初恋は桜の中で
それでも、好きだった1


 初恋は叶わない。
 小学一年生で同級生に初恋を経験した少年は、その言葉通り――数年後。完膚無きまでの失恋を経験する事になる。




「は? 今、なんて……?」

 今が盛りと桜の花が咲き誇り。ヒラヒラはらはらサラサラ、と。雪吹雪のように世界に舞っている。四月の上旬。
 今年、中学二年生に進級した少年――葉月夏陽(はづきなつひ)には、好意を寄せている相手がいた。

「だから、昨日知り合った友達」
「……」

 春を代表する花よりも美しく咲き誇る少年。彼の名前は、雪白椿(ゆきしろつばき)。夏陽の初恋相手だ。
 椿は学年で一番可愛い女の子よりも――いや、この学園で一番可愛い女の子よりも、繊細で端正な顔立ちをしている。
 夏陽が同性である椿に友情以上の感情を抱いているのは、ズバリ。その容姿が美しく、中性的だからに他ならない。

「あの、雪白君……」
「ああ、彼の名前は葉月夏陽。小学校からの友達だ」

 椿の隣に佇んでいた少年が小さな音を発する。椿は夏陽に向けていた視線をその少年に移し、友人を紹介した。

「お友達……」

 少年が目線を上に向け、涼やかな目元が長い前髪の間からチラリと見えた。その深い色をした瞳は、椿の姿を真直に見詰めている。

「気のいい人間だから、君とも仲良くなれるだろう」

 椿の雪に染められたように白い指先が、漆黒をサラリと梳く。それは少年の髪で、椿は何の躊躇もなくその頭を撫でていたのだ。

「なぁッ!?」

 夏陽の脳天に雷が落ちる。
 椿はボディタッチを気軽に許すような少年ではない。当然その逆も然で、夏陽は椿から触れられる事など滅多にない。それも精々、肩に手を軽くポンと置かれる程度だ。

「ん……っ」
「擽ったい?」
「少し――ぁ、でも、嫌では……ないですから」
「本当? ――君に嫌われたら、僕は一生立ち直れない」
「ぇ、……!」
「ふふ。冗談だ、本気にするな」
「雪白くん……っ」
「ふふふ」

 椿は夏陽の衝撃に気づかず、少年と楽しそうに戯れている。その距離感は近く。知り合って数年経過している夏陽よりも、親しげな雰囲気を醸し出していた。

「――はじめまして、葉月君。卯月一夜です」
「ぇ? あ、ああ……」

 突きつけられた残酷な現実。夏陽が人生の厳しさを痛感している間に、その少年――卯月一夜(うづきいちや)は、夏陽に視線を向け。折り目正しい会釈をした。
 一夜の声色は硬く、緊張を含んでいる。夏陽は今日まで、知り合った人間とは漏れなく友情を育んで来た。その実績が、光り輝く笑顔を浮かび上がらせる。

「オレの方こそ、ヨロシク。一夜」

 夏陽は右手を差し出し、一夜と友情の握手を交わした。
 けれど、夏陽は知っていた。椿が一夜に好意を抱いている事を――それは友情以上の、甘く切ない想い。


 これから始まる物語は、夏陽が未だ幼さを残していた中学時代のお話。
 椿に報われない感情を抱き、冬乃からの信号に気づかないふりをしていた頃の甘酸っぱい記憶。




 ◆◆◆




「それで馬鹿正直に友達になったのか」
「ハゥ!」

 落ち込む夏陽を追い込むように、少年の言葉が降る。それは数多くいる友人の中でも、特に心を許した親友――朝霧冬乃(あさぎりふゆの)の声音だった。

「夏陽は知らないだろうけどな――椿ちゃん、一年前から卯月君の事意識してたんだぞ」

 冬乃が眼鏡の中心を中指で押し上げ、ズレを直す。小さな金属音が、カチリと響いた。
 冬乃は眼鏡を掛けている。レンズの下半分のみが銀色の縁に覆われている、アンダーリムタイプだ。

「多分……いや、完全に惚れてる」
「それは、知ってるよ。……昨日、見てから」

 冬乃の言葉に夏陽は同意を返す。そう、夏陽は知っていたのだ。
 昨日は新築された図書室の開放日。図書委員の冬乃は忙しく、夏陽は椿と新しくなった図書室を見に行っていた。
 二階建ての、立派な建築物。夏陽に硬い本を読む習慣はなかったけれど、椿の方は毎日のように旧・図書室に通っていた。
 椿が厚い本の背表紙を物色している横で、夏陽は適当な雑誌を手に取りパラパラと読んでいた。けれど、椿はその途中で「帰る」と、言い出し。図書室を出て行ったのだ。
 夏陽はその後を追いかけた。そして、目撃してしまったのだ。椿が一夜に「友達になろう」と、言っている瞬間を。
 桜の花弁が雪のように舞い散り。一夜と椿の姿を世界から隠すように包んでいた光景を、見てしまっていたのだ。

 けれど夏陽は、椿に声を掛けるという選択肢を選ばなかった。いや、その空間を壊す事が出来なかったのだ。
 それはとても神秘的で美しい――けれど、とても孤独な魂の邂逅。どうして邪魔など出来ようか。

「つか、なんで冬乃がそんな事知ってるんだよ」

 夏陽が秘されていた椿の恋心に気付いたのは、昨日の放課後だ。それなのに何故、その場にいなかった冬乃がそれを知っているのだろう。
 冬乃と椿は小学校の頃にクラスメイトだった。けれど、個人的な交流が頻繁にあるような間柄ではないのに。冬乃はそれを一ミリの迷いもなく断言した。

「だって、あの二人――図書室の常連だから。真面目な図書委員さんに見られてたんだよ、“暇潰しに”な」

 冬乃はククク、と。声を抑えて笑う。
 冬乃の外見は一見して、真面目そうな印象を受ける。けれどその中身が、見た目通りのお堅い真面目少年とは限らない。

「本の隙間から、卯月君の様子を窺ったりしててさ。第三者の目からだと、意識してるのバレバレ――まぁ、隠す気もなかったんだろうけどな」

 冬乃の語る“真面目な図書委員さん”とは、冬乃本人の事。つまり冬乃は、椿の秘めたる恋心に以前から気付いていたのだ。

「マジでか」
「嘘吐いてどうする」

 夏陽は思わず、冬乃の記憶を確認する。
 夏陽は椿への感情が報われるとは思っていない。けれど誰か他の人間が、椿の心を奪えるとも思っていなかったのだ。
 でもその現実は、一年も前に塗り替えられていた。雪がとけて春になるように、椿の冷たく凍えていた心は『卯月一夜』という少年の存在に、とかされていたのだ。

「椿ちゃんの“趣味”は意外だけど、コレで夏陽が眼中にないと丸分かり」

 冬乃は天気の話でもするように自然な会話の中で、言葉を続ける。

「卯月君と上手くいけば“嫌がらせ”も減るだろうし、良かったじゃないか」

 冬乃の言葉は目の前にいる夏陽に向けられたものではない。曽てのクラスメイトに向けられたものだ。
 夏陽は明るく感情豊かな爽やか少年。その上、スポーツ万能で顔立ちも整っている。当然、異性からの人気は高い。非公認だけれど、ファンクラブも存在している。
 そしてその女性達が目の上のたんこぶとしているのが、椿。表には出さないけれど、裏では相当な陰口が飛び交っているらしい。
 しかも椿は、その材料を簡単に揃えられてしまう複雑な生い立ちをしていた。

「それにしても、見事に夏陽とは真逆のタイプだったな」
「あのさ、冬乃……傷心のオレを励ます気はないのか?」

 夏陽は明るく、アハハハと笑っている冬乃に質問を投げた。
 冬乃は、夏陽が椿に好意を寄せている事を知っている。けれどその親友が失恋の危機に瀕しているというのに、どこか嬉しそうにしているのだ。

「あ、」
「アニキー!」

 しかし夏陽が冬乃の答えを聞く前に、その音は掻き消えてしまった。
 扉が開き、元気印のオレンジ・ブラウンが部屋へと飛び込んで来る。それは夏陽の5歳下の弟。葉月太陽(はづきたいよう)だった。

「んだよ、太陽。兄ちゃんはな、今、冬乃と話してるんだよ」

 自分の容姿がそのまま縮んだ弟に、夏陽はしっしっと追い払うように手を振る。
 生意気盛り、育ち盛りの太陽。可愛くないわけではないけれど、夏陽はそろそろプライベートを気にするお年頃なのだ。

「えー! 帰ってきたら、対戦してくれるって言ったじゃん!」

 太陽はゲームソフトのパッケージを夏陽の目の前に差し出し、ぶうたれる。楽しみにしていた兄との時間を断られて、不満なのだろう。

「夜な、夜。夕飯食った後でもいいだろ」

 夏陽は素っ気無く太陽の言葉を返し。知名な戦国武将が表紙を飾っているゲームソフトを遠ざけた。
 先月末に発売したばかりの、人気シリーズ最新作。夏陽も太陽同様、そのゲームで遊ぶ時間を楽しみにしていた。
 けれどそれは太陽と約束を交わした、朝食までの話。今の夏陽は気を沈ませ、冬乃との会話に精神の回復を求めているのだ。

「見逃してやってよ、太陽君。夏陽な、強力な恋敵の登場に落ち込んでるんだよ」
「ぇ、アニキが!? 相手どんなスーパーマンだよ!?」

 冬乃のフォローに、太陽が目を見開いて驚きを上げる。
 夏の陽射しのように眩しく、人気者の夏陽。それは実弟である太陽の目から見ても、自慢の兄貴だ。その夏陽が危機感を覚えるほどの相手。太陽は頭の中に、人知を超えた超人の姿を想像したようだ。

「んー。大人しい子だよ。一日中、難しい本を読んでるような、内気少年――今流行りの草食系ってやつかな?」

 夏陽に代わり、冬乃が太陽の疑問に答える。
 冬乃と夏陽の友情はかれこれ7年ほど続いている。お互いの家で遊ぶ事も多く、太陽とも自然と仲良くなったのだ。

「なんだ、そんなんにアニキが負けるわけねーじゃん! “女”はスポーツが得意な男にメロメロだって、クラスの女子も言ってるぜ」

 太陽は兄の勝利を信じて疑わない。幼い瞳をキラキラと輝かせ、冬乃に力説している。
 しかし残念ながら、夏陽の想い人は“女性”ではない。しかも少しばかりスポーツが得意でも、友情以上の声援が送られた事など一度としてないのだ。

「“雪白山吹”でも出てこない限り、落ち込むなよ。アニキ!」

 けれど事情を知らない太陽はキラキラと瞳を輝かさせたまま、夏陽に視線を向け。純粋な励ましの言葉を掛ける。

「アッハハハハハハ! 山吹って、それは別の意味で、アハハハハハ……強力な相手だな」
「笑うな、冬乃!」

 太陽の声援を聞いた冬乃は、腹を抱えて笑い出し。空いている方の手で、夏陽の膝をバシバシと叩いた。

「?」

 爆笑する冬乃。頬を羞恥に染めている夏陽。太陽はこの状況に、疑問府を浮かべている。
 雪白山吹(ゆきしろやまぶき)は、世界を股を掛け活躍している大俳優の名前。太陽はそのレベルの男前でなければ、兄を追い込む恋敵にはならない、と。伝えたかったのだろう。まさかその山吹が、夏陽の片想いしている相手――椿の兄だとは、微塵も思わずに。

「本当に山吹が出てきたら、アハハハ……サイン貰ってくれよ。夏陽」

 冬乃は息も絶えに、目尻に涙を溜めている。椿と恋仲になれば、有り得るかもしれない『貴様のような馬の骨に、可愛い弟はやらん!』展開。それが、笑いのツボに入ったようだ。

「冬乃、お前……分かってて、言ってるよな」

 夏陽は身体をくの字に折っている冬乃に魔の手を伸ばす。そんなに笑いたいのなら、思う存分笑わせてやる。

「ぅわ! ちょ、やめ……アッハハハハハ!」
「はっはっはっ。参ったか、冬乃の弱い場所は知ってるんだよ」

 こちょこちょこちょこちょ。夏陽は冬乃に覆いかぶさり、擽り攻撃を仕掛けた。
 大人への成長を順調に歩んでいる指を巧みに操り、脇腹を攻め立てる。冬乃はそこを触られるのが、昔から苦手なのだ。

「……も、ホント……やめ……ァッ――なつ、ひ……」

 冬乃はカーペットの上にグタリと力なく寝転がり、夏陽に懇願する。
 少年の薄い胸板が上下に動き、呼吸がハァハァと荒く弾む。健康的な頬には赤味がさし、眼鏡のズレた瞳は涙で潤んでいる。情欲的にも映る冬乃の表情に、夏陽の心臓はギクリと音を立てた。



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あきゅろす。
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