初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――揺れる心2


「おい山吹。その辺にしとけ、ガキ共が失神すんぞ」

 横から緋色の注意が飛んで来る。
 神の如きカリスマオーラ。山吹が放つ無意識の産物に少年達は石に成っていたのだ。

「葉月君、大丈夫ですか?」
「ハッ! やべー。白昼夢なんて初めて見っ……」

 一夜が心配そうに友人の元へ駆けて行く。
 その声に呼び戻され、夏陽の意識が現実へと帰還する。しかし、当然ながら山吹は消えていない。

「いいい一夜、あの人……いや、お方は」
「椿のお兄さんです」

 目の前の現実が信じられない夏陽と、正しい現実を教える一夜。
 正反対のタイプにも見える二人に、山吹の心は綻ぶ。椿は良き友を得ていたのだ。

「うん、だから信じられ――ああ! 冬乃!!」
「ッ……やま……ほんも、……!?」

 夏陽が絶叫を上げる。冬乃は未だ石のように固まり、うわごとを呟いていた。

「おー。初対面で、『一生、大切にします……!』とか言った草食動物とは反応が違うな。やっぱ」

 夏陽が冬乃の肩を揺すり魂を呼び戻す。
 その光景を前に、緋色は傍観者を気取りながらも山吹の兄心を擽ってくる。
 確かに一夜は山吹に対して緊張しても、それは『恋人の身内に対しての緊張』だ。有名な俳優という肩書きで態度を変えられた事はない。
 仮に山吹が何の変哲もない平凡な人間でも、それが『椿の兄』ならば一夜は変わらず緊張するのだろう。山吹の弟が選んだ相手はそういう人間だ。

「はは。私もそうだが、一夜君も椿中心に話しをしていたからね」
「ああ、ホント。お前は“あの顔”に弱いな」

 不意に、不規則な嫉妬の風が鼓膜を揺らす。
 緋色は山吹の初恋相手を知っている。それが椿と瓜二つの容姿を持つ人間――凛音桜雪だという事を知っているのだ。

「あの男のDNA受け継いだ、可愛い弟が他人に盗られて悔しいだろ? 優等生気取るより、嫌な奴になれよ」
「お前が、そうしたからか?」
「ああ、そうだ」

 鋭い三白眼が山吹の姿を映す。
 緋色は強面だ。普通の態度で接していても、相手は怒っているように受け取ってしまう。けれど、山吹はそう思わない。
 緋色も一夜のように、俳優という肩書きで山吹を判断しない。素の山吹を見てくれる相手だからだ。

「椿は『秋空緋色』の事を、お前が思っているよりは嫌っていないよ」

 優雅に微笑み。山吹は不貞腐れる恋人の髪をサラリ撫でる。背中まで伸びる長い髪は、存外触り心地が良いのだ。

「それにお前も、口で言うほどは嫌っていないだろう。緋色」
「オレは」

 未だ何か、悪態をつきたいらしい緋色は山吹の手を振り払う。
 けれど緋色が本気で椿の存在を嫌悪していれば、態々オーディション会場まで出向いていないだろう。それが分からぬほど、山吹と緋色の関係は薄くない。
 それに緋色の心を苦しめる複雑な感情は、山吹が生ませてしまったものだ。

「それに私は、椿には一夜君しかいないと理解している。まぁ、心配な部分はあるがね」

 爽やかな夏風が空気をサワサワと流す。
 山吹は気持ちを切り替え。サングラスを掛け直した。素顔を晒したままでは、弟の友人達と日常会話も交わせないだろう。それはとても残念だ。

「それと最後にもう一つ。今の私が愛しているのは、緋色――お前だ。だから、安心しなさい」
「諭すような雰囲気を醸し出すな。オレが構ってちゃんに見えるだろうが!」

 幼い子供をあやすように愛情を伝えれば、緋色はそっぽを向く。
 しかし盗み見た耳朶は彼の髪色と同じ、紅色に染まっている。どうやら緋色の機嫌は戻ったようだ。

「なんか今、物凄く椿ちゃんと“同じ血”を感じた」
「ああ、あの掌で転がされる――魔性的な感じな」
「……」

 一方、正気を取り戻した少年達はヒソヒソと内緒話をしていた。勿論、山吹の耳にその会話内容は届いていない。




 ◆◆◆




 大型コンサートホールを一日貸し切った会場。収容人数5000人だと記された建物は広く。開放感がある。その中から未来を夢見る若者の努力と輝きが溢れ出ていた。
 今年で20回を数える俳優オーディション。その功績は高く、後に名を上げる人物を何人も輩出している。業界に関係のない一般人にも知られている、有名なオーディションの一つだ。

「うふふ。でも良かったわ。みんな一緒なら、椿くんも喜んでくれるもの」

 るんるん、と。明るく楽しそうな菜花。
 実は自己紹介を終えた後、一夜を始とした少年達と行動を共にする事になったのだ。

「一夜クン、お隣に座りましょうね」
「いえ、俺は」

 早速一夜の腕が、弾む菜花の両手に捕まる。

「椿くんの昔話、教えてあげる」
「宜しくお願いします。お姉さん」
「うふふ。だから一夜クンの事、好きだわ」

 最初は遠慮を見せていた一夜も、恋人の名前を前に頭を下げた。
 因みに、平均水準を保っている一夜よりもモデルをしている菜花の方が身長が高く。その二人が並び立つ姿はアンバランスで、けれどだから微笑ましい。

「ははは。私の隣に座るか? 緋色」
「ああ。誰か挿さまねーと、ガキ共がまた失神すっからな」

 心を朗らかにしたまま、自分の恋人に席を勧める。緋色はドカリと無造作に腰を下ろし、少年達を手招きした。
 多少慣れたとはいえ、山吹と菜花は煌びやかな美貌を称える有名人。全くの一般人である夏陽と冬乃は軽口も叩けず、所在なさげに佇んでいたのだ。
 顔に似合わず、(と言っては失礼だが)緋色は面倒見がいい。最初はその鋭い眼光に恐怖を感じる人間も、何時の間にかその魅力に惹かれている。

「私は緋色の、そういう部分を好ましく思っているよ」
「は? なんだよ、今日はやけにデレるな」

 緋色が怪訝そうな表情を浮かべ、山吹に向き直った。

「最近、椿が口を開けば恋人自慢でね――影響されたのかな?」
「ほぉ〜。可愛い弟の真似って訳か? 山吹お兄ちゃん」
「ふふ。そうだな。そう思ってくれて、構わないよ。緋色」

 腹の底に響く大声を潜ませ、緋色はニヤリ笑む。
 一応は業界人という事もあり、山吹達は関係者席に通されていた。ステージは目と鼻の先で、慌しく準備に勤しむスタッフの息遣いも近い。
 その状況下で山吹は緋色だけに親しみ深く微笑みかけ、緋色だけに愛情を囁いた。

「――それでは、始めさせていただきます」

 そんな時間を過していると、ステージ上から声が聞えて来る。視線を向ければ、マイクを持ったスタッフがオーディション開始時間を告げていた。
 それを合図に報道関係者が襟を正し、カメラを回す。
 オーディション優勝者は映画への出演が決まっている。今日の映像はそのまま、後のお宝映像となるわけだ。

「はぁ〜い! 今回の司会進行役は同年代の希望の星――プライベート・ラヴも絶好調な天羽聖がお送りしまーす!」

 スタッフが影に引っ込み、変わりに一人の青年が飛び出してくる。
 踊るように軽やかなステップ。濃厚なフェロモンを羽根のように舞わせる色男。それは山吹も知る人物だった。

「聖祈、先輩……?」
「あら本当。聖クンがいるわ」

 一夜が静かに驚きを呟く。
 それは一夜達が通う学園の先輩であり、菜花が所属する事務所の後輩――天羽聖祈だったのだ。

「きゃああ! 聖!」
「声援ありがとう。キュートなレディ」

 観客席から黄色い悲鳴が上がる。どうやら、彼を目当てに訪れたファンのようだ。
 聖祈は声の方向へ手を振り、ウィンクを贈る。ハートが空を舞えば、見惚れたような女性の吐息が数を増した。

「なぁ一夜。あの先輩、恋人いるのか?」
「はい。いらっしゃいます」

 盛り上がる会場の熱。それとは逆に夏陽の声が低く下がる。
 一夜と夏陽の距離は二席。山吹と緋色を挿んでいた。自然、友人同士の会話は山吹の耳にも入る。

「お相手の名前は、言えませんが」
「ああ。それは別にいいよ」

 人様の恋愛事情を軽々しく言触らさない一夜。夏陽は冬乃をチラリと盗み見、安心したと呟く。
 どうやら菜花の言葉は当たっていたようだ。冬乃を気にする夏陽の雰囲気には、友情以上の愛情が漂っている。
 山吹は緋色に熱視線を送る聖祈の姿を思い出し、得心が行く。つまり夏陽は、恋敵の出現を危惧していたのだ。

「あー? アイツ、失恋したとか言ってたぜ」
「あら、その人とお付き合いしているのよね? 聖クン『合宿で大逆転勝利した』って自慢していたもの」

 その一方で一夜の話しを聞いていた別の人間が、聖祈のプライベートに食いつく。緋色と菜花だ。

「合宿って――ハッ! まさか春風さん」
「……」

 答えを導き出した名探偵のように、冬乃の眼鏡が光る。
 しかし一夜は、無言のまま首を横に振った。冬乃の推理が外れたのだ。

「ハハハ。もう天文部で残ってるの、一人だな」
「あ!」
「へぇ。意外な組み合わせ」

 夏陽の笑みは乾き。一夜は『しまった』と口を押さえる。今度こそ答えを導き出した冬乃は、聖祈へと視線を向けた。

 丁度その時、ステージ上で一輪の花が咲く。椿という名の、美しい花が。



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あきゅろす。
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