初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――揺れる心6



 ◆◆◆




「何時(なんじ)に終わるか、分からないそうだ」

 椿が奔放な先輩達に嘆いていた頃、山吹はメールを読んでいた。椿からの連絡だ。

「はー。じゃ、一旦帰るのか?」
「椿は、そうしてくれと書いているが」

 緋色がケータイ画面を覗き込む。山吹はそれを渡し、緋色にも文面を見せる。

 その内容は――

 映画関係者を交えての取材が予定されていた。何時(いつ)終わるか分からない。
 僕に構わず、先に帰って下さい。終わったら連絡します。椿。

 ――と、いうものだ。

 絵文字も何もなく、用件だけが簡潔に綴られたメール。少々素っ気なくも見えるが、椿のメールは普段からこの様な文面だった。

「そっか、直接『おめでとう』って言いたかったな」
「椿ちゃんも疲れてるだろに大変だな」

 夏陽は残念そうに、冬乃は友人の身を案じて。順番にメールを読む。
 それは山吹宛のものではなく、一夜宛のもの。椿は家族用と友人用、二通のメールを送信していたのだ。

「P.S.一夜、愛してる」
「ぁ……」

 一夜の手からケータイがヒョイと奪われる。犯人は緋色だ。
 友人用のメール内容に興味が有ったのだろう。それを読み上げ、ニヤリと笑んだ。

「ハートマークくらい付けろよ。色気のねーガキだな」
「緋色、返してあげなさい」

 山吹は緋色の手からケータイを取り上げ、一夜へと返す。気分は完全に兄モードだ。

「ありがとうございます。お兄さん」
「いや」

 尊敬の眼差しに、人知れず胸が震える。
 山吹は根っからの『兄気質』だ。既に一夜の事も、『可愛い弟』として認識している。

「お前、そんなに草食動物と仲深めて。椿が嫉妬しても知らねーぞ」

 詰まらない展開に、緋色が愚痴る。しかしその言葉は建前だ。

「おや、実体験がそう思わせるのかな? 緋色」
「チッ! うるせーよ」

 恋人の顔でからかえば、緋色はそっぽを向く。つまりは彼自身が、面白くないのだ。

「はは。私はお前と椿のように、一夜君と喧嘩する気はないよ」

 むしろ弟の恋人に懐かれて嬉しいくらいだ。山吹は素直に感じた感情を緋色に伝える。

「だから緋色もそろそろ、椿との仲を改善しないか?」
「アッチが突っ撥ねてる限り、それはねーな」

 いい機会だと提案を出す。しかし緋色の返答は何時もと変わらない。山吹は憂い溜息をハァと洩らした。




「うふ。お赤飯が無駄にならなくて良かったわね。緋色さん」

 夜の帳も下りる時間という事で。夏陽や冬乃とは別れ、山吹達は自宅へと戻った。
 丁度夕食の時間帯。菜花と緋色がキッチンに立ち、準備を始める。因みに赤飯は緋色が持参したものだ。

「今から“ツンデレ対決”が楽しみだわ」
「私は素直になってほしいのだがな……」

 風呂敷の結び目を解き、重箱をテーブルに置く。
 料理上手の緋色。けれど赤飯のように手の込んだものを態々用意したのは、椿を祝う為だろう。

「秋空さんは優しい人ですね」

 手伝いの手を休めず、一夜が言う。
 因みに何故、一夜が雪白家に居るのかと説明すれば――彼は椿の帰りを待っていようとしたのだ。
 未だ夜も浅く一夜が一人暮らしとはいえ、山吹はそれを止めさせた。オーディション会場は門を閉ざし、必然的に待つのは屋外だ。となれば、童顔で大人しい一夜が怪しい人間に目を付けられる可能性が零とは言えない。山吹の兄信号は『危険』を知らせた。
 その結果が現在なのである。菜花は一夜を歓迎し、緋色は「ブラコンが酷くなった」と山吹を茶化した。

「なぁ、山吹。椿のやつ、この希少動物をどうやって落としたと思う?」
「一途な真心だろう」

 緋色が一夜を指さし、不思議そうに問う。
 山吹にとっては簡単な問題だが、緋色はその回答に首を捻った。

「マジか? アイツの性格、屈折してるぞ」

 納得出来ないというように、緋色は独り言ちる。

「それは緋色さんの前だけよ。ねー、一夜クン」
「椿は、お兄さんが好きですから」

 菜花がふわふわオムレツを完成させ、一夜がそれを運ぶ。
 広いキッチンを包む空気はホワリと暖かく、山吹は和む。家族団欒、そんな単語が頭を過った。
 多忙な仕事柄、自宅での食事回数は同年代の人間と比べて少ない。それは菜花も同様、そして椿もそうなるだろう。だから山吹は、この時間がとても愛しく感じた。

「やっぱり、悔しいんじゃねーか。あのブラコン弟」

 得意げに胸を張りつつも、緋色はテキパキと盛り付けを済ませる。
 暑い夏に涼しげな生春巻き。ライスペーパーから透けて見えるサーモンや海老の赤味がサニーレタスの緑に抱かれ、目にも鮮やかだ。

『You've got mail』
「ん、椿か?」

 その時、メールの着信音が鳴る。山吹は胸ポケットからケータイを取り出し、画面を開く。予想通り、それは椿からの連絡だった。
 メール文は簡潔に、『今、終わりました』との一行文。山吹はふふと微笑みを浮かべ、『分かった。迎えに行く』と返信した。

「一夜君、一緒に迎えに行くかい?」
「はい」

 山吹の呼び掛けに、一夜が顔を上げる。彼の元にもメールが届いていたのだ。
 椿は、一夜が雪白家に居る事を知らない。だからそれは恋人への連絡メール。おそらく山吹宛の文よりも、一言二言は多いのだろう。

「『一夜へ、今日はもうお休み。君の勇士を思い出すだけで、僕の夢は幸せに染まる』……何だ、今度は小っ恥ずかしいな」
「っ……見ないでください」

 又もや緋色が一夜宛のメールを無断朗読する。一夜は声をか細く羞恥に染めながら、ケータイを抱き締めるように緋色の目から隠す。
 そして繊細な恋愛事情を弄られた一夜は、逃げ込むように山吹の元へと駆けて来た。

「それじゃあ、私達は行ってくるよ」

 プルプル震える可愛らしい黒ウサギ。山吹は大人しい草食動物の姿を重ね、一夜の漆黒を優しい兄の掌で撫でた。

「はーい。美味しいお夕食、沢山作って待ってるわ」
「待て、山吹。そのまま行く気か」
「ああ。もう暗い。大丈夫だろう」

 快く送り出す菜花の横で、緋色が引き留める。
 炎を宿す三白眼が鋭く光り、一夜の肩が一瞬ビクンと揺れた。

「ハァー。おい、ガキ!」
「はい、ごめんなさい」

 強い言葉が飛ばされ、一夜は山吹との距離を空ける。牽制されたと思ったのだろう。
 しかしそれは違う。緋色は注意事項を伝えようとしたのだ。

「山吹の人間磁石っぷりを、甘く考えるな」
「え?」




 それから30分後。

「ねぇ、あれ!」
「きゃあ! 嘘ぉ!!」

 信号が赤く変わり、車を止める。その瞬間から、何十もの熱い視線が車内に注がれた。

「生山吹、マジカッコイイ!!」
「や〜ん。こっち向いてぇ」
「いつもドラマ見てまーす!」

 山吹所有のミニバンを緋色が運転する不思議。それには理由がある。普通ならば10分で到着するような場所でも、山吹がハンドルを握れば倍以上の時間が掛ってしまうからだ。
 暗い夜道なら見つかる可能性も薄れると思ったのだが、緋色の予想の方が当たってしまった。現在山吹は、ピンポイント渋滞に嵌まっている。その原因は自分自身。
 車を止める度に、渦巻き状に集まった人の波から黄色い悲鳴が上がる。取り囲む顔ぶれは変わっているのに、その反応は判で押したように同一だ。

「あの助手席の子」
「ねー。羨ましい。どういう関係?」
「……」

 助手席に座る一夜は文句も言わず静かにしている。しかし注目が自分に集まれば居心地悪そうに俯き、身を竦ませた。緋色の注意事項を実体験し、戸惑っているのだ。

「すまないね。早く椿に逢いたいだろ」

 信号が青色に変わる。山吹はハンドルを回し、車を発進させた。
 備え付けの電子時計は午後:7時10分を表示している。一夜が一人、電車で移動する方が到着時間は早いだろう。

「いえ、俺の我儘ですから。……お兄さんにはご迷惑を」
「君はもっと、我儘になりなさい」

 遠慮を見せる一夜。山吹はその言葉を最後まで言わせず、逆の解釈を淀みのない音にする。

「それは椿への感情の証しだろう。抑える必要はないよ」

 それに山吹は迷惑に思った事など一度もない。むしろ一夜が封印した感情を、目覚めさせてやりたいと思う。

「いや、抑えてはいないのか。椿への感情だけは」
「っ、……はい」

 山吹の茶化しに、一夜は俯いたまま返事を返す。
 孤独な少年の心に咲いた一輪の愛情。それが呼び水となり、一夜の感情は目覚め始めている。ゆっくりと、けれど確実に育つ感情の新芽。
 山吹の役目はそれを見守り、慈しむ事だ。
 改めて導き出した真実に、山吹はそっと微笑む。自分はもう、若者の成長を見守る立場――大人なのだ。

『人は自然と大人になるものだよ。山吹君』

 不意に、懐かしい記憶が蘇る。それは幼い山吹に大切な感情を教えてくれた――初恋の記憶だ。

(本当ですね。桜雪さん)

 記憶の中の桜雪は今の山吹よりも若く儚い。
 それでも更新されない思い出は、琥珀のように桜雪の姿を閉じ込めている。椿と合わせ鏡の美貌。永遠の憧れだ。



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あきゅろす。
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