初恋は桜の中で
秘めやかに密やかに――揺れる心1


 それは舞い散る桜の花弁ように儚い――初恋だった。

 雪白山吹。職業俳優。物心ついた頃にはカメラの前に立ち。秀でた才能を開花させていた。演技の天才。
 その隠された恋心を知る者は、少ない。




「――それじゃあ。行って来ます」
「待ちなさい。椿!」

 日常の延長線のまま、玄関の扉が開かれる。光の粒子が未来に繋がる架け橋のように美しい少年の姿を照らした。
 未だ蝉の羽音けたたましい8月31日。今日は決戦とも呼べる勝負の日だ。しかし、山吹の可愛い弟・椿の様子は普段と何も変わらない。

「そうよ、椿くん! お弁当の“かつサンド”を忘れているわ」

 ワンテンポ遅れて菜花が現れる。彼女も椿を引き止めているが、その理由は山吹とは異なるものだ。

「あ、ごめん。姉さん」
「うふふ。油控えめ、お姉ちゃんの愛情はたっぷりお弁当よ」

 申し訳なさそうに弁当を受け取る椿。それに花の笑顔を咲かせる菜花。微笑ましい姉弟の光景。山吹は心のビデオカメラを人知れず『録画モード』にする。
 片親違いの兄弟といえば、世間の認識は『不仲』だろう。しかし山吹はそんな世間の認識など意に介さない。菜花も椿も平等に可愛い、妹と弟だ。

「お仕事のお休み取れたから、お姉ちゃんも応援しに行くわね」
「うん、ありがとう。頑張ってくる」

 ファイト、と。菜花は弟に明るくエールを送る。そう、今日は椿の人生を左右する運命の日。俳優オーディション最終審査日なのだ。
 容姿端麗な椿。山吹自慢の弟は書類審査を難なく受かり、二次三次審査も突破した。それに油断を見せず、日々の練習をより一層積み重ねストイックに力を付けようとする努力の痕跡を、山吹は気付いている。
 乗り気でなかった椿に、オーディションを進め続けた山吹。それは兄の欲目だけでなく、一人の役者として椿の実力を評価しているからだ。

「やはり、会場までは私が送って行こう」
「僕はもう子供じゃない。保護者がいなくても大丈夫だよ兄さん」

 車のキーを取り出し、山吹は再度椿を引き止める。しかし椿の返答は変わらず。真直ぐな眼差しを兄に向けた。

「それに今日は一夜の、『俺に椿を会場まで送らせて下さい』という先行予約がある。兄さんの心遣いは嬉しい。でも僕は、一夜との約束を優先させたい」
「まぁ素敵。一夜クンは椿くんの騎士(ナイト)サマなのね」

 氷華のように冷やりと触れがたい雰囲気が一瞬の内に華やぐ。椿は恋の花を満開に咲かせ、恋人の存在に頬を蕩かせる。
 菜花はその変化に喜んでいるが、山吹の立場としては複雑。椿の恋人は礼儀正しく可愛らしいが、同性の少年なのだ。

(また緋色に、ブラコンと言われてしまうかな)

 山吹の脳裏に炎を具現化したような男の姿が浮かぶ。それは山吹自身の恋人。緋色の姿。
 自分の問題を棚上げにしてと言われてしまうが、山吹の心を奪った相手も同性だった。




 ◆◆◆




「兄離れが順調で結構な状況じゃねーか」

 山吹から事のあらましを聞いた緋色は上機嫌。鼻歌までも歌いだす。
 椿は緋色に対してツン全開。緋色もそれに全力で対抗している。犬猿の仲なのだ。

「しかも、男の趣味が兄に似ずの草食動物系ときたもんだ。笑いが止まらねー。アハハハハ」

 心底愉快そうな緋色の高笑いが車内に響く。
 鋭い光を放つ切れ長の三白眼。声も大きく体格も男らしい緋色。椿は『粗野』だ『横暴』だというけれど、山吹の恋人は男の魅力に溢れている。
 もしも無人島に放り出されても、緋色が共に居れば生き残れるだろう。そんな生命力の強い人間。緋色は燃え上がる炎のように激しく雄々しい男前なのだ。

「あの子は……実のところ“両親似”なのだろうな」

 緋色から視線を外し、流れる景色を見る。窓を開け、山吹は緩やかな夏風に思考を深めた。
 外見は本人かと見紛うばかりに父親――桜雪と酷似している椿。しかしその厳しさや気丈さは、母親――雪白水仙の性質を受継いでいる。
 まるで水仙が手放した愛情を封じ込めたように、椿は存在していた。





「んー! いい天気だなチクショー」

 車から降りた緋色が背伸びを一つ。車の所有者は山吹だが、運転をしていたのは緋色なのだ。

「はーい。兄さんの帽子よ」
「ああ、ありがとう。菜花」

 サングラスを掛け、帽子を目深にかぶる。簡単な変装だが、俳優オーラを完全に消せば見つかる確率は其れなりに下がる。と、山吹は思っていた。

「ぁ、お兄さん……?」

 しかし、数分も経過しない内に山吹は発見されてしまう。それはファンではなく控えめな、けれど綺麗な顔立ちの少年だった。

「きぁん! 一夜クン」
「お姉さんも、こんにちは」

 思いがけず鉢合わせした少年に、菜花が黄色い悲鳴を上げる。それは椿の愛しい恋人・一夜だったのだ。
 車は人目を避ける為、使用者の少ない裏手の駐車場に止めている。何故、一夜がこの場所に居るのだろう。山吹は小さな疑問を感じた。

「一夜君、椿はもう会場入りしたのかな?」
「はい。大切な弟さんは、控え室まで御送りしました」

 カチコチ。一夜は山吹の質問に緊張を返す。
 山吹としては優しく語りかけたつもりなのだが、一夜は恋人の兄に身を硬くしてしまったようだ。

「そのままくっ付いてきゃ、面白い展開になりそうなのにな」
「?」

 緋色も一夜に気付き、会話に加わる。
 友人の参加するオーディションへ付き添いに来た人間が、スカウトされるという話しはよく聞く。緋色はそれを揶揄してニヤニヤと笑む。
 確かに一夜は、山吹の目から見ても美少年の部類に入る。が、芸能界には興味がないのだろう。漆黒の頭上に疑問府を浮かべて緋色を見ていた。

「ねぇ、一夜クン。良かったら一緒に応援しない?」
「折角ですが、友人との先約が……」
「おーい! 一夜」

 うふ、と。可愛らしく微笑み、菜花が誘いかける。一夜は遠慮を見せるが、遠くから聞える声がそれを遮った。
 視線を向ければ、道路を隔てた歩道に二人の少年が駆けている。一夜の言う友人のようだ。

「遅れてわりー。行きに弟が『おれもついてくー!』って駄々こねてさぁ」

 ハァハァと肩を弾ませ、爽やかな少年が夏の陽射しを浴びる。額に流れる汗が足を前へと踏み出す度にキラキラと光った。

「意外と気に入られるかもよ。太陽君、人懐こくって可愛いしさ」
「それは冬乃に懐いてるからだって。すぐ騒ぐし、兄としては子守が大変」

 その横には眼鏡の少年が駆ける。華やかさは無いが平穏で真面目そうな少年だ。
 二人の少年は赤信号に捕まり、暫し足が止まる。その間も交わされる会話は仲睦まじい。親友同士なのだろう。

「まぁ可愛い。初々しい“恋人”さんね。一夜クンのお友達?」
「はい。葉月夏陽君と朝霧冬乃君です」

 まるでそれが共通認識のように、菜花と一夜は言葉を交わす。余りにも自然な流れで少年二人の性別を間違えたかと思った。

「お二人は椿の幼馴染で、俺も親しくさせて貰っています」
「あらそうなの。椿くんたら、わたしにはお友達を紹介してくれないのよ。きっと照れているのね」
「そうでしたか」
「うふふ、そうよ。家にお招きしたのも、一夜クンが初めてなのよ」

 菜花が口にした単語の意味に気付いていないのか、それとも当たり前の真実として受け入れたのか。一夜は二人の少年と友人になった経緯を語る。

「そうか、椿にも気心の知れた友人が――」

 複雑な事情を抱える弟。気心の知れた親しい友人の存在に、山吹も一安心。プライベートな人間関係は追求せぬ事にした。

「お、優しいお兄ちゃんが感動してるぜ。アイツ、見るからに“普通お友達”いなさそうだったもんな」
「緋色!」

 ククク、と。喉の奥で笑いを堪える緋色。それが長い付き合いの軽口だと知りつつ、山吹は注意を口にする。
 実は山吹も緋色と幼い頃からの付き合い。幼馴染なのだ。
 だから、夏陽と冬乃の関係には懐かしさも感じる。輝く青春の一ページ。大切な思い出へと変わる現在だ。

「ん? なんだ、一夜の知り合いか?」
「うわぁ! 背高。卯月君の知り合いって何気にレベル高いよな」

 そんな会話を交わしている間に、夏陽と冬乃は駐車場入り口に差し掛かる。そして山吹達に気付き、それぞれの感想を口にした。

「お兄さん、いいでしょうか?」
「ああ、椿の友人だ。構わないよ」

 真直な眼差しが注意深く確認を取る。
 山吹は勿論、菜花も世間に名の知れた有名人。その正体を安易に教えては、場の混乱は必至。その為に変装もしていたのだ。
 しかし椿の友人ならば、山吹自身も挨拶を交わしたい。一夜の気配りにも礼を述べ。サングラスを外した。

「弟とも友人だそうだね。ありがとう」
「え? え?」
「ま、さか」
「椿は色々と難しい子だけれど、これからも仲良くしてやってほしい」

 その顔から零れ落ちてしまいそうなほど目を見開き。驚愕に震える夏陽と冬乃。
 山吹は優美に微笑み、感謝を伝えた。



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