな」

 億劫な腰を引きずり、山吹はキッチンの扉を開けた。一晩中啼かされ続けた喉は渇き切っている。
 冷蔵庫を開けてポットを取り出し、冷たい茶をグラスに注ぐ。そのまま口を付け一気にゴクゴクと飲み干す。
 その茶は喉に良い茶葉をブレンドした雪白家オリジナルの味。役者の多い家系は喉のケアも怠らないのだ。

「あ、兄さん。もう起きてたんだ」
「あ、ああ……。椿も早いな」

 丁度その時、背後から声が掛った。聞き間違えようもなく椿の声だ。
 慌てて振り向き、山吹は兄の顔を取り繕う。まさか可愛い弟に淫らな床事情をあっけらかんと語れない。

「うん。発声練習を終わらせたら、一夜のマンションに行ってくる」

 食器棚の下段からスポーツボトルを取り出し、椿も茶を注ぐ。琥珀色の液体が陽光を反射してキラキラと輝く。
 爽やかという単語が良く似合う朝の風景。しかし山吹には一つだけ、気になる問題が有るのだ。

「その、なんだ。昨晩変な声……いや、“動物の鳴き声”のようなものは聞こえなかったか?」
「さぁ? 別に聞こえなかったな」

 人差し指を顎に付け、椿は記憶を辿るように小首を傾ける。

「昨晩は一夜の温もりに包まれて、グッスリ眠っていたから」
「え!? いや、そうか。……なら一安心」

 椿を包む空気が幸せに蕩けだす。
 その意味に一瞬動揺するが、今の山吹は弟の交際事情をどうこう言えない状況下。藪をつついて蛇を出す訳にはいかないのだ。
 そう、尊敬される兄の威厳にかけても。

「本当に椿は一夜君と仲が良いな」
「んっ……擽ったい」

 ふっと優しく微笑み、山吹は椿の頭をよしよしと撫でる。まるで幼い子供を褒めるような扱い、しかし椿は文句も言わず目を細めた。
 蝶よ花よと育てた、可愛い弟。実の父親である桜雪と引き離したのは――山吹だ。

「なぁ、少しだけ――身勝手な私の話も聞いてくれるか?」

 そして山吹は遠い過去を語りだす。それは長く秘めていた初恋の記憶だった。



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