初恋は桜の中で
マイ・ラヴ・エンジェル2


 優雅なクラシック音楽が流れる店内は女性客が多く、聖祈の容姿は注目を集めていた。
 そんな中で、キスなど出来はしない。聖祈にはもう少し、人の目を気にしてほしい、と。桜架は思う。

「ハルちゃんは、可愛いタイプの方が好き? ボク、可愛くない?」

 聖祈は拗ねたように呟き、ストローに口付ける。聖祈の喉仏がゴクゴクと動き。アイス・コーヒーがグラスの中から消えてゆく。
 その光景は充分過ぎるほどの色気を纏い。何十もの視線が聖祈の口元へと注がれていた。

「聖祈くんこそ、ぼくみたいな大きい男とキスして楽しいの?」
「ボクよりは小さいよ」
「3cmでしょ。180cmの男は普通に大男だよ」
「まぁ。世の中には、カワイイ顔して自分よりも身長の高い相手を押し倒す子もいるしー。関係ないよ、大きさなんて」

 桜架の質問に、聖祈は何でもない事だと答え。ハートたっぷりのウィンクを送ってきた。

「重要なのは、ボクがしたいか、したくないかでしょ? ボクはキミと熱いベーゼを交わしたいよ」

 そう言って聖祈は桜架の手の甲に羽根を落とした。それはねとりと甘い男の唇で、桜架の頬に朱色が走る。

「聖祈くん……」
「フフ。やっぱり、桜架は可愛いよ」

 桜架の反応を見た聖祈は瞳の色を濃くする。その熱に釣られ。桜架の頬も薄い朱色が、濃い紅色へと変化してゆく。
 本当に聖祈は、ふざけた態度さえ取らなければ最高級の色男だ。

「何人くらいに言ったの」
「えーと、しゃく……八ッ!」

 聖祈は指を折り、人数を数える。その肩がギクリと揺れた。

「へぇ」

 桜架は天使の笑顔を浮かばせたまま、頬の色を消す。それに聖祈は焦りを見せた。

「勿論、一番したいのはハルちゃんだよ」

 一体“二番目以降”に何人いるんだか。
 そんな視線を浴びながら、聖祈は甘い愛歌を空気に溶かし続けた。




 ◆◆◆



「次は、腕を絡めて」
「はぁ〜い」

 カメラマンの指示を聞き、女性が返事を返す。蜂蜜のように甘い声音。男の脳を酔わせるそれに、聖祈の頬も自然と緩む。

「ねぇ、聖クン」

 ポーズを決めながら、亜麻色髪の女性・雪白菜花が聖祈に話しかける。聖(ひじり)は聖祈のモデルネーム。今は雑誌の撮影中なのだ。

「何かいい事、あった?」
「はい。今まさに、天国のような柔らかさが腕に」

 腕に当たる二つのマシュマロ。大きくふわりとした感触に、聖祈はデレデレと応える。
 菜花は「違うわよ」と、ふわふわ微笑み。聖祈のセクハラ発言を綿毛のような柔らかさで包み込んだ。

「雰囲気が優しくなってる。恋をしているのね」

 目線はカメラに向けたまま、菜花は聖祈の現状をピタリと言い当てた。
 椿とは違った鋭さで、菜花は同じように他人の心根を感じ取る。雪白兄弟恐ろしい、と。聖祈はひっそりと思った。

「え〜? ボクは前から優しい男ですよー」
「うふふ。ピンク色が増しているわ、それは恋の色よ」

 聖祈の纏うオーラが見えているように、菜花は言う。
 聖祈から見た菜花はお世話になっている事務所の先輩だ。仕事のお零れに預かる事も多い。けれど、プライベートを共有するほどの深い付き合いはない。以前、旅行に誘われたのは完全に緋色の独断であった。

「聖クン、背中」
「ぁ、はい」

 菜花がクルリと回り、聖祈は反対側を向く。聖祈の広い背中をキャンバスに、菜花は次々とポーズを変えてゆく。
 今回の、というか毎回の事だけれど、撮影のメインは『なのは』だ。聖祈は彼女(スーパーモデル)の引き立て役に過ぎない。刺身のつまのような仕事。けれどそのお陰か、菜花のファン層である若い女性の間では『天羽聖』という名がそれなりに浸透していた。

「聖クンは、一夜クンの先輩さんなのよね。あの子も椿くんの前だと雰囲気が優しくなるのよ」

 菜花が甘いベビーフェイスを綻ばせれば、スタジオに花畑が現れる。満開の菜の花に幻惑されながら、聖祈は一夜の姿を脳裏に浮かべた。

「だからわたし、一夜クンの事――好きだわ」
「え!?」

 聖祈は驚きに声を上げた。まさか一夜は、恋人の姉から横恋慕されるという。羨まけしからん状況に落ちているのか。

「うふふ。“義弟”にしたいって意味よ」

 聖祈は思わず、椿と菜花から同時に愛を囁かれている一夜の姿を妄想した。
 戸惑い。悩む一夜を、椿が妖艶な美貌で誘惑し、菜花は豊満な肉体(ナイスバディ)を武器に少年の細い身体を包み込む。男として、最高に萌えるシチュエーション。
 官能小説のような展開を見せる脳内劇場を楽しみながら、聖祈はジュルリと涎を垂らした。
 勿論、菜花の言葉は耳に入っていない。

「一夜クンのタキシード姿が見たいって言ったら、椿くん、頷いてくれないかしら?」

 一方で菜花は聖祈の妄想内容には気づかず、彼女の中の未来予想図にキラキラと思いを馳せていた。



 ◆◆◆



「ぁ、姉弟丼」

 聖祈はモデルの仕事を終え、家路へと歩んでいた。
 その途中。見慣れた漆黒が姿を現し、妄想内容が口からポロリと飛び出す。

「?」

 聖祈が無自覚に呟いていたそれに、物静かな漆黒・一夜は疑問府を浮かべた。

「サンドイッチ、ですよ?」

 一夜は疑問府の数を増やしながらも、聖祈に言葉を返す。
 聖祈が一夜の姿を見つけたのは、コンビニの店内。時間は午後:6時。丁度、夕食時だ。一夜は軽食コーナーの前に佇み、商品を選んでいる所だった。
 一夜の視線が「お弁当コーナーは向こうですよ?」と教える中、聖祈はその意味に気づかず。ピンク色の羽根を舞わせた。

「サンドイッチかぁ〜。なんて羨まエロい状況!」

 菜花と椿が、一夜を両側から抱き締める。所謂“サンドイッチ”状態。聖祈は脳内劇場を再び開演し、新しい涎をジュルリと垂らした。

「?」

 一夜の頭上に浮かぶ疑問府は益々数を増やしている。聖祈の発言の意味が理解出来ていないのだろう。

「右には甘ふわ美人、左には絶世の美少年。想像しただけで……ウェフフフフ。堪らないよ」
「聖祈先輩……?」

 呼吸をハァハァと荒くしている聖祈を訝しんでいるのか、一夜の身がスススと離れて行く。
 一夜は感情の変化に乏しいけれど、無感情という訳ではない。聖祈の発する不審なオーラに、言い知れぬ危機感を感じ取ったようだ。



「――どうして、キミはボクから逃げようとするのかな?」
「ッ!」

 聖祈は一夜の肩をガシリと捕まえ、ニヤリと笑む。飢えた肉食獣に捕らえられた黒うさぎは、今にもプルプルと震えだしそうだ。

「買い物も、終わりましたし」
「え〜? もう少し付き合ってよ。どうせ、帰る場所は同じなんだからさ」

 一夜の視線が聖祈に訴える「離して下さい」と。しかし聖祈はそれをサラリと受け流し、拘束を強めた。
 白い首筋に息を吹きかけ、鳥肌がプツプツと育つのを楽しむ。聖祈にはそんな反応を返すくせに、椿(恋人)の前では“雄”の表情(かお)を見せるのだから、一夜は興味深い。

「てか。ウサギちゃんって、元々どっちだったの?」

 聖祈には以前から疑問に思っていた事がある。一夜は椿の性別を理解した上で、好意を抱いたと言っていた。けれどその椿の容姿は、性別を超越している。現に聖祈は最近まで、背の高い女性だと思い込んでいたのだ。

「椿姫は勿論、超絶美人だけどさ。女の子、可愛いー。とか、考えない」

 聖祈は乱れた脳内妄想を繰り広げていたけれど、一夜が椿以外の人間に興味の触手を動かさない事を知っている。椿もそうだけれど、一夜も恋人に対して一途な少年だ。

「女性は、苦手で。……でも、椿は、椿だから――好きなんです」
「へぇ。それはそれは、ゴチソウサマ」

 舗装された道路に二つの影が並び、歩いている。天文部へ入部した後に知ったのだけれど、聖祈と一夜は同じマンション内に住んでいた。
 だから帰る場所は同じ、一夜は聖祈から離れたくても家路が共通の為にそれが叶わず。聖祈の方はその偶然を最大限に活かし、一夜との時間を楽しんでいるという訳だ。

「聖祈先輩も、桜架先輩が、桜架先輩だから好きなんですよね?」
「あー。ボクは元々、どっちもイケるひとだから。好きなのは、好きだけどね」

 聖祈は一夜の質問に、軽く答える。桜架への感情は本物だけれど、心の奥底は易々と覗かせたくない。

「俺も、桜架先輩の微笑(えがお)が……好きでした」

 一夜は遠い過去を思い出すように唇を動かす。その言葉は涼やかな夜風に流され、聖祈の鼓膜を揺らした。
 ボイス・トレーニングをした訳でもないのに、一夜の声音は好い音色をしている。自分に向けられたものではないと分かっていても『好き』という単語には、ひとを酔わせるだけの魔力がある。

「でも、それは“憧れ”で、恋では、ありませんでした」
「ふ〜ん。つまり、キミはボクの“恋敵(ライバル)”じゃないから、安心しろって?」

 世間話の間にマンションへと辿り着き、郵便物のチェックを済ませる。エレベーターの呼び出しボタンを押し、歩みを止めた。

「そんなコトわざわざ言わなくても、分かってるよ」

 チン、と。小さな音が鳴り、エレベーターの到着を知らせる。扉は直に開かれた。
 聖祈が長い脚を中に進め、乗り込む。一夜はその後を追い、階数ボタンを押した。聖祈の部屋は5階、一夜は最上階の10階だ。

「だって、キミ。椿姫大好きっ子じゃない。『大好きです』って、ボクに言ったの忘れちゃった?」
「覚えて、ます」

 聖祈はカラカラと笑い、可愛い後輩を冷やかした。一夜の頬が微かに染まる。合宿での一幕を思い出し、気恥ずかしさを感じているのだろう。
 本当に一夜は、椿の名前を出すと幸せそうに感情を変化させる。

(だから少し、心配なんだよね)

 エレベーターは順調に上へと進んでいる。聖祈が一夜とのお喋りを楽しめるのは、残り数秒。

「“雪白椿”は、こちら側の世界に来る」

 浮遊感が収まり、硬く閉じられていた扉が開かれる。聖祈はそのタイミングを見計らい、一夜へと言葉を投げた。
 聖祈もモデルの端くれだ、それなりの洞察力は持っている。あれほどまで分かりやすく、光り輝いている原石が世間に発見されない訳がない。
 椿は近い将来、兄である山吹と同じ道を歩む事になる。

「必ずね」

 一夜はその事実に驚くだろう。もしかしたら、抗えない世界の距離に絶望するかも知れない。聖祈はその光景を脳裏に描き、予想していた。
 一夜の表情が幸福から、悲嘆に変化する瞬間を。

「――分かっています」

 けれどその脳内シミュレーションは、いとも簡単に砕かれた。一夜は表情をピクリとも動かさず、聖祈に言葉を返したのだ。

「ぇ……?」

 動揺したのは、聖祈の方。

「オーディション。最終審査まで、残ったそうです」

 一夜は表情を変えず。変化を始めた現実を、静かに受け止めていた。

「ま、……」

 扉が閉まる。目的の階に到着していた聖祈は、すでにエレベーターの外。

「おやすみなさい。聖祈先輩」

 銀色の冷たい箱に飲み込まれ、孤独な少年が世界から姿を隠す。
 聖祈はその光景を呆然と見送る事しか出来なかった。



 ◆◆◆



「ッアーー。あの子よくわからなーい!」

 シルバー・グレイがバサバサと揺れる。聖祈はマンションの自室へと帰り着き、頭をガシガシと掻いた。
 意味深な台詞と忠告。幾らポーカーフェイスな一夜でも、動揺を見せる。聖祈は、そう思っていたのだ。
 
「――あんな反応を返されたら、ボクの方が間抜けなやつに見える」

 カッコワルー、と。聖祈は天上に向かって羞恥を呟いた。
 エレベーターの扉が開く絶妙なタイミングを見計らい、ドラマチックな演出まで狙っていたというのに。
 聖祈の言葉では、一夜の感情を表に引き出す事が出来なかった。

「やっぱり、ボクは……クーデレ(卵)より、癒し系の方がイイよ〜。ハルちゃぁぁぁん!!」

 聖祈はクッションに顔を埋め、マイ・ラヴ・エンジェルの微笑みに癒しを求めた。



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