初恋は桜の中で
それでも、好きだった6
『ガコン』
ペットボトルが取り出し口に落ちて来る。夏陽は自動販売機からそれを取り出し、冬乃を盗み見た。
「あ、冬乃はどれ飲む?」
「ん〜。ミックスジュースとスポーツドリンクで、悩み中」
冬乃は夏陽の隣に立ち、自動販売機と睨めっこしている。その眼は真剣だ。
「じゃ、オレはスポーツドリンク。と、」
夏陽は自分の飲み物を決め、商品購入ボタンを『ピ』と押す。その間も冬乃は睨めっこを続けている。
「回し飲みしようぜ、冬乃」
「え!?」
夏陽の提案に冬乃が眼を見開く。驚きに自動販売機との睨めっこを止め、夏陽の顔を凝視した。
「オレもこのジュース、気になってたしさ」
爽やかに答えを出し、夏陽は冬乃の変わりにボタンを押す。南国のフルーツ達が描かれた缶が、『ガコン』と落ちてきた。
「ああ、そっちか」
「ん? 何だよ」
「別に」
プイ。冬乃が素気なく顔を逸らす。
「変なやつだな。はは」
夏陽は人数分の飲み物を抱え、その理由に気付かない。休日の浮かれた雰囲気に、心が完全に油断していた。
「じゃ、そろそろ行くか」
「ああ。今頃良い雰囲気だろうな」
「ガッ!」
夏陽の喉が衝撃に詰まる。冬乃がサラリと口にした危機的状況に、想い人の姿が脳裏に浮かぶ。
椿は今頃、一夜と――。
◆◆◆
「……ん、」
サラ、サラ。長い前髪を横に流せば、重く伏せられた瞼が現れる。
漆黒の睫毛は木漏れ日に彩られる芸術品。滅多に魅られない尊顔。椿は見惚れる頬を叱咤し、濡らしたハンドタオルを乗せた。
額に触れる冷たさに、一夜の意識が目覚める。
「……雪白……くん」
「ああ、気分はどうだ? 卯月」
精神の疲労を吐き出すように弱々しい一夜の声。
一夜は、自分が絶叫マシンに弱い事さえ知らなかった。初めて目にした世界が回る光景。彼の世界は、今もグルグル回っているのだ。
「雪白くんが……五人、……見えます」
「そうか。休んでいろ」
「はい……」
椿は一夜の状態を確認し、一秒でも早い回復を願う。
「ハァハァ。おまた――って、膝枕ぁぁあああ!!」
丁度その時。夏陽が全力疾走で現れた。額には汗を浮かべ、肩で息をしている。
「ん? ああ。枕の代わりになるようなものが、他に無くてな」
夏陽が開口一番音にした衝撃に、椿は冷静な言葉を返す。椿は一夜の安静を確保する為に、自らの膝を提供していたのだ。
状況は夏陽の予想を上回り、初々しい恋人のような雰囲気を醸し出している。
「寝心地の良いものではないが、卯月には我慢してもらった」
「いやいやいやいや。超気持ち良さそうですけど!?」
自分の魅力を過小評価しているのか、椿は謙遜を見せる。夏陽は思わずツッコんだ。
「おい、一夜。ミネラルウォーター買って来たぞ」
「ぁ、……葉月君……が、三人?」
直接一夜に感想を聞こうと話を振れど、魂は抜けたまま。自分が体験している天国を知らない。
「ありがとうございま……す……」
「うん。いいから、休んでろ」
夏陽は一夜の手を取り、ペットボトルを握らせた。
「葉月、僕は卯月の様子を見ている。君は朝霧君と遊んでくるといい」
「え」
椿は一夜が抱えたままのペットボトルを抜き取り。キャップを回す。開封を終えれば、一夜の口元に近づけた。
「昼過ぎには回復しているだろう。その頃に戻ってくればいい」
「……んっ」
一夜が椿の意図を汲み取り、ペットボトルに口を付ける。癒しの水はゆっくりと、一夜の体内に吸収されてゆく。
「え」
「おーい。急に走るなよ、夏陽〜!」
置いてきぼりを食う夏陽。その後から、冬乃が肩を弾ませ現れた。
「遠慮するな。好きなんだろう?」
「いや、冬乃は友だ」
「遊園地」
「ガッ!」
わざと間を置かれ、続けられた台詞。夏陽の喉は再び詰まる。椿の背には小悪魔の羽が生えていた。
「どうした? あ、卯月君の具合大丈夫?」
たった今到着した冬乃が、固まっている夏陽に疑問を浮かべる。
夏陽は一目散に駆けて来たため、冬乃を自動販売機の前に置き去り状態にしていたのだ。それでも冬乃が怒りを携えていないのは、長い付き合い故か。
「ああ。今、葉月とも話していたところだ。卯月は僕が見ているから、君達は遠慮せずに遊んでくるといい」
「そっか。分かった。行くぞ夏陽」
「ちょ、冬乃」
冬乃は椿の言葉に頷く。
一夜は未だクタリと椿に身を預けている。顔色には赤味が戻りつつあるが、完全回復とは呼べない状態だ。
「馬鹿かお前、気を利かせろよ」
「オレの気持ちには、気を利かせてくれないのな。冬乃」
冬乃は夏陽の耳を摘み、グイっと自分に寄せる。内緒話の体勢だ。
「そんな敵に塩を送るような真似、すると思うか?」
冬乃の瞳が語る。今現在、自分が利害を一致させている相手。それは夏陽ではなく椿なのだ、と。
「……思いません」
夏陽の肩がガクッと落ちる。結局夏陽は、冬乃に頭が上がらないのだ。
それを『仲睦まじい親友の姿』と受け取るか、『ただのヘタレ野郎』と受け取るか。感想は人それぞれだろう。
「――じゃ。一夜、安静にしてろ……って、言わなくても大人しいよな」
夏陽は一夜の顔を改めて覗き、別行動を告げる。
夏陽は何年も、椿に想いを告げず。冬乃にも、明確な応えを出さないように過して来た。その友情に染まった平穏で楽しい、涙を流さない日々。
それが『卯月一夜』という少年が現れた事で、変化を始めている。
「ごめんなさい……葉月君……」
「え、?」
一夜が静かに口を開く。鼓膜を奮わせる言葉の意味を夏陽は瞬時に理解出来なかった。
夏陽の平和な日常を変えた事への謝罪。それとも、美しい花を独占する未来への譲れない意思なのか。
その言葉はすべてに向けられているように、夏陽の心を揺らす。
「俺、迷惑……ですよね」
「思った事ねーよ」
夏陽はニカっと友人に笑顔を見せる。
一夜の意思が何処にあろうと、その言葉に偽りは無かった。
「普通に倒れた事を謝っただけだろ? 卯月君は夏陽を“恋敵”だと、思ってないんだしさ」
「まぁ、今考えたらそうだけど。何か……一夜の目見てたら、惹き込まれたつーか」
新しい乗り物に並ぶ行列。夏陽と冬乃は時間潰しの雑談をしていた。話題に上がっているのは、一夜だ。
「ああ。そういえば、見えてたな。卯月君の素顔」
その光景を思い出しているように、冬乃は言葉を続ける。
「いやー。椿ちゃんとはまた毛色の違った美少年で驚いた。何で隠してるんだろうな?」
未だ新鮮さを保っている驚き。一夜の容姿は幼いながらも、綺麗に整っていたのだ。
「さぁな。椿ちゃんは知ってるだろうけど、オレは……っ」
夏陽は相槌を打ちながら気付く。自分は一夜の事情を、何も知らない。
本人は無自覚だろうが、一夜もやはり『椿以外の人間』とは心の距離感がある。夏陽とも、椿の紹介でなければ『友達』に、成れなかったのではないだろうか。
それは夏陽の憶測だ。けれど、そう思わせるだけの聖域を一夜と椿は創り出している。別の固体として存在している現実の方が、夢幻のように。一夜と椿は魂の片翼なのだ。
「でもまぁ。同じ男としては、夏陽の顔のが理想的だけどな」
「ハハ。気い使わなくてもいいって」
沈みかけていた夏陽の心に光が届く。立ち込める感情の霧を吹き飛ばすような冬乃の気遣い。それが救いに成っていた。
(やっぱり冬乃とはこのまま、気心の知れた親友でいたい)
例えソレが冬乃の考えと擦れ違っていても。夏陽は、それを願ってしまう。
何時か終わる恋よりも、永遠に続く友情を願ってしまうのだ。
「お世辞じゃないよ。夏陽の遺伝子、欲しいくらいだしさ」
「えぇえ!?」
世間話の延長で、衝撃的な真実が告げられる。夏陽はその衝撃に、絶叫を上げた。
「遺伝っ……それ、つまりセック」
夏陽の頬に熱が昇る。他人が遺伝子を得る一般的な手段といえば――思春期の夏陽には一つしか思い浮かばない。
「や、違う! 今のは言葉の綾で、そういうアレがシたいとかじゃないから、な!」
冬乃の頬も熟れた林檎のように染まった。両手をブンブンと振って不可抗力を訴える。
「それに俺は、椿ちゃん見たいな美人じゃないし――夏陽の好みじゃないの、本当は分かってる」
ポソリと呟かれた冬乃の声は小さすぎて。夏陽の耳までは届かない。
夏陽は未だ、掛け間違えた感情のボタンに気付かずにいた。
「何か言ったか? 冬乃」
「別に、勘違いすんなって言っただけ」
冬乃は頬の熱を消し、空を仰ぎ見る。
春の陽射しは朗らかに温かく。焼けるような夏の陽射しの訪れは遠い未来の光景だ。
◆◆◆
そして時は巡り、二年という歳月が流れる。
季節は陽射し眩しき夏。一つの初恋が終りを告げた。
「――二年か、卯月君も意外と鈍感だったな」
「はぁああ〜」
「いい加減諦めろよ。夏陽」
夏陽と冬乃の友情は変化無く続き。一夜と椿の友情は、一途な愛情へと羽化していた。
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