初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――揺れる心7


「光ちゃんはフレンチとイタリアン、どっちがいい? 優勝のお祝いに奢るよ」
「んー。夕食より寝たい。流石に疲れた」

 オレンジ色の街灯が暗い夜道を明るく照らす。関係者以外立ち入り禁止と書かれた裏口が開かれ、複数の人間が出て来た。
 遠目にも親しげな雰囲気が真夏の夜を彩る。その声には聞き覚えがあった。聖祈と、そしてオーディション優勝者の少年・光輝だ。

「それはまさか、ボクの部屋に泊まりたいという遠回しなお誘い!? 駄目だよ、ボク達は従兄弟同士」
「あふ」
「嗚呼、でもその背徳感が――超萌える!」

 鈴虫の羽音がリーンリーンと遠くから聞こえる。風流な空気に聖祈の声がテンション高く響く。

「君はどうする? 俺と“刺激的な一夜”を過ごしたいなら、考えてやってもいい」
「永久に断る! 『僕の一夜』は一人だけだ」
「まさかの無視!? 酷いよ光ちゃん。椿姫との百合フラグなんて、興味ないって言ったくせに」

 入り混じる少年達の会話。微妙に噛み合っていないそれは、段々と近付いて来る。
 もう待てないと言うように、一夜が駆け出した。愛しい花を見つけたのだ。

「椿!」
「一夜、どうして此処に。まさか今まで待っていたのか、変質者に襲われたらどうする!」

 開口一番、独り佇む夜道の危険さを注意する椿。立場的には逆にも思えるが、椿の心配は何よりも先に一夜へと向くようだ。

「そうだよ、ウサギちゃん。ボクみたいな性癖の持ち主は意外に多いよ」
「ッ! 聖祈先ぱ……」

 聖祈が軽やかなステップを刻み、一夜の背後に回る。そして色っぽい唇を耳元へ寄せ、獲物を見つけた喜びを囁く。
 絵に描いたような危機的状況の到来。一夜の肩がビクンと弾み、肉食獣の熱い吐息に喉が震える。
 瞬間、椿の眉が不機嫌に歪んだ。

「一夜、此処は危険だ。危ない人間が二人もいる。今すぐ離れよう」
「えー? ひどーい。ただの心温まるスキンシップじゃない」

 椿は一夜の腕をグイと引き寄せ、十歩ほど後退する。
 けれど聖祈は呑気なものだ。後輩からの警戒信号を戯れのように受け止めている。

「稚児趣味」

 傍観者を決め込む光輝が痛烈な独り言を吐き捨てる。
 それは椿に対して言ったのか、それとも聖祈への言葉なのか。光輝の声は別人のように冷たく聞こえた。

「それにウサギちゃんだって、椿姫とイチャイチャしたくて待ってたんだよね」
「え?」

 遠ざけられた一夜へ再び近付き、聖祈は薄い頬を人差し指でなぞる。その指を椿が反射的にペシリと払い除け、一夜を見た。

「俺は……椿と話がしたくて」
「うん。分かるよ、ウサギちゃん。ピロートークのコトだね」
「黙っていろ、色魔。一夜の声が聞こえない」

 聖祈と椿。そしてよく知らない光輝の視線が自分へと集まり、一夜の声は小さくなる。

「……風が出てきたな」
「え?」

 街路樹の枝が風に靡き、闇に茂る緑の葉をバサバサと揺らす。
 月光に照らされる紫黒の艶髪を押さえ、椿はすべてを承知したように一夜の手を握る。

「もう行こう。兄さんと来たんだろう? 待たせるのは悪い」
「椿」
「話は二人の時間に聞く。その方が、僕も気が楽だ」
「はい」

 闇夜に満開の薔薇が咲く。一夜と椿を包む甘美な夏風は二人だけの聖域を呼び寄せ、恋人達の世界を創りだす。

「うわ……。イメージと違う」
「そう? 恋人同士なんて、皆あんなものじゃない」

 思わぬ急展開に光輝がドン引く。聖祈はその横に移動し、楽しそうに笑んだ。

「山吹もあんな感じなのか?」
「んー? 山吹サマとは、そんなに親しくないしなぁ」

 聖祈を横目に捉え、光輝は質問を投げる。その瞳はソワソワと期待を孕む憧れの色。

「事務所の先輩はお姉サマ(菜花)の方だけど、色々と凄い兄姉弟(きょうだい)だよ。実際」
「そう」
「アハハ。光ちゃん、相変わらずの“年上好き”だね」

 夏の風は強く、茹だるような暑さに一時の涼を齎す。
 そして純銀を溶かしたような聖祈の髪も、藤の花に愛された光輝の髪も――夏に吹く最後の風は不揃いに遊んだ。

「でもダーメ。あの人、恋人いるよ」

 内緒だけどね、と。聖祈は人差し指を自分の唇に当てる。他言無用の合図だ。

「そういうのじゃない。役者としての興味だ」
「そう? ……でも、安心した」

 天空に浮かぶ満月。それは夜空に坐する永遠の主役。
 決して手の届かない満月の輪郭を瞳に映し、光輝は言葉をポロリと落とす。そして落ちたそれは最後の夏風にフワリと拾われて、聖祈の鼓膜に切なく届けられた。




 ◆◆◆




「そうか。よく分かったな、椿」

 迎えの王子役を一夜へ譲り、山吹は裏口に程近い駐車場で待っていた。
 そして恋人と肩を並べて現れた弟に事の成り行きを聞かされた。まさか詳しい事情も聞かず一夜の心根を理解したとは、山吹も驚きを隠せない。

「僕は兄さん宛にしか『迎え』を要請するメールを送っていない。そして兄さんは一夜の連絡先を知らないはずだ。それなのに兄さんは来ず、一夜が現れた」

 祝いの花束やボストンバッグ。椿はミニバンのバックドアを開け、荷物を積み込む。
 朝は片手で足りたそれも随分と増えている。淡いパステル調に纏められた可憐な花束以外にも、主催者側から渡されたものが有るようだ。

「――ならば二人は同じ場所に居て、一緒に来た可能性が高い。どうだ、簡単な推理だろう?」
「凄い。当たっています」
「ふふ。感嘆の声をありがとう、一夜」

 バックドアを閉め、後頭部座席の扉を開ける。そのまま乗り込み、椿はストンと腰を下ろす。一夜もその後に続き、ミニバンに乗り込む。今度は好奇の視線も跳ね除けられる恋人の隣だ。

「ところで兄さん」
「ん? なんだ」

 山吹はその様子をバックミラー越しに見納め、ハンドルを握る。なるべく早く帰らなければ、折角の夕食が冷え切ってしまう。

「夏休み最後の思い出に、一夜のお泊り。許してくれる?」
「いえ、俺は帰りますので」

 山吹の可愛い弟は最高級に可愛らしく微笑み、兄に強請る。反射的に一夜の頬が桜色に染まった。

「着替えなら心配するな、僕のものを貸そう。スクールバッグは翌朝、取りに寄れば大丈夫だ」

 反論の暇を与えず、椿は捲し立てる。一夜も人が喋っている間に口を挟めない性格なのだが、主導権は完全に椿側に握られていた。
 最後の門を守るのは兄である山吹だ。しかし、反対出来ない理由を山吹は抱えている。

「兄さんも昔はよくやっていた」
「え!?」
「いや、あれは……緋色と花火大会をな」

 自らの過去を思い出す。母親には親友だと説明し、恋人である緋色を家に招いた学生時代。
 夏休みだというのに――いや、長い休みだからこそ山吹の夏休みは仕事で埋まっていた。
 夏祭りや花火大会、同年代の友人達が青春の一ページを刻む中。カメラの前に立ち、偽りの自分を演じる日々。俳優の仕事は楽しかったが、夏特有のイベントを楽しむ時間はなかった。
 恋人との時間を願っても切ないもので、自由に逢える時間は当然少ない。そこで確実に仕事のない『夜』を有効活用した。その結果が『お泊り』。
 夏の思い出作りにと、個人的な花火大会を計画したのだ。それは自宅の庭でする細やかなものだったのだが、水仙の許可も取り付け、緋色を自宅に招いた。
 恋人と過ごす夜は特別に甘く。気付けば習慣になり、緋色は雪白家の内情を熟知していた。現在、緋色が好き勝手振る舞っているのはだからである。

「だが、いいだろう。一夜君の迷惑にならないのなら、私は許可しよう」

 山吹はあっさり折れて見せる。愛しい恋人と去りゆく夏を感じたい、それは山吹にも覚えの有る感情だ。
 秋になれば、椿の世界は劇的に変化する。それに対する緊張や恐怖感。
 一夜は渦巻く様々な葛藤を癒し、椿の心を励ます存在なのだろう。山吹に取っての緋色がそうであるように。

「ありがとう。兄さん、信じてた」
「そうだ、椿もこの機会に緋色と仲良く」

 兄からの許しに、椿が心からの感謝を口にする。山吹はこの流れを利用し、弟にも要望を伝えた。

「それは断る」
「そうか。……手強いな」

 花の香りが車内を包む。祝いの花束が芳香を放っているのだ。
 まるで花畑にいるような華やいだ空気。その中でも椿は可憐な花々に負けない微笑を咲かせ、冷静に切り返す。

「どうせ、緋色さんも同じ答えだろう」
「ああ。毎回の事だが」
「兄さんも諦めが悪い」

 それは椿も同じだろうに。山吹は苦笑いを浮かべ、何年も繰り返している押問答に溜息を零す。

「……」

 そして山吹と椿が兄弟の会話を繰り返している間も、一夜は沈黙を守っている。
 けれどその雰囲気に取り残された感はなく。寧ろ、オーディション前と変わらない椿の様子に安心しているようだ。

「ふふ。一夜、後は君が頷くだけだぞ」
「お世話に……なります」

 小悪魔の羽をパタパタさせ、椿がすり寄る。一夜は恥ずかしそうに承諾した。



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