初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――揺れる心9


 消毒。
 その一般的な意味は病原菌を消し去る事だ。
 しかし恋人達の間にはもう一つ、それを指し示す行為がある。

「――やっぱキスシーン、あるじゃねぇか」

 読み終えた台本が横から奪われる。それをパラリと開き、緋色は臍を曲げた。
 今回、山吹が出演するドラマは人気少女漫画を原作とした恋愛物だ。恋に目覚めたばかりの少女の純愛を主としているが、そこは恋愛物。それなりのラヴシーンは用意されている。

「演技だ。本物のキスとは違うよ」

 積極的にしたい訳ではないけれど、それは仕事の一つ。山吹はキスシーンの有無くらいで、一々騒がない。
 しかし緋色はそれが堪らなく嫌らしく、態々原作本までチェックしたそうな。結局は『甘ったるいわ!』と文句を一つ添えて、菜花へ譲っていたけれど。

「相手はアイドルやってる“お嬢ちゃん”だろ」
「そうだな。未成年ヘの配慮は監督とも話し合わなければ、私がファーストキス相手だとしたら可哀想だ」

 山吹は本気で監督への進言を考える。
 主人公の少女を演じるのは演技初挑戦の人気アイドルだ。年端もいかない少女の純潔を、例え仕事とはいえ汚してしまうのは気が引ける。
 聞けば菜花ともそう年の変わらない少女だという。となれば、山吹の心には庇護欲しか浮かばない。

「……ちょっとお前、自分の顔(ツラ)を鏡で見直してこい」
「ん、ゴミでも付いているか?」

 反射的に前髪に手を伸ばす。しかし山吹の指先は亜麻色の髪をサラサラと擦り抜けるだけで、何も発見しない。
 どこに付いているのだと、緋色の顔を窺えば呆れていた。どうやら、彼の意図とは違っていたらしい。

「相手はむしろ、本気で奪って欲しいくらいだろうさ。抱かれたい男1の超美形俳優さん」
「もしそうだろうと、私の応えは変わらないよ」

 緋色の腕が伸び、山吹の右手を力強く奪い去る。そのまま唇まで引っ張り、緋色は人差し指をカプリと甘噛む。微かな痛みは嫉妬の印だ。
 実際問題、山吹は共演者の女性から好意を寄せられる事が多い。それは恋人役を演じ、疑似恋愛状態が続いているようなものだ。と、山吹は思っているのだけれど、緋色は信じていない。
 それは恋人の浮気を疑っているのではなく、男性としての魅力を山吹本人よりも理解しているからだ。

「それに、直ぐにお前が“消毒”するだろう?」

 好きに噛ませていた指を引き抜き、緋色の唇をなぞる。恋人からのキスで、すべての上書きは完了。山吹の心が甘い女性の誘惑に揺らいだ事は一度もない。
 本気の、本物の口付けは――恋人である緋色とだけ交わされる神聖な儀式。愛情の証しだ。

「なんなら、今から事前消毒してやろうか?」

 気分を良くした緋色の顔が迫る。ニヤリと弧を描く男の唇は山吹の脳を酔わせる唯一の熱だ。

「ああ、頼めるかな? 私の緋色……んっ」

 二人の唇は甘く重なり、心を満たす。冗談めかして戯れ合ったまま、恋人同士のコミュニケーションは夜遅くまで続いた。




 以上、五年前の回想終了。雪白山吹当日22歳、未成熟な初夏の記憶だった。

「椿! 一夜君と何をする気だ」

 そして現在の山吹は『消毒』という単語を口にした弟に詰め寄る。
 交際自体は認めても、そこは複雑な兄心が働く。あまり淫らな行為は想像もしたくないのだ。

「え? 天羽聖が触った倍以上の時間をかけて、一夜の“頬”を撫で回そうと計画中」
「んっ」

 焦る山吹に疑問符を浮かばせながらも、椿は一夜の頬をツンと突く。それが恥ずかしいのか、一夜の口から小さな音の欠片が漏れた。
 その雰囲気に淫靡な色はなく、雛鳥が睦み合っているようにほのぼのとしている。

「そうか、一安心」
「何が?」
「いや、何でもない。私の考えすぎだ……忘れてくれ」

 仕切り直すように咳払いを一つして、山吹は脳内の映像を消し去る。

「つか、お前が撫で回される側か」
「いえ、それは……」

 緋色が一夜を冷やかす。彼も山吹の後に続き、階段を上がって来たのだ。

「あんま好きにさせとくと、簡単に逆転されるぞ」
「逆転……何のですか?」

 声を妖しく潜ませ、緋色は忠告を囁く。しかし一夜はその意図に気付かず小首を傾げた。
 穢れを知らない少年の反応に構わず、緋色の瞳は性的な色を増す。

「そりゃお前、どっちが突っ込む側か夜の主導け」
「あー、ううん! そろそろ戻ろうか、二人とも」

 山吹は緋色と一夜の間に割り込み、態と言葉を遮る。保護者の目線では性関係の話題に疎い方が安心だ。




『そして驚きなのが、審査員特別賞を受賞した少年! なんと、なんと! あの超有名女優、雪白水仙さんのご子息なんですよ!!』
『ええー!?』

 モニターに映るアナウンサーが大袈裟なほど目を見開き、正確な情報を伝える為の声を荒げる。
 爽やかな外見の青年は未だ初々しさが抜けない新人。自分が掴んだビックニュースに興奮を隠せない様子だ。

『水仙さんと言えば――あのハリウッドを代表する有名監督から直々のオファーを受けて、現在はロサンゼルスへ行かれているとか』
『おおっと! それは未だシークレット情報ですよ』

 スタジオに立つアナウンサーは経験を積んだ男女二名の中堅所だが、思わぬ報告に素直な驚きを上げる。しかし椿本人の話題には余り食い付かず、その熱気を盛り上げたのは水仙のマル秘スクープだった。

『わわ! 失礼しました。忘れて下さい』
『あはは。これ生放送ですよ』

 うっかり発言で笑いを誘い。ニュースの一コーナーは幕を引く。ハプニングを誤魔化すような明るいCMが素早く入り、停止ボタンを押した。

「アハハハ。お前、実は影薄いんじゃねーのか?」
「緋色!」

 酒が入り、緋色の口は軽くなる。録画していたニュース番組を肴に上機嫌だ。

「椿は映像でも綺麗ですね」
「一夜……! 僕は、君の瞳に映る存在であれば充分だ」

 正直な感想が一夜の唇からポロリと落ちる。
 爆発寸前だった火種は鎮火し、感動を覚える椿の心情を表すように花火が打ち上がった。

『夜空に咲く夢の祭典! 花火大会の開幕でーす』
『うぉおお!』

 明るい女性の声が会場の熱を盛り上げる。丁度、大規模な花火大会の中継に番組が切り替わったのだ。

「浴衣も風流でいいわね」

 菜花がウットリと吐息を吐く。
 テレビ画面に映る多くの人間は涼やかな浴衣に身を包み、今夏最後のイベントを楽しんでいる。

「んなもん、仕事で着慣れてるだろ」
「あら、お仕事とプライベートは違うわ。わたしは浴衣を着て、お出掛けしてみたいの」

 冷えたビールを一気に飲み干し、緋色が一言。
 今は遅くなってしまった夕食の時間。緋色と菜花がそれぞれ腕を振るった料理が、広いテーブルに所狭しと並んでいる。
 俵型のおにぎりは緋色手製の赤飯を成形したものだ。それを全員が小皿に取ってゆく。
 パクリと口に運べば、モチモチした糯米とふっくらとした小豆が食欲を引き出す。やはり緋色の手料理は美味だ。

「毎日食べても飽きないだろうな」

 男性が理想とする『理想のお嫁さん像1』といえば、料理上手。立場的には逆になってしまうが、山吹もその意見に異論なし。
 緋色の手料理は全世界の女性が狙う胃袋をガッツリ掴んでいた。

「ほぉー。そんなに気に入ったか」
「ああ。とても美味しい。流石だな、緋色」

 遠回しなプロポーズにも思える台詞。しかし緋色は純粋な褒め言葉として受け取り、他の料理もすすめる。
 生春巻きにも端を伸ばし、山吹は舌鼓を打つ。満足そうな恋人の笑みも馳走の一つだ。

「椿もそう思うだろう?」
「ハァ……。一夜は胡麻塩を振っていても格好良い」

 同意を求めて話題を振れど、椿の瞳は一夜に釘付け中。無意識な心の声もだだ漏れだった。




「はーい。椿くん笑って」

 夕食も食べ終わり、菜花はカメラを取り出す。
 女性の細腕にズシリと重い本格的な一眼レフ。普段の菜花は撮影される側だが、実は椿のアルバム写真は殆ど彼女が撮ったものなのだ。

「あ、そうだわ。折角だから記念写真にしましょう!」

 名案を思い付いたと、菜花は一度構えたカメラを提げる。
 そしてクルリと振り向き、完全に撮影会を楽しむ体制でいた山吹にアイコンタクトを送った。

「そうだな。審査員賞の記念に皆で撮るか」

 妹の意図を汲み取り、山吹は緋色の腕を掴んで立ち上がる。
 男らしい両腕をソファーの背凭れに投げ出し、リラックスしていた緋色は面倒臭さそうに従う。それでも断らない彼は良い奴だ。

「うふふ。一夜クンは椿くんの隣ね」
「俺も、ですか?」

 一夜の目が戸惑いにパチクリする。家族の記念写真に、自分は不要の存在だと思っていたのだろう。

「おいで、一夜。それとも僕の隣では不服か?」
「いえ、宜しくお願いします」
「ふふ」

 椿が優しく呼び寄せる。一夜はその声に従い、恋人の左隣へ嬉しそうに移動した。

 三脚にしっかりと固定したカメラ。菜花はセルフタイマーのボタンを押し、自分も家族の輪に加わる。程なくして眩いフラッシュが撮影完了を知らせた。



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