初恋は桜の中で
それでも、好きだった7


「付き合って二ヶ月足らずで旅行とか、最近の若者はどうなってるんだ……!」

 夏陽はフラリとベッドに倒れ込む。
 現在は茹だるような暑さに支配された八月。夏陽の友人である一夜と、想い人である椿は旅行に行っていた。
 名目は雪白家の兄弟旅行への同行。しかし夏陽の目から見れば、それは『婚前旅行』も同義。ショックを受けるなという方が、無理な相談だった。

「同い年の、それもモテ男が何言ってる」

 盛大に沈む夏陽の横で、冬乃がリモコンのボタンをポチリと押す。
 毎日のように愚痴を聞かされ続けた冬乃は、夏陽の様子に慣れているのだ。

『はぁい。今日のリポーターは皆大好き、天羽聖で〜す! テレビ前のキュートなレディ、応援ヨロシクね』
「あ、天羽先輩。あのひと芸能人だったのか」

 テレビ画面に鮮やかな映像が映る。その中で、フェロモンたっぷりの色男がハートを振り撒いていた。

「え? 誰だって?」

 ムクリと顔を上げ、夏陽もテレビを見る。

『夏といえば、アイスとカキ氷。どちら派ですか?』
『んー。そうだなぁ』
『なんなら、第三の選択肢に“ボク”をいれてもいいよ』
『え〜? きゃはは、やだー』

 チャラチャラとした色男が、街行く女性にアンケートを取っている。情報バラエティ番組のようだ。

「天文部の先輩だよ。俺も少し前に口説かれたなー。あははは」
「えぇええええ!!」

 冬乃は可笑しそうに笑っている。が、その真実は天地が引っくり返ったような衝撃を夏陽に浴びせた。
 爽やかスポーツマンの夏陽は女子人気も高く、当然のようにモテる。その一方で冬乃は所謂お友達タイプ。異性の友人はいるが、恋愛感情までは抱かれない。
 それが同性の、しかも見た目も中身もフェロモンに溢れた色男に口説かれていたとは。

「喋んなきゃカッコイイのに、勿体無いひとだよなー」
「いやー。オレは、よく知らない先輩だしな。ア、アハハハ」

 夏陽は妙にモヤモヤとした心の霧を感じる。冬乃の視線を奪っている色男は、本気で同性を口説いたのだ。

「あのさ、冬乃……」
「ま。そんな事よりも、山吹のドラマ、ドラマっと」

 どこかギクシャクと、夏陽の声帯が動揺を含む。しかし冬乃は気にした様子もなく、番組を変える。
 夏休み真っ只中の、今。山吹主演のドラマが再放送されているのだ。

『――つまり犯人は二重の罠を仕掛けていた。用心深い人物』

 テレビ画面に、真剣な表情の美青年が映る。
 放送当時から好評だった連続ドラマ。その評価は何年たっても色あせる事なく。むしろ時代を重ねる事に増している。山吹の代表作と呼ばれている作品。
 弟である椿の前では口にしないが、冬乃は山吹のファンだ。七年の歳月を経ても、放送当時以上の緊迫感を持って楽しんでいる。

「サインが欲しいなら、椿ちゃんに頼べばいいのに」
「それ言って氷らされた奴、百人くらい知ってる」
「ああ、そっか。椿ちゃん、ミーハーな人間とか嫌いだったよな」

 夏陽はCM中を見計らい、冬乃に声をかけた。冬乃はテレビ画面から視線を外し、夏陽に向ける。
 無意識の動作。日常の一コマ。見慣れた冬乃の瞳が、夏陽の顔を映す。それだけの事が、妙に嬉しかった。

「俺さ――椿ちゃんは、“俺が欲しいもの”全部持ってるんだと思ってた」
「え?」

 不意に冬乃の顔色が曇る。ぼんやりとした声が反省を伝えているようにも、過去を後悔しているようにも聞えた。

「隣の芝生は青い、つーの? 家族は皆有名人だし、本人の才能も凄い。話してても、別次元の存在に見えてた」

 胸の内側に仕舞っていた感情。それは冬乃と椿の距離を隔てる心の境界線。
 観察眼に優れた椿は、冬乃の複雑な感情に気付いていたのだろう。だから二人の間に真実の友情が育たなかったのだ。
 夏陽という共通の友人がいるにも、関わらず。

「でも、違ったんだな」

 冬乃の目尻がフワリと和らぐ。

「卯月君といる時の椿ちゃんは、自然体で可愛いと思うよ」
「冬乃……」

 恋をしている普通の人間に見える。冬乃の唇がそう動いた。

「だから男らしく、キッパリと諦めろ。な!」
「長々と語っといて、結局はそれかよ」

 夏陽の肩がガクリと拍子抜けする。
 てっきり、椿との友情を取り持って欲しいのかと思っていた。

「ああ。俺が椿ちゃんと友達になるには、未だ一つだけ障害が残ってるからな」

 夏陽に構わず、冬乃は長く変化の無かった関係を変える言葉を続ける。
 複雑な感情の蔦が絡んでいる重い扉。それを開ける鍵を持つ人物、それは他の誰でもない夏陽自身だ。

「椿ちゃんは、卯月君の存在で変わったよ。夏陽は、俺の心を変えてくれないのかな? ――どんなに伝えても」
「っ……。それは、さ。友達のままじゃ、駄目なのかよ」

 夏陽の心は出口を探して迷宮を彷徨う。曖昧に誤魔化して来た感情を変えようとするのは、何時も冬乃だ。

「うん、駄目。俺、聞き分けの良い友達に飽きた」
「飽きたって。そういう問題か?」

 テレビは消され。冬乃は、夏陽だけを見詰めている。夏陽の応えだけを、待っているのだ。

「ああ、だって。キッパリ振られた方が、前には進めるだろ?」
「え――?」

 迷い無く告げられた言葉に、目の前が真っ暗になる。まるで予告無く崖底に突き落とされた名も無き青年のように、夏陽の意識は遠のく。

「夏陽は突然現れた卯月君に椿ちゃんをアッサリ奪われて、辛かったかも知れないけどな。それまで俺は、椿ちゃんに嫉妬してたんだよ。知らなかっただろ?」

 透明な壁に阻まれたように、冬乃の声が遠く聞える。
 曖昧に誤魔化していた。感情のボタンを掛け間違えたまま関係を続けていた報いが、ついに芽を出したのだ。

「俺は、叶わないって思ってても――それでもずっと、夏陽の事が好きだったんだよ」

 秘密の恋が陽の光を浴びる。それは冬乃が初めて口にした、愛の告白だった。



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