初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――揺れる心3
「――、……椿」
それはまさに夢現。
何千何万という応募者の中から勝ち抜いた、50人の少年達。何れも全国津々浦々から厳選された実力者だ。
その少年達が並び立つだけで、ステージは天上の光を浴びたように煌き輝く。
「心配かい?」
山吹はそっと囁く。
先ずは顔見せと、一同に現れた俳優の卵達。
その中でも椿の美貌は偉才を放ち、人目を奪う。妖しくも麗しい魔性の美少年は健在だ。
山吹は兄の目線で誇らしくも思う。しかしそれが恋人の目線では、見える景色も変わってくるだろう。
「は、……い」
一夜はやっとの思いで息を吐き出し、山吹に返事を返す。
けれど一夜の瞳は山吹を映しておらず、一輪の花を映し続けている。
煌びやかなステージにも臆する事無く、凛と咲き誇る椿。そう一夜の意識は、すべて椿へと注がれているのだ。
恐らく山吹の言葉も、ぼんやりとしか耳に届いていないだろう。
(遠い、遠い――隔てる距離は近いのに、存在している世界が遠い)
世間から見れば、山吹は遠い世界の存在。誰もが認める大俳優(スーパースター)だ。
しかしだからこそ、山吹の前には大きな壁がある。世間の人間はスクリーンを隔てた山吹しか知らないし、見ない。
煌びやかな世界は時として人を孤独な存在に仕立て上げる。平凡な家庭や生活は、山吹には縁遠いものだ。
そして今、山吹の弟も生きる世界の種類が変わろうとしている。仕掛けたのは自分だが、椿が大切にしている小さな幸せは手放してほしくない。
(桜雪さん)
儚い桜が美しく、そして悲しく舞う。
もしも桜雪が山吹の立場だったら、どうしていただろう。才能の翼を羽ばたかせろと、椿に俳優の道を勧めただろうか。
「ボーとすんな、ちゃんと見てやれ」
不意に炎が舞う。山吹のすべてを攫った炎が、儚く脆い残像を打ち消してゆく。
「――緋色」
王座に座する主のように揺ぎ無く。緋色は山吹の心を奪う。
まるでその心の揺らぎを、感知しているように。
「私はそんなに、惚けていたかい?」
「ああ、仮面が取れかけてるぜ。山吹」
「ははは。それは油断したな」
恋人の忠告を聞き入れ、意識をステージに戻す。
顔見せは終り、出場者は割り振られた番号順に自己アピールを始めている。
椿の番号は最後の50番。出番は未だだが、今頃は緊張と戦っているはずだ。
「まぁ、あの草食動物並に熱心になるのもどうかと思うがな」
言いながら緋色は、視線を山吹の横にスライドさせる。其処には一夜が座っていた。
「椿が出てる間、瞬きしてなかったぜ。そいつ」
「一夜君!」
「……ぇ、……あ! はい。何でしょうか? お兄さん」
夢の世界から帰還した一夜が、山吹に向き直る。
その目元は赤く染まり、瞳は微かに潤む。迷子のウサギさんだ。
「いや、大丈夫?」
「……?」
右手を伸ばし、中指で目尻を優しく撫でる。一夜はその意図が分からないのか、不思議そうに山吹を見詰めた。
透明な雫は瑠璃色の瞳から流れる事無く、一夜の中に留まっている。まるで涙の流し方を忘れてしまったかのように。少年の頬は変化を見せない。
「舞台に立つ椿を見たのは、初めてなのかな」
「ぁ……っ、いえ。演劇部でのお芝居は……何度か、あります」
目尻から頬へ。山吹は一夜の流せない涙をなぞる。
感動の涙も、悲しみの涙も。一夜は自分の中に閉じ込めて、外へは出せないのだろう。
その理由を山吹は知らない。けれど、涙を封印した子供を彼以外にも知っている。
「でも、今までとは違った?」
「はい。椿が綺麗で――目が、離せませんでした」
兄の慈愛を籠め、山吹は問う。一夜はコクリと頷き、静かに口を開く。
ステージを照らす光が漏れ、淡く幻想的な光のベールが視界を虹色に染める。プロの世界を垣間見せるソレに、誰もが魂を幻惑されていた。
「お兄さんは……怖くありませんか」
ポソリ呟き。一夜は心の影を落とす。
流せない涙の代わりに、言葉がポロリポロリと溢れ落ちる。
「俺は、覚悟していたのに――椿が遠い世界へ行くみたいで……息も、……上手く出来ません」
輝かしい未来への扉を開ける恋人。
しかし自分の足には重い鎖が複雑に絡まり。どんなに手を伸ばしても、その影すらも掴めない。
一夜が漏らす葛藤は誰もが経験する青春の叫び。隣に居ると思っていた相手が、実は前を走っていた事実。酷な現実に気付いてしまった、心のざわめきだ。
「うん、そうだね――けれど私は、待ち遠しくも思っているよ」
寡黙な少年が自分に吐露した本音。山吹は兄の顔を崩さず、優しく導く。
それが人生の先輩である自分の役目。きつく握られた拳をフワリ包み込み、温もりを分ける。
かつて前を走り続ける山吹に、温もりをくれた人がいた。その人へは返せなかった温もりが――想いの欠片が、導きの光に成らん事を祈って。
「それに椿は、君を迷子にしたまま放っておく子ではないだろう?」
「ッ……!」
そして素直な一夜は山吹の想いを穢れなく受け入れる。
枯渇した大地が恵みの雨を吸収するように、一夜は想いの欠片を自分の中に仕舞う。それは暗い闇底へ沈めた感情の種を芽吹かせる栄養源だ。
何時もは椿の役目だが、今日は山吹が愛情の雨を降らせよう。
「大丈夫――椿が共に歩むと決めた相手は、君だけだよ。一夜君」
「お兄さん」
一夜は規則正しい呼吸法を取り戻し、山吹に尊敬と感謝を伝える。
彼は聡い子だ。偽りなき山吹の言葉も未来への糧とするだろう。
「俺も絶対に、椿を見失ったりしません!」
「ははは。頼もしいな、その意気だぞ。一夜君」
堅い決意を語る一夜。山吹の心もほわりと温かくなる。
そして山吹は兄の慈愛を深めたまま、温かな掌を持ち上げた。漆黒を優しく撫で、「弟は任せた」と。未来の義弟へ秘密の愛情を囁く。
「つか、何時まで――草食動物とミニ劇場演ってる気だ!」
逞しい男の両腕が、背後から山吹を引き寄せる。緋色だ。
「おや、嫉妬させてしまったかな?」
「ちげーよ。正体がバレたら、騒ぎになるだろーが!」
緋色は音量を抑えながらも、鋭さを忘れない。
山吹がファンに見つかり、騒がれる度。声を嗄らしているのは、他でもない緋色なのだ。
「……俺、お兄さんの立場も考えず。すみません」
「いや、お前じゃねー。山吹の“生態”が異常なんだ」
「酷いな、緋色。ひとを“珍獣”のように」
言いながらも山吹は微塵も怒っていない。寧ろうんざりしたような恋人の口調に頬が綻ぶ。
俳優という山吹の仕事を理解し、気を回してくれる。態度はぶっきら棒だが、やはり緋色の心根は温かい。
本当は一夜との話も区切りがつくまで、口を閉ざしていたのだろう。他の誰が思わずとも、山吹はそう思っている。
「お前も覚えとけ。椿なんざ、山吹の足元にも及ばねぇ――まだまだ生意気な“クソガキ”だ」
「秋空さん……」
そして緋色は一夜へ、ぶっきら棒なアドバイスを投げた。
「大体“アイツの兄”はガキの頃から『人間磁石』演ってるが、周りが騒いでも本人はケロッとしたもんだったぜ」
「それは私の事かな。緋色?」
「だっからオーディション如きで衝撃受けられる方が、アイツもショックだろうよ」
「私も青春時代の悩みくらい、人並に経験したつもりなのだがな……」
山吹はハァと溜息を漏らす。
緋色の言わんとするところは、分かる。しかし彼の目から見た自分は、そんなに能天気な人間に映っているのかと――少しばかりショックだ。
「まったく、こっちが声を嗄らしてんのに“優雅な貴族サマ”みてーに構えやがって」
けれど緋色は山吹の心情に気付かず。言葉を続ける。
それは長い時間を共に過した恋人の、確かな愛情が含まれた文句だった。
「うふ。兄さんと緋色さんも高校生の時からお付き合いしているのよ。だから一夜クンも大丈夫」
「お姉さん」
今度は菜花が柔らかな姉の愛情を降らせる。どうやら彼女も、一夜の不安感に気付いていたようだ。
「格好良い“タキシード”姿。お姉ちゃんに見せてね」
「……」
「タキ……え? 菜花?」
それを横で聞き、そっと感動を覚える山吹。
しかしそれも束の間。菜花は一夜の両手をキュッと握り締め、大きな瞳を星屑のように煌かせた。
「それは、お兄さんの方がお先ではないでしょうか?」
「一夜君!?」
「あら、そうね。でも兄さんには“ウェディングドレス”が似合わないのよ」
一夜は疑問府を浮かべ、思わぬ切り返しを口にする。菜花はそれをフワリと受け止め、自然な流れで会話を繋げた。
「クククッ。振り回されてやがる」
右側の席では緋色が腹を押さえ、湧き上がる笑い声を我慢している。
衝撃を受ける山吹の姿が笑壺に入ったのだ。
(だが、それも――心地良い)
山吹は心の安らぎを感じ、そっと微笑む。
一夜はすっかり何時もの調子を取り戻し、椿の出番を心待ちにしている。それは山吹だけでなく、緋色や菜花の温かな心根に励まされたからだ。
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