初恋は桜の中で
それでも、好きだった2


 翌日。夏陽は後悔の海に沈んでいた。
 何度忘れようとしても、冬乃の表情が脳裏に浮かぶ。あれから、夏陽の頬は火照ったまま。太陽にも、微熱が有ると勘違いされていた。

「はぁぁあああ」

 夏陽は本日何度目かの深い溜息を吐く。
 思春期の興味は、思わぬ所で顔を出すものだ。それは夏陽も承知しているし、身に覚えもある。
 けれど、親友だと公言している相手に感じた心臓の響き。それは夏陽にとって、天地が引っくり返ったような衝撃を覚えさせていたのだ。

(冬乃にとか、流石に不味いだろ……?)

 遥か頭上を見上げて、思う。春の空は今日も蒼く、綺麗に晴れている。
 夏陽は冬乃の事が好きだ。けれどその感情が、『友情』の域を超えた事はない。夏陽の想い人は、あくまでも――

「どうした、葉月。朝霧君と何か有ったような顔をして」
「うぉう!? 椿ちゃん!?」

 今正に脳裏に思い浮かべていた人物の登場に、心臓が飛び出しかける。声は上ずり、心臓がバクバクと音を立てた。
 椿はそんな夏陽の動揺にも、澄ました表情を浮かべている。いや、むしろ。何でもないような顔をして、悩みの原因を言い当てられた。
 椿の観察眼に、夏陽の額は冷や汗を意識する。椿は色んな意味で心臓に悪い少年だ。

「……朝霧君?」
「ああ。卯月も知っているだろう? 図書委員の彼」

 おずおずと控えめな質問が、上がる。夏陽と椿は冬乃の存在を共通認識しているけれど、それを知らない人間が居たのだ。
 椿はその人間――一夜に、冬乃の人物像を教えて聞かせる。一夜は図書委員である冬乃の顔は知っていたようで、直にその人物を理解した。

「――で、その朝霧君と葉月は……毎週……お互いの……関係……」
「ぇ!」

 冬乃の存在を理解した一夜の耳に、椿が唇を寄せる。そして一夜にしか聞えない音量で、何かを囁いた。

「ちょ! 椿ちゃん、一夜に何を吹き込んでるんだよ」

 椿の背中に小悪魔の羽が見える。反射的に向けられた、一夜の視線に嫌な予感が浮かぶ。夏陽は動揺に加え、焦りを浮かばせた。

「ん? 君と朝霧君の“濃厚な”友情を教えていただけだ」
「……」

 椿は一夜に囁いていた言葉を休め、夏陽へと意識を向ける。けれどその掌は、一夜の頭を撫でていた。
 夏陽と冬乃、一夜と椿。どちらが『濃厚な友情』を表に出しているのかは、火を見るより明らかだろう。
 少なくとも夏陽は、冬乃の頭を愛しそうに撫でた事はない。

「濃厚って何だよ! オレと冬乃は普通の友達だって、何度も言ってるだろ」
「赤面して取り繕っても、説得力はないな」
「……」

 な、と。同意を求めるように、椿は再び一夜に向き直る。けれど一夜は、夏陽と冬乃の関係を詳しく知らない。だからなのだろう、椿への返答に迷っていた。
 椿と顔を突き合わせ、口をモゴモゴさせている。一夜は夏陽が思っている以上に、内気少年のようだ。

「……葉月君は、朝霧君と仲良しなんですか?」
「そう。子供の頃からずっと、あの調子だ」

 時刻は昼。場所は人影の少ない屋上。
 冬乃に火点けられた頬の熱は消える事無く。さりとて夏陽は、椿への感情も消せなかった。




「――卯月が独り、『ぽつん……』と佇んでいてな。此処まで引っ張って来た」
「……」

 弁当を広げ、話題は変わる。
 椿は魔法瓶から茶を注ぎ、一夜にお裾分けしていた。一夜は購買部の弁当戦争に大敗したそうで、昼食を抜く気でいたそうな。

「卯月はロールキャベツ、好きか?」
「はい。――ぁ、ありがとうございます」
「ふふ。それは良かった」

 椿は弁当の蓋に『おかずとオニギリ』を取り分け、一夜に手渡す。一夜は申し訳なさそうに、けれど椿の好意を嬉しそうに受け取った。
 椿の弁当は野菜中心、ヘルシーに纏められている。人参で作られた花が、妙に可愛らしい。肉食中心、ボリューム優先の夏陽の弁当とはまるで違う。

「なぁ。椿ちゃんの弁当って、誰が作ってんの?」

 夏陽も自分のおかずを取り分け、友人同士のランチタイムは朗らかな空気に包まれた。暖かな春の日差しが肌に心地よく。ホーホケキョと、鶯の囀りも何処からか聞えている。
 一夜は夏陽の強力な恋敵だ。しかしその友情に偽りはない。知り合って日は浅いけれど、きっといい友達に成れるだろう。夏陽はそう思っている。

「ああ、今日のは僕だ。姉さんが仕事で居なくてな」
「え!?」
「っ、」

 椿の何気ない言葉に、夏陽は衝撃を受けた。詰まり一夜が食べている『ロールキャベツ』は、椿の手作り料理。
 夏陽は反射的に、一夜の手元を凝視する。件のおかずは割り箸に挟まれ、既に半分食べられていた。
 弁当用に作られたロールキャベツは小ぶりで、トロッとした“あん”を纏っている。その“あん”が春の日差しを浴びて、キラキラと輝く。
 弁当戦争の敗者は何よりも輝かしい、『椿の手料理』という名の褒美を受け取っていたのだ。思わず、夏陽の喉がゴクリと鳴る。正直言って羨ましい。

「だから、味に自信が無くて――卯月の口に入ると分かっていたら、もっと手の込んだものを用意したかった」
「そんな事、凄く美味しいです」

 椿は気恥ずかしそうに頬を染めながらも、後悔を語った。それに一夜が逸早く反応を見せる。
 実際に一夜の頬はホワリと蕩けていた。だから椿に言った感想はお世辞ではなく、真実なのだろう。

「そうか。卯月の口に合ったのなら、嬉しい」
「ッ……雪白くん」

 椿は一安心したと、一夜に笑む。その頬は、一夜の喜びが自分へのご褒美だと言わんばかりに蕩けていた。
 誰が見ても、椿が一夜に特別な感情を抱いていると分かる。花が綻ぶように美しい微笑みだ。

(ホントに、隠す気ねーのな)

 夏陽は自分の弁当を平らげ、胃の中に茶を流し込む。飲みなれた市販の味が、今日はやけに苦い。
 それが『失恋の味』だとは思わないけれど、夏陽の心臓はツキンと痛んだ。

「明日も、君を誘って良いか? 卯月」
「はい」

 朗らかな春の空気に薔薇の花弁が舞い始める。夏陽が視線を向け直せば、一夜と椿が大輪の薔薇を咲かせていた。
 一夜は断る理由などないと伝えるように、椿の瞳を見詰めている。この状況で、椿の完全なる片想なのだ。

「ッ……あ〜、クソ」

 夏陽は軽い目眩のような感覚を覚える。
 そしてゆらりと立ち上がり、澄みきった春の空へ魂の絶叫を響かせた。

「だから、そうやって――隙あらば二人で見詰め合うんじゃねぇぇぇえええええ!!」
「何だ葉月。羨ましいなら、君も朝霧君とすればいいだろう」
「……」




 ◆◆◆




「どう思うよ。冬乃」
「夏陽お前さ、友達多いんだから微妙な質問を俺にすんなよ」

 呆れた溜息が図書室にとける。午後の休み時間、夏陽は冬乃の元を訪れていた。
 机の上に詰まれた大量の本。冬乃は、図書委員の仕事を真面目にこなしている。冬乃が図書委員をしているのは、彼の実家が本屋だからだ。

「いや、だって。名前出たのは冬乃だしさー」
「だからって、馬鹿正直に来るなよ。卯月君から奪う気で行かないと、椿ちゃんは振り向いてくれないぞ」
「ハゥッ!」

 冬乃の言葉がチクリと刺さる。夏陽は胸を抑えて仰け反った。
 それは幼い頃から繰返している。夏陽と冬乃、お決まりのコミュニケーションだった。

「ハァ」
「……なんだよ冬乃。放置されると恥ずかしいだろ」

 けれど冬乃は興味なさそうに眼鏡を外し、埃を拭き取っている。夏陽は背筋にソワソワと羞恥を感じた。

「……」
「冬乃さーん?」

 シーンと静まる図書室の静寂が、さらに追い討ちを掛ける。夏陽は静かな場所というものが、得意とは言えないのだ。
 ついつい、冬乃にちょっかいを出してしまう。

「まぁ、俺は――夏陽がしたいなら、してもいいけどな」

 冬乃が磨き終えた眼鏡を掛ける。窓辺から差し込んだ日の光が、レンズに反射してキラリと光った。

「ッ……な、なにを?」

 意味ありげな冬乃の視線に、妙な居心地悪さを感じる。夏陽は心のざわめきに、息を飲み込んだ。

「チッ――このヘタレ野郎が」
「ええ!?」

 大判の辞書をパタリと閉じ、冬乃が立ち上がる。
 何処か不機嫌そうな雰囲気に、夏陽の肩がビクリと跳ねた。

「なぁ、夏陽。『鬼畜眼鏡』って知ってるか?」
「それは性格的な意味でか、それとも性的な意味でのか?」

 唐突に振られた話題に応えながらも、夏陽の足は一歩下がる。夏陽と冬乃。二人の心の距離を、貸出カウンターが境界線のように隔てていた。
 しかし夏陽の危険信号は、今も点滅している。その距離を縮める素振りを、冬乃が見せたからだ。

「今から鍛えれば、スポーツマンでも押し倒せるかな」
「いや〜。冬乃には、『優等生眼鏡属性』の方が似合うんじゃねーかな?」

 暗に関係の進展を匂わされ、夏陽の目が泳ぐ。

 冬乃の事は純粋に好きだ。
 けれど夏陽は恋愛感情を仄めかされると、逃げ腰に成ってしまうのだった。




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