初恋は桜の中で
それでも、好きだった4



 ◆◆◆




 結局夏陽は、椿に講堂から追い出された。部活動の途中だったのだから仕方がないが、残念さは残る。冬乃も、図書室へと戻ってしまった。
 それも仕方がないと割り切り。夏陽は約束のジュースを購入する。今頃、サッカー部の友人は喉の渇きを訴えているだろう。

「お、雪白の劇は見えたかよ。夏陽」

 夏陽は小走りにグラウンドへと戻った。
 使いの遅さに文句を言われるかと予想していれば、朗らかな笑顔が向けられる。

「まさか、知ってたのかよ」
「ああ、おれも演劇部に友達いるからさ。まぁ、そいつは裏方だけどな」

 友人はひょこひょこ近付き、夏陽から缶ジュースを受け取る。そしてプルタブをふしゅりと開け、「感謝しろよ」とニヤリ笑んだ。
 夏陽の恋心が知られている訳ではない。が、椿を特別視している事は知れ渡っているのだ。
 ジュースの件は、それを知った上での仕込み。夏陽はそう思い、友人に感謝する。

「そっか、ありが」
「でもまぁ、“ふゆのん”に教えたのもおれだけどな」
「えぇ!?」

 あっけらかんと明かされる真実。夏陽は驚きの声を上げた。
 『ふゆのん』とは、一部の友人が使用している冬乃の愛称。つまり、三角関係を弄ばれていたのだ。

「因みにおれはふゆのん派。雪白は超絶美人だけど、やっぱ“高嶺の花”だと思うぜ」

 またまたあっけらかんと、衝撃事実を述べられる。もしかしたら夏陽が考えている以上に、男同士の三角関係は知れ渡っているのかもしれない。

「別にオレは、冬乃は友達だし――椿ちゃんは、一夜が」
「え?」
「や。なんでもねーよ」

 複雑な感情が喉の奥から飛び出しかける。夏陽はそれを飲み込み、両手をブンブンと振った。
 否定も肯定も、今は返せない。


 しかしその数日後、夏陽の周囲は新たな動きを見せるのだった。




 ◆◆◆




 桜の花は散り。若緑色の葉桜が春の日差しに輝いている。四月下旬。

「……――」

 朗らかな春風に、桜葉がサラサラと揺れる。広い空は群青色の絵の具に塗り潰されたように雲ひとつ無い。爽やかな春の朝だ。

「雪白君」
「ん、なんだ? 卯月」

 夢から覚めたように、椿が振り返る。その後ろには、一夜がいた。
 若葉の中に残っていた桜色。最後の花弁が風に攫われ、漆黒にふわり落ちる。

「……いえ、……特に用事は……ぁ、――」
「ふふ。髪に付いてるぞ」

 ハートの形をした桜の花弁。椿は腕を伸ばし、一夜の髪からそれを取る。
 最早季節外れに見える桜色。それは一夜と椿を繋ぐ、淡い色だ。

「本当に、桜は早く散ってしまう」
「……、」

 椿は儚い桜色を見詰め、朧気に呟く。掌に乗る花弁は、今にも風に攫われ、空に旅立ちそうだ。

「椿は、散らない花」

 優しい微風とゆらゆら遊んでいる花弁。それはふわりと舞い上がり。ついに椿の掌から旅立つ。

「最後まで咲き誇っているように、名付けてくれたんだ」

 儚く美しい一片。桜の花弁は、遠い空の彼方へと淡雪のように舞い消える。

「お兄さんですか?」
「いや、姉さんだ。兄さんは、“桜”か“雪”を入れたかったらしい」

 椿は視線を戻し、一夜の漆黒をサラリと梳く。心の奥底に巣くう桜雪への感情が、一夜の存在にとかされているようだった。

「でも、母には辛い名前だから。結局は姉さんの案を採用したそうだ」
「……」

 椿は一夜に、一つの秘密しか隠していない。家庭の事情も、父親への感情も、この頃にはすべて話していた。

「だから、君に名前を褒められた時――とても嬉しかった」
「雪白くん……」

 コトン。椿が一夜の肩口に額を預ける。

「ありがとう、卯月。僕と出会ってくれて」
「それは、俺も同じです」

 心からの感謝と永遠の愛情を贈った言葉。それは精一杯の告白。
 椿は白い頬を桜色に染め、一夜の応えをソワソワと待つ。
 簡素な並木道に人の姿はなく。二人の少年が寄り添い合う姿だけが、世界から切り取られたように存在している。

「雪白椿くん。これからもずっと――俺と『友達』でいて下さい」
「……ッ!」

 椿は預けていた額を上げ、一夜と距離を開けた。その眉が失恋の痛みに歪んだのは、一瞬。
 椿は瞬時に、自分と相手が抱く微かな感情の違いを隠した。

「雪白くん?」
「いや、なんでもない。もう行こうか、卯月」

 けれど一夜は隠した感情の欠片に気付いたように、椿の顔色を窺う。朗らかな春風が強さを増し、長い前髪を不安げに揺らした。

「……は、い……」
「ほら、そんなに悄気るな。その方が心配になる」

 自分は何か間違ったのだろうか。そう伝える一夜の瞳に、椿は友人の顔を見せる。
 一夜の純粋な友情に非はない。ただ椿が、一夜を一方的に愛しているだけだ。




 ◆◆◆




 その頃夏陽は何も知らず。身支度を整えていた。
 洗面所に篭って彼是30分。何時もは5分足らずで終わらせるそれに、今日は余念がない。

「ふ〜ん、ふふふーん」

 オレンジ・ブラウンの髪にヘアワックスを付け、ツンツンと立たせる。元々男らしく、整ったパーツの所有者。少し手を加えるだけでも、中々の男前が誕生した。

「おお! スゲー! デートかよ。アニキ」
「な、覗くな。太陽」

 太陽がひょこりと顔を出し、兄の変身を絶賛する。
 夏陽の私服は、タンクトップやTシャツ。スポーツマンらしく、動きやすさに重点を置いたものが多い。しかし今日は、お洒落なジャケットを羽織っていた。太陽でなくとも、その変化を勘ぐりたくなるだろう。

「友達と遊びに行くだけだよ」
「冬乃さんと? だったら、おれも行きてー」
「ダーメ、だ」

 夏陽は腰に纏わり付く弟を引き剥がし、素っ気無く言う。
 太陽は冬乃に懐いている。遊び相手が冬乃と知れば、自分も行くと駄々をこねるのだ。
 冬乃と二人だけなら、それも問題ないだろう。しかし、今日は別の人間もいる。幼い弟を連れて行く事は出来ない。




「やべ。遅れたかな?」

 夏陽は自宅を出、駅前に到着した。
 ジャケットの袖を捲くり、腕時計に視線を這わせる。集合時間は午前10時:00分。その時間は5分過ぎていた。
 これは拙いと、夏陽は集合場所へ急ぎ駆ける。
 今日は夏陽を置き去りに決められた『ダブルデート』の日。背後に渦巻く陰謀には、何となく気付いている。が、それはそれ。
 氷の城壁を聳えさせる椿が、夏陽と休日を過す機会など滅多にない。このチャンスは逃せないのだ。

「ふ〜ん? 別に何時もと変わらないと思うけどな」
「……」

 聞き慣れた声が夏陽の鼓膜に届く。視線を巡らせれば、夏陽以外のメンバーが揃っていた。

「君の目は節穴なのか? 朝霧君。よく知らない人間と対面して、緊張に身を固めている卯月の変化に気付かないとは」
「……」
「ああ、ごめん。分かんない」

 椿がツンと澄ました美貌そのままに、冷涼な雪風を纏っている。その隣には一夜が佇み、冬乃は正面に立っていた。

「大体俺、椿ちゃんじゃないし。そこまで卯月君に注目してない」
「なッ!」
「……」

 悪びれた様子もなく冬乃が意見を延べる。その言葉に耳を欹てたのは一夜本人ではなく、椿の方で。形の良い眉を不機嫌に歪ませた。

「おいおい、二人とも。仲良くしろよ」
「夏陽。……遅かったな」

 夏陽は仲介役を買って出ようと間に入る。
 しかし、集合時間の遅れを真っ先に指摘されてしまった。ジロリと刺さる冬乃の視線が痛い。

「どうせ、デート気分に浮かれてたんだろ」
「うッ!」

 まったくもってその通り。夏陽は今日という日に、心躍らせていた。気合の入った髪型やジャケットだけでなく。靴やジーンズも一張羅(いっちょうら)だ。

「尻にしかれているな。葉月」
「……」

 椿は夏陽と冬乃のやり取りに、「ふふ。微笑ましい」と頬を綻ばせる。
 その顔から不機嫌さは消えた。が、着飾った夏陽の姿に見惚れている様子は微塵も無い。

「二人の間に水を差すのも気が引ける。僕達はお暇(おいとま)しようか? 卯月」
「ぁ、……雪白くん……!」

 しかも椿は一夜の手を引き、始まってもいないダブルデートから脱出を謀る。
 因みに一夜は今日の集まりを、「友人同士で遊びに出かける」としか教えられていない。

「静かな図書館か、美術館にでも行こう!」
「そんなに遊園地が嫌なのかよ? 椿ちゃん」

 夏陽は椿の足を引き止める。此処で椿に帰られては意味がない。

「何故わざわざ、騒がしい場所に行かなければならない。僕は静寂を求めている」

 クルリと振り向き、椿が応える。
 今日の行き先は、デート定番の遊園地。夏陽や冬乃は好む場所だが、椿の気は進まないようだ。

「……」

 そんな椿の様子を一夜がジッと見詰めている。何か言いたそうにも見えるが、夏陽に一夜の心情は分からなかった。



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あきゅろす。
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