初恋は桜の中で
それでも、好きだった8



 ◆◆◆




 それから夏陽の魂は迷宮を彷徨ったまま――1日が過ぎた。

『ピンポーン』

 客人の訪問を知らせる呼び鈴の音も耳に届かず。茹だるような夏の暑さに身を投げ出す。
 浄化の炎に焼かれるように、肌がチリチリと熱を持つ。けれども夏陽の心の中に、迷宮の出口は現れない。

「アニキー!」
「、……なんだよ、太陽。兄ちゃんはな、今……親友を失う危機に瀕してるんだよ」

 慌て騒ぐ弟に返す言葉も力なく。夏陽はただ只管、冬乃の事を考える。
 親友という関係を壊してまで、冬乃は変化を望んだ。ただ一緒に遊んでいるだけで楽しかった、無邪気な童心を過去の産物にしてまで。
 同じ時を過して、成長した親友。けれどもその精神は、夏陽よりも早く大人の階段を上っていたのだ。
 純粋な子供の草原には戻れず。さりとて大人への階段は遥か遠く。夏陽は迷宮を彷徨い続ける。

「スゲー美人が家に来た!」
「なにぃ!?」

 青春の葛藤と戦っていた面影は何処へやら。夏陽の精神は瞬時に現実へと帰還した。男の本能とはかなしくも正直なものだ。




「――なるほど、ついに朝霧君の痺れが切れたと。まぁ、当然の展開とも言えるな」
「……」

 夏陽の自室に氷華が咲く。訪ねて来た『スゲー美人』とは、椿だった。
 椿は最初、旅行の土産を渡して帰ろうとしていた。しかし、複雑な蔦が絡まる夏陽の心はアッサリ見つかり。事のあらましを話すに至っていたのだ。

「君は愚か者か? 愛情が永遠に続かないと、誰が決めた。友情がこの世で最も尊いものだと思っているのならば、それを朝霧君に伝えろ」

 そして椿は、夏陽の悩みを容赦なくぶった切る。第三者の方が客観的な意見を言えるとはいえ、椿のそれは鋭利な言葉の剣だ。
 弱っている今の夏陽の心では防御しきれない。

「変化を恐れて手放すか、それとも新しい関係を受け入れるのか。君が悩み抜いて出した応えならば、彼は分かってくれるだろう」
「椿ちゃんは、さ」

 夏陽は流れる冷や汗を拭い。口を開く。

「一夜が、『やっぱりお友達に戻りたいです』って言ったら、戻れるのかよ」

 一度でも冬乃の想いを受け入れたら。夏陽は『親友』という宝物を失ってしまうのだ。簡単に答えは出せない。

「冬乃の事は大切だけどさ。それは別に『恋人』じゃなくてもいいだろ?」
「つまり、朝霧君が自分の隣から居なくなる未来が怖いんだろう。恋人になれば、その可能性が親友よりも高くなるからな」
「ッ……そ、」
「はっきり答えろ。僕はウジウジした人間が嫌いだ」

 ツンと飛ばされる氷柱に空気が氷る。40度近い真夏でも、椿が居れば冷房の出番が減りそうだ。

「えー……。一夜が口篭ったら頭撫でるのに、オレだとその反応?」
「一夜は寡黙なだけだ。それにああ見えて、愛情表現は惜しみなく伝えてくれる」
「ソウデスカ……」

 凍える雪吹雪は何処へやら。椿は一夜の存在に春の木漏れ日を呼び寄せる。
 その変化をすっかり見慣れてしまった夏陽。最初こそ痛んでいた失恋の痛みは、もう薄い。それは冬乃が隣にいて、愚痴を聞いてくれたからだ。

「まったく。子供の頃はもう少し、根性があると思っていた」

 残念そうに呟き。椿は会話を仕切り直す。
 何度突進しても相手にされなかった過去。しかし現在の椿は夏陽の友人。初恋こそ叶わなかったが、無意味に思えた行動もそれなりの成果を実のらせている。

「僕は断れとも、受け入れろとも言わない。それは、葉月――君が決める事だ」

 だが、と。椿の唇が動く。
 気丈な音の響きが夏陽の鼓膜を揺らし。複雑に入り組んだ薄暗い迷宮に一筋の光を齎す。

「相談くらい、何時でもしろ。僕も、それに一夜も、君の友達だ。遠慮する事はない」
「椿ちゃん……っ、今から惚れ直しても」

 熱い椿の友情。夏陽の心臓は思わず、恋する乙女のようにキュンと鳴る。

「断固として断る。例え冗談でも、僕は一夜の恋情しか受け入れない」
「……ソウデスカ」

 椿は一夜への愛情を言い放つ。それは一ミリの隙間も見せない一途な意思。夏陽は強固な現実に肩を落とした。

「そういや、一夜は?」
「ああ、桜架先輩の家だ。お土産を渡しに行っている」

 夏陽はふと気付く。訪ねて来たのは椿一人で、一夜の姿はない。
 勝負が決しているとはいえ。恋敵の家に愛しい花を一人寄越すのは、不注意ではなかろうか。

「オレが狼になったら、どうするんだ」
「何か言ったか?」
「や、何でもねーよ」

 それも信頼の証だと解釈し。夏陽は心に残る最後の未練を断ち切った。




「う〜ん」

 その日の晩。夏陽は唸っていた。椿への未練はもうない。
 しかし大きな問題が残っている。冬乃の告白に対しての返答だ。冬乃は夏陽の答えを『否定』だと思っている。今までの行動を振り返れば、それは当然の反応だろう。

「なぁ、アニキ。遊んでくれよ」
「グッ……。重くなったな、太陽」

 悩める夏陽の背中に、体重がズシリと伸し掛かる。太陽だ。遊びたい盛りの弟は、兄に馬乗りになり催促する。

「なぁ、太陽はさ。冬乃の事好きだよな?」
「うん、すき。アニキが遊んでくんなくても、遊んでくれるしー」

 夏陽はその体勢のまま腕立て伏せを開始した。簡単な一人シーソー。夏陽の筋肉が鍛えられると同時に、太陽の要望も叶えられる。葉月兄弟、遊び方の一つだ。

「だよなー。冬乃はいい奴だよ」

 夏陽の脳裏に冬乃の姿かぶ。
 諦めろと言いながらも、結局は愚痴を聞いてくれる。気さくな友人。
 もしも冬乃の想い人が、自分でなかったら。夏陽は力の限り応援している。しかし冬乃はその未来図を選ばなかった。

(どうして、オレなんだろ?)

 異性からの告白は頻繁にある。けれど同性からの告白は、冬乃が初めてだ。小さな疑問が心に引っ掛かる。夏陽は太陽を下ろし、仰向けになった。
 シーリングライトの丸い輪郭がボンヤリと見える。部屋を明るく照らす照明。しかし人工的に作られた光では、夏陽の迷宮を照らせない。

「冬乃……」




 ◆◆◆




「微妙な質問を本人に面と向かって聞くとか、お前ホントにスゲーな」

 呆れを通り越して逆に尊敬する、と。聞き慣れた友人の声が夏陽の耳に届く。それは勿論、冬乃が奏でる言葉の音色だ。
 椿訪問の翌日。つまり、冬乃の告白から二日後。夏陽は、自分に愛の告白をした張本人である少年を呼び出していた。

「それで椿ちゃんへの第一印象。最悪だったのに」
「うッ! 古い話を」

 幼い記憶の共有。夏陽が椿を訪ねて別クラスに足を運んだ日。夏陽はその日に、冬乃とも出逢っていた。
 大切な親友――幼馴染と。

「で? 惚れた理由を聞いて。夏陽はどうすんの」

 眼鏡の奥に潜む。冬乃の瞳がユラリ揺れる。それは夏陽の応えに期待しているようにも、諦めているようにも見えた。

「それは……未だ決めてない」
「はぁ!?」

 情けないが、それが夏陽の正直な答え。頬をポリポリと掻き、冷たい視線を受け流す。

「いや! 冬乃の言う『好き』が、どの種類の好きかは、分かってる……つもり」
「ふ〜ん?」

 逃げられない緊張感が、夏陽の全身を包む。声帯は音の出し方を忘れてしまったかのように、上手く振動してくれない。
 しかし冬乃の調子は普段と変わらない。長年秘めていた想いを打ち明けて。逆にスッキリしているようだ。

「今まで、ずっと。分かりやすかったろ」

 自分で言うのも何だけど、と。前置きし、冬乃は言葉を続ける。

「それでも緊張してんの?」
「そ、だよ。可笑しいだろ?」

 夏陽は緊張に固まる喉に空気を送り込む。
 冬乃の恋心には気付いていた。しかしそれは予想範囲内の、思い過しかも知れない感情。現実にポンと送り込まれた時の対処法など、夏陽は考えていない。
 砂漠を彷徨う旅人のように喉が渇き、感情の迷宮は複雑に入り組む。

「いいよ。拒否されても、夏陽の友達は止めないからさ。安心しろ」
「聞き分けの良い友達は、飽きたんじゃねーのかよ」
「うん、でも。夏陽、困ってるしさ――それでお前の笑顔が見られなくなる方が、嫌だと思ったんだよ」

 親友の気遣いか、それとも甘い恋心か。冬乃は夏陽の迷宮に出口を招く。

「冬乃は、それで良いのかよ」

 開かれた道筋。しかし夏陽はその前で立ち止まる。冬乃の好意に胡坐をかいたまま、友人顔は出来ない。

「確かにオレは、冬乃とずっと“友達”でいたいって思ってるよ。でもそれは、我慢してまで続けて欲しくない」

 夏陽は心のすべてを打ち明ける。それは冬乃の目から見れば、勝手な言い分だろう。けれど夏陽は言葉を続ける。
 迷宮から抜け出す鍵の持主は夏陽自身。自分で見つけた道筋でなければ、正しい出口の扉は現れない。

「直には無理だけどさ。冬乃の気持ち、ちゃんと受け止める」
「え――?」
「前に進むのは、オレとじゃダメか?」
「ッ……。ダメなわけ、ないだろ」

 それが夏陽の選んだ、迷宮の出口へと繋がる扉。感情の鍵を差し込めば、開けた視界の先に冬乃がいる。
 心の霧は晴れ、迷宮に朝陽が昇った。



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あきゅろす。
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