初恋は桜の中で
それでも、好きだった3


「きゃ〜〜〜〜〜〜! 夏陽くーーーん!!」
「こっち向いてぇえええ!」

 黄色い悲鳴が湯水のように湧き上がる。そのすべては、夏陽へと向けられているものだ。
 少年達が汗を流す放課後のグラウンド。夏陽は、その中を駆けていた。

「ハァ、……ハァ」

 整備された大地を踏みしめ、サッカーボールを追いかける。スポーツ万能の夏陽は、中学時代もサッカー部に所属していた。
 額に流れる汗が日の光に輝き、男の魅力を最大限に引き出している。そんな夏陽に熱を上げる人間は、当然ながらに数多い。
 サッカー部が練習を始めれば、何処からともなく女生徒が集まり。夏陽に声援を送っていた。

「スゲーな、女の子の数増えてるんじゃないか? 夏陽」
「っんな事ねーよ」

 一つのボールを取り合い、部活の友人が冷やかす。口調は砕けているけれど、鋭い眼光はボールを狙っている。
 夏陽の動揺を誘い、ボールを奪う算段なのだろう。

「ははっ。だよな。夏陽は“普通の女の子”になんぞ、興味ないもんな――ッ」
「ッ……おま」

 一瞬の隙を突かれ、夏陽の足元からボールが消える。蹴り出されたのだ。
 ボールはコロコロ転がり、待ち伏せていた相手チームに渡る。してやられた、と。夏陽は踵を返した。




「アレは卑怯だろ〜」
「ははは。油断大敵!」

 試合終了を告げる笛の音が、『ピーー!』と鳴り響く。
 夏陽は息を弾ませ、友人の腕を捕まえる。共に大量の汗を流し、喉はカラカラだ。

「約束どおり、ジュース奢れよ」
「ぉ、おう」

 その背に、別の浮かれた声が掛かる。夏陽が振り向けば、勝利の笑みがピカピカと輝いていた。
 実は負けた方のチームが、『ジュースを奢る』という小さな勝負をしていたのだ。

「いいなー。なぁ、オレの分も買って来てくれよ」
「それはいいけど、奢んねーぞ」
「へいへい。オレンジジュースな」

 それに便乗し、他のチームメイトがあっという間に群って来る。夏陽はリクエストを聞き、ジュース代金を受け取った。
 奢ると約束していた友人は二人。それ以外の人間からは容赦なく徴収する。




「おい、演劇部が凄いらしいぞ! 俳優の弟がいるんだとさ」
「え〜? マジかよー」
「行ってみようぜ!」

 夏陽は足を走らせ、自動販売機の元へと向かっていた。その耳に、活気付いた噂話が飛び込んでくる。

「……俳優の弟って、まさか」

 瞬時に椿の顔が脳裏に浮かぶ。椿を取り巻く噂話は数多い。しかもその殆どが、心無い好奇心に満ちていたのだ。
 夏陽は講堂へと走る少年の背中を追いかける。彼は件の噂話を意気揚々と語っていた少年だ。その発信源も知っているだろう。




「『――嗚呼、旅人よ。これよりアナタの魂は肉体の楔を解き放たれ、時の狭間を漂うでしょう』」

 講堂に一歩足を踏み入れれば、其処は別世界だった。
 放課後という時間帯にも関わらず、講堂の中は人で溢れている。演劇部のデモンストレーションに集まった生徒達だ。
 彼らの瞳は一様に、舞台に咲く一輪の花を映している。重厚なオーラが空間を支配し、冷やかしに訪れた人間の口も塞がれていた。

「椿ちゃん」

 舞台に立つのは少年にも、少女にも見える。ただただ美しい――美貌の氷華。椿は、観客を物語に誘う案内人に扮していた。
 雪のように白い腕には黄金のブレスレットが光り、足首には対のアンクレットが嵌っている。全身を包む衣装はゆたりと長く、アラビアの民族衣装に似ていた。

「『けれど旅人よ。恐れる事はない。例え恐怖を感じても――それは、一瞬の出来事なのだから』」

 椿のしなやかな肢体が舞台の上を舞う度に、黄金の装飾品がシャラシャラと音を奏でる。それは人心を魅了する幻想綺譚。

「『ふふ――どうぞ、お楽しみ下さい』」

 美しい案内人が恐ろしく妖艶な微笑を浮かばせ、世界は闇夜に包まれる。舞台を照らしていたスポットライトが、消えたのだ。
 観客はゴクリと息を飲み、緊張に肩を強張らせる。彼らの意識は、物語の世界に惹き込まれていた。

「やっぱ、スゲーな」

 それは勿論、夏陽も同様。魂を抜かれ、物語の始まりに胸を躍らせる。初めてその存在を知った時のように、椿の演技に魅入っていた。

「ふ〜ん。千夜一夜物語か?」
「ぬぉう!? 冬乃!」

 その耳に、見知った声音が聞えて来る。反射的に視線を動かせば、左隣に冬乃が居た。
 夏陽は驚きに飛び上がる。まったく気付かなかった。

「静かにしろよ、夏陽」

 迷惑だろ、と。視線で注意される。夏陽のリアクションは大きく、右隣にいる少年にもジロリと睨みを飛ばされた。

「お前、図書委員は?」
「ん? ちょっと変わってもらった」

 自然と夏陽の音量は下がる。冬乃の耳元に唇を寄せ、右手で壁を作った。ヒソヒソ話しの姿勢だ。
 舞台の幕は開き、観客は遠い異国の寝物語に夢中に成っている。

「因みに、卯月君は図書室で本読んでたぞ」
「その情報をオレに知らせて、どうしろと?」

 夏陽と冬乃は声を潜ませ、秘密の会話を続けた。冬乃の話題提供に反応し、夏陽の頭は一夜の読書姿を浮かばせる。
 しかし椿がうっとり見惚れそうな光景も、夏陽の興味は薄く。冬乃に疑問を返した。

「ああ。教えるなら、椿ちゃんだよな」
「そうか、オレを追い込みに来たのか」

 ニヤリと、冬乃の唇が含み笑顔を浮かばせる。つまりは前振り。夏陽に抗えない現実を再確認させたのだ。
 油断を見せれば、冬乃は夏陽の心を攫おうと動く。それは冬乃の持つ、積極的な一面だった。
 夏陽の背筋は、またソワソワと居心地悪さを感じる。
 冬乃とは“気心の知れた親友同士”で有り続けたい。それが、夏陽の正直な願いなのだ。




 ◆◆◆




「『……――』」

 一方、舞台は新たな局面を迎える。
 物語を紡いでいた演劇部員。その時間が、一時停止のようにピタリと止まった。
 時を止める世界。その中を一つの影が動く。スポットライトの光が集まり、影の正体を照らした。

「『――愛する者に裏切られた王。彼は人の心が信じられなくなり、自らの手を血に染めてゆきます』」

 夜色のベールが花弁のように空を舞う。その下に咲いているのは、凛とした絶世の美貌。
 そう、物語の案内人が再び現れ出たのだ。
 観客は「おお!」と身を乗り出し、歓声を上げる。中学生とは思えぬ、凝った演出だ。

「『さぁ、アナタの物語で王の心に光を――演劇部は、新入生のお越しをお待ちしています』」

 案内人は舞台の中央まで移動し、観客に語り掛ける。新入生を勧誘するお決まりの台詞。それも椿が口にすると、妙に艶かしい。
 興奮を宿した観客が立ち上がり、足早に行動を起こす。演劇部の新入部員受付に向かったのだ。

「なぁ『俳優の弟』って、王様役のひとかな?」
「先輩に聞いてみようぜ」

 わいわいガヤガヤ。まだまだ幼い顔立ちの一年生が、我先にと列を成す。椿はそれを一瞥し、舞台を下りた。
 身体を動かす度に衣装がヒラヒラと揺れ、装飾品がシャラシャラと音を奏でる。

「――と、言うわけで。そこのサッカー部と図書委員、逢引は他でしろ」

 それでも椿は迷い無くスタスタと、客席の一角に足を進めた。其処には見知った少年が二人、肩を並べている。夏陽と冬乃だ。

「っ、気付いてたのかよ。椿ちゃん」

 夏陽は決まり悪そうに、笑顔を取り繕う。しかしその笑顔には、光輝く夏陽の魅力が欠けている。

「ハァ。色々と儘ならないな、朝霧君」
「まったくだよ、椿ちゃん」

 椿はすべての事情を読み取ったように、冬乃に言葉を向けた。冬乃も同意見のようで、会話が繋がる。

「いっそダブルデート計画とか、どうよ?」
「それは僕に提案しているのか? 朝霧君」

 椿は冬乃に疑問を返した。
 稚い幼少期でさえ、椿と冬乃が無邪気に遊んだ記憶はない。それが一足飛びに『デート』とは、少々プライベートな事情に足を踏み込み過ぎている。

「君は僕の事を、嫌っていると思っていた」
「ああ、まぁ。そうかな。親からも遊ぶなって言われてたし――それに、」

 続きの感情は音にせず、冬乃は椿の顔をジッと見た。眼鏡の奥、冬乃の瞳は揺らぎを見せている。
 それは制御しきれない複雑な感情――恋敵に向ける嫉妬心。

「ああ、なるほど――だが、その件は何の心配もない」
「うん。それが分かったから、俺も考えを変えようかと思ってさ」
「ん? 何故分かった。僕は誰にも言っていないぞ」

 椿は小首を傾げる。山吹や菜花にさえ報告していない感情。それを、冬乃が知っている素振りを見せたのだ。

「多分、“本人”以外は気付いてると思うよ――椿ちゃん、卯月君の前だと楽しそうだから」
「そうか。――葉月も君といる時が、一番楽しそうだよ。朝霧君」

 冬乃が声を潜め、椿の耳元に唇を寄せる。囁かれた言葉は、椿の耳にしか聞えない。

 そう、それは夏陽の知らない秘密の会話だ。



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あきゅろす。
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