初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――揺れる心8


 結局は行きと変わらない経緯を辿り、山吹達は帰宅する。

「椿、俺が持ちます」
「もう家も近い。大丈夫だ」

 椿がバックドアを開け、荷物を取り出す。後に続く一夜の申し出に断りを入れたのは、小さな遠慮。
 『雪白』は有名芸能一家。はっきり言ってしまえば敷地が広く、ガレージから玄関へも結構な距離があるのだ。

「俺が椿の役に立ちたいんです」
「そう言って君は帰り道も持ってくれただろう」

 重い荷物を間に置き、一夜と椿はどちらも引かない。しかしその雰囲気は甘く、恋人同士のコミュニケーションなのだと分かる。
 そう積み込みは持ち主である椿がしていたが、荷物自体は一夜が運んでいたのだ。
 おそらく帰り道でも今のような会話を繰り返したのだろう。と、山吹は頬を綻ばせながら推測する。

「全く一夜は、何度僕を惚れ直させる気だ?」
「椿、今日は疲れただろう。一夜君に甘えてみたらどうだ」

 車から降り、山吹は助け船を出す。
 仲睦まじい弟達の様子は微笑ましいけれど、椿の体力はオーディションで使い切っている。ならば、山吹は一夜の肩を持とう。

「兄さん、……もしかして一夜と仲良くなった?」
「ああ、オーディションの間にな」

 あれと、不思議そうに問う椿。山吹は隠す事なくその経緯を教える。
 緋色は『嫉妬心』を提示していたけれど、椿は不機嫌を表さない。むしろ嬉しそうに、安堵の表情を浮かべた。
 山吹の一夜への感情が、優しく慈しむ兄の心だと理解しているからだ。




「ただいま、姉さん。遅くなって、ごめん」
「うふふ。お帰りなさい――きゃん、椿くんがお花持ってるわ」

 ボストンバッグは一夜が、繊細な花束は椿が持つ事で解決を得る。そして彼等はそのままダイニングルームへ足を運び、帰宅を知らせた。
 その声に、ふわりと柔らかい笑顔を向ける菜花。しかし次の瞬間、椿の姿に黄色い悲鳴を上げた。

「ああ、姉さん。良かったら、もら」
「ちょっと待っててね。カメラ持ってくるわ!」

 可憐な花束はそれがよく似合う可愛らしい姉へ、椿は渡そうとする。
 けれど菜花はストップを掛け、彼女の自室へルンルンと飛んで行く。言わずもがな、カメラを取りに向かったのだ。

「ごめん、一夜。今夜は姉さんの“撮影会”に付き合わせるかもしれない」
「え……?」

 行き場を失った花束を抱え直し、椿は謝りを入れる。その理由を知らない一夜は小首を傾げた。

「おい、菜花! 夕飯(メシ)の後にしろよ!!」

 緋色が天井、正確にいえば二階に向かって叫ぶ。まるで娘に注意を呼びかける親のようだ。
 しかし雪白家は全室防音。いくら緋色の声が爆発音のように大きくとも、菜花の部屋までは届いていないだろう。

「あー、それと椿。今日のオーディション、ニュースに成ってたぜ」
「そうですか」

 天気の話でもするように、緋色は重大ニュースを知らせる。しかし緋色限定の反抗期を貫いている椿は、ツンとした態度を崩さない。
 新たな喧嘩の火種を感じ、山吹は憂いの覚悟を決める。けれどその予想は外れた。緋色は怒りの炎を燃やさず、喧嘩腰で突っ掛る事もしなかったのである。

「緋色、終に分かってくれたのか……!」
「まぁ。今日くらいは、な」

 長年夢見た人間関係への第一歩。山吹は感動の光景に、その身を震わせる。
 歓喜の花が心に咲き零れ、祝福の鐘が鳴り響く。大げさだと思う者もいるだろう。けれど細やかな切っ掛けは、何時の日か大きな結果を連れて戻って来る。山吹はそう信じているのだ。

「……兄さん、荷物を部屋に置いてくる。行こう、一夜」
「はい。それではお兄さん、秋空さん、失礼します」

 椿は喧嘩を吹っ掛けない緋色をジッと見詰め、詰まらなさそうに踵を返す。
 同行を求められた一夜は頷き、後を付いて行く。けれどその前に、頭をペコリと下げた。本当に礼儀正しい子だと、山吹は思う。

「あの草食動物、どっかの坊ちゃんなのか?」

 山吹と同じ事を考えていたのだろう、緋色が疑問を口にする。
 礼儀だけでなく、一夜は誰に対しても敬語で話す。目上の存在である緋色や山吹なら分かるが、恋人である椿や同級生の友人にまで、それは一貫されていた。
 それだけでも、一夜が極々一般的な家庭の生まれではないと推測できる。しかし山吹は無理に聞き出そうとは思わない。
 涙を流せない瞳や、他人の視線に怯える肩。山吹が今日一日で垣間見たそれらは、一夜が抱える孤独の一端だ。
 ただの興味本位が踏み荒らしていいものではないし、一夜も冷やかされたくない問題だろう。

「それよりも緋色、“良い子”になった序でだ。一夜君の名前も正しく言いなさい」
「なッ! 誰が良い子だ。オレはお前の“弟”じゃねー!」

 山吹は兄オーラを纏い、緋色の肩にポスリと掌を置く。
 それは緋色の興味を一夜から引き剥がし、自分へと向けさせる作戦だ。子供扱いされる事が嫌いな緋色はそれに食い付き、怒声を上げる。

「それに興味は有っても、無理に聞き出したりしねーよ。自分が選んだ相手を侮どんな」

 音量を元に戻し、緋色は心外だと山吹の胸を小突く。軽くコツンと当たる恋人の拳は、山吹の作戦などお見通しだ。

「そうだな、すまない。ふふ、『秋空さんは優しい人』だったな」
「……お前今日一日で、随分とあのガキ気に入ったな」

 一夜の言葉を借り、山吹は心をホワホワと温める。優雅な花が咲き零れるような微笑に、緋色は呆れ気味だ。

「いや、実は……旅行の時も話す機会を窺っていたのだが、ね」
「あー。椿とベッタリイチャついて、離れなかったな」

 見極めと言うか、人となりを知りたかったと言うか。山吹は以前から一夜との個人的な話し合いを計画していた。
 しかし当然ながら一夜は、椿と始まったばかりの恋を満喫中。幸せそうな雰囲気に複雑な兄心が哀愁を纏うと同時に、邪魔が出来なかったのである。

「で、結局。懐かれて弟認定か。お兄ちゃん眼鏡が緩すぎんぞ、山吹」

 軽い注意を口にしながらも、緋色は山吹の手に自分のそれを重ねた。肩に置いたままだった右手に、恋人の温もりが伝わる。

「っ……緋色」
「でもまぁ、どんなに気に入っても“弟”じゃ手は出せねぇよな」

 中指をスリスリと撫で、挑発的な視線を向ける緋色。山吹の心臓も高鳴りを意識せずにはいられない。

「屈めよ。キス、出来ねぇだろ」
「いや待て。そろそろ皆が戻って来る頃だ」

 しかし山吹はドキドキと鳴る恋の旋律を制御し、キスの誘いにストップを掛ける。
 緋色と山吹の身長差は一夜と椿以上。山吹が屈まなければ、緋色の唇は接触困難だ。

「だから後でな」
「逃げんな。つか、長身を利用すんなムカつくだろうが!」

 その現状を活かし、山吹はヒョイと背伸びする。縮まるどころか更に上へと位置した唇。緋色が不満そうに文句を吠える。

「大丈夫よ、兄さん。わたしは気にしないから、続けて」

 その時、山吹の背後から声が掛った。甘い蜂蜜のような音色はふわりと自然に溶け込む――菜花の声だ。
 山吹の予想通り、自室に消えていた者達がダイニングに戻り始めたのだ。

「一夜、今は駄目だ。出直そう」
「はい。……ごめんなさい、お邪魔しました」

 慌てた様子で遠ざかる二つの足音。一夜と椿は二階へUターンする。
 不意に目撃した身内のラヴシーン。思春期真っ只中の少年達は羞恥を感じてしまったようだ。

「椿、一夜君と戻ってきなさい」

 山吹は素早い弟の背中を追いかける。
 目撃された側の羞恥心は山吹の心にもある。けれどそれを押し殺し、あくまでも落ち着いた口調で呼び止めの声を上げた。

「5分後に、何もなかったように戻ります」

 螺旋階段の中腹に差し掛かっていた椿がクルリと振り返る。そして無用の気遣いを兄に向けた。
 妙に改まった姿勢は一夜の真似という訳ではない。

「良いところで邪魔される口惜しさは、僕も経験済み――そうだ、あの色魔……今日も一夜の身体をベタベタと触って……ッ!」

 喋っている間に思い出したのか、椿の背後に段々と怒りの吹雪が舞う。適温に保たれている空調も必要以上に肌寒い。
 雪女の能力にも似た雰囲気は水仙のそれを受け継いだものだ。しかし母親である水仙はおろか椿本人もその事実に気付いていない。

「可愛い弟が言ってんだ。気遣いに甘えてやれよ、山吹お兄ちゃん」

 一歩遅れて現れた緋色が茶化す。椿の介入が無い方が彼に取っては都合がいいのだ。

「しかしな緋色、それは教育的に不味くないか?」

 すでに菜花が慣れきった状態で悩むのも遅い気がするが、思春期の弟に兄の恋愛事情を垣間見せるのは気が引ける。

「心配すんな。お前が大切に育てた弟は、それくらいでグレねぇよ」

 肩を軽くポンと叩き、緋色は自信満々と言う。揺るぎない男の横顔は山吹への信頼を絶やさない。

「早く一夜を消毒したい」
「まぁ変な影響は出てるがな」

 椿の独り言が降って来る。その言葉から連想される光景に山吹は階段を駆け上がった。



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